8 第一次勇者軍大規模侵攻作戦1
「――ついに来たぞ」
ざん、と足音を立たせながら、魔王はついにその地に辿り着いた。
大きく、大きく息を吸いこみ、魔王は渾身の力で叫ぶ。
「――――ビバ!海であるー!!」
青い海。白い砂浜。照り付ける赤い月。
そう、今日は、絶好のバカンス日和である――
「って、こんなことしてる場合なんですかねえ…」
ブラムがため息を吐くと、魔王は頬を膨らませて振り返る。
「何か不満か?ブラム。仕事なら片付けてきたであろう?」
「ええまあ…そうですけども」
ここは真魔大陸の東の端に位置するビーチ。魔王たち一行は、休暇のために海にバカンスに来ていたのであった。
魔王は溢れ出る衝動を抑えることなく、少女のように輝いた顔をしている。
「さあ、せっかくの休暇なのだ!大いに羽を伸ばそうではないか!!」
そう言って自らの上着を剥ぎ取った魔王は、あっという間に水着姿になる。少女の体つきに合った可愛らしいデザインの水着だ。黒を基調に、リボンとフリルがところどころにあしらわれており、ひらひらとしたスカートからは白い華奢な脚が伸びていた。
「ほれほれ、ブラムとジャンも着替えるがよい!」
「…俺たちはまあ、いいですよ」
「そうですよ。休暇といえど陛下の側近。何かあった時のために備えておかないと」
「むう、つまらんのう。ルゥは素直に応じたというのに」
「いやルゥを散々水着に着替えろ!って脅したのアンタでしょう」
「細かいことはよいではないか!」
「…いつも通りだな」
「いつも通りだよ」
ブラムが大きくため息をついたところに、一つの影が近寄る。
「あ、あの、陛下…着替えてきましたが…」
「おお!ルゥよ、待っておったぞ!」
「陛下、ですが、その…」
もじもじと恥ずかしがるルゥは、既に水着姿だった。
淡いピンク色の水着は、フリルやリボンがたくさんついている。ルゥは腕で体を恥ずかしそうに隠しながら、おずおずと前に出た。
「陛下に水着をお選び頂けたのは嬉しいのですが…これはいささか子供っぽくありませんか…?」
「何を言う!子供っぽくなどないぞ!ルゥのかわいらしさがよく出ておる!うむ、やはり我は慧眼であった!そなたたちもそう思うであろう?」
魔王はそう言って目を輝かせながらブラムとジャンを振り返る。
男たちは、答えづらい質問を…、と思いながら口を開く。
「かわいいと思いますよ、まあ。ルゥによく似合ってるかんじで」
「……いいんじゃないか」
「せ、先輩たちまで…!」
「ほれほれ、ブラムたちもこう言っておるし、自信を持つがよい!」
魔王はそう言ってルゥの腕に抱きつく。ルゥは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。
「では、早速、海にレッツゴーであるぞ!ほれ、ルゥも!」
「わ!お待ちください、陛下!」
魔王はそう言ってルゥの手を取り海へと走り出した。
側近の男二人は黙ってそれを見送る。
ルゥも巻き込まれて可哀想に…、と男たちは思った。
すると、そこにもう二人の影が近づいた。
「あら、陛下ってばもう行っちゃったの?」
「アンタが遅いからでしょ」
「何ですって!」
「何よ!」
いつものやり取りを聞いてブラムとジャンが振り返ると、そこにはカティとジルダが立っていた。
二人は既に水着に着替えていた。カティはオフショルダーのフリルたっぷりのビキニを身に着け、すらりと伸びる長い脚が露わになっている。一方のジルダはたわわに実った眩しく輝く胸を寄せ上げ、腰に巻かれたパレオは潮風になびかせている。
イシドロがここにいたら騒ぎそうだな…と、ブラムとジャンは思った。
「それにしても、カティもジルダもよく休み取れたな。魔術院も魔技研も大変だろうに」
ブラムがそう尋ねると、カティとジルダはため息をして答える。
「まあ大変は大変だけどね。陛下直々のお誘いだもの。多少無理したわよ。助手に色々任せてきちゃったわ」
「私はたまたま休暇と重なったから。…でもまさか、時代遅れ女も一緒だとは思わなかったわよ」
「何ですって?」
「何よ」
「はいはいどうどう。休みの時くらい仲良くしたらどうなの」
「「無理!!」」
「さいですか…」
その時、遠くからおおい、と声が響く。
「カティ!ジルダ!二人もこっちに来るがよいぞー!!」
「はーい!」
「今行きます!」
カティとジルダは魔王に呼ばれ、海の方へと走り出す。
残された男二人は黙ってそれを見送った。
「さて…俺たちはパラソルの準備とかしますか」
「…あと水分補給の準備だな」
「そうそうそれ大事」
そんなやり取りをしながら、二人は準備に取り掛かる。
準備を進めながら、ブラムはふと声を落とした。
「…にしても、本当にバカンスなんてしてる場合なのかね」
「…?仕事は片付けただろう?」
「そうじゃなくて。…ララ殿から忠告を貰ったばかりだろう?」
ブラムは不安そうな表情で目を伏せる。
「いつ来るかも分からない災厄の対策もせずに、遊んでていいのかなと思ってさ…ララ殿のこういう忠告、外れたことがないだろう?」
「…確かに、お前が不安に思うのも分かるが」
ジャンは手を止め、ブラムを見る。
「あまり深刻に考えすぎるな。いざという時判断が鈍るぞ。…あの忠告も、いつ来るか分かっていないんだ。いつも通りに構えていればいい」
「…でも」
「そもそも陛下は、その災厄を楽しみたがっている。対策など講じる筈がない。考えるだけ無駄だ」
「まあ、それは確かに。…でも」
ブラムは考え込むように瞑目する。
「もし、もしだぞ?陛下が留守の魔都で何か起こったら…」
「…確かにもし、陛下の留守中に魔都に手を出されたら――」
ジャンは静かに、目を伏せる。
「恐ろしいことになるな、きっと」
「だろ?最悪のシナリオだぜ」
「…まあ、騎士団がいれば大丈夫だろう」
「だといいけど」
「おーい!」
遠くから呼びかける声を聞き、二人は振り返る。
そして――目を剥いた。
「見よ!ブラム!ジャン!海魔のおでましであるぞ!!」
そこには、巨大なタコのような海魔が海から顔を覗かせていた。
「何でそんなことになってんですかあぁ!?」
「何か知らぬが出てきた!!」
「ちょ、陛下たち!危ないから離れて!!」
「断る!!」
魔王は手を翳し、何もない空間から槍を取り出す。
「皆のもの!喜べ!今日は馳走であるぞ!!」
「食うのそいつ!?」
「それでは行くぞ皆のもの――」
魔王は槍を振り回し、構える。
「戦いの時である!!」
「――時は来た!戦いの時である!!」
鋼の擦れる音がする。
それぞれが剣を持ち、鎧を身に着け、戦いに赴く準備をしている。
「心得よ!これより先は悪魔の領域!我ら人間が足を踏み入れてはいけない領域だ!」
指揮官の高らかな声が響く。
その声に、この場にいる誰もが耳を澄ましていた。
「だが、我らは行かねばならぬ!来たるべき安寧を手に入れるため!人々を悪魔どもの手から救いあげるために!」
剣が振りかざされる。
「――進め!勇者たちよ!!」
おお、と大地を震わす鬨の声が上がる。
誰もが燃え上がる闘志を胸に、雄たけびを上げていた。
その中でただ、一人。
聖剣使いの勇者、ライは、静かに前を見据えていた。
どん、と何か大きな音が聞こえた――気がした。
どうせ他愛もないことだろう、と、ソファに寝ころんでいた男は再び眠り直そうとした。
その時である。けたたましい足音を立て、何者かが勢いよく部屋の中に入ってきた。
「た…大変でござるぞ騎士団長殿お!!」
「…どうしたんだよ。今、眠いんだけど」
「寝ている場合ではありませんぞ!起きて下され!大変なのです!」
「だから、何が?」
なおもソファから体を起こさない男に対し、部屋に入ってきた女性は叫ぶ。
「魔都が――魔都が襲撃されております!!」
その言葉を聞き、男はソファから上半身をゆっくりと起こした。
「――――何で?」
ここは、魔都にある暗黒騎士団の本拠地。
寝ぼけ顔で起き上がったこの青年こそ、魔王お抱えの軍、暗黒騎士団の団長、ソイドラである。
「兵は」
「出しました!」
「隊長たちは」
「集めております!」
「分かった。じゃああとは俺だな」
「そうでござるソイドラ殿!いくら何でも寝すぎでござるぞ!」
「ハイハイ、悪かったよ、ヤタ」
早足で歩きながら、ソイドラは大きくため息をつく。
その隣をあるく小柄な女性、ヤタはハキハキと口を開く。
「それにしても、何ゆえ勇者たちが今頃魔都に攻め込んできたのでしょうか?」
「知らん。知ってたら苦労しない。何人か捕まえて吐かせたいところだが…面倒だしなあ」
「拷問ですか!でしたら拙者にお任せを!」
「しないしない。後始末が面倒だ」
そうこう言っている間に、彼らはとある扉の前に辿り着く。
ノックもせずに、ソイドラはその扉を開く。
そこには、ソイドラとヤタの他に、三体の魔族が揃っていた。
「おお、遅かったではないか団長よ」
老齢の男が気前よく笑う。
「どーせまた寝こけてたんじゃないっすか?」
右目に眼帯をしたえんじ色の髪の青年がにやにやと笑う。
「これで全員揃いましたねえ~」
ゆったりとした口調の、桜色の髪の女性は穏やかに笑う。
ソイドラは作戦会議室の大きな机の前に立つと、全員を見渡す。
「んで?どうなってんだ?」
「ヤタから聞いた通りっすよ。何故か勇者軍が攻めてきた。それ以上のことは何も」
ソイドラは大きくため息を吐く。
「マジで勘弁してくれよ…陛下がいない時にさあ」
「そう言えば、陛下に伝令は送ります~?」
「いや、送るな」
桜色の髪の女性の言葉に、ソイドラはぴしゃりと返す。
老齢の男が不思議そうに口を開く。
「何故ぞ?いくら陛下が休暇中といっても、連絡くらいはしておいていいのではないか?」
「いや。しないほうがいい。何故なら――」
だん、とソイドラは拳をテーブルに叩きつける。
「あの方が帰ってきたら、一瞬で全部終わってしまうからだ…!」
「…ああ…」
「…まあ…」
「…うん…」
「オレらの立場なくなっちゃうっすもんね…」
部屋に微妙な沈黙が落ちる。
魔王に来られては、自分たちの面子もクソもないことを、全員が理解していた。
こほん、とひとつソイドラが咳を落とす。
「と、いう訳で、だ。陛下に気づかれる前に、今回の事態を収束する必要がある。ヤタ、状況をもう一度詳しく頼む」
「は!現在勇者軍は魔都西部、東部の二方向よりより進行中!魔都に手当たり次第火を放ち、市民を襲っている模様!既に兵を向かわせておりますが現在のところ目的は不明!…といったところでござる!」
「よし、分かった。今から指示する通りに動いてくれ」
ソイドラは落ち着き払い、淡々とした口調で口を開く。
「まず、魔術隊統括、シロン。魔術隊を率いて東部と西部二手に分かれ、建物に防御結界を張れ。んで、結界貼ったら好きに吹き飛ばしていい。できれば街の火も消してくれ」
「了解しました~」
桜色の髪の女性、シロンは穏やかに笑いながら了承する。
「次、弓兵隊統括、ネフ。お前らはそうだな、西を頼む。勇者見つけたら手当たり次第射ち殺せ」
「ラジャっす!」
えんじ色の髪の青年、ネフは軽く敬礼をしながら答える。
「次、槍兵隊統括、タオ。アンタは東を頼む。好きに暴れてくれ」
「おう、心得た!」
老齢の男、タオは快活に笑う。
「んで、騎士隊統括、ヤタ。お前は騎士隊の半分を率いて西だ。殲滅しろ。東は俺が率いる」
「了解でござる団長殿!…ですが、一つよろしいでしょうか」
ヤタは首を傾げながらソイドラに尋ねる。
「勇者たちは殲滅でいいのでござるか?何人か捕虜として捕まえても…」
「いや、殲滅でいい。魔王陛下が留守の時を狙って、魔都に火まで放ちに来てんだ。目的は占領でもなんでもなく嫌がらせだろう。捕虜にしたって勇者相手に交渉することなんかない。殲滅でいい」
「なるほど、心得たでござる!」
「そうだな、あとは――保安隊に連絡。保安隊は徹底して市民の避難を優先するように指示しろ。あとは魔術院と魔技研にも連絡をいれておけ。いざという時は力を借りるとな」
「了解でござる!」
「いいかお前ら、市民はなるべく王城に逃がせ。自主的に戦ってる奴もいるだろうが放っておいていい。とりあえず目標は勇者軍の殲滅。現場での判断はお前たちに任せるが…何かあったら通信機で連絡しろ。――それと」
ソイドラは淡々と、冷酷に言葉を落とす。
「敵の大将を見つけ次第、俺に連絡しろ」
「…なんじゃ。また敵将の首はお主がもらうのか」
タオはつまらなさそうにため息を吐く。
ネフはそれを見てからからと笑う。
「しょうがないっすよ、勇者軍の大将ともなれば団長が出るのは。タオさんにはいっぱい敵兵譲りますから我慢してくださいっす」
「むう…仕方ないのう…」
タオが悔しそうに口を尖らせると、シロンもそれを見て穏やかに笑う。
「後方支援ならお任せです~。タオさんたちを焼き払わないように気を付けますね~」
「お主はいつも危なっかしいからのう…気を付けてくれよ」
「はい、頑張ります~」
「本当っすかねえ…」
「ハイハイ、お前ら、雑談はそこまでだ。そろそろ出陣するぞ」
ソイドラはため息を吐いて全員を見渡す。
「じゃ、指示通りに頼むぞ。――陛下が帰って来る前に全部終わらせる。いいな?」
「御意!」
「おう!」
「ラジャっす!」
「はあい~」
そうしてこの場の全員が返事をし、部屋を出た。
ソイドラは一人、部屋に残りながら考えていた。
勇者たちの目的はどうでもいい。何であれ敵は殲滅するだけだ。
だが。
「――陛下にばれたら、おっかねえなあ」
一抹の不安が、ソイドラの胸の内を渦巻いていた。
魔都は炎に覆われていた。
既に戦いは始まっており、勇者と騎士団の兵たちが入り乱れる戦場となっている。
その様子を高台から眺める二人の男がいた。
「見ろ、なかなかに順調だぞ、ライ殿」
「…そのようですね」
聖剣を携えた銀の騎士、ライと、その隣に立つ大男が話している。
大男は混沌とした戦場を見て笑う。
「この様子なら、隊を分ける必要はなかったかもな」
「いえ、向こうの騎士団を侮ってはいけません、オルヴォ殿。奴らとて知恵はあります。すぐに対応してくるでしょう」
「ふむ…ライ殿が言うならそうか。同じSランク勇者とて君は聖剣に選ばれた者。忠告は聞いておこう」
「買いかぶりすぎです。私は――たまたま運が良かっただけですから」
ライはそういって腰に差した聖剣に手を掛ける。
何かを思うように、ライは静かに瞑目した。
「…それよりもオルヴォ殿。作戦指揮官がこんな戦場の近くにいていいのですか」
「ははは。安心せい。いくら歳でもまだまだ現役の勇者だ。身にかかる火の粉を払うくらいはできる」
そう言って大男のオルヴォは快活に笑った。
その時、ふと、オルヴォが敵兵の動きを察知した。
「――お、兵が動いたな」
「予定通りですね。では、私は本隊の指揮を」
「おう、俺もあとで合流する」
「ええ。…くれぐれも、気を付けて下さい」
ライはそう言い残すと、踵を返し、姿を消した。
オルヴォは残り、街の様子を眺める。
「――皆殺しにしてやるぞ、悪魔共」
その目には、憎しみの色が宿っていた。




