25.公爵令嬢13
『黒髪を風になびかせて、薄手のマントがはためくのよ。胸元でリボンで留めてあってね。その細長い裾野もいいように風にさらわれていたわ。まるで、彼自身が風に乗ってどこかへ行ってしまいそうな風情なの』
いつだったか魔導書が言ったとおりの光景が上空に浮かんでいた。
「ルーファス!」
リディアが思わず声を上げると、真っすぐに琥珀色の瞳がこちらを向く。陽光を浴びて、うつくしい金色に輝いていた。
「姉上!」
誰が羽ばたく天馬に跨れようか。まさしく、聖女を守るにふさわしいと天馬自身が認めている証左である。ルーファスは期せずして、大勢の者にそう知らしめたのである。
天馬はするりと着地する。ルーファスは身軽に飛び降り、リディアの下へ駆け寄る。
ルーファスは聖獣たちのうち、天馬が残っていたのは臆病だからという理由以外に、彼が最も大きく、馬車に乗らないからだと気が付いた。つまりはリディアの意志で聖獣たちを連れて公爵家を抜け出したのだ。ならば、天馬は聖獣たちの行方を知っているに違いないと考えた。
そして、それは的を射ていた。決定的ななにかが起こる前に、ルーファスは間に合ったのだ。翼を持つ聖獣はリディアを助けたいと懇願するルーファスの願いを叶え、その背に乗ることを許してくれたからである。
翼を持つ白馬、角を持つ犬、威容を持つヒョウ、そして、最も小さく、それでいて最も威圧感のある黒鶏。現在認められている聖獣すべてが揃った。
「もうおしまいだ」
誰からともなく、衛兵たちの間で呟かれる。
聖獣を敵に回したとあっては神に見放されたも同然だ。死後も安泰ではない。
「聖獣に愛される姉上を害しておいて、今さらだな」
ルーファスが冷たく切り捨てる。その段には兵士たちは力なくその場に膝をついた。
本来であれば、身辺の警戒を言い含められていた使用人が、公爵令嬢が言っても馬車を出すことなどない。しかし、リディアは使用人たちからも崇拝されていた。火急の件で馬車に乗って外出するというのに従ったのは、その崇拝と、聖獣が同行するからゆえだった。
リディアは差出人不明の手紙で呼び出された時間と場所を無視し、即座に王女に直談判に出向いた。なんと、中の手紙には堂々と王女の名が記されていたのだ。
いざというときの肝の据わり方は父親や叔父、叔母譲りである。
そうして、リディアは魔導書を奪われるという危難に敢然と立ち向かった。
父や叔父ならば、魔導書よりもリディアの安全を優先しかねないと思ったことから秘密裏に行動に出た。聖獣にお願いして同行してもらったから危険はそうないと踏んだこともある。
それでいて、リディアは聖女と言っても、なにも特別なことをすることはできないと思っていた。単にガジたちと仲が良いだけだと。
リディアは知らない。聖獣が留まる地は自然の力が強まり、なにかと恩恵がもたらされる。だから、四頭もの聖獣をひと所に集めることができるなど、僥倖以外の何物でもない。その証拠に、後のエントウィッスルの国土は富み、豊作に次ぐ豊作の時代を迎えることになる。リディアは存在するだけで価値があるとみなされていた。
また、だからこそ、誘拐事件が起きようとしていた。多少のリスクを冒しても、聖獣ごと聖女を手に入れることができれば、それらの恩恵が自国にもたらされるのだ。
そのため、ギルバートは聖女の行動を阻害すれば、聖獣たちの機嫌を損ねるという認識を植え付けた。つまりはリディアに無用な制限をかけるなということである。もちろん、ジェイラスも加勢する。なんならエドワードも口添えし、騎士団長も賛成した。
さて、存在するだけでありがたいという聖女を妻にするためには、どれほどの資質を示してみせねばならないのか。ルーファスは一層自己研鑽に励むほかなかった。
公爵と宰相補佐ならばリディアを守れる。自分にも十分にその能力があると示さなければならないし、そうできる力は実際に必要だ。
リディア・フェアクロフ公爵令嬢を手に入れたければ、フェアクロフ公爵家を継ぐに足るほどの人物でなければならない。
いつからか、社交界ではその認識が浸透しつつあった。
そのため、ルーファスは自身にさまざまな課題を課した。そして、それをすべてクリアしたのである。
「あなたのためならば、公爵家を継いでみせましょう、マイディア」
リディアの下へ魔導書が返ってきた。
父を始めとする多くの者たちに無断で聖獣を引き連れて館を出て行ったことに叱責を受けた。けれど、それだけだった。
「無事でよかった」
みなが口々にそう言って抱擁した。その温かさから、リディアを心配する気持ちが伝わって来る。
「勝手な行動をし、申し訳ございません」
「いや、こちらも済まなかった。今まで度重なる王女の悪行を阻止することができなかった」
却ってそんなふうに謝られてしまい、リディアは慌てた。
王宮としても聖獣に襲撃されたとあっては、対外的にもまずい。神に弓引いた結果と取られかねない仕儀である。
「実際には同じようなものでしょう」
宰相補佐が穏やかな表情で辛辣に断じた。
事件は徐々に調査が進められていた。実行犯が次々に捕らえられ、王女は幽閉されることになった。
「被害を最小限にとどめるため、王女の独断ということになった」
ギルバートが睨んだ通り、クウィアンへは聖獣ごと聖女を引き渡すと王女が勝手に約束を取り付けていた。その見返りに様々なことを要求し、聖女と聖獣が手に入るなら安いものだとそれらを呑んだ。しかし、対価として決定的に安すぎたのだ。
ギルバートはそこを衝いた。
「それほど易々と手に入れられるとは、賢明なクウィアンの国王陛下はよもやお考えにならないでしょう?」
そこで粘れば、逆に自分がエントウィッスルの王女を唆して誘拐を企てたと言われかねない。ギルバートはそんなふうに持って行った。
同時に、クウィアンに潜ませていた手勢を動かし、反国王派の動きを助け、国内情勢の安定を図ることに力を割かざるを得なくした。
そうして、クウィアンの目論見は潰えたのだ。
ダヴェンポートの従者の責任追及に関して、ランドルフ・ダヴェンポートは非常に誠実的な態度を取った。配下の悪行は上の者の責任だ。
そして、ダヴェンポートでもまた、失態を犯した王子を切り捨てることなく、エントウィッスルに頭を下げたのだ。
そして、ランドルフの失態は新たな聖獣の出現によって払しょくされた。
ランドルフはフェリシアに「抱擁」のお菓子をプレゼントして抱擁する。
「あなたに甘い抱擁を。ぜひ、ぼくの愛を受け取ってほしい」
「ありがたく頂戴しますわ」
いつの間にか心を交わし、ふたりは結ばれた。そのとき、どこからともなく聖獣が現れたのである。獅子の姿の聖獣は、ふたりを祝福するかのように咆哮した。
こうして、ダヴェンポートにも聖獣が住まうようになり、エントウィッスルの聖女が一心に受けていた人々の注目が分散されることとなる。
フェリシアは学院の卒業を待ってダヴェンポートに行くことになる。ランドルフと聖獣とともに。
その前に、ふたりはリディアとルーファスの結婚式に出席した。ルーファスの卒業の翌日に式を挙げたのだから、満を持してというよりも、待ちきれなかったのは明白である。
こうして、リディアは魔導書が予言した悲劇を回避し、そして、幸せになったのだ。
代々伝わる魔導書は、様々に助言を行った。その助言によって、多くの者たちが救われたのである。




