43. 16歳 一騎当千の一人と一匹
世界樹の森の中でエルフに対して、獣が、攻撃的な態度、また、威嚇をしたりすることは少ない。
エルフは強いし、世界樹の森の、食物連鎖の頂点にいる。獣というのは本能で相手と自分の差を感じ取る。勝てないと悟ったときは、逃げることをまず考える。
だけど、それだけじゃない。
エルフが、森の獣との付き合い方を知っているからだ。獣をいたずらに刺激したら、当然、威嚇行為をする。だからエルフは獣を刺激したりはしない。獣と友達になるのだ。
だが、獣が、勝ち目がないと悟っていながら逃げないで戦おうとする時期がある。
それは、子育て中。子育てで神経質になっているときは、獣と友達になるのはまず無理である。
刺激してしまったら、もう手がつけられない。子供を守るという本能が、エルフと戦っても勝てないという理性を超えて、獣を獣以上の獣にする。
そんなとき、エルフはその場からゆっくりと退散する。
特定の獣が世界中の森で異常に増加してしまっていて、調整をしなければならない場合でもエルフは子育て中の獣は狙わない。子育て中は獣も必死だ。子供は守りたいし、自分が死んでも子供は死ぬ。交渉によって群れの数を減らすといことができないからだ。
だから、エルフ的は、子育て中の獣を刺激してしまうことは恥ずかしい失敗だと考える。
未熟者ならではの失敗であったりする。
獣でなくても、良くある失敗が、飛び移った木に鳥の巣があり、親鳥が運んでくる餌を雛が口を開けて待っている場合だ。親鳥はそんな時、必死に羽をバタつかせてエルフを追い払おうとする。コマドリのような小さな鳥でも、必死に追い払おうとする。
豚人族たちの殺気。彼らは本気だ。先制攻撃を仕掛けた私が悪いのだが、豚人族はまっすぐこちらに向かってくる。世界中の森に侵入した豚人族と同じだ。
まるで、森の中を進むしか活路がないような豚人族。彼らも、この先を進み、エアフルトの街を襲うという選択肢しかないのだろう。
いや、もしかしたら、豚人族は勝てると踏んでいるのかも知れない。
こちらは、エルフ一人と馬一匹。そして、人間一人。丘の向こうにはまだまだ豚人族はいるようだ。今姿が見える豚人族は、三十匹。いや、三十四匹となった。
私は、背中の矢筒から矢を取り出す。右手で弦を引く。そして親指、中指、人差し指の力をそっと抜く。矢が弧を描く。
空気が重くて、直線的に飛ばすことができないなら、放物線を描くように飛ばす。
地面の底に溜まった空気を避けて矢を飛ばせば良い。
矢は地に落ちた。躱されてしまった。
移動している豚人族に矢は当たらなかった。というか、明らかに避けた。
豚人族は目が良いのだろう。放物線を描くようではだめだ。
って、豚人族の両目の位置は不思議だ。草食動物ならアーサーなど馬のように、広い視野を確保するために目は顔の前についていたりしない。豚人族は明らかに、目の位置が人間やエルフに近い。鼻は、やっぱり豚だなぁ……と思うけど。
両目で前方があるのは、遠近感が必要なためだ。狼も、ゴブリンも、人間も、そしてエルフも遠近感を必要とする。何故か? その答えは、獲物を狩るためだ。豚人族は肉食獣なのだろう。
高校の特別授業を思い出す。エイリアンと遭遇した場合の対処法に関する授業だった。
エイリアンの卵らしきものを見つけたら?
危険性は少ないからその場を離れて通報しろ、だった。なぜなら卵の殻のようなもので守られている時点で、そのエイリアンは外的から身を守る必要があった生物であるという推論が成り立つ。卵の中にいるうちは、逆に安全だから避難しろということだ。
では、エイリアンの成体らしきものと遭遇したら?
まず、相手の目の位置を確認しろ、ということだった。
そして、草食動物のように目の位置が離れていたら、とりあえず両手か何かで、二、三、五、七、十一、十三と、素数を表現してみろ、ということだった。それで反応があるなら、一、二、三、五、八、十三、二十一と、フィボナッチ数列を試して見ろ、ということだった。
生物学的に草食動物から知的生物へと進化した可能性が高く、自分たちも知的生物であることを示して、なんとかその場をやり過ごせ、ということだ。襲われて食われる可能性は少ないそうだ。
そして、肉食動物のように、そして人間のような目の配置であれば、即座に逃げろ、ということだった。逃げることができたらエイリアンとの遭遇を通報しろ、ということだった。肉食動物から進化したのであれば、侵略をしに来た可能性が高いということらしい。
宇宙にロケットじゃなくて、エレベーターで行ける時代になる、なんて言って、スカイツリーの増築が始まったばかりなのに、地球外生命体との遭遇だなんて、随分と気の早い授業だなんて思ったけれど、まさかこんなところでその知識が役立つとは驚きだ。
つまり、豚人族の両目は前方についており、遠近感を有しており、中途半端な矢の攻撃は避けられる。
移動の速度が遅いのはきっとかつて豚であったことが原因なのだろう。つまり、四足歩行をしている動物を立たせても、胴長短足に見えることと同じだ。人間の胴体と手足の長さの比率に比べ、犬も前脚、後ろ脚は胴体に対して比率的に短い。
豚人族は巨体のわりに脚が短く、歩幅が小さい。だから移動速度が遅い。
エアフルトの狼煙によって測定された豚人族の移動速度は、時速一キロだった。
今だって、豚人族はこちらに急いで走ってきているような様子だけど、足が短いせいでと言っては失礼かもしれないけど、人間の歩く速度程度の速さだ。
豚人族の移動速度は遅い。
だけど、遠くから矢を射てもそれを目視して躱すほど目は良いし、躱す運動神経もある。
どうやったら勝てる?
そうだ……。お父さんが、森で狩りをしたときに教えてくれた。
『どんなに弓矢の名人でも、目標を外してしまう距離というものがある。警戒心の強い、俊敏な動物ほど、矢を躱す。そして、そんな動物ほどやっかいだ』
『じゃあ、そんな時はどうするの?』
『そんな動物の時はね、自分が獲物に近づくんだ。絶対に外さないという距離までね』
『でも、近づいたら逃げられちゃうよ?』
『そのために、気配を消しながら移動することを憶えるんだよ。分かったね? エステル?』
そうなのだ。もう豚人族には私という存在は発見されている。だけど、矢を外さない距離まで近づけば良いのだ。空気の重みが誤差になる程度に。最短距離、つまり直線の矢を放てば、もっと早い。矢が多少曲がっている粗悪品でも当たるくらいの距離まで近づく。
私の移動速度からしたら、豚人族は止まっているようなものだ。
だけど……私だけが豚人族に近づいても、矢筒の中の矢は直ぐに尽きてしまう。
最悪なのは、荷台を押さえられてしまうこと。そうなると、矢の補給ができなくなる。
「アーサー! 荷馬車を引ける? 豚人族たちよりも速く!」
『当たり前だろ? つまり、戦うんだな?』
「うん……。協力してくれるかな?」
『当たり前だろ? それにエステルちゃん。一騎当千という言葉をしているかい?』
「知っているよ? 一人で千人を相手にできる人ってことでしょ?」
『それは正解なようで違うんだぜ? 一騎当千の一騎というのは、人が馬に乗って初めて一騎と言うんだ。つまり、良い馬がいないと、一騎当千には成れなれたりはしない。一騎当千となる名将には、必ず良い馬が必要ってことさ。そして、俺は、最高の馬だぜ?』
「アーサー! 一緒に豚人族を倒すことに協力して!」
『あぁ。エステルちゃんと俺。一人と一匹で一騎。そして、一騎当千さ』
「ありがとう! 豚人族の攻撃が当たらないように、だけど出来るだけ近づきながら走り続けて!」
『了解だ! だけど、とりあえずキアランは先に逃げるように言ってくれ。積み荷は軽ければ軽いほど良い』
「そうだね……キアラン! キアランは逃げて! 邪魔だから」
「どうしてこの期に及んで逃げろなどと! 俺も一緒に戦うぞ! それに、邪魔ってなんだ!」
キアランが叫んでいるが、私はそれに構っている余裕はない。私は急いで荷馬車の縄をアーサーの胴体と括り付ける。
「キアラン! 本当に逃げてね!」
私は荷馬車に乗る。アーサーも走り出す。
「おい、ちょっと待て!」
キアランに荷馬車の最後尾を掴まれてしまった。どうやら、このまま荷馬車に乗り込むつもりなようだ。
「アーサー……」
『キアランには死んで欲しくない。それに今回に限って言えば、キアランは邪魔だ。エステルちゃん、やってくれ!』
「ごめん、キアラン!」
私は、アーサーの了解のもと、荷馬車にしがみついて、まるで走る車にしがみつくキアランの顔面に蹴りを入れた。
まだ、完全にスピードに乗っていない荷馬車にかかわらず、荷馬車から手を放したキアランはゴロゴロと地面を転がっていく。
だが、さすがはキアランだった。怪我とか骨折がないように、みずから転がって、受け身を取っている。
「キアランは落ちたよ!」
『ナイスだ! じゃあ、今から豚人族達の側面を走る。射れるだけ射てくれ! もちろん、俺様は、攻撃をくらうようなヘマな走りはしない!』
荷馬車を引いているアーサーの速度と、豚人族の速度では、アーサーの方が速い。
私は、より近距離で豚人族に対して矢を放てる。
豚人族と私たちの戦いの始まりだ! キアランはちゃんと逃げてね!




