39. 16歳 廊下の王様
怪我をしている人が二人いたとする。
一人は、直ぐに緊急手術をしなければならないような大けがの人。
もう一人は、怪我はしているが命に別状はない人。
自分が医者であったとして、どちらからその人達を救うために治療をするだろうか。
まず、緊急に手術をしなければならない人を治療し、そしてそれが終わった後、もう一人の人の治療をする。
この方法が二人とも助かる確率が高い方法だし、そうするべきだろうと私は思う。
より多くの命が助かる方法を選ぶという点において、この選択は正しいと私は思う。
まして、急いで治療が必要な人は、非戦闘員とも呼べる人達なのだ。
だが、キアランの考え方は違う。城の外で、虫の息となっている人達が女性や子どもであるということを分かった上で、命に別状のない状態に置かれている兵士達を先に治療するべきだと言う。
しかも私が怒ったのは、キアランが、兵士の人達の治療を優先することによって、失われる命があると分かった上でそう言っていたからだ。
私は私なりに危ない橋を渡る覚悟をしていた。
治療という精霊術は、他のエルフの人達が知らない精霊術であるだろう。
私の前世の漢字の知識を使っている。新しい精霊術を使ったことが他のエルフに知れたら、また大騒ぎになるだろう。最悪、私の中身が前世の知識を持ったエルフであると発覚してしまうかも知れない。
また、人間を助けるという行為も、他のエルフの人達からすると首を傾げる行為であるだろう。情報収集の為だったと言い訳はできるものの、最長老様の指示からは逸脱している。
世界樹から追い出されるかも知れない。故郷を失うというのは恐いことだ。
世界樹の森までやってきて、助けてくれと一生懸命だったキアランはなんだったのか。エアフルトの人びとを助けてくれと言いつつ、キアランの頭の中で明確に、見捨てる人がいたってことだ。
また城の外へと戻るために、長い廊下を歩きながらそんなことを私は考える。そして、どんどん頭に怒りが浸透してくる。怒りが治まるどころか、どんどんとキアランに対しての怒りが込み上げてくる。
「こんにちは、エステルさん」
廊下の反対側から歩いてきたのは、キアランのお父さん、都市国家エアフルト国王ガータ・バータルさんだった。
床を見ながら歩いていたので、まさか王様が反対から歩いてきているとは気付かなかった。王様が歩いてきたら、廊下の端によって敬礼するというようなことを私はしなければならなかったのではないだろうか?
「こんにちは、王様」
普通に挨拶して良いのか分からないし、王様に対しての無礼な行為となるのかもしれないが、何も挨拶をしないよりは良いだろう。
「キアランはどうしたのですか? あなたの傍にいると言っていたのですが」
うっ……。
「キアランなら……訓練場で気絶しています……」
平手打ちでまさかあんなに吹っ飛ぶとは思わなかったんだもん……。
「何かあったのですか? 喧嘩したとか?」
「喧嘩はしていませんが……そうだ、キアランのお父さんですよね? ちょっと聴いて下さいよ!」
私は、国王様に事の顛末を話し始める。
・
私の話を聞き終わった王様は、口を開く。
「私もキアランと同じことをすると思います」
子が子なら、親も親かぁ——!!
「納得がいかない、というような顔をしてますね」
うん。自分でもそういう顔をしていると思う。実際に、納得がいってはいない。
「エステルさんは、豚人族がもうすぐ、このエアフルトにやってくることはご存じですよね? この街は、豚人族を撃退するか、豚人族に蹂躙されるか、その二択しかありません。撃退するには戦う力が必要だ。だが、多くの兵士は怪我をして、満足に戦える状態ではありません」
「だからと言って……」
「仮に、エステルさんが街の人々を治療したとしても、豚人族が来たら、エステルさんが一生懸命治療した人達も、再び怪我をしてしまう。命を落とす人がたくさん出てしまうでしょう。エステルさんの行為が無駄になるとまでは言いませんが、豚人族がもうすぐ来る。
私たちとエステルさんでは、前提が違うのです。今、この一瞬だけを考えたら、きっとエステルさんが正しい。でも、豚人族が来る。二週間後のことを含めて、いま何をすべきかと考えたら、私たちとエステルさん、どちらが正しいでしょうか?」
二週間後……未来のことなんて分からない。そもそも、豚人族が何かの理由で進路を変え、エアフルトには来ない可能性だってある。
「どちらが正しいと思いますか?」
私の『それにもかかわらず』が揺らぐ。エアフルトの人々を助けようと一大決心をしたつもりだったけど、自分が何をすればよいのか、分からなくなってしまった。
「それは誰にも分かりません。もしかしたら、どちらも正しいし……また……」
国王様は、一呼吸置いた。
「どちらも正しくなかった、ということも往々にしてあります」
「そうですか……」
言葉に実感が込められていた。きっと、そういう経験をしたことがあるのだろう。
「エステルさんは気付いているようですので言いますが、私は息子をエアフルトから離れさせ、生き延びさせようとしました。今でも息子をどこか安全な場所に逃がせないかと思案しています。エステルさんは、私のことを正しいと思いますか? もっとも私自身は、正しいと思っています」
きっと、国王としては間違っていると王様は自覚しながらそう言っている。
兵士の治療を優先したいキアラン。
街の人たちの治療を優先したい私。
息子をどこか安全な場所に逃がしたい王様。
キアランと私と国王様の、それぞれの『それにもかかわらず』がぶつかっている。それぞれが思う正しいがぶつかり合っている。そして、ガラスを爪で引っ掻いた時のような不快な音が発生している。
世界樹の森では、こんなことはなかった。世界樹の森では全てが調和していて、美しいオーケストラがいつも鳴り響いていた。狩られるものも、狩るものも、一つの命として世界樹の森を流れていた。
「ありがとうございました。キアランの意図は理解出来ました。理解はできても、共感はできませんが」
「それで十分ではないですか」
「キアランに謝ってきます。忙しい中、引き留めてしまってすみません」
私は王様に挨拶して、歩いてきた廊下を小走りで引き返す。
私はキアランに謝らなければならない。だけど、なんだかもう……世界樹の森に帰りたい。
必要以上に獲物を狩ろうとする狐を叱って、小鳥の歌を聴きながらお母さんが作ってくれたお弁当を木の上で食べる。
小腹が空いてきたら、森の中でおやつを探す。今の季節ならアケビがきっと、食べ頃だ。
森の木々の上を吹き抜ける風を全身で浴びたい。どうして私は、こんな空気の淀んだ、牛乳瓶の底のような場所にいるのだろう。




