4:新キャプテンは雨の洗礼を受ける(1)
突風が窓ガラスを忙しく叩き、台風の接近をアピールしていた。
「いつ離しちゃったんだろう……」
みちるは輝を握っていた左手をじっと見つめた。
梨花子はみちるより足が速かった。先に行くことはあっても遅れることはないと思っていた。しかし、考えてみればあの状況下でいつも通りに疾走できるはずがなかった。
なぜ確認しようとしなかったのだろうか。
みちるは自責の念に駆られた。
だが、今はそんなことを悔やんでいても仕方がない。輝と梨花子を助けに行かなければならない。
みちるは冷静になって今までのことを思い出す。
まず、清香と斎藤が失踪し、全員で捜索することになった。
時間になっても戻ってこない三年生と男子部員たち。
停電の後、消えた部員たち。
貴美枝の悲鳴と、血に染まった男子寮の浴槽。
ジェイムスが部屋に隠れていた見えない敵に襲われた。
そして、輝と梨花子がいなくなった。
「ダメ! 何もわかんない!」
考えがうまくまとまらない。
「こんな時は考えるよりまず行動よ!」
みちるは天道の座右の銘を思い出して、強硬手段を選んだ。
調理場に行き、包丁を手にする。正体のわからない敵を相手にするにはこれくらいの武器は必要である。
みちるは懐中電灯の灯りを消すと、ハーフパンツのポケットの中に押し込む。足音もなるべく消すためにスニーカーを脱ぎ捨てる。そして、包丁を右手に携えて、手すりと持ちながらゆっくりと階段を上がっていく。
静寂の寮内では、今にも破裂しそうな心臓の鼓動だけが聞こえてくる気がした。できることならこのまま逃げ出したい。しかし、ここは海に囲まれた孤島。例え、合宿所内から逃げ出せたとしても、島から出ることはできない。しかも、台風が接近中というオプションまでついている。斎藤たちを探しに行った男子部員たちが無事なら話は別だが。
こんな時、天道先輩がいてくれたら……。
思わず他力本願な弱音を吐いてしまう。
ダメだ! みちる、いない人のこと考えてどうするの!
みちるは頬を叩いて叱咤する。
追われる恐怖よりも自分から追っていく恐怖を選んだのだ。今更後戻りはできない。
クーラーが切れた寮内は、先ほどよりも暑さを増していた。緊張も伴って、汗が全身から噴き出る。
みちるは頬を伝う汗をTシャツの裾でぬぐった。
二階に上がった時、暗雲の隙間から恥ずかしがり屋な満月が顔をのぞかせる。真っ黒だったロウカが月明かりに照らされる。
みちるはジェイムスの部屋の前に立ち、ごくりと唾を飲み込んだ。
震える左手をドアノブに伸ばした。
刹那。
ドアが勢い良く開いた。
ぱんっ!
ぱーんっ!
何かが頭に飛んできた。
「っ!」
みちるは声にならない悲鳴を上げた。と同時に、寮内の照明が一斉に点灯する。
夜目になっていたみちるはあまりのまぶしさに目を閉じ、包丁をぶんぶんと振り回した。
しばらくして何も起こらないことを確認したみちるは、ゆっくりと目を開けた。眼界には赤、青、黄色といった色とりどりの縮れた紙テープが散乱していた。
「……クラッカー?」
みちるは包丁を置いて、それを手に取る。
「青葉っ!」
「みちるぅ!」
輝と梨花子がジェイムスの部屋から飛び出してきて抱きついてくる。
「へ?」
みちるは間の抜けた声をもらした。周囲をよく見てみれば、空になった特大クラッカーを手にしているジェイムスがいた。いや、彼だけではない。貴美枝と女子部員全員。そして、失踪したはずの清香もいた。
「あ、あの……キャプテン、これって?」
「ごめんね、青葉さん。怖い思いをさせてしまって」
清香が胸の前で両手を合わせると、いたずらっぽく笑う。
「実は、これって次のキャプテンを決めるためのテストだったのよ」
「はい?」
「いかなる状況でも冷静に判断し、仲間を思いやる心がなければキャプテンになる資格はないわ。あなたは充分すぎるくらいよ」
清香はみちるの足元に置いてある包丁を見て微苦笑する。
「じゃあ、今までのことは……」
「全部、お芝居。ジェイムス監督のおかげでずいぶんとリアルになっちゃったけど。だから、皆を見てきていて、これ以上耐えられないと判断した子たちは早めに外してきたのよ」
清香がジェイムスを見る。停電の後に女子部員たちが消えたのにはそういう理由があったらしい。
「楽しませていただきましたよ」
と、ジェイムスがウインクする。
「あ……ははは。そうだったんだ」
みちるは全身の力が萎えていくのを感じ、その場に座り込む。
今思えば、血に染まった浴槽からは血生臭さがなかった。あれだけの大量の血が流れされていたというのに。冷静に考えればわからないことではなかった。
やられたと、みちるは思った。
「男子の方も終わったみたいだから、全員体育館に集まりなさい」
貴美枝の言葉で一同が移動を始める。
みちるは輝と梨花子の肩を借りて、体育館へと向かった。
「何、これ?」
体育館に入ったみちるは、またしても唖然とさせられた。
『新キャプテン襲名パーティ』と書かれた横断幕が掲げられていた。
どうやらみちるたちが男子寮で悪戦苦闘している間に、準備が進められていたらしい。と言っても、親睦会の延長戦みたいなものだが。
みちるは『新キャプテン』と書かれた席札のテーブル席に座らされる。隣の席には三条が座っている。
みちるにとっては信じがたい事実だった。ましてや、男子部のテストが女子部と同じであればなおさらである。あの三条に部員を思いやる心があるとは思えなかったからだ。
「というわけで、新しいキャプテンの未来を祝して。乾杯!」
斉藤がオレンジジュースの入った紙コップを掲げる。
「かんぱーい!」
全員が乾杯する。と同時に二年生の女子部員達はまたしても三条の元へと駆け寄ってくる。みちるは邪魔者扱いで端へとどんどん追いやられる。
輝と梨花子はジェイムスを挟んですでにバトルモードに突入している。
みちるはうんざりとした顔で、竹ノ内が一人で座っているテーブル席に避難する。二人の間に無言が続いたが、耐え切れなくなったみちるが口火を切った。
「ねぇ、竹ノ内くん。男子部のテストも女子部と同じオカルトチックだったの?」
「はい」
覇気のない返事が返ってくる。
「あの三条くんがねぇ。ま、あたしもキャプテンって器じゃないんだけどね」
みちるは女子部員たちももてはやされている三条を一瞥する。
「そうなると、竹ノ内くんはますますパシリとかやらされちゃうんじゃない? 嫌なことは嫌ってハッキリと断った方がいいよ」
「いいんです。ボクは何の取り柄もない人間ですから。必要としてくれるのなら……」
「竹ノ内くん、三条くんよりバスケ上手いじゃない」
「そんなことないです! ボクが三条くんより上手いはずがないです!」
いつもはおとなしい竹ノ内が激昂した。
「竹ノ内くん?」
「あ、ごめんなさい。ボク……」
「もう少し自分に自信を持った方がいいよ」
「………………」
竹ノ内はそれっきり口を閉じてしまう。みちるもそれ以上はあえて言おうとは思わなかった。
「おい、竹ノ内! ジュース持ってこい!」
三条が竹ノ内を呼ぶ。竹ノ内はテーブルにあるオレンジジュースのペットボトルを持って、三条のテーブル席に走った。
みちるは無言で竹ノ内の背中を見送った。
「キャプテンになったというのに浮かない顔をしていますね」
ジェイムスが空になったみちるの紙コップにオレンジジュースのおかわりを注ぎに来る。
「まだ実感がわかないっていうか……、あたしなんかにそんな大役が務まるかどうか不安で」
「そんなことありませんよ、青葉さんは」
みちるはジェイムスの次の言葉に期待した。
しかし。
「ジェイムス監督、アタシもおかわり!」
「私もお願いしまぁす!」
輝と梨花子が紙コップ片手に割り込んでくる。二人からおびただしい殺意のオーラが感じるのは気のせいだと思いたい。
「はい、どうぞ」
ジェイムスは柔和な顔で、輝と梨花子の紙コップにもオレンジジュースを注ぐ。
ここはホストクラブか?
と、みちるは胸中で突っ込む。
「主役のキャプテンがそんな隅っこに座っていていいのか?」
「そうよぉ。主役席に戻らなきゃぁ」
どうにかしてジェイムスとみちるを引き離そうと、輝と梨花子は画策してくる。
「あんなとこに戻れるわけないでしょ! ……えっ?」
みちるは三条を指差して、唖然とする。自分が座っていた席に清香が座っていたからである。しかも、三条と楽しそうに会話している。斉藤は別のテーブル席で男子部員たちといっしょにいる。
さすがの輝と梨花子も唖然としていた。
「ねぇ、真木キャプテンってぇ斉藤キャプテンと付き合っているんじゃなかったのぉ?」
「はずだったんだけどなぁ」
輝は首を傾げる。
「三条と話してるからって、斉藤キャプテンと別れたって決めつけるのは早いんじゃない?」
「それもそうよねぇ」
「真木キャプテンが三条みたいな奴と付き合うわけないよな」
みちるたちが否定説を必死で語っている最中、清香は三条といっしょに体育館を出て行く。
みちるたちの否定説はあっさりと覆された。
「うそだ」
「真木キャプテンだけは他の女子とは違うってぇ信じてたのにぃ」
輝と梨花子はかなりショックを受けていた。
清香は選手としても女性としてもあこがれの存在だった。純愛を貫いてくれる聖母のように感じていたのは、みちるたちの勝手な思い込みでしかなかったのだろうか。
ショックを受けていたのはみちるたちだけではなかった。斉藤は清香たちが出て行くのを見ると、不快な表情を露にしていた。
「ジェイムス監督、ボク疲れたので先に部屋に戻っていいでしょうか?」
竹ノ内だった。
「大丈夫ですか? 顔色があまり良くないようですが」
「大丈夫です。部屋で休めば治りますから」
そう言って、竹ノ内は体育館を出た。
「そりゃあんな怖い思いさせられれば疲れるわよね」
みちるは竹ノ内を見送りながら、ジェイムスに対して皮肉を言う。
「あれは荻野さんから何かいい案はないかと頼まれまして。毎年のことで、荻野さんも頭を痛めているそうですよ。ちなみに去年は右脳テストだったそうです」
「そういえば、去年の合宿初日にそんなテストしたような。で、その後すぐに真木先輩がキャプテンに選ばれて……」
みちるは頭を抱えた。
「こんなことでキャプテンを決めるなんて」
「ですから、今年は少し志向を凝らしてみようかと」
「限度ってものがあるでしょ!」
「青葉さんならあれぐらいはクリアできると思ったものですから」
ジェイムスの解顔に、みちるは不覚にも怒りを忘れてときめいてしまう。
「第一印象で感じた通り、あなたは慧眼の持ち主です」
「ジェイムス監督……」
みちるの胸はきゅんきゅんと鳴りまくった。こんな気持ちは天道が卒業してからはご無沙汰な感覚だった。できることならこのまま鳴らし続けていたいと思った。
しかし、幸せな時間は長く続かない。
「はい、ときめきタイム終了!」
ショックから立ち直った輝が瞬時にみちるとジェイムスの間に割って入ってくる。輝の声で梨花子も我に戻る。
みちるは小さく舌打ちする。
「あ、梨花子。テーピングがほどけてるよ」
みちるは白々しく会話の矛先を変える。
「ホントだわぁ」
キャプテン選びテストの際に、バタバタしてほどけてしまったのだろう。
「私、取り替えてくるねぇ。輝ぅ、みちるぅ」
梨花子は『ぬけがけ禁止』としっかり目で訴えてから女子寮に戻っていく。
「一人戦線離脱」
輝が小声で呟いたのをみちるは聞き逃さなかった。
輝は早速ジェイムスの横に腰掛けて。
「ジェイムス監督はどんな女の子がタイプ? ボーイッシュな子はどう?」
いきなり直球勝負に入った。
みちるも固唾を呑んでジェイムスの回答を待つ。
「そうですね。好きになった人がボーイッシュな人であればそういうことになりますね」
みちるはガクっと肩を落とす。その場しのぎの曖昧な答えのように思えたからだ。
「っていうことは、アタシにもチャンスはあるってわけだ」
しかし、輝は燃えていた。
「神宮寺輝」
貴美枝が輝を呼びにやってくる。
「はい!」
「自宅から電話が掛かっているから、私の部屋まで来なさい」
「はい!」
輝は返事をすると、恨めしそうな顔でみちるを見つめた。
「ったく、こんな時間に何の用だよ?」
輝は予想外の展開にぶつぶつと文句を言いながら、体育館を出て行く。もちろん『ぬけがけ禁止』ビームを双眸から放ちながら。
「神宮寺さんも緒方さんもかわいらしい女性ですね」
「ホントにそう思っているの?」
「はい。青葉さんもかわいいですよ」
悪意のないジェイムスの笑顔は、ある意味で剣呑だ。この屈託のない笑顔に何人の女性が恋の奴隷と化したことだろうか。
「そ、そういうことはあまり言わない方がいいと思うけど」
「思ったことを口にするのはよくありませんか?」
「まあ時と場合によっては……」
みちるはときめく心を抑えながら、平常心を保とうとする。
「そうですか。以後気を付けます。ありがとうございます」
「別にお礼を言うほどのことでもないと思うけど」
「ボクは世間知らずだとよく社長に怒られます。だから、青葉さんの助言はとても嬉しいのです」
その言葉を聞いた時、みちるは女社長に同情した。と同時に、ジェイムスがとても幼く感じた。
「神宮寺輝、只今戻ってまいりました!」
息を切らして戻ってきた輝は、オレンジジュースを一気に飲み干した。
「またお父さんから?」
「そうなんだよ。携帯電話が通じないから電話はできないって言ってんのに、寮の電話にわざわざか掛けてきやがって。『台風が接近しているから外に出るな』だってさ。ホント、迷惑な親父だぜ。今何時だと思ってんだよ。もう十時半だぜ。普段ならとっくに消灯時間だ」
「それだけ神宮寺さんのことがかわいくて心配なのですよ」
と、ジェイムス。言ったそばからこれである。
「やだな、ジェイムス監督。かわいいだなんて、そんなホントのこと言わなくても」
輝はすっかり舞い上がっていた。
それからしばらくして梨花子も戻ってくる。
「遅かったね、梨花子。あれ、服着替えた?」
「だってぇ、汗かいてベトベトしちゃって気持ち悪かったんだもぉん」
そう言った梨花子の髪型もキレイに結い直されていた。気合い入りまくりといった感じだ。
「斉藤、いる?」
貴美枝が今度は斉藤を呼びにくる。
「斉藤キャプテンなら、さっきすれ違いましたぁ。たぶん男子寮に帰ったんじゃないですかぁ」
梨花子が答えると、貴美枝が男子寮に向かった。
みちるは妙な胸騒ぎを感じた。




