79話 念波
「——ということで、縁談は一時中断だ」
全員の前で、リデューシャは宣言した。
(気は確かか? 中止するべきだろうに……)
ベイランは心の中で毒づいたが、実際には胸に手を当てて魔女の考えを尊重するかのような態度であった。
「恐らくは、この地で吸血鬼と相まみえよう。だが、其方らには縁談が完遂されるまで留まってもらう」
「我々も吸血鬼と戦えということか?」
堂々と臆することなくザルダが声を上げる。
「ははは、まさか。妾がそれを必要としているとでも?」
リデューシャは軽く笑い飛ばす。
彼らを魔境の外に出したくない理由は、事を無駄に大きくしないためでしかない。
現状が他国に伝われば、これを機に魔境を落とそうと企てる不届き者が現れないとも言い切れない。
それは、きっと牧緒の望むところではないだろう。
「3階の部屋を自由に使ってくれて構わない。食事も運ばせよう。寛いでくれ」
そう言って、去ろうとするリデューシャをシューリが呼び止めた。
「私が戻してあげましょうか? 魔境の王が吸血鬼になる前へ」
「断る。そもそも、そんな気も無いのだろう?」
リデューシャは、振り返りもせずに言い捨てて、返事を待たず貴賓室を出た。
シューリがその気であれば、断りも無く問答無用で時間を撒き戻したはずだ。
そうしないのは、牧緒が吸血鬼になるのがシューリにとって都合が良いからかもしれない。
彼女の提案は、リデューシャたちを惑わす餌にすぎない。
そんな手に嵌まることなく、別室で縛られているルピスの下へ向かう。
「さて、もうすぐ地平に月の頭が見えてくる頃。始祖のお出ましだ」
リデューシャの挑発に、ルピスは冷や汗をかいた。
「……た、たぶん~、日をまたぐ頃にならないとダメそうですわぁ……」
「ふむ、ならば暇つぶしに指を潰して遊ぶとするか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! きゅ、吸血鬼は念波で会話できるのですが、眷属が始祖に念波を送るには夜が深くならないとダメなんですわ!」
舌を噛みそうなほど早口で、ルピスは言い訳を捲し立てた。
「念波……、それは魔法の類か?」
「いえ、たぶん違うかと……」
「ならば解析してみよう。こちらからいつでも始祖の頭をノックできるように」
「へ?」
突飛な発想の下、リデューシャは左手でルピスの頭を鷲掴みにし、指をめり込ませていく。
「あっ……、いっ! いぃぃ……あっ」
短く、吐き出すようにルピスは嗚咽した。
眼球は意識に反してグリグリと左右逆に回る。
「便利な体だ。脳をいくらいじくり回しても綺麗に元に戻るのだからな」
どういった原理や方法を試行しようとしているのか、リデューシャ本人にも分からない。
魔法で指先に微細な電気を流して脳を伸縮させたり、一部を凍らせて壊死させてみたり。
その過程で発生するかもしれない念波とやらを【心眼】で捉えようとする。
そうまでして深夜を待たずに急ぐ理由は、リデューシャには無い。
念波とやらを解析できれば、もしかすると牧緒の意識を取り戻せるかもしれないと考えた。
万が一、牧緒が自身の力で戻ってこれなかった時のための保険だ。
「ぶにゅぶにゅして、なかなか気持ち良いではないか。くふふふ」
大義名分など関係なく、本人はとても楽しんでいるようだった。
***
時を同じくして、サリサルマ公国——。
炭鉱地帯を越えた先に広がる農地。
いくつか点在している農舎の一つには、多くの人々が身を寄せ合っていた。
吸血鬼から辛うじて逃れた者たちだ。
辺りが薄暗くなっても、蝋燭の一本も灯せない。
幼い子供には息苦しい布を覆いかぶせ、僅かでも声が外へ届かないようにしている。
既に、この農舎も吸血鬼に囲まれている。
ただひたすら、息を潜めてやり過ごすしかない。
そのはずが、意外な結果が待ち受けていた。
「……見ろ、奴らが引いて行くぞ」
身を低くして、窓からジッと外を監視していたジュノス辺境伯が小声で報告した。
「本当ですね。一斉に同じ方角へ……罠でしょうか?」
同じく周囲を警戒していたリジンが反応した。
「お、火ぃ使ってもよさそうか?」
ゾノンが、リジンへ覆いかぶさるように迫った。
美味い料理に必要なのは、香辛料と火。
周囲に吸血鬼がいると、匂いと灯りを発するものは使えない。
「ララン、どうだ?」
「うん、大丈夫そう。本当に奴ら、全員どっか行ったみたい」
ブワリと逆立った髪の毛が、徐々にへたれてさらさらになっていく。
それを以って、ラランは安全と確信した。
「本当に君たちには何と感謝すればいいか……」
「いえ、そんな。結局、多くの人たちを救えなかった。辺境伯閣下のご息女も……」
「あの子ならきっと無事だ。やわな育て方はしていない。大丈夫、大丈夫さ」
ジュノス辺境伯は、唇を震わせながら強がった。
「君たちは、間違いなく最高の冒険者だ」
一人一人の目を見ながら、ジュノス辺境伯は感涙する。
ゾノンがいなければ、この数日間を正常な精神で過ごすことはできなかった。
彼が僅かな食料と危うい環境下を物ともせず美味い料理を作らなければ、一般市民は堪えられなかったはずだ。
ラランの魔法がなければ、安全な場所を見つけることはできなかった。
彼女のマッピングスキルによって、吸血鬼の目を掻い潜って生き残った人々を見つけることができたのだ。
「今なら移動できる。国境を越えましょう。皆さんを安全な場所へ移さないと」
リジンは立ち上がり、魔法具のロープに手を掛けた。
「リジン!」
緊張が解けたからか、ラランが声を張り上げた。
周囲に吸血鬼がいなくなったとはいえ、軽率な行動だ。
だが、彼女はそれほどに興奮していた。
「私たちを助けられそうな人が、割と近くにいるよ……!」
短い杖で編んだ髪の毛が、ふわりと浮かんで西の方角を指している。
それだけでは、リジンは何が何だか分からない。
しかし、ラランにはその先にいるのが誰なのか肌で感じることができた。
「知り合いを探索したのか。誰だ?」
リジンは、その正体を想像することもできない。
”助けてくれる人”ではなく、”助けられそうな人”とラランは言った。
それは”協力してくれる人”ではなく、”問題を解決してくれる人”を意味しているようにも聞こえる。
吸血鬼の群れを撥ね退けられる者は、そうそういない。
「リジンは会いたくない人かもね。ふふ」
ラランは意地悪く笑った。
その様子から、一体誰なのかを理解したリジンは苦笑いを浮かべる。
「ははは……、何でこんな所にいるんだろうね……」
そんな疑問は些細なこと。
リジンはすぐに行動へ移した。
残りの食料を全てまとめて、静かに素早く全員を誘導して農舎を出る。
向かうは、ラランの指示した方角。急勾配な丘を歩く。
ゾロゾロとまとまって移動する吸血鬼たちが遠くに見えた。
時刻は黄昏時。山脈の輪郭をなぞる光が、一瞬激しく燃えてから淡くなっていく。
「国境はすぐに越えられます。でも、そこから町までは半日以上歩き続ける必要があるでしょう」
リジンは時間の流れを感じながら、この先に続く苦行を懸念する。
この町において、生き残った民たちはざっと30人強。
精神的に疲弊した彼らの足では、もっと時間がかかるかもしれない。
「馬も全てやられたんだ。仕方がない」
そう言って、ジュノス辺境伯がリジンの肩を叩いた。
「あいつら、町から出て行くんじゃないか? 戻った方が良かったりするか?」
「いや、その保証がない」
ゾノンの提案は、リジンにアッサリと却下された。
「これって奇跡かも……。あれ見てよ」
丘を越えた所で、ラランが希望を見出した。
数百メートル先に見える林を背景に、土煙が立ち込めている。
こちらへ向かってくるのは……なんとサイの大群。
当然、野生のサイではない。
恐らくは魔法で調教された、世にも珍しいサイの駄獣だ。
このまま突っ込んでくるのなら、避けられない。
リジンは魔法具のロープを強く張って身構える。
だが、サイたちは少しずつ速度を落とし、眼前で停止した。
「にゃ、やっぱりリジンにゃ」
先頭の一匹の背から、ひょっこり顔を表したのはニャプチだった。
「ふわぁぁ……会えてよかったぁ!」
リジンは緊張の糸を緩めて息を吐き出した。
ラランが感じ取った通りの、自分たちを”助けられそうな人”だ。
「こんな辺境に知った顔がいるなんて……。あの占い師、インチキじゃなかったんだ……」
ニャプチの背に掴っているのは、華道のレアラ。何やら意味深に驚いている。
「どうしてこんな所に?」
苦境ではあるが、危機的状況ではない。
リジンは急に助けを求めずに、まずは会話でこの場の空気を懐柔しようと試みる。
「何かこっちの方へ走ると楽しいって聞いて、きてみたにゃ」
「あぁ、観光ですか?」
ニャプチの説明があまりにも意味不明過ぎて、リジンは何となく浮かんだ理由を口にした。
「私から説明します。この先のラムータという町で休暇を楽しんでいたのですが——」
レアラは、順に状況を説明し始めた。
「昨晩、妙な占い師に声を掛けられて、気晴らしのつもりで占ってもらったんですが……、ニャプチ君が鵜呑みにしてしまって……」
明日の正午に数台の馬車を東に走らせると未来が開ける——そんな具体的なようで漠然とした占いだった。
だが、ニャプチは素直にそれを実行した。本人は、楽しい遊びのつもりだったのだろう。
「サイの乗り物が売りみたいだったから、折角だから馬じゃなくてサイをたくさん連れてきたにゃ」
ラムータでは、サイに乗って街を一周する興行がある。
本来、それらに乗って街を出ることはできないが、ニャプチは構わず強行した。
当然、窃盗。れっきとした犯罪である。
「……『知恵と石塊の円環』の名前で許してもらえないかな」
レアラがニャプチの暴走を止められるはずもなく、引きずられるように巻き込まれてしまった結果だった。
「なるほど。いやぁ、その占い師、本当に未来が見えてるのかな。実は……俺たち困ってまして」
”数台の馬車”なんて不合理な占いが、リジンたちにとって命を救う奇跡となった。
一匹のサイに全員乗れるはずもない。
しかし、わざわざ無人のサイを何匹も引き連れてきたお陰で、全員分の足が確保できた。
「一体何があったんですか?」
レアラの問いに答えたのは、招かれざる者だった。
「死よ。人間としてのね」
やたらと通る声の正体は、丘の上から冷たく見下ろす。
背後を取られた形になった者たちは、リジンの背とサイたちの隙間に隠れようと、ワッと広がって散った。
「お前は……他の吸血鬼とは違うな?」
「そうよ。ワタシはヴァルチャー。始祖の生んだ第一世代の吸血鬼」
細い筋肉質な肉体。男性の体つきでありながら、どこか艶めかしい口調。
つばの広い帽子を傾けながら、ヴァルチャーは続けた。
「血の薄い眷属たちは戦場に送られたけど、ワタシは引き続き戦力の補強を任されてるの」
「戦場? 吸血鬼が戦争してるって話は聞かないけどな」
リジンは挑発に近い形で情報を引き出そうとした。
「なに、気になるの? じゃあ、お望み通りアナタたちも戦場に送ってあげる。吸血鬼にするには粒ぞろいだもの」
ヴァルチャーの目的は、より強い人間を吸血鬼にて使役することだ。




