14.死体と激怒
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義高達が一階の階段下まで駆け付けた時は、毛利薫以外の全員が集まっていた。そこには成立していない会話があった。亜紀だけは女性用のお手洗い入口で座りこんで震えていた。顔面蒼白だった。
「何があったんだ?」
ケンジが問いかける。
「な、な、なかに、死体が」
「本当か?」
全員が後ずさった。集まったメンバーが事情を聞いたのは義高達と同時であったようだ。ユキ子はそれを聞いて同じく倒れ込んだ。近くに居た義高はかろうじて顔面から転倒しないよう抱きかかえた。ケンジは急いでお手洗いの中に駆け込み、個室のドアを開けた途端に音が止まった。確認作業はわずかな時間だった。
「毛利薫さんが死んでいます」
気が遠くなりそうだった。ユキ子の体の重みがなければ全身から崩れ落ちていても可笑しくなかった。ケンジは目を瞑って立ちつくしていると、どけ! と叫んだ毛利直哉も確認しに行った。この世のものとは思えない物を見てしまった人物がそこに居た。
ケンジの計らいで、お手洗いには立ち入らないようにし、近くの食堂で集まり、腰を下ろした。
「第一発見者は亜紀なのかな?」
「う、うん、私が見た時はもう……」
泳いだ目で答える。
「亜紀達には電話の状態を調査してもらっていたが、終わったのか?」
順を追って説明しようとした亜紀は呼吸が荒くなるだけだった。しびれを切らした毛利剛が口を開いた。
「外の配電盤内にあるすべてのケーブルがバッサリ切られていたよ。メインと思われるケーブルの切断面を接続して何度も試してみたが、電話は回復しなかった。完了して客間で待っていた。そこに直哉がやってきて妻を見なかったかと尋ねてきた」
毛利直哉の方を向いた。
「いなくなってから、三十分以上待ったが戻って来なかったんだ。その間も、残念ながら通り掛る車はなかった」
血色のよかった毛利直哉もさすがに顔色を失っていた。少ない時間で何歳も老けてしまったかのようだった。重苦しい、そして恐怖に包まれた雰囲気は毛利直哉だけ例外というわけでもなかった。
「それで偶然出くわした亜紀さん達にお手洗いを探してくれないかと頼んだ」
どうしょうもない状況にせよ、一人での行動が成立していた。犯人の思う壺である。
「配電盤は外のどこら辺にありますか?」
「あそこの壁の裏側にある」
毛利剛が指さしたのは、入口から奥の食堂の角だった。つまり、裏庭の隅に設えていて、それこそ死角になり易い場所でもあった。
「女性用のお手洗いには換気窓が二メートル近いところにある。外から薫さんを殺害できる環境にはあったわけだ」
ケンジは睨んだ。
「ちょっと待て! 私が怪しいということを言いたいのか? 私は亜紀さんユキ子さん、静子、サラ子と終始一緒に居たんだ。トイレにも行っておらん」
「別に、毛利剛さんに特定して疑っているわけではありませんよ」
「私はやっていない」
義高達の行動を聞かれ、ケンジが誰もはぐれていないことを説明した。そのタイミングで、サラ子はお盆に水の入ったグラスを持ってきた。
「それより、どのように殺害されていたんだ?」
毛利直哉は、縋りついた。
「便座に座った状態で首を切断されていました。しかも首から上がどこにも見当たらない」
「首を……ど、どうやって?」
「それはこれから調べます」
「くっ」
過呼吸に近い状態となり、毛利静子は背中を摩った。鎮静化するまでそのままで、ユキ子は近くにあった水の入ったグラスを落として割った。そんな音でも義高は飛びあがりそうになった。
「詳細に調査してみないとわかりません。近くに凶器がありませんでしたから」
「く、狂っている。こんなことをする奴は狂っている。薫さんは遺産相続には直接関係ないんだ。これは無差別殺人だ」
総堂院栄太郎は言った。自分にも矛先を向けられているのだと知り、慌てふためいていた。
「落ち着いてください、皆さん」
「無茶を言いやがって」
毛利剛のこめかみから出ている青筋が、稲妻を思わせた。
「どうか取り乱して、どこかへ消えないようにお願いします」
喉が乾き切っていたのに、義高は煙草に火を付けた。喉への刺激があるだけで味はまったくしなかった。眩暈が襲ってきたので、すぐに消した。
「お、お前はなんでそんなに落ち着いているんだ。あやしいのはお前じゃないのか? 依頼された探偵と言いながら、殺人鬼なんだろ。若い連中が共犯である可能性もあり得る」
毛利直哉は穴が開くほどケンジを睨んだ。義高は名前を覚えられていないと感じて悲しくなった。ケンジはため息をついて、たばこに火を付けた。
「俺の言うことを聞いていないようですね。まあ、いいです。アリバイも宛にならなくなってきましたから。ここにいる全員を疑う姿勢は崩さぬようお願いします」
威圧する。標的となった人たちは目を逸らした。生気を失いつつある一同に、毛利静子とサラ子は水を配った。誰もお礼を言わずに飲みほした。
「アリバイで言えば弟よ。お前がないのではないか?」
「なんだと! 俺は妻が殺されているのに良くそんなことが言えるな。兄としても許さんぞ!」
「だから落ち着いてください」
収拾がつかなくなっていた。バイオリズムは子供以下だ。大人が揃いも揃って感情的になっているのもしょうがないとさえ思える状況だった。こういう時に限って、義高の心は冷めていく。食堂から見える窓は風に寄って揺れていて、いつからだろうか豪雨が降っていた。アンティークの時計は午前一時の合図を鳴らしていた。
「毛利薫さんがしていたダイヤのネックレスは毛利直哉さんが買ってあげましたか?」
「知らん! 勝手に自分で購入したんだろう。それより何でそんなことを今聞く必要がある?」
「知らないのですか?」
ケンジはそう言うと、毛利家全員に目を配った。発言するものはいない。
「捜査ですから。手掛かりを探っているんですよ」
「ネックレスで首を切断したとでも言いたいのか?」
毛利直哉の顔はゆがみ、頬に痙攣が起こっていた。
「可能性はない、とは言い切れません。なんせ現場になかったもので」
「そ、そんなのいつも身に付けているとは限らんからな」
夫婦愛とはなんだろうと考えた。毛利直哉は妻と暮らしているのにネックレスのことなんてほとんど見れていないのだ。実際はネックレスだけではなく、亡くなった奥さん自体に向き合っていないというのを想像すると悲しくなった。
「後で調べますので、皆さんは遺体に近付かないようお願いします。見てしまうと精神的にもダメージを受けますからね。但しここに居るはずの犯人を除いてですが」
個々、神経質な動きでそれぞれを警戒していた。
「あ、あの、毛利薫さんはお手洗いに行くといって屋敷内に入っていったのですか?」
義高は毛利直哉に聞いた。蚊の鳴くような声だった。
「いや、休憩すると言ってから戻らなかった。そういう癖があったんだよ。お手洗いを休憩と言いかえる女性の恥じらいがな」
若い女性陣を見下した言い方だった。二人には言い返す気力が戻っていなかった。
「では、休憩所に居た人で薫さんが歩いている姿を見ましたか? 足跡でもけっこうです」
ケンジが配電盤検索チームを見やる。全員首を横に振った。
「皆さん、全員ここにいてください。お手洗いの時も、必ず二人以上で行くようにしてください」
ケンジはそう言うと立ちあがった。
「お前はどうするつもりなんだ?」
「俺は現場を調査させてもらいます」
「単独でか?」
「その方がやり易いので」
毛利直哉の目が光った。義高は完全に直情型の性格だと判断していた。
「やはりお前が一番怪しいな。次の殺人を考えているのではないか」
ケンジは目を瞑った。水を一気に飲みほし、咳ばらいを加え、
「これは遊びではないんだ! 人が死んでいる殺人現場だ! ふざけ合っている場合ではない! いいかげん気がつけ!」
頑なに敬語を使用していたケンジが切れた。気迫は毛利直哉を凌駕していた。何も言えなくなっていた。わかってくださいと諭すと、ケンジは一人で捜査しに行った。
得られる情報が少なすぎた。犯人が近くにいると聞いて怯え、要となる情報を隠蔽している可能性もあった。今日初めて会った人間が大半を占めている。
現場に指紋や靴後が残っていれば警察に頼って検証することが出来る。検死官がいれば遺体の状態からどのように殺されたかがわかる。ケンジといえど、正直に告白している通り探偵なのだ。その他の人間は死体もろくにみた経験もない素人同然の傍観者だった。