3:失踪は台風と共に(2)
発電所は女子寮からグラウンドを挟んで南東の位置にあった。
みちるたちはお互いの存在を確認しながら、ゆっくりと歩いていく。
鉄柵に囲まれた小さな発電所。懐中電灯のライトに照らされた鉄扉はぞんざいに開け放たれていた。普段は貴美枝が鍵を掛けていて部員たちは入れないようになっているはずだった。
「貴美枝監督のいたずらじゃないのぉ?」
少し残念そうに、梨花子。
「ったく、こんな時に性質が悪いぜ」
「きっと男子寮へ行くフリをしてここに来てブレーカーを落としてぇ、私たちをビックリさせようとしたのねぇ」
輝と梨花子は哄笑する。
しかし、みちるはますます納得がいかなくなった。現状から考えて貴美枝がそんなことをするメリットがどこにもなかったからである。皆が必死になって清香たちを探している最中に、面白がって合宿所内の照明を全部消すような愚考を、あの鬼監督の貴美枝がするとは思えなかった。
みちるが黙考している間に、眼界がいきなり明るくなる。ジェイムスがブレーカーを上げたのだろう。グラウンドの照明のまぶしさに、みちるは思わず目を細めた。
「これで一安心ですね」
ジェイムスが発電所から出てくる。
「でもぉ、変よねぇ。例えいたずらだったとしてもいきなり真っ暗になったら男子たちが駆けつけてきてもいいのにねぇ」
「キャプテンたちを探しに行って海岸の方まで行ってるからすぐには戻ってこれないんじゃないか」
梨花子が首を傾げると、輝が答えた。
「もしこれが本当に貴美枝監督のいたずらだったとして、貴美枝監督はどこに行ったんだと思う?」
「どこって……」
「そんなのわかんないわよぉ」
輝も梨花子もみちるの問いに困惑する。
「男子寮に行ってみますか?」
ジェイムスの意見に、みちるは無言でうなずいた。
みちるたちにとって初めて入る男子寮だった。内装は女子寮を同じ構造になっている。男子特有の汗臭いに臭いはなく逆にコロンの芳香が放たれていたが、大したときめきも感じられなかった。
一階の食堂にはやはり誰もいなかった。
「貴美枝監督、バツが悪くてどっかに隠れてんじゃないか?」
輝がそう言った時。
「きゃあーーーっ!」
悲鳴が聞こえてきた。
「貴美枝監督?」
一同が声をそろえる。
「でも、どこから?」
「声が響いていました。おそらく大浴場からでしょう」
言うと同時にジェイムスは走り出していた。みちるたちも慌てて後を追う。
大浴場は一階の西側にあった。ロウカを走り抜けて大浴場のドアを開ける。脱衣所には誰もいないこと確認して、浴室に入る。
しかし、ここにも誰もいない。
「ホントにここなの?」
みちるは怪訝な顔をジェイムスに向ける。
「間違いありません。荻野さんはここに……」
ジェイムスは浴槽の方へと歩いていき、言葉を切った。その顔は明らかに驚愕していた。
みちるはジェイムスの視線を追って、浴槽を見た。
浴槽のお湯が真っ赤に染まっていた。
「うっ」
みちるは思わず口を押さえた。
「もしかしてぇ、血ぃ?」
梨花子は震える指先で浴槽を指す。
「まさか……貴美枝監督の……」
輝は続きを言うことができなったのだろう。それっきり口を閉じてしまった。
おそらくここにいる全員が思っていても口にできなかった言葉。
貴美枝が殺された。
だが、遺体はない。浴槽の血が貴美枝も血だという確証もない今、貴美枝が殺されたと断言するのはまだ早い。
「き、きっとまた貴美枝監督のいたずらなのよぉ。真木キャプテンたちをグルになってぇ、私たちをからかっているのよぉ」
梨花子は無理矢理明るく振舞う。さすがのオカルト好きもこういう状況には慣れていないらしく、声が上ずっている。
しかし、すでにいたずらという一言では片付けられない状況になってきていた。
―――と。
また照明が消えて眼界が闇に包まれる。
「きゃああああああぁっ!」
暗闇の浴室に梨花子と輝の悲鳴が響き渡る。
みちるはハーフパンツのポケットの中に押し込んでいた懐中電灯を取り出して辺りを照らす。
梨花子と輝が抱き合って泣いていた。よほど怖かったのだろう。今回はジェイムスに抱きつくという余裕はなかったらしい。しかも、二人の懐中電灯は食堂に置いてきたままだ。
「皆さん、大丈夫ですか?」
ジェイムスが懐中電灯のライトをこちらに向けてくる。
「とりあえず、ね」
みちるは梨花子と輝に寄り添う。
みちるとジェイムスが足元を照らしながら、全員が一旦食堂に戻る。梨花子と輝は各自の懐中電灯を手にして、灯りをともす。
「これじゃあ発電所に行ってもまた同じことの繰り返しになるわね」
「そのようですね」
みちるの意見にジェイムスが同意する。
「何が起こってんだ? どうしてアタシたちだけがこんな目に遭うんだよ?」
輝は激昂するが、その声音は弱々しかった。
「落ち着いてよ、輝」
「落ち着けるわけないだろう! なぁ、緒方」
「う、うん」
梨花子が体をビクッと震わせて小さくうなずく。すっかり怯えてしまっていて口数が減ってきている。
「あ……」
四つの灯りのうちの一つが消えていく。それはジェイムスの懐中電灯だった。
「どうやら電池切れのようですね」
「でも、まだ三つあるんだから平気よ」
「ですが、他の懐中電灯の電池もいつ切れるかわかりませんので、予備があった方がいいでしょう」
ジェイムスの言うことも一理あった。夜が明けるまでにはまだ時間がある。それまで電池がもつとも限らない。しかし、怯える梨花子たちのことを考えると、移動は避けたかった。
「ボクの部屋に充電式の懐中電灯がありますので、それを取ってきます。皆さんはここで待っててください」
「どうしてそんなものを持っているわけ?」
「この合宿所は自家発電と聞きましたので、万が一に備えていろいろ持ってきているのです」
「ふーん」
みちるはジェイムスの泰然たる態度に感心した。
「でも、一人で動くのは危険だから皆で行きましょう」
寮が木造でなくてよかったと、みちるはつくづく思った。歩くたびにギィギィと床を軋ませていては恐怖心も倍増するところだ。だが、足音を消して歩くということは不可能であって、結局はキュッキュッというスニーカーの靴底が床にすれる音が暗闇の男子寮に木霊して恐怖心を煽り立てていた。
輝ははぐれないようにしっかりとみちるの左手を握りしめていた。きつく握りしめた指先はしっとりと汗ばんでいる。
梨花子は気丈にも一人で歩いている。それでも恐怖を紛らわせるために小声で歌を口ずさんでいる。
階段を上がりきると、細長いロウカが続いた。暗闇に閉ざされていて先はまったく見えない。
しばらく歩くと、ジェイムスが足を止めた。
「ここです」
ジェイムスは部屋のドアを開けて中に入る。そして、みちるも中に入ろうとした。
が。
「っ!」
暗闇の中から両腕が伸びてきて、みちるは突き飛ばされた。
みちるはバランスを崩して、手をつないでいた輝といっしょに倒れる。
「みちるぅ! 輝ぅ!」
梨花子が慌てて駆け寄る。
バタンっ!
乱暴にドアが閉められた。
「監督っ?」
みちるは立ち上がると、ジェイムスの部屋のドアを引いた。しかし、鍵を掛けられてしまったのか、ドアは開かない。
「監督! 監督、返事をして!」
みちるはドアを力任せに叩きながら、ジェイムスを呼んだ。
「誰ですか、あなたは?」
中からジェイムスの声が聞こえてきた。明らかにジェイムス以外の人間がいる。
「監督、誰がいるの? 何があったの?」
「逃げてください!」
「ジェイムス監督?」
「ボクにかまわず、早く! うわぁーっ!」
中で乱闘しているのか、騒々しい物音が聞こえてくる。しかし、ジェイムスの悲鳴を最後に何事もなかったかのように静まり返る。
「走るよ!」
みちるは梨花子の背中を押し、未だに座り込んでいる輝の手を引っ張ると叫んだ。
わけがわからなかった。ただ逃げなければいけないということだけはわかる。
みちるは震える足に鞭打って走り出す。輝の手を握ったままなので走りにくかった。足がもつれてしまいそうになり、何度も階段から転げ落ちそうになる。
そして、何とか食堂まで戻り、みちるが振り返った時。
そこに梨花子と輝の姿はなかった。




