第9話
セイラ様のあとを追うと、広い庭が見渡せるベンチに一人座っていた。
とりあえず声をかけようとしたところで、先にセイラ様から声をかけてくる。
「――何しにきたの?」
「いや、その……一緒に遊んでおいでっていうから」
「――そう、でも私は貴方なんかと遊びたくないわ」
セイラ様はその一言だけ口にすると、俺から避けるように立ち上がり、またどこかへ去って行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ! まだこの家の事もよく知らないから、一人じゃ困るよ!」
「知らないわよ。――ああ、じゃあそうね、喉が渇いたから飲み物を取って来てくれないかしら?」
「え? い、いや、どこにあるのか分からないし……」
「はぁ……そのぐらい自分で何とかしなさいよ」
心底呆れるように、深い溜め息をつくセイラ様。
その見た目に反して、一体どう育ったらこんな風に捻くれてしまうのかと問いたくなる程、幼くして中々きつい性格をしているのであった――。
しかし、セイラ様との仲を深める事は家のためでもあるのだ。
俺は浮かべた笑みを崩すことなく、今は言われた通り動く事にした。
きっとセイラ様だって、まだ人見知りをして壁を作ってるだけ。
そうポジティブに考えながら――。
そしてこの日を境に、俺はセイラ様の言う事に何でも従う日々が始まった。
最初の頃は、いつかセイラ様も心を開いて変わってくれるだろうと期待をしていた。
しかし、いつまで経ってもセイラ様が素直になる事は無く、むしろその我儘は日に日に激しくなっていくのであった。
それからは、俺の限界が訪れるのは早かった。
結局こいつの良いところは、その見た目と爵位だけ。あとは全部クソ女だと。
そう結論付けた俺は、この女に気に入られようとするのではなく、いかにこの女と会わずに過ごせるかだけを考えるようになっていた。
家の事もあるから、どれだけ不快でも邪険にする事だけは出来ない。
だから俺は、極力会わないように距離を置きつつ、上手く最小限のご機嫌取りだけで済むように立ち回るようになっていた。
だがそんな付け焼刃は、すぐに限界が訪れる。
次第に本人の前でも苛つきが隠せなくなり、流石にこれでは不味いと思った俺は全力で避けるように努めるようになった。
そして、中等部も終わりに差し掛かったある日のこと。
俺は決定的な場面を迎える事となる――。
それはいつも通り、同じくセイラの相手に苦労している友達と愚痴を言い合うため、皆が帰った後の教室へ集合しに向かった時の事だった。
もう既に帰宅しているはずのセイラが、何故か教室の扉前に立っていたのである。
――もしかして、聞かれてる!?
焦った俺は、心臓をバクバクさせながら近付いた。
すると、最悪な事に教室内では既にセイラへの愚痴大会が始まってしまっているのであった。
――これは流石に不味いな……。
焦りから、頭の中が真っ白になっていく。
聞かれてしまった以上、もうどうする事も出来ない現実だけが重く圧し掛かる。
――でも悪いのは、この女の方だ。
そう、俺達は何も悪くないのだ。
悪いのは、いつもいつも我儘の限りを尽くしては、俺達を嘲笑い困らせてくるこの女の方だから。
そうやって自己正当化した俺は、この場の正解が分からないまま近付いていく。
そのまま、もうすぐそこまで近づいたところで、セイラの方からこちらを振り向いてきた。
向かい合ったセイラの表情は、相変わらずの無表情だった。
複数人から酷い愚痴を言われているというのに、それすらも何とも思っていないようなその表情に、俺は自分の感情を抑えられなくなってしまう――。
「――聞いただろ? みんなお前には、もううんざりしてるんだよ」
――ついに、言ってしまった。
怒るわけでも、悲しむわけでもなく、何とも感じていないようなその表情がどうしても我慢ならなかったのだ。
俺達はお前の道具じゃないと、そう訴えずにはいられなかった。
そうして、一度溢れ出してしまったこの黒い感情は、もう止まる事など無かった。
これまで溜め込んできたものを全て吐き出すように、不満が全て爆発してしまう。
セイラ相手に、こんな事を言うのは不味い。絶対的に不味い――。
そう頭では分かっているはずなのに、もう止まる事は出来なかった――。
気付けば、俺の言葉に気付いた教室のみんなも集まっていた。
そしてこの場にセイラがいる事を知ると、全員その顔を強張らせていく。
無理もない。
先程の自分達が発した軽口一つで、自分だけでなく家までも大変な事になるかもしれない事を全員が分かっているのだ。
しかし、彼らも俺と同じでもう後には引けない。
同じ境遇の皆が選んだのは、同じく彼女へ対する不満を爆発させる事であった。
次々に投げかけられる不満の数々。
しかしセイラは、そんな俺達の不満を受けても表情一つ変えない。
そして最後まで不満を聞き届けたセイラは、もう用は済んだかというようにその口をそっと開く。
「――皆さんのお気持ちはよく分かりました。では、ここで私とあなた達の縁は全て断ちましょう」
語らせたその、たった一言。
その一言だけで、この場にいる全員背筋が凍るような感覚に襲われる――。
――不味い……不味い不味い不味い!!
先程までの無表情の上に、ニッコリと作り物の笑みを浮かべるセイラ。
その表情の変化だけで、血の気が引いていくようだった。
せっかく今日まで我慢を続けてきたというのに、これで全てが台無しだ。
いや、台無しになるだけならまだいい。
最悪の場合、この一件により家にまで多大な迷惑をかけてしまうかもしれないのだ。
この国における爵位の高さは絶対。
いくら伯爵家であろうと、彼女の匙加減一つで大変な事にだって成り得るのだ。
そして他の皆においては、子爵や男爵、もしくは裕福な家の平民だ。
公爵家に睨まれること、それはこの国で暮らす事すらも危ぶまれる大失態なのである。
絶望する俺達に、セイラはまたふっと笑ってみせる。
そして全てを見透かすように、言葉を付け足すのであった。
「あぁ、安心して下さい。この件を騒ぎにするつもりはございません。だからあなた達は、安心して私から離れて下さい。それからルーカスさん、あなたとは許嫁の関係にありますが、それもこの際解消いたしましょう。この件は、私からお父様へ説明させて頂きますわ。当然これも、貴方やご家族に不利益が生じないように伝えますのでご安心下さい」
「――あっ、い、いや、それはっ!!
「では、ごきげんよう」
弁解の余地すら与えて貰えず、一方的に会話を打ち切られてしまう。
そのまま優雅に立ち去っていくセイラの背中を、俺達はただ呆然と見送る事しかできなかった――。
去り際のセイラの表情は、どこか楽しそうに見えたのはきっと気のせいではないだろう。
こうして俺は、この日を境に自身の置かれる立場が大きく変化する事となるのであった。