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60話 開廷

 静けさに包まれた法廷は「古臭い」と言ってしまいそうな、ぼんやりとした匂いで充満していた。

 濡れた木材に似た香りが、鼻の奥に引っかかる。

 その違和感はすぐに消え去り、むしろ居心地が良いとすら感じ始めた。


 法壇の上で、6名の裁判官が牧緒を見下ろす。

 その視線を浴びながら、ゆっくりと証言台に立った。


 傍聴席は無駄に広く、二階席まで存在する。

 これは世界が注目する裁判だけあって、傍聴席は満席だった。

 シオンレウベの入国審査は、とてつもなく厳しい。

 全員が、確かな身分を持った高貴な者たちだ。


 この空間は、牧緒の知る法廷とは大きく趣が異なっている。

 証言台は二つ。

 原告と被告が向き合う形で設置されている。

 それぞれの証言台の背後には、固定された机。

 そこに弁護士は存在しない。座るのは見届け役だ。

 牧緒の背後には、オルガノ。

 そして反対側の見届け役は、プフトゥール王国の国王。

 肉付きの良い頬をムニムニと揺らしながら、どこか微笑んでいるようにも見える表情を浮かべている。

 余裕があるのか、それとも楽観的なのか。はたまた、国民へ向けるための笑顔が張り付いてしまっただけなのか。

 そんな緊張感の無い顔面を見つめていると、少し遅れて原告の代表者が登場する。


「待たせたね」


 ジルクは颯爽と現れて、絞まった顔付きで一声を放った。

 魔境の王を前にしても、決して謙ることは無い。

 

「それでは、開廷する」

 

 両者出揃ったところで、一人の裁判官が宣言した。

 残念ながら、牧緒の期待した木槌の音は響かない。


(ガベルって、異世界には無いのかな?)


 実際には、この国の文化圏では使用されない……が正解である。

 牧緒がこの世界にやってきてからの2年間では、そこまでの文化的差異は学習しきれなかった。

 ドラマや映画で見た物とは異なる裁判。

 その自覚が、どこかゲーム感覚で挑んでしまっていた牧緒の意識を叩き直した。

 証言台の手すりに両手をついていた牧緒は、手を離してピンと背筋を伸ばす。


「裁判官。真実の天秤の使用を求めます」


 ジルクは、真っすぐ牧緒を見据えたまま要求した。

 途端、傍聴席がざわめく。


「よいのですか?」


 裁判官の一人が、まるで原告を慮るかのように声を上げた。


(あいつは既に原告側か……)


 次列に向けた裁判官の懐柔は始まっている。

 牧緒は、僅かな失言から即座にそれを察した。


「問題ありません」

「では、トーチ裁判官」

「承知しました」


 6名の中で唯一の女性裁判官。トーチは静かに唱え始める。


「何よりも誠実で高潔な魂よ。その重さを示せ――」


 続けて、トーチは問う。


「原告は、真実だけを述べると誓うか?」

「誓います」


 ジルクが即答すると、裁判官たちの背後……法壇よりも更に高い場所に設置された巨大な天秤が右に傾く。


(真実の天秤って、あんなにデカいのかよ……)


 牧緒は、その存在だけは耳にしてた。

 しかし、実物を見たのは初めてだ。


「被告は、真実だけを述べると誓うか?」

「誓おう」


 牧緒も悩むことなく即答した。

 嘘が通用しないのはお互い様。

 条件が同じなら、拒む理由も無い。

 だが、真実の天秤は平衡し、傾く様子を見せない。

 それを受けて、更に傍聴席がざわめいた。


「賭けに出てみたが、私の負けのようだ」


 真実の天秤を見上げて、ジルクは小さく笑う。


(何がどうなってんだ……?)


 牧緒には状況が見えてこない。

 しかし、周囲は全員把握しているように反応している。

 無知を晒すわけにもいかず、ただただ険しい表情を作ってジルクを見つめる。


「初列の間、真実の天秤の使用は継続されます」


 トーチが念を押した。


「流石、魔境の王。若くして魂の形を知覚しているとは。これで、あなたには嘘が許される」

「嘘をつく理由は無い」


 牧緒は精一杯の虚勢を張りながら、状況を徐々に飲み込んでいく。

 魂の形を知る者……つまり、原型魔法を使える者に真実の天秤は効果を発揮しない。

 魔力の無い牧緒に原型魔法は使えないが、結果的に発言の信憑性を問われることは無くなった。


(やっぱり”迷いの森”で見たアレは、俺の魂の形だったのか……)


 深淵の魔法によって見せられた夢のような世界。

 そこで現れたもう一人の自分。それこそが、己が魂の形であると確信を得た。


(多分、次列には確実に進展する。だとすれば……この状況はむしろ不利だぞ……)


 牧緒は浮かれず、状況が悪化したことを見逃さなかった。

 一見すれば、牧緒にだけ嘘が許される圧倒的有利条件。

 逆を言えば、真実を述べたとしても、嘘かもしれないという疑心が必ず残ってしまう。

 次列はマネーゲーム。しかし、正当に裁判官の信頼を得ることも肝要。

 ジルクは真実の天秤の使用を要求することで、誠実さをアピールしたのだ。

 

「では、原告側は訴えを述べよ」


 裁判官の指示が、舌戦の火蓋を切った。

 

「プフトゥール王国は、ユレナ・フォス・マルジルクの内に存在する、魔王の魂の所有権を主張します。際して、魔境の王には、魔王の魂の返還を要求します」


 対して、被告の供述から――。


「所有権確認を請求する。魔王の魂がそちらに帰属することの立証を求める」

「現代における魔王の魂の生まれは、プフトゥール王国にある。それはユレナ・フォス・マルジルクの出生と同様とするのが妥当だと考えるが、如何か」

「当のユレナは死刑を求刑されている。実行はされなかったが、その時点で貴国はユレナの市民権……延いては魂の所有権を放棄しているのではないか?」

「処刑後の遺体は、我が国に埋葬される手筈だった。それは書面にも残っている。当然、死後に市民権は消失するが、我が国の法的保護の対象となる」

「ユレナが死ねば、魔王の魂も失われる。死刑を求刑した時点で、魂の所有権を放棄する意思があったのは明確だ」


 牧緒は毅然とした態度で捲し立てる。

 しかし、ジルクは眉一つ動かさない。


「意思の有無は関係ない。事実、ユレナは生きている。故に、法的に市民権は剥奪されていない」

「本人が自ら市民権を放棄したとしたらどうだ?」

「それも関係ない。私が要求しているのは、あくまで”魔王の魂”だ。魔王本人が、市民権の放棄を宣言したとでも言うのか?」


 ユレナを中心に据えた議論は、ジルクを惑わすには至らない。

 ”安楽椅子作戦”のために、魔王を完全に仲間に引き込めていないと暴露したことが裏目に出てしまう。


「……では、話を最初に戻そうか。魔王の魂がそちらに帰属することの立証についてだ」

「その話は既に終わったはずでは?」

「いいや、終わっていない。所有権はユレナにあるのだから。そちらも認めた通り、魔王の魂はユレナの内にある。そして、ユレナの出生と同様とするならば、ユレナ本人が市民権を放棄すれば、魔王の魂も同様とするべきだ」


 牧緒の言い分は至極真っ当であった。

 ジルクの主張の範疇を越えず、むしろそれに則った形で相手の立証を看破した。


「では、本人にこの場で宣言してもらうべきでしょう」

「受けよう。ユレナ・フォス・マルジルクを証人として召喚する」


 牧緒は迷うことなく、証人尋問を受け入れた。

 もはや、初列での勝利は盤石。

 たとえ巨額を積まれたとしても、裁判官側は世間体と法の番人としての信頼を失うわけにはいかない。

 誰が見ても明らかな、誇張された納得のいかない八百長は成立しないということだ。

 このまま順調に進めば、次列での勝利も確定するだろう。


 別室で待機していたユレナが入廷する。

 大きく開いた背中に、揺れる度に臀部が露わになるのではないかと不安になる大きなスリット。

 恐らく、今まで見せたことの無い風貌だったのだろう。

 ジルクは、初めて眉を上げて動揺した。


「改めまして、ごきげんよう。ジルク殿下」


 ユレナが見せる不敵な笑みに反応して、ジルクは口を開く。


「君は……プフトゥール王国の市民権を放棄するのか?」

「えぇ、わたくしはプフトゥール王国の市民権を放棄します」

 

 真実の天秤が、ゆっくりと右側に傾く。

 それは、発言が真実であることを示している。

 脅されているわけでも、操られているわけでもない。

 確実にユレナ自らの意思で、市民権は放棄された。

 その事実が初列での決着――となるはずだった。


「裁判官。こちらも証人を召喚します」

「いいでしょう。入廷を許可します」


 ジルクは、一歩引いて背後を一瞥する。

 開いた扉から現れたのは、可憐な女性。

 小さな歩幅で、上品に証言台へ立つ。


「あなたは……」


 ユレナが眉をひそめた。


「私は、ララ・イリエラと申します。ジルク殿下の婚約者です」


 傍聴席から、こそこそと声が上がる。

 元庶民のララを嘲笑する声かもしれない。

 または、婚約者が一体何の証言をするのか、疑問に思う声だろう。


「私自身の懺悔は、既に済ませております。ここでの告発は、ジルク様のため。それをご承知ください」

「あなた、まさか……」

「私はユレナ様の手引きで、ジルク様との婚約を成しました。彼女は、自らの意思で婚約を破棄させたのです!」


 そう言い切ってから、ララは目を伏せて涙を堪えた。


「勇気を出してくれてありがとう、ララ」


 ジルクはそっと肩を抱き寄せ、優しい言葉で彼女を慰めた。


「ユレナ……、君はずっと嘘をついていたんじゃないか? もしかすると、悪徳令嬢と揶揄されるほどの行為も全て……」


 ジルクの発言を聞いて、見届け役のオルガノは目を瞑って俯いた。

 それは合図。確認した牧緒は、即座に異議を申し出る。


「裁判官。これは本件の争点とは無関係な尋問だ」

「いいえ、裁判官。最も重要と言える確認です」


 そう言われてしまえば、裁判官側としては最後まで確認する必要がある。


「異議は却下します。続けなさい」


 牧緒は引き下がるしかない。


「……そう、なんです……。わたくしは……実は……、ずっと嘘を……」


 ユレナは言葉の間で短く息を吸い込んで、瞳を潤ませた。


「白状しましょう。わたくしは、ずっとララ様に脅されて……」

「え?」


 予想外の発言に、ララは呆けてた声を漏らした。


「わたくしはララ様に弱みを握られ、脅されて仕方なく……。わたくしの悪逆は、全てララ様の指示なのです! ジルク殿下の婚約者であるわたくしを妬んでいたのですわ!」


 ユレナは涙を流しながら狂気じみた笑顔を浮かべて、大袈裟に両手を広げて裁判官に訴えかけた。

 真実の天秤は、大きく左に傾いている。


「……ユレナ、本当のことを言うんだ」

「本当です! 信じてください! わたくしの中には魔王の魂があるのです! 真実の天秤が正しく反応している保証などないではないですか!」


 全ての責任をララに押し付け、強引な理屈で嘘を並べる。

 彼女は、最後まで”悪役”を演じるつもりらしい。

 

「おぉ、上手いな」


 牧緒は思わず感嘆した。

 嘘を重ねることで、嘘を隠す。

 その手腕に、本気の悪役令嬢を垣間見た。


「もういい……。君を信じたいと思った私が馬鹿だった……」


 ジルクは、この裁判を利用してユレナの本当の想いを聞き出そうとした。

 もしかしたら、何か事情があって悪役を演じていたのではないかと信じたかった。

 かつて婚約者だったユレナのことを、ジルクは本当に愛していたのだ。


「今度こそ、本当にさようなら……ジルク殿下」


 ユレナは唇すら動かさず、誰にも聞こえないようにひっそりと別れを告げた。

 そして、ララとユレナは再び控室へと戻る。


「先の尋問に何の意味があったと言うんだ?」


 牧緒は、ユレナの演技に当てられて拳を震わせる。

 特に怒りは湧いていないが、眉間にしわも寄せて見せた。


「意味はある。私は、ユレナ・フォス・マルジルクの信用性を問いたかったのだ」

「信用性だと? 争点は市民権についてだ。それを放棄した言葉に嘘は無かった」

「その通り。しかし、そこに裏の思惑があるとしたら?」


 今度は演技ではなく、牧緒は本気で目尻を引くつかせる。


「彼女は悪徳令嬢。その噂を耳にしたことぐらいはあるでしょう。詳しく説明してもいい。証人はいくらでもいる」

「だから何だ?」

「この裁判に勝利することで、彼女は『惡の特異点』に籍を置き続けることができる。この世界を征服するためにね」

「私たちは世界征服なんて考えていない。論点のすり替えだ」

「裁判官、忘れてはなりません。彼ら『惡の特異点』は脱獄囚なのです。その罪を未だ償っていない者たちだ。そんな彼らに魔王の魂を委ねる判断は、世界の損失と言えるでしょう!」


 牧緒たちの罪を問う、原点回帰。

 ジルクは、裁判の争点を魔王の魂の所有権の立証ではなく、『惡の特異点』がそれを所有することの是非へ展開させた。

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