42. 16歳 朝露の重み
「あれ? ここは?」
地平線が真っ赤に燃えていた。緑色の草原が夕陽の色に染まっていた。
「エアフルトから北西に三十キロ。今までの豚人族の移動速度からして、明日の早朝、あの丘からが姿を見せるだろう」
野営の準備を終えたキアランは、焚き火をしていた。燻製された肉を火であぶっている。火に熱せられたことにより肉の中から染み出してきた油の匂いが香ばしい。
ぐぅとお腹が鳴った。そういえば、ここ数日、まともに食事をしていなかった。世界樹の葉を囓るか、お茶を飲むしかしていなかった。お腹が減った。
幸いなことに、キアランには私のお腹の音は聞こえていないようだ。焚き火の木がパチパチと燃える音と、油がじゅっと焦げる音で私のお腹の音はかき消された。
『エステルちゃんもお腹減ったみたいだな。食っとけ食っとけ。腹が減るってことはいいことだ』
アーサーが草原の草を食べながら私に言った。どうやらアーサーには聞こえてしまったようだ。
「エステルも腹減っているのだろ? 食べよう」
キアランも、何故か私がお腹減っていること前提だった。
でも、キアランが作っている料理はとても美味しそうだ。水に小麦を溶かしたものを平たい鍋に薄くひいて焼く。そしてその焼き上がった薄き生地で肉を挟んで食べる。ケバブの野菜がまったく入っていない料理とでも良いのだろうか。
ご飯を食べながらどうして豚人族の位置をどうやって把握しているのかをキアランから聞いた。
どうやらその答えは、監視場所にある狼煙であるらしい。豚人族に限らず侵入者が現れたらまず狼煙を上げる。エアフルトの領土に狼煙をあげるための場所は幅広く点在して、狼煙が上がる位置関係から進行方向が分かるらしい。衛星から監視するということの、原始的なヴァージョンとでも言うのだろうか。
工夫されていると思ったのは、煙の量や黒煙か白煙の違いで、情報のやり取りが可能であるということだ。
他の地点で狼煙が上がったのが見えた段階であげる狼煙。領内に侵入してきた存在がいることを知らせるための狼煙だ。
また、他の場所で狼煙が上がったあと、自分たちがいる場所でも敵を目視することが出来た段階で上げる狼煙もある。これは相手の移動速度を伝達するのが目的らしい。なぜ移動速度が分かるか?
まず、他の地点で狼煙が上がった時間と敵を目視できた時点を計っておく。そして、予め計測していた、狼煙のある監視場所同士の距離から、移動速度を計算する。
「どうだ? 凄い仕組みだろう?」とキアランはドヤ顔だ。
「凄いね〜」と私は感心してしまった。
豚人族は、四十キロの距離を、八時間で移動しました。さて、豚人族の速度は時速何キロメートルでしょうか?
小学生の頃だったであろうか。『速度 × 時間 = 距離』だとか、『速度 = 距離 ÷ 時間』だとか、そんな算数の公式を勉強した記憶がある。
スマフォの地図アプリで、目的地と現在地を入力すれば、自分で計算しなくても、到着までの所要時間が分かった。車での移動であれば、渋滞情報なども合わせて、到着までの所要時間を教えてくれた。
この公式をならった時は、どうしてそんなことをわざわざ自分で計算しなきゃならないのだろう? と素直に疑問に思った。
なるほど、なるほど。小学生の時に勉強した算数は、監視任務を行うための知識だったのか! まさかこんな所で役に立つとは!
豚人族は夜には移動しない習性があるので、移動速度を過小に見積もっていないだろうかとか、途中で移動速度を変えたらどうなるのだろう? という疑問はあるけど、安定の狼煙監視システムらしい。
その狼煙監視システムから得られた情報から分析すると、明日の早朝、私達は豚人族と遭遇する。
キアランは狼煙監視システムを信頼しているのか、焚き火に背を向けて寝始めた。アーサーも疲れたのか、私たちの周りに生えている若草を食べ尽くして寝てしまった。
それにしても、アーサーは美食家だ。ちゃんと水が多くて柔らかくて、美味しい若葉だけを食べている。
耳をすませても豚人族の足音は聞こえない。彼等は森を歩くとき、とっても五月蠅い音を出す。
焚き火の音しか聞こえない。時折、風と空気がぶつかる音がするけれど、静かな夜だ。
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風は匂いを運ぶ。私の目を覚ましたのは、獣の匂いだった。うん、近い。
「キアラン! 起きて! アーサーも!」
朝陽よりも先に地平線に現れたのは、豚人族の群だった。大きい。7メートルくらいだろうか。二足歩行しているし、サイズを除けば頭以外は人間に近い。だが、頭は鼻が大きく、耳が垂れ下がっている。顔は猪のようだ。豚というより、頭は猪。
「来たか!」
キアランは目を覚ますなり昨晩の夕ご飯の残りを口に放り込み始めた。腹が減っては戦は出来ぬ、ということなのだろうけど、私の分まで食べた!!!
暖めないと肉の脂肪が白く固まっていて美味しいとは思えないのに、キアランは口に放り込み、胃に流し込んでいた。って、喉に詰まらせたらしく、右手を握り拳にして必死に胸を叩いている。
私は、アーサーが運んで来てくれた馬車の荷台に飛び移り、矢を束にしている紐を切る。バラバラと束になっていた矢が崩れていく。そこから矢を広い、矢筒に入れる。
荷馬車に積み上げられた矢。正直、あまり出来が良くない。矢には普通、矢羽根が付いているが、私が急ごしらえで作った矢には羽がついていない。鳥の羽が手に入らなかったからだ。それに、本来、天日で干して乾燥された竹が矢の材料なのだ。水分が残った竹で作ると、反れ曲がる。真っ直ぐな矢にならない。
そして、私は経験上知っている。私がまだ矢を作ることが下手であったときのことだ。
お父さんの作った矢と私の作った矢では、飛ぶ距離が違った。木に突き刺さる深さも違った。それは、矢羽根を上手く作れているかによる。もちろん、矢の胴体を真っ直ぐに作れるかということも大事なことであるけど、大事なことは矢が長く回転してくれるかどうかということだ。
矢羽根というのは、繊細だけど重要な部分。
エルフが使う矢としては、粗悪品の部類だ。というか、私がお父さんと一緒に作った最初の矢よりも出来が悪い。質より量を優先したからだ。
だけど、豚人族に向かって、矢を放つ。
外さない……と、三十匹ほど現れた豚人族の一匹の目玉を打ち抜いたつもりだった。
だが、結果は外れた。先制攻撃のつもりが、豚人族達の随分と手前の土に矢が突き刺さり、豚人族が警戒を始める。
狙いが外れるという水準ではなく、十メートル以上の誤差があった。
豚人族達が叫んでいる。仲閒に警戒を知らせる叫びだ。空気が電気を帯びたように痺れる。
豚人族の殺意が私に向けられている。敵として認識された。
だが、距離はまだある。
落ち着け、私。
どうして、こんなにも矢は外れた?
あぁ、そうか。空気が重たいんだ。夜の間に冷えた空気によって、草原の草が朝露に濡れている。夜の間に冷え切った空気が、どっしりと地面を覆っているんだ。そしてその空気の密度が矢に絡みついて重石となった。
落ち着け、私。
空気を、そして風を読むんだ。まだ、距離はある。




