従順で善良で悪逆な市民(1)
「お腹いっぱい……」
夕食が終わり、自分の客室に戻ってきた。牛になっても豚になっても良いという気持ちでベッドへ倒れ込む。そういえばまだ備え付けの椅子に座ってないな……。
あれから夕食までの時間で町を散策していた。僕は散策が好きなんだ。持久走とかは死ぬほど嫌いだけど。
宿屋のお姉さん……ビアンカさんの話は本当だった。街の人々は確かにスナック菓子と物を交換していて、その度に光が走る。やはり不可思議な現象だ。
「おやすみ……」
とりあえず、もう疲れた。
この国でお金を稼ぐとか、居候するとか、そういう事をしないと生存する事すら叶わないのだけど。まぁ、それは明日起きたらビアンカさんにでも聞くとしよう。では、おやすみ……。
夢を見ていた。
朝の教室。何も考えていなさそうな級友達が談笑している。ゆくゆくは飲酒と性交しか考えられない大学生となるのだろう。俺と関係のない所で、ゆっくりやってほしい。
本当に子供だよな。
発言は理論的ではなく、自分の事しか考えられない。悪い事をしても反省出来ず、おざなりな言い訳でその場が凌げれば良い。集団でしか行動出来ず、敵とされた者は人権すら蔑ろにされる。世界の真理にも近付けない。何も為し得ずに家畜として人生を全うするのだろう。
それは滑稽、敗退、矛盾、空虚。
俺が一番嫌いとする人種だ。
40人弱もいて、この脆弱さ。
だけど、それでも。
楽しそうにしている。
「くだらないな……」
口ではそう言いつつも興味は尽きない。
「うぃふ……」
何だか変な感じがして俺は覚醒した。まだ窓の外は暗い。深更といったところだろうか。
うーん、しかし枕ってこんなに柔らかかったかなぁ……。
「うふ……(はーと)」
――!?
このぷにぷにした感じは……え、膝枕だと!? 誰の膝だ。
「こんばんは。ネラです」
「うわぁ!?」
柔らかかったけど、何だか怖くなって飛び起きてしまった。うわ……女の子ってこんなに柔らかかったんだ……。
「どどど、どなたですか!?」
「ですから、ネラですよ。うふ……」
ネラさん……初めてお会いした。
歳は20代半ばだろうか。妖艶な表情。真っ黒で、胸部が開けた大胆なドレスを着ている。ぷるるん。アップした髪が、何だか色っぽい。
「そんなに緊張しちゃって......かわいい(ハート)」
でも何故こんな美しくて胸部の主張が激しい方が部屋にいるのだろう。はて、錠は落としただろうか。
「え、え?」
「だって、このボロい宿に泊まりに来たって事は……それ目当てなんでしょう? うふふ」
「そんにゃんじゃ、なひぃんだけど......っ!!」
え、そういう事なの? 普通はもっと綺麗で近代的な、あのシティ的な場所にあるホテルに泊まるというのか? サービスで劣る面をお色気でカバーしてるって、そういう事なのかい?
へ?
へへ?
「そそういうつもりじゃ......」
勘違いは解かなくてはならない。
「まぁ、いいじゃない......」
そう言って、ネラさんは僕を抱きしめた。
僕は――ネラさんに前から抱きしめられた。
人に抱きしめられた最後の記憶なんていつだったろう。当然母が最後なんだろうけど......。多分、小学生2、3年生くらいなんだろうな。僕には弟がいるので、2、3歳くらいの時から「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」と言われてきた。そんな事を言われてもよく分からなかったのだけど、小学1年生の時から風呂も別、寝室も別にしてもらった記憶がある。甘えるのが恥ずかしいとさえ思っていたから、そのくらいの時以来だろう。
――あぁ、人ってこんなにも温かくて、柔らかいものなのか。
全ての悩みとか、疲れとかどうでもよくなってくる。僕はこんなものを小学生低学年の時から拒否していた。それは、最早、損をしていたのではないか。
「ネラさん......柔らかい」
「ふふ、悦ばれるとお姉さんも嬉しい。膝枕して欲しい?」
「はい......」
「こら、男の子なんだから、ちゃんと自分の口でお願いしなさい」
「ネラさん......膝枕してください」
「うふ(はーと)。10分だけよ」
僕は改めてネラさんの太腿の感触を味わう。言語化不可能な幸福がじんわりとやってくる。
僕は何者なのか。そんな疑問さえ浮かんでくる。僕は膝枕をしてもらうために生まれてきたのではないか。
定めというべきか。はたまた必然と呼ぶべきか。もしくは――定義。
僕は、膝枕をされる。
そんな定義で縛られているのかもしれない。だから、こんな拉致られた異国でも膝枕に辿り着く。僕は【膝枕をされし者~ヒザ•マクラー~】なのかもしれない。本当は膝枕の帝王の生まれ変わりなのかもれない。僕は――膝枕のなんなんだ。これ程までに膝枕に愛されし者はそうはいまい。
嗚呼、祝福の妖精が燐光を帯びて辺りを飛び回っているようだ。じんわりと幸福に包まれている。世界が見違えるようだ。全てが幸福色。淡い感触に包まれた心地の良い世界。とても形容し難い、けれどもそこに確実に存在する。
「膝枕続ける?」
「まだ膝枕をしていてください......」
これほどの幸せはないだろう。
ゼリーのようにプルンとしながらも、頭を沈めれば海の如く深くまで幸福を感じる事が出来、木漏れ日のように暖かい。
僕はそのまま埋没、没頭し、やがて、僕は、そのまま深い眠りに着いた。
朝起きたら、僕のスナック菓子(棒状)は残り1つとなっていた。