後片付けと悪夢
一瞬の出来事に振り替えると、そこには真っ青な顔をしたドーラがいる。治療で深い傷を見たことがあっても、さすがに人が死ぬのを目の前にするのは初めてだったのだろう。
ミールも次のことをするためには彼女が邪魔だ。
有無を言わさずに彼女を走って帰らせた。いつ追手が来ていてもおかしくない。下手すると逃げた連中が待ち伏せしている可能性も否定はできなかったが、おそらくそうなることはないだろう。なにせ覆面までして襲ってきたのだ。顔を見られたくないなにかがある。
近くの顔なじみの食堂に行き、ポローシェ侯爵邸に人を呼ぶようにお願いする。顔なじみの兄ちゃんは快く引き受けてくれ、すぐに向かってくれた。
食堂の兄ちゃんに頼んでからほどなく、侯爵邸に常駐している数人のボディーガードが現場に到着し、麻袋に遺体を入れてミールも一緒にポローシェ侯爵邸に男の亡骸を持っていく。
「どうしたんだ、この男は?」
「知らねぇが、俺らを襲ってきた」
すぐさま侯爵に事情を説明すると、眉間に深いしわを寄せられた。ミールは現場でできなかった男の所持品を探ると、ズボンのポケットから家紋のような紋章が刻まれたカフスが出てきた。
「……これは、ハト……――?」
刻まれていたのは二羽のハト。ともになにかを加えている。
平和を示すハトは自身の家を主張する貴族の紋章にはあまり使われないが、それでも加える家もあるにはある。
例えば建国以来、どの派閥にも属せずに中立を保っている家とか。
「そうだな。ハトを家紋にしている貴族はエルスオング大公国内に三つあるが、すべて番ではなく一羽しか描かれてないから、この国の貴族のものではなさそうだな」
「マジか。となると、ほかの可能性としては、ほかの四つの大公国と帝国の貴族か……――あとは――――」
貴族であるポローシェ侯爵は国内すべての貴族の家紋をおさえているものの、国外までは把握できていないらしい。頭を抱える彼にミールが追い打ちをかけるが、そのほうがすっきりとしたらしい。
「商家も候補に入れていいかもな」
侯爵の言葉にニヤリと笑うミール。
やはりあの推測は間違っていたわけではなさそうだ。
「なるほど。しかし、それを絞り切るのは――――」
「私ひとりじゃ無理だな。大公殿下に力を借りるしかあるまいな」
大公には各国に所属する貴族や商会が持つ紋章の届け出が保管され、帝国と他四大公国と情報共有される。そのため、この紋章を持つ家も一発でわかるはずだと踏んだのだ。
相手が手を打つ前に急いで相手のことを把握しなければならない。
二人は馬車に乗り込んで大公邸に向かい、アンゼリム大公に面会を求めるとすぐに通された。
最初からすべて事情を説明すると、そのカフス頂戴と手を差し出してきたので渡した。それを表面も裏面もしっかりと見て、馬鹿だねぇ、こいつと顔も知れない相手を罵った。
「どう見ても貴族じゃないね」
「どうしてすぐにそんなことが断言できるんだ?」
「だってさ、これ、偽もんの金属だから」
大公の言葉にほう?と驚く侯爵。
ミールは空気になっていたが、侯爵同様、内心では感嘆符しか思い浮かべられなかった。
「後ろを見なさい。ほら、なにかが剥がれおちた形跡があるだろ? 見事に内部にはめ込まれたガラスが丸見えになっている。それにこの部分、貴族のものならきちんと打たれているだはずだよね?」
大公が大公になる前の職業柄、非常にわかりやすい説明をしていた。言われたとおりにカフスを見ると、たしかに年下の大公が言っている意味が痛いほどよくわかった。
「……なるほど、さすがは元板金工。わかりやすい説明だな」
「どういたしまして。というか、その板金工って言うの、もうやめてほしいんだけれど。一応これでも大公だし」
アンゼリム大公は前大公の長男であるが、そもそもその前大公はその先代の四男で大公を継ぐ予定がなく、市井に下っていた。そして、そのときは貴族として悠々と暮らしていくよりもなにか手に仕事をつけたいと思って就いたのが板金工で、現大公が生まれてからも大公に指名されるまで六年ほど、そこで仕事を続けていた。
「とはいえ、お前もそれを喜んでいるじゃねぇか」
そんな親の職業を恥じらうことない姿をポローシェ侯爵は知っている。しかし、照れ隠しなのか、そんな事実ないと渋い顔をするアンゼリム。
「ちなみに家紋があるということは大手の商会なはずだ。なにか登録名鑑はないか」
貴族に家紋があるのは、ほかの貴族や皇族、大公家に自分には守るものがあると主張するためだ。それと同じで、商家の場合も家紋が必要になるのは多くの取引があって自分の守るべき立場がある場合。
そして、大商会の届け出がまとめられているものは大公邸にあるはずだ。その侯爵の問いかけにあるよと頷いて、大公は侍従にぶ厚い本を持ってこさせた。
「あの事件にかかわったとされる家だな」
「そういや、そんな事件があったな」
「……――マジですか」
数百ページもある本の中から、目当ての紋章を見つけたミールと侯爵。そこに書かれた名前とある事件をリンクさせた三人はため息をつくしかなかった。
彼らこそが今回の事件の元凶だったとは。
※
翌朝、在庫の確認や取引先との照合、出納帳の計算を行っているもの。
これは普通の日常的な商会の光景である。
そこに一人のぼさぼさの髪をした男が現れる。ここは卸問屋だから、個人的なお取引はできないと追い返そうした一人が男のもとに向かうと、その男はニッコリとして、すまないけれど、ここの代表を呼んでくれない?と尋ねる。
べつに強制の命令ではないはずなのに、妙にその男から発せられるオーラは威圧的だった。何者なのか気になったが、それよりもこの男の機嫌を損ねてはならないという本能が働いて、すぐにリベリオを呼びにいった。
ブロンド色の髪の持ち主はすぐに来た。彼の様子からどうやら自分が意向を翻したのだと勘違いしているのだと判断できた。
「ようこそいらっしゃいました。狭いところですが、どうぞ中へお入りください」
そうリベリオは笑いながら言ったが、来訪者――エルスオング大公はそれには及ばないと拒絶した。その代わりに彼の後ろ、店の外側に向かって、許可が出たから入っていいってよと叫ぶ。その声に応じて入ってきたのは、エルスオング大公家直属の騎士たちだった。彼らは動くなとその場を制圧しながら、手分けして店の奥に入っていく。
「な、なにを勝手に!?」
リベリオは自分が勘違いしたことに気づき、いくら大公といえどもそれはないでしょう!!と必死にとどめるが、大公は涼しい顔をして騎士たちを止めない。それどころか、最初に勝手にしたのはそちらだろうと目を細める。
「はぁ!?」
「君、このカフスに見覚えがあるでしょ?」
「それはっ……――!!」
彼の目の前に差し出されたのは、彼も見覚えもあるもの。
一対のハトが金細工されたカフスボタン――マルレンディ商会の親商会でもあるエンヴィレント商会の象徴。
エンヴィレント商会は帝国を拠点に活動する会社であり、五大公国、とくにアイゼル=ワードとフレングスの二か国を資本とする商会を次々と買収している――まさしく飛ぶ鳥落とす勢いのある平和とはかけ離れた商会。そこはまだ確証までは至ってないものの、『茶色の悪魔』事件の裏で糸を引いていたのではないかと目されている組織でもある。
エルスオング大公国においては現在目立った動きはしていないものの、このマルレンディ商会にこのボタンを付けた男たちが何回も出入りする姿が『茶色の悪魔』事件の後から目撃証言でとれていたので、手っ取り早くかつ、確実に捕まえられる罪状でアンゼリム自ら踏み込んだのだ。
「つまらない商売をうちでしてくれたもんだねぇ。おかげで僕まで駆りだされる羽目だったんだけれど」
本当ならこんなところまで来ないはずだったんだけれどねぇとアンゼリムはのんきに言うが、リベリオは冷や汗をだらだらとかいている。
エンヴィレント商会からは資金援助のほかに人員の補助を受けている。昨日、自分が襲撃させた男たちもその中から選出した。
「殿下! 目的の書類が見つかりました!」
「ここにも動かぬ証拠が!!」
捜索を始めてから間もなく、次々と証拠を見つけ出す騎士たち。騎士は武官の一種類ではあるものの、人手が足りないときには文官の仕事もこなさなければならない。どうやらそれが役に立ったようだ。書類を見ただけでそれが必要な書類かそうでないものなのか、瞬時に判断する能力。それを兼ね揃えてこそ、エルスオング大公国では一人前の騎士と認められるのだ。
彼らが見つけた書類をパラパラと確認したアンゼリムは、それがたしかに“襲撃を命じたもの”だと判断した。
「どうやら見つかってはいけないものが見つかってしまったようだねぇ」
アンゼリムはニヤリと笑う。
しかし、その眼の奥ではまったく笑っていない。リベリオは敵に回してはいけない人間を敵に回していたのだと今更ながら気づいたが、時すでに遅しで彼はアンゼリム、そしてポローシェ侯爵の逆鱗に触れていた。
「さて、僕の国を荒らしてくれたお礼はたっぷりとしてあげるよ?」
地獄のような宣告に、リベリオはただ立ちすくすしかなかった。
※
一週間後――――
マルレンディ商会には財産没収の上、商会の解散、そしてリベリオとジーナの一族はエルスオング大公国からの追放を命じられた。
調香師への脅迫を行っているので、本来ならば捕らえて牢獄につなげるほうが手っ取り早いのだが、『茶色の悪魔』事件のこともある。なんとかして証拠をつかみたかった大公とポローシェ侯爵は彼らに囮になってもらうことで一致した。
そして彼らの出発の日、馬車に生活に最低限の支度だけ乗せたリベリオは出発するために自ら御者台に乗った。そのとき、背後からちょっと待ったという声がかかったので、その声の主を見ると、一度言いくるめられた相手がそこにはいた。
「な、なんだ。まだあるのかね!?」
リベリオは本来の小心者の性格が向きでていて、金髪の青年、ミールという男が今更なんの用でここまで来たのか恐怖でしかなかったのだが、それに構わずにミールは馬車の中の夫人に紙袋を渡す。
「……うちの調香師ってホント、人がいいからな。これ、あんたにだってよ」
夫人、ジーナは中身を見ると、そこには小瓶がいくつも入っていて、それぞれにラベリングしてあった。それは彼女に処方されていたもの、美容液や化粧水、マッサージ用の浸出油を希釈したものだった。
「きちんとドーラに従っておけばこんな目に合わずに済んだのにな。馬鹿な旦那のいいとばっちりだな」
あいつはお人よしでも、一切私情を挟まないできちんと患者には向きあう。だからあんたのことは最後まで治療できなくて残念だって言ってたと夫人に告げたミールは、じゃあなと言って去っていく。
重い雰囲気で出発した馬車の中で夫人はひっそりと泣いていて、リベリオもそれを叱ることはできなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
マルレンディ商会の追放から三日後の昼下がり――
ようやく平穏を取り戻したエルスオング大公国の今日もつつがなく進んでいく――――はずだった。
質素ではあるが重厚な調度品が置かれている部屋、エルスオング大公の執務室にはポローシェ侯爵とミールが呼ばれていた。
「ミール君、ありがとうね」
「いえ、とんでもありません」
窓の外をむきながら言われた謝辞にまったく感情をこめずに返答するミール。
この一週間、アンゼリムは後片付けのためにポローシェ侯爵とその部下であるミールをこき使っていた。それがようやく片付いたと思ったのもつかの間、また呼び出された二人はどことなく機嫌が悪い。
「それはそうと、今日はなんの用だ? まさかこのためだけに呼び出したとかじゃないよな?」
ポローシェ侯爵はアンゼリムにとって第二の父親のような存在で、そこそこ気安くしゃべる間柄。しかし、窓辺からさす光のせいか、今日のアンゼリムはそうではなく一国の主としての威厳がなぜかある。
ゆっくりと振り向きながらある事件を二人に告げる。
「エリザベータ・フレッキ女史がフレングス大公国との国境付近で見つかった。あのマルレンディ商会に結び付けていたひもが功を奏したようだ。」
アンゼリムの報告にポローシェ侯爵だけでなく、ミールも彼の目の前で珍しく驚きを顔を表に出す。
「では、ドーラに報告を――――」
「待ちなさい」
ミールがいの一番にそれを知りたがっているフェオドーラに伝えなくてはと言いかけたが、アンゼリム大公はそれを制する。
彼女に報告してはいけない理由、それはなんだろうと考えたが、思いつかない――いや、考えたくなかった可能性。
「彼女は、今や《堕ちたアザミ》のようだ。どうやら、カンベルタ大公国で快楽殺人を行っているようだ」
これにて四章終了。
あとはすべての謎が解けるのみ。
はたしてそれはフェオドーラにとっていいものなのか、悪いものなのか。





