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秘密  作者: 湖灯
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偽の千円

   偽の千円


「ハイ!せ・ん・え・ん」

麻衣子が千円を差し出した時、はじめ、いったい何のことか分からなかった。しかし直ぐそのお金が今朝、阿久津君に貸したもので、穂香がそれによって困るだろうと本田、進藤、三木の三人が立て替えて返してくれたということを麻衣子から聞き、受け取った。

しかし、その千円を自分の財布に仕舞う時にガッカリしている自分に気がついた。

そう、今朝からなんとなくウキウキした気分ですごしていたが、それが朝起きた時からなのか、朝食にお母さんがフレンチトーストを出してくれた時からなのか、それとも教室に入った時からなのか、三時限目の途中から土砂降りの雨が止んだ時からなのか、さっぱり分からなかったが、この千円が帰ってきた瞬間に何故か、その気持ちが急に(しぼ)んでいくのを感じた。朝からウキウキしていた原因は、この千円に由来しているのだ。そして今その‘ニセモノ‘が返って来て私の気持ちを曇らせてしまったのだ。

(しぼ)んでしまった心で、麻衣子とのおしゃべりも気もそぞろになっていた。

HR後も気持ちは萎んだままで、どこをどう歩いて家に帰ったかも分からない、まるで夢遊病者にでもなったようだった。体調が悪いと理由をつけて夕食をキャンセルして、その日は直ぐにベッドに入った。


 不良・恐喝・・・

四時限目になると俊介は、そんな風に思って落ち込んでいる事に疑問を感じ始めるようになっていた。

確かに、教室に入って秋月穂香と目が合ったとき彼女は直ぐに目をそらせたが、自分自身もあの時にドキッとしてしまい目をそらせてしまっていたではないか。

つまり普通の男女は目が合うと、そらすモノなのだ。お互いの目と目を見詰め合うのは恋人同士だけなのだ。

そう考えると心も軽くなり、いつの間にか雨が止んでいる事に気がつく余裕ができた。

昼になり、購買にパンを買いに行ったとき、何にしようかと迷った。

傘は仕方がなかったが、人から借りたお金を使って昼食を食べてもいいのだろうか、確かにあの時、

『お昼のパンとコーヒー牛乳のお金もいるでしょ』

と、秋月穂香は言った。

そして俺の手に千円札を握らせた。

彼女の手に始めて触れた時、その繊細な指の長さと柔らかさと色の白さに驚いた。

傘を買うときは、使うことを一瞬躊躇(ためら)ったが今は違う意味で迷っていたのだ。

折角借りたお金なので栄養を考えて野菜サンドにしようか?カロリー重視で惣菜パンにしようか?いつもどおりのメロンパンにしようか?それとも使わずに残しておこうか?

売店の前でボーっと突立って居るうちに何人かに抜かされて、気がつくとメロンパンが残り一個になっていたので慌ててそれを手にした。結局俺は『メロンパンだな』そう思うと自分でも不思議な位、急に嬉しくなり教室への戻り道を全速で駆け抜けた。

 昼食はいつも通り三木と食べたが今日は、ゲームやアニメの話のほかに、チョッと変なことを聞いてきた。

「俊介、今日何かあった?」

「…えっ、どうして」

返事をするのに一瞬、間をもってしまったのは、今朝の駅の出来事を知っているのかと途惑ったからだ。

いつもなら、話はそれで終わるのだが今日の三木は違っていた。

「…たとえば…何か、困っている…とか…何か、悩んでいることがあるとか、何でも良いんだよ。少しでも何か有ったら言ってくれよな!」

しゃべりながら三木博文は嫌悪感で話し方が、しどろもどろになるのが自分でも分かった。幾ら直美たちに『親友のピンチ』だと言われたからとしても、こうやって無理に聞き出そうとする行為には抵抗があった。

一方、俊介のほうは『変なことを言ってやがる』と思ったものの、今まで人からお金を借りた事が無かったので、どうやって返すものか一応参考までに聞いておこうと思った。

特に異性から借りたパターンの返し方が一番気になっていたので、名前は出さなかったが正直にその事を話した。話すまでは勇気がいったが一旦話してしまうと気が楽になった。午後の授業は結構スッキリした気分で過ごしていた俊介だったがHR前に進藤から聞いた言葉によって再び重い気持ちに包まれた。

「借りていたお金だけど、本田経由で相手に返しておいたから、もう心配ないよ」

確かに三木には相手に返すことを考えると気が重いとは言ったけど…それより、何で相手が分かったのか?

しかし、秋月穂香にお金を借りたことを皆に知られたことよりも、彼女に『ありがとう』の言葉を返す機会を失ってしまった事のほうが(こた)えてしまった。

その日は部活後、久し振りに塾をサボってゲーセンに行った。

何故か無性に大輔に会いたかった。

ゲーセンに入って辺りを見渡していると不意に後ろから懐かしい声が聞こえた

「よう!久し振り!」

振り向くと大輔が居た。

大輔は俊介の姿を上から下までひととおり眺めた後「なにかあったね」と、学校の友人でも気がつかない俊介の気持ちに気がついていた。俊介は今朝からの出来事を話した。

朝駅で穂香に傘代を借りた事、昼食代の分のお金も余分に渡された事、借りた事を後悔した事、友人たちが立て替えて返してくれた事・・・

有った事を有ったままに、抱いた気持ちを気持ちのままに伝えた。話をしている間、大輔は余計な言葉を一言も挟まずに、ただ相槌を打つだけだが耳を傾け真剣に聞いてくれ、話し終わると、それまでより気分が軽くなっていることに気がついた。

特に大輔からアドバイスなどの意見はなかったが、俊介にとってそれで充分だった。

ふと店の時計を見ると帰りの電車の時間が近かった。たった数分話をしたつもりだったのに実際は随分時間が経ったものだなと呆れていた。

大輔との別れ際に彼が何か言ったが雑踏(ざっとう)の中よく聞き取れないで聞き返すと大輔はニコニコ笑いながら、もう一度繰り返して言ってくれた。微かに聞こえたような気がしたが今度は店内に入ってきたグループの声にかき消されて聞こえなかった。

更に聞き返すことに抵抗があったので分かったふうに「ありがとう!」と手を上げて別れた。家に帰ってから寝るまで、正確に言うと意識が遠のき眠りに落ちるまで、今日一日のことが頭の中をグルグルと駆け巡っていた。

いつもより早い電車の中の光景、土砂降りの駅で秋月穂香にお金を貸して貰ったこと、そのことが嬉しかったこと、後悔したこと、三木たちがお金を返してくれ何故か残念な気持ちになったこと、久し振りに大輔と話したら気持ちが楽になったこと、今こうして一日に起きた数々の出来事を思い出していること、そして秋月穂香の手に初めて触れたこと…

これらの出来事が、眠りに落ちるまで無限ループのように頭の中で繰り返し思い出されていた。



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