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78話 深層心理

 ——真っ暗な空間。

 それなのに、その輪郭をハッキリと目視することができた。


「久しぶりだな」


 親し気に声をかけられて、牧緒は指先を何度も曲げて自身に肉体があることを確認する。

 皮膚をつねれば、僅かに痛む。ごわごわとした髪の毛が、確かに指に絡む。

 自分が、間違いなく自分であることを再認識した。


「じゃあ、お前は俺の魂か」


 ”迷いの森”で飲み込まれた、深淵の魔法を思い出す。そこで出会った、自分と瓜二つの存在を。


「こういう形で出会うことはもうないと思ったんだけどな。人生、何が起こるか分からねーなぁ」


 魂は、見えない何かに腰を下ろしたままケラケラと笑った。


「何があった?」


 何故、再び魂と相まみえることになったのか、何も思い出せない。


「ルピスに噛まれただろ? カプッと」

「毒か」


 食事会で、毒を平然と喰らうルピスの姿が浮かぶ。

 そんな彼女に噛まれたのなら、毒が移っても不思議ではない。


「おしい。俺は呪われたのさ」

「呪詛ってやつか……。もしかして俺、操られてる?」

「流石俺。察しが良いな」


 この空間が現実ではないことは分かる。

 だとすれば意識の中。夢の中のような空間であろう。

 そこに閉じ込められているのだとすれば、深淵の魔法のように現実世界から物理的に隔離されているか、意識と肉体が切り離されている状態か。

 牧緒はそう考えて、後者であると予測した。


「だからって、落ち込む必要はない。これはチャンスだ」


 魂は、あっけらかんと言い切った。


「俺にかけられた呪いは、俺を吸血鬼に変える。そして、吸血鬼の細胞は魔力を生成する。魔力の移植ってやつさ!」

「……魔法が使えるようになるのか」

「まぁ、魔力の放出を身に着けるのには時間がかかるだろうが、体内で完結する原型魔法ならすぐにでも使えるさ」


 牧緒は、小さく俯いたまま考えごとを続けた。


「何だ、嬉しくないのか?」


 魂は、そんな態度が腑に落ちないらしい。


「聞きたいことがある」

「あぁ、分かってるさ。自分の原型魔法がどんな魔法か知りたいんだろ。それは——」

「そうじゃない」


 牧緒は、魂の話を強く遮って睨みつけた。


「何で、俺の知らないことをお前が知ってるんだ?」


 吸血鬼になったこと。

 実質的に魔力を手に入れたこと。

 それが、呪詛によるものであること。

 牧緒は、それらの事実を知らない。

 知識としても持ち合わせていない。

 

 そもそも、記憶は脳に依存する。リデューシャにそう教わった。

 魂は感情を司る一要素でしかないはずだ。


「うーん……。それは……知らない方がいい、かな」


 暫く唸ったあと、魂は口を噤んだ。

 それは重要な情報なはず。それを隠す理由は、そう多くはないだろう。

 牧緒は、二つの可能性を考えた。

 一つは、目の前の人物が自身の魂ではない可能性。

 精神支配によって何者かが牧緒を騙そうとしているのかもしれない。

 一つは、真相が精神を崩壊させるほど衝撃的なものである可能性。

 知るだけで、見てきた世界が一遍するような事実だとすれば、魂が黙秘したのも合点がいく。


 前者であれば、聞き出した話に意味はない。

 後者であれば、これ以上聞き出さない方が安全だ。

 だから、牧緒は真相を探るのを諦めた。


 ”迷いの森”で、エルフのヒュリューカから聞いた話——魔術師デルバは、牧緒がこの世界にやってくる3年も早く牧緒の存在を口にしている。

 自分の知らない自分がいる……そんな疑心。

 説明のできない恐怖のような冷たく刺々しい感情が渦巻いた。


「なら別の質問だ。吸血鬼から人間に戻ることはできるのか?」

「戻りたいのか?」

「当たり前だろ。吸血鬼になるデメリットはあるだろうし」

「まぁ、吸血鬼の上司には絶対服従だしな。人間に戻るのは俺も賛成だ」


 魂の言いようは、人間に戻れることを前提としているようだった。

 

「てことは、元に戻れるんだな?」

「普通は無理だな。でも、俺には可能だ」


 牧緒の原型魔法には、それができた。


「でも、細胞が完全に侵食されたら、それも無理になる。まぁ、精々4日ってとこか」


 時間は無い。それでも、牧緒は人間に戻る必要がある。

 いつか家族と再会する時、元の自分でありたいからだ。

 絶対服従の体では、本当に自分の意思で動いているのかも疑わしくなってしまう。


「人間に戻るタイミングが問題だ」

「どういうことだ?」

「人間に戻ったら、魔力も無くなる。もちろん、原型魔法も使えない」

「別にいいさ。俺には仲間がいるし」

「意識を元に戻せるのは、吸血鬼の社長だけだ」


 魂は、始祖(マスター)のことを自分の言葉で言い換えた。

 

「俺が意識を取り戻して、原型魔法を使える状態になる時は、目の前には吸血鬼のボスがいるわけか」


 言い換え方が気に食わなかったのか、牧緒は更に別の言葉へ変換する。

 

「命令される前に、原型魔法を使わなきゃならない。でも、人間に戻ったら、きっと俺はすぐに殺される」

「確かに……タイミングが難しいな」


 いくら悩んでも、作戦の立てようがない。

 吸血鬼の始祖(マスター)が牧緒の意識を元に戻す保証も無く、仮に意識を取り戻しても、その時の状況や環境をコントロールすることもできない。

 行き当たりばったり。当たって砕けろ。あるとすれば、それが作戦だ。


「——大丈夫。少し時間はかかりますが、私がなんとかしましょう」

 

 ふと、暗闇の向こうから女性の声がした。

 顔を上げると、魂は眉間にしわを寄せて何もないはずの場所を凝視している。

 誰も侵入できないはずの心象風景に、牧緒以外の存在が写り込んだ。


 ***


「起きろ、馬鹿者」


 リデューシャの声で、メロリアの体はビクリと跳ねた。


「はっ、え? あれ?」


 反射的に涎を拭い、重い瞼を無理やり上げた。


「えっと……、確か私はマキオ様を見張るように言われて……」


 少し眠ってしまっただけなのに、記憶すら曖昧になっている。

 自身が置かれた状況をハッキリと認識するのに、十数秒を要した。


「あれ? マキオ様は!?」


 面談で使っていた部屋のどこにも、牧緒の姿は無かった。


「メロリアさん、大丈夫ですか? 疲れが溜まっているのでは?」


 ユレナが近づき、メロリアの頬を撫でる。

 すると、メロリアは突き抜けるような勢いで立ち上がった。

 

「い、いえ! そんな……、こんなことって……」


 出来の悪さに苦悶したこともあるが、ここまで酷いうっかりをやらかしたことは無かった。

 酷く落ち込んで、そのまま崩れ落ちる。


「……妾の【心眼(クレーデレ)】でも状況を掴めなかった。そんなことができるのは、一人しかおるまい」


 リデューシャに誰かを責める気持ちはなく、淡々と現状を分析する。

 恐らくはメロリアが眠ってしまったのも、外部的な干渉があったからだろう。


「もしかして、シューリさんですか?」


 ユレナが真っ先に思い浮かんだのは、≪終末級≫の花嫁。

 しかし、リデューシャは首を横に振った。


「【心眼(クレーデレ)】は、幻想魔法を打ち砕くための魔法なのだが……それすら欺くとはな」


 幻想魔法は、霧の魔法に分類される。

 【心眼(クレーデレ)】は、その相反魔法であるはずだった。

 強引に原型魔法を再現した幾何魔法であるが故に、僅かな隙が生まれてしまったのだろう。

 それでも、並大抵の技術力では実現できない荒業だ。


「じゃあ、マキオ様は無事ということですね」


 ユレナには、腕のいい幻想魔法の使い手に心当たりがった。

 その人が、牧緒を傷つけるはずがない。


「そうとも限らぬ。こんな真似をした理由も分からぬからな」


 そう言いながら、リデューシャの顔に笑みがこぼれる。

 牧緒の危機に焦りはなく、むしろ高揚していた。

 決して牧緒を蔑ろに思っているわけではない。

 ただ、牧緒がどのようにして危機を乗り越えるのかが楽しみなだけだ。


「ニャプちゃんを連れ帰って、マキオ様を探してもらいましょう」

「マキオなら大丈夫だ。放っておけ」

「えぇ!? でも、先ほど無事かどうか分からないって……」


 目を丸くしたユレナを意に介さず、リデューシャは話を進める。


「妾たちにできることは、始祖(マスター)を殺すことだ。赤目の女の話が本当なら、今夜始祖(マスター)と話ができる」


 どういった方法で会話が実現されるのかは分からない。

 魔法なのか、それとも吸血鬼としての能力なのか。はたまた本人が現れるのか。

 いずれにしても、リデューシャは始祖(マスター)を殺すために引きずり出そうと考えている。

 

「時間はある。まずは他の者たちに状況を説明せねばな」


 魔女らしからぬ責任感。

 未だ事情を知らない参加者もいる。


「皆を集めろ」


 リデューシャは、ユレナに指示しつつ貴賓室へ向かった。


 ***


 薄暗く、ジメジメとた物置のような部屋で、何が入っているかも分からない大きな箱の上に牧緒は座っている。

 背筋を軽く曲げた状態で、虚ろな目をして微動だにしない。

 しかし、彼はここまで自分の足で歩いてきた。

 ルピスの操り人形状態であるはずの彼を何者かがそうさせた。

 

「何が何だか、よく分からないんだけどぉ……。」


 寝間着姿のキュラハが、ずれた眼鏡に触れながら混乱をそのまま言葉にした。


「巻き込んでしまって、ごめんなさい。でも、どうしてもあなたの魂が必要なの」


 答えたのは、フォリパスだった。


「アタシの魂って……つまり、魔女の魂ってこと?」

「いいえ。あなたの中にあるのは、別の魂よ」


 キュラハは、ますます困惑して顔を歪ませていく。

 彼女の魂は、まだ”迷いの森”の中。

 だとすれば、今の魂は魔女の物でしかない。

 どうやって魔女本人も魂を保持したまま動いているのか説明はできずとも、それ以外の理屈は無いはずだ。


「てか、あなた誰?」

「あら、名乗ってなかったかしら。私はフォリパス。 フォリパス・シャンク・フォスハウドよ」

「あぁ、あの骨の人かぁ。って、えぇ!?」


 キュラハが魔境で世話になり始めてから、あらかたの顔合わせは済ませてある。

 フォリパスは、白骨の亜人。そんな風にキュラハは認識していた。

 しかし、目の前の彼女は目がしぼむ程の美女。


「幻想魔法を解き忘れちゃったのね。でも、こっちの方が親しみやすいかしら」

 

 若かりし日の姿を投影しているだけで、実際にそこには肉も皮膚も無い。


「今、マキオ様の魂と会話しています。上手くいけば、意識を取り戻すことも可能でしょう」

「ちょちょ、待ってよ。また全然わかんなくなっちゃった」

「魂と繋がる魔法です。……いえ、正確には魂を繋ぎとめる魔法ですね。そのお陰で、私は異形の姿で生き永らえているんです」

「あぁーえっと、そもそもマキオ君に何があったのかすら知らないんだけど……」

「大丈夫です。後で分かりますから」


 フォリパスは、若干投げやりに話を切り上げてから窓際へ向かう。

 そこからは、”バルバラの町”が一望できた。


「大きく、大きく育ってくれました。吸血鬼だって恐れる程に。もう、大戦は免れないでしょう」


 窓に額を当てて呟く。存在しない肺と喉を通る息吹はない。

 ガラスは曇らぬまま、冷たく音だけを反射する。


「あなたは……これを黙って見過ごせるかしら? 私の王子様——」


 その想いは、誰に向けられたものなのか。

 今はまだ、誰も知らない——。

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