12.遠隔操作事故
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総堂院幸子は運転していた。夕食が済んだ後、総堂院栄太郎の要求で焼酎を買いに行かされていたのだ。総堂院栄太郎は晩酌として和酒を嗜む習慣があった。和酒がなければ酷く機嫌が悪くなり、次の日の朝にも影響した。彼女はそれに歯向かおうとはしなかった。毛利家の男性陣と近くで生活し、男を立てるという姿勢を自然に身についていたからだ。毛利家の屋敷には毛利剛の好みから、和酒が置いてなかった。行く前に購入していなかったのは、うっかり弟の好みさえも失念していたからだった。
家族の交流がなくなったのはいつ頃だったかと思いだそうとしたが、わからなかった。少なくとも、総堂院栄太郎と結婚してちょっとは続いていた。それは二十数年以上も前の過去だった。総堂院栄太郎が行きの道を運転していたベンツはタイプ的にも載りやすい方であり、ハンドルが固いという障害もなかった。
買い物とは言え、屋敷へ向かう道と反対側に車を走らせると通行止めの看板が立っていた。来る時に通った道ではないと思っても、そのまま進んでしまった結果だった。引き返し、橋を渡り、近くのお酒を売っている店まで一時間弱はかかった。酒屋さんはとっくにシャッターが閉まっていて、スーパーで適当な銘柄の焼酎を購入した。
総堂院栄太郎は銘柄にはあまりこだわらないのだ。一リットルのボトルを運んでいると、往復するのにうんざりする距離に落胆した。終始霧掛った道を走行していると、出発時にあった恐怖感は薄れていった。左斜線をキープし、制限速度であれば運転に支障はなかった。
帰りの車を運転している最中、自分に話しかけて来たケンジという男が気になって仕方なかった。雰囲気だけで酔ったという言葉に嘘はなかった。身体が火照っていて、気分も良かった。本当にアルコールを摂取しているようだった。あれだけの美男子に褒めてもらう機会はまったくない。ただアルコールを摂取するだけではこのような気分にならない。女に戻った気がした。
それに引き替え、遺産の事などどうでも良いと考えていた。自分が候補になっている事実が酷く暗い気持ちにさせた。弟達の強欲さにはどうしても付いていけないでいた。毛利剛は仕事もせずに介護しているといいわけしているものの、妻に任せっきりに違いないのだし、父親の七光で遊んでいるようなものだった。交友関係にも家族の話を極力避けているのは、良いイメージがまったくないからだった。良い意味で兄弟に社長がいると自慢しても、聞いてくれるのは最初だけなのだ。夫も強欲さについては同じだった。
一緒に生活しているのは、自分を愛しているのではなく、父親の遺産目当てであることが明白だった。そうなると、もしこの二日間に他の兄弟の手に渡った場合はどうなるのだろうか。幸い夫婦の間に子供がいないので、最悪の結果として離婚しても被害は少ない。
毛利家には自分の離婚なんてどうでも良いことなのだ。なぜあれほど必死に追い求めているのだろうか。直接関係のない夫の栄太郎も毛利家の一員として、否それを凌駕しれも可笑しくない遺産への執着があった。総堂院幸子の金銭欲は昔から希薄だった。両親は不動産業として成功し、多額の財産を持つようになった。それ以上を求めて、結果として寝たきりになってしまったのだ。健在の内に稼いた財産を使わなければ意味がないと思う。単に普通の生活を営んでいればそれで良いと思っていた。
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屋敷きの三階が薄ら見えてきた矢先だった。山道から駐車スペース全体に掛けて道路が濡れていた。夜露のせいだろうと考えた総堂院幸子だったが、次の瞬間右手側の前輪が爆音を立てた。完全にパンクしたタイヤではハンドル制御が効かなかった。
このままでは停車中の車に追突する。
スピードは出ていないので大破することはない。
でもブレーキが利かないのはなぜ?
道路にガソリンがもれているのか?
もう、どうしようもなかった。
後で弁償するしかない。
ゴンという衝突音が鳴った。停車中のセダンにぶつかって止まったのだ。総堂院幸子は助かったと安堵した。
この車は誰のだっ……
次の瞬間何かが爆発した。フロントガラスを破った爆風と地獄の火炎が襲いかかり、総堂院幸子は絶命した。午後十時を過ぎていた。