59話 魔法大国シオンレウベ
記憶は脳に依存する。
感情は魂に依存する。
それらは接続され、相互に作用した。
リデューシャの牧緒に対する好感度は、そのままキュラハに受け継がれる。
だが、それを結実させるに至った記憶が彼女には存在しない。
並の者であれば、精神を病むだろう。
「なんだか……、ちょっとだけ視力が良くなった気がするかも」
しかし、キュラハに動揺はなかった。
僅かな困惑は、些細な体の変化を気にする程度。
千年以上を生きた魔女の豪胆な魂が、悠然な精神を担保した。
対して、視力の向上は魔女の魂とは無関係である。
キュラハが眠っている間、生命維持のために施されていた治癒魔法が想定以上の効果を発揮したに過ぎなかった。
「それは良かった。早速本題に入れるな」
牧緒は台座にもたれ掛かる。
病み上がりとは思えない顔色の良さと反応に、遠慮は不要と判断した。
「俺、訴えられちゃってさ。証人になってくれないか?」
「ちょっと待って。いくら何でも端折りすぎ。まず、”迷いの森”を抜け出した所から説明してよ」
牧緒は少し悩んでから、ありのままを伝えることにした。
キュラハの魂を”迷いの森”に置いてきたこと。
魔女の魂を代替として、意識を取り戻させたこと。
そして、バルバラと勇者の戦いから魔境開拓までの全てを。
「で、最高司祭様に裏をかかれたってわけだね」
「まぁ、そうなるな……」
いずれは、異端審問官の最高司祭と関わることになると覚悟していた。
しかし、裁判は予想外。
”安楽椅子作戦”で確立した魔境の立場を利用される形となった。
「異端審問官のアタシが協力するわけなくない?」
「あれ、何で?」
「はぁ? 何でってなにさ」
魂の代替により、キュラハは味方になるはずだ。
なのに、あっさりと協力を拒まれた。
牧緒は、顔を逸らし続けるキュラハと目を合わせようと回り込む。
その動きを横目に、キュラハは体を回転させながら意地でも後頭部を向け続けた。
痺れを切らした牧緒は、彼女の肩を掴んで強引に振り向かせる。
咄嗟に手の平で隠された顔は、悔しそうに顔を赤らめていた。
指の隙間から覗く表情を見て、その感情の正体を察する。
「頼む、キュラハ。俺に力を貸してくれ」
「……そ、そこまで言うなら……ちょっとだけ、協力してあげなくもない、かな」
「ありがとう!」
効果は覿面だった。
魔境のためではなく、牧緒のためであることを強調しただけでキュラハは折れた。
素直に喜ぶ牧緒の笑顔は、今のキュラハにとっては眩しすぎる。
「ぐぬうぅ……」
ハートを射抜かれたダメージが、大袈裟な唸り声となる。
そのまま台座に倒れて、うつ伏せになった。
そんな感情的な挙動とは対照的に、牧緒は至って冷静である。
(何だか全然、照れ臭くないな)
牧緒は、リデューシャの好意にすら動揺していた。
だが今は、毅然とした態度を崩すことなく、凛として背筋を伸ばしていられる。
目の前にいるのは、リデューシャではない。
逆にその感情は、キュラハの物ではない。
全て偽物。だから、自身に向けられる好意を割り切って利用することができた。
「とりあえず、キュラハが仲間になったことをみんなに伝えないとな」
「証人になるとは言ったけど、仲間になるとは言ってないから」
キュラハは強がった。
しかし、『霊長教会』を裏切る証言をすれば、ただでは済まない。
証人になることを受け入れた以上、行きつく先は決まっているのだ――。
***
3日後。
場所は魔法大国シオンレウベ。
大国と銘打っているが、その領土はさほど広くない。
ただし、密度はどの国よりも高い。
国境には高い壁が張り巡らされており、それを越えて中心の大聖堂に至るまで隙間なく石造りの建造物が並んでいる。
景観のための水路はあるが、畑や牧場はどこにも存在しない。
それでいて、貿易は最小限。
行商人による商売も許可されていない。
必要な物は、全て魔法で効率よく生み出しているのだ。
人の行き交う街中で、二台の馬車が堂々と停車した。
先頭の馬車からは、オルガノとゲルンが姿を現す。
両手で握った杖を手放し、石突が地面に突き刺さる。
すると、バキリとオルガノが踏んでいる石畳が割れた。
闇の魔法が成す、重力魔法によって体重を10分の1にまで抑え込んでいたのだ。
道中、ずっと魔力を消費し続けてでもそうしなければ、馬車の車輪が回ることは無かった。
後方の馬車には、牧緒とキュラハ、そしてユレナが乗っている。
キュラハは両腕を牧緒の右腕に絡ませて、ぎこちなく馬車から降りた。
「あのさ……、そんなにくっ付かなくてもいいんじゃないか?」
牧緒の言葉は固い。
偽物の好意に対して動揺は無いが、肉体的接触に関してはその限りではない。
このままでは、煩悩が緊張を上回るのも時間の問題だ。
「仕方ないでしょ。これは合理的な判断だよ」
「何がどう合理的なんだよ……」
「あのねぇ、裁判なんてただの口実で、ホントはマキオ君の命が目的かもしれないでしょ? 最高司祭様はともかく、異端審問官はそういうことやりかねないから」
「でも、これじゃあ、襲われた時に逃げづらい気がするけど……」
牧緒を守るため。それがキュラハの言い分だ。
だが、片腕を絡めとられていては俊敏な動きはできない。
「あと、ほら、ちょっとだけ目が良くなったけど、それでも眼鏡無しで歩くのは危ないからさ」
即座に次の言い訳が飛び出した。
リデューシャが作り出したのは、修道服のみ。
キュラハが眼鏡をしていたかどうかすら、リデューシャは憶えていなかった。
「では、買いに行きましょう」
キュラハの視界をユレナの黒い笑顔が覆った。
「うわっ、びっくりした!」
「裁判までまだ時間があります。買い物をする余裕はありますわ」
「い、いやぁ、眼鏡ってそんなにすぐには作れないし……」
「何を仰るのですか! ここは魔法大国ですよ。そんな物、ちょちょいのちょいですわ」
ユレナは、無理やりキュラハを引き剥がして手を握った。
「では、時間になったら裁判所の前に集まりましょう」
「あぁ、分かった。キュラハを頼むよ」
牧緒はようやく安堵して、手を振った。
「話聞いてなかったの!? マキオ君の命が狙われるかもしれないって言ったでしょ!」
「大丈夫です。ですよね?」
「オルガノとゲルンがいれば大丈夫だ」
それを聞いて、ユレナは力強く手を引いて人混みに消えて行く。
小さな「あぁぁぁぁ」という悲鳴が哀愁を漂わせた。
「おい、何で俺がお前の護衛をしなきゃならねぇんだ。俺の仕事は証言台に立つことだけだろう」
ゲルンが不服そうに訴える。
「まぁまぁ、そう言わずに。欲しい物何でも買ってやるから」
「人間の道具なんていらねぇよ」
「ゲルンはそうでも、子供たちは土産を期待してるんじゃないのかなぁ」
「……見てやがったな」
そう呟いて、ゲルンは手を腰に当てて顎を上げた。
彼に家族はいない。だが、魔境には多くの奴隷だった子供たちが住んでいる。
魔境に戻る度、ゲルンは子供たちに土産話を楽しそうに話した。
その様子は多くの者に目撃され、巡り巡ってニャプチを介して牧緒の元にも届いていた。
「まぁ、お前のために働いてやってんだ。報酬は受け取らねぇとな……」
「素直じゃないなぁ」
ゲルンは背を向けて、不貞腐れたように肩を振って歩き始める。
商店を闊歩し、子供たちの欲しがりそうな物が無いかキョロキョロと見回した。
「で、勝手に決めちゃったけど、オルガノはユレナについて行かなくてよかったのか?」
敵の目的は魔王の魂。
危ないのは牧緒ではなく、むしろユレナの方かもしれない。
「問題ない。少なくとも初日はな」
オルガノは心配などしていなかった。
『惡の特異点』が裁判を承諾した以上、強奪の可能性は限りなく低い。
少なくとも、敵は初列までは様子を見るはずだ。
「そうじゃなくて。単純に娘と一緒にいたいんじゃないかと思ってさ」
「ふん、貴様に気遣われる謂れは無いわ」
オルガノもまた、背を向けて牧緒を置いて行く。
「いつまでも、他人の振りはしてられないぞ」
大きな背中に向けて、牧緒は呆れたように笑いかけた。
その2時間後――。
時は迫り、一同は裁判所の前に集う。
「ど、どう?」
「ん、確かにそんな感じの眼鏡だったな」
キュラハに感想を聞かれて、素直に答えた。
代わり映えの無い、大き目の金縁丸眼鏡。
それは、牧緒の記憶していた物と一致する。
「いや、そうじゃなくて」
「あぁ、似合ってるよ」
「眼鏡が?」
「それ以外何があるんだ?」
短い問答のあと、キュラハは大きく溜息をついた。
「ふふふ、マキオ様は鈍感ですわね。ほら、これです。わたくしと一緒に選んだんですの」
ユレナが、キュラハの後ろ髪をふわりと持ち上げる。
そこには、赤いストライプのリボンが結われていた。
「あ、あぁ、それか。ははは、気付かなかった……。すごく似合ってると思うぞ」
「ふぅん、何か嘘くさいなぁ」
どうやら、キュラハは拗ねてしまったようだ。
「でも、キュラハさんがこんなにマキオ様を好いておられたなんて知りませんでしたわ」
「はぁ!? 何適当なこと言ってんの!?」
「だって、やたらとくっ付きたがりますし、リボンだってマキオ様の好みの色を聞いてきたり」
「だから、それには全部理由があるんだって! すごく合理的なやつがね!」
「俺、別に赤色が好きってわけじゃないけど」
「え?」
「ごめんなさい。マキオ様の好きな色を存じ上げませんでしたので、女の子らしい色を見繕いましたわ」
キュラハは杖を脇に挟んで、ビンタの連打を浴びせかける。
それらは、満面の笑みを浮かべたユレナに全てペチペチと弾かれた。
「そろそろ行くぞ」
オルガノの一声で、全員が裁判所へ向き直る。
見上げたそれは、教会と見紛う程に静謐で荘重な作りであった。
牧緒は、緑色に光る魔石のあしらわれたドアノッカーを手に取る。
数回扉を叩くと、4メートルはある背の高い扉が独りでにゆっくりと開いた。
受付があるわけでもなく、人の気配の無いロビーで一行は佇む。
「確か、原告は国王だよな?」
「……恐らく決闘を見越して、他の者を代表とするだろう」
「それってアリなのか?」
「代理人は許されぬ。だが、原告側は共同人を立てることができる」
オルガノの言う共同人とは、提訴した本人と同等の立場として、初列から締列まで全ての段階を担う者のことである。
「そうであれば、考えられる者は一人でしょう」
ユレナは溜息ともいえない浅い息を吐いて、中央の大階段を仰いだ。
端正な形の人影が見える。
すらりと伸びた足の先が、大理石の階段をコツリコツリと上品な音を立てて下る。
薄く結ばれた唇と蒼い瞳が織りなす笑みは、彼が泰然自若であることを自然と感じさせた。
「このような形で再び相まみえることになるとは……。しかし、健やかであるようで、何よりだ」
その男は、ユレナを真っすぐ見据えて言った。
「えぇ。生きたまま再会できて感激ですわ。ジルク殿下」
彼こそが、ユレナの元婚約者にしてプフトゥール王国の第一王子、ジルク・ローマン・プフトゥールである。
王国を代表して、国王と共同で魔境を提訴した一人であり――。
「俺の敵……か」
裁判は、滞りなく開廷する――。
***
ウオラ王国の王都――。
魔境の発展と比べると、復興までの道のりはまだ長そうだ。
城跡の周辺にバラック集落が用意され、教会や病院などの施設が最優先で建設されている。
まだまだ更地も多い。
ベイラン王子は、未だ野営地にて指揮を執っていた。
「殿下、殿下!」
訪れる部下は、いつも忙しない。
それだけ問題が多発しているということだ。
「今度は何だ……」
木箱の上に腰を下ろして、ベイランは報告を聞く。
「宿に軟禁……ではなく、匿っていたメイドが……姿を消しましたぁ!」
「何……だと?」
それは、メロリアが消息不明となった知らせだった。
牧緒の下で働きたいと名乗り出たメロリアを、ベイランは何かと理由を付けてこの町に留めていた。
今はまだ、牧緒と再会させるべきではないと判断したからだ。
もちろん、それは保身のため。
「魔境へ向かったのか!?」
「いえ、魔境へ向かう道中には兵を置いております。しかし、誰も目撃した者はおりませんでした」
「大きく回り込んだのかもしれないだろう! 早く魔境へ兵を向かわせろ!」
「そちらも既に。魔境への入口は一つ。そこを張っている兵からも、メイドの姿は無いと報告を受けております」
「くそっ……では、どこに……」
事は小さく、しかし大きなうねりを伴って動き出す――。




