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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第1章
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第9話 巫女の舞

 一時いっときほど待っていると、トントントントンと土蔵の扉を叩く音がした。

 俺はそっと扉を開けた。

 小柄な老人が立っていた。俺と目が合うと、静かに頭を下げた。

「望様、お待たせいたしました。さっ、こちらへ。」

 そう言って、老人はスタスタと先に立って、木立の中へ踏み入って行く。


 木立に踏み込む手前で、俺を振り返り、手に持っていた杖を一本こちらに差し出した。

「このあたりは、夏には時々ハミが出ますゆえ、これをお持ちください。」

 ハミ。ハミって毒蛇の? 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


 老人は、ズンズンと木立の下生え(藪)の中に分け入って行く。俺はあわてて、その銀灰色の頭を追った。


この老人は、ヨヒョウといって アトリの侍従長だ。

 何度か顔を合わせたことはあったが、話をしたことはない。だが、アトリのことを生まれた時から世話してきたとかで、主従というよりは、祖父と孫のような情愛の念を双方から感じた。


 アトリが、親の目を盗んで 何かをくわだてるとすれば、ヨヒョウに打ち明けるしかなかっただろう。

 が、打ち明けられたヨヒョウにしてみれば、雇い主をあざむいて、お坊ちゃんのくわだてのお先棒を担ぐことになったわけだ。

 

 俺は、大事おおごとになってしまったことを少し後悔していた。


 なだらかな丘陵の縁に沿って、三十分くらい歩いただろうか。久しぶりの屋外活動のせいか、この木靴のせいか、はやばやと足が痛くなってきた。


 ヨヒョウは丘陵をぬけ、さらに畑が広がる平野へと下っていく。

 林と平野の境のあたりに、こんもりとした木立が見える。ヨヒョウは、そちらへと歩みを早めた。


 木立と思ったものは、近づいてみると一本の巨木だった。クネクネと複数の太い幹をうねらせながら、空に向かって小山のようにそびえている。樹皮は苔むし、宿り木まで生えていた。

 俺の家の近くに五階建てのマンションがあったが、それと同じくらいの高さがあるような気さえする。

 

 感心して見上げていると、ヨヒョウがこう言った。

「千年木といいます。木の精霊様が住んでおいでるのですよ。」

 ヨヒョウは、両手を胸の所でキュッと組んで 千年木を見上げた。何かを熱心に祈っているようだ。

「・・・さて、急ぎましょう。」

 祈り終わると、そう言って俺を促した。

 

 巨木のそばには、馬車が止まっていた。打ち合わせ通りだ。

 御者台の上の男は、遠くの畑の人影を気にして、そちらをじっとみている。ヨヒョウも、あたりをキョロキョロ見渡しながら、馬車の扉を急いで開ける。

「ささっ、お急ぎください。」

 俺は馬車の中に滑り込んだ。ヨヒョウが俺に続いた。扉が閉まる音を合図に、馬車はガタガタと走り始めた。

 馬車を用意してくれたのはヨヒョウの甥で、雑貨商を営む男だとアトリが言っていた。ヨヒョウの縁故つてで屋敷に出入りしているらしい。


 馬車は二頭立てで、牛車をもう少しコンパクト&堅牢にしたようなものだった。

進行方向を背にした席に座ったヨヒョウが、背負い袋から笹包みを取り出して、俺に手渡した。

「朝餉にと思い、にぎり飯を用意しました。粗末なものですが。」

「あ、ありがとうございます。」

 俺は、早速、包みを開いた。ヨヒョウが自分で握ったのだろう。不ぞろいなようすの雑穀のにぎり飯が包まれていた。具には砕いたチーズが入っていた。

ヨヒョウには申しわけないが、コンビニの塩むすびが無性むしょうに食べたいと思う。


 アトリの屋敷は、都の北の郊外にある。俺とヨヒョウは、裏山伝いに屋敷の北西に逃避行したので、馬車は、都の中央へ行くため、アトリの屋敷の西にある集落にとって返した。それから、集落のはずれの辻へと向かった。


 その辻は、集落からの道と都への街道が交差する場所にあった。

 道沿いに、店や宿が集積し、けっこうな賑わいを見せていた。店並みが途切れた小川のそばに、一本の松の木が生えている。馬車はその前で止まった。

 松の木の横には、街道を旅する人のためのお休み石があって、コハギがチョコンと座って不安そうな顔つきで待っていた。


 ヨヒョウの甥が、御者台から降りてコハギを迎えに行く。そして、手を引いて馬車の方にもどってきた。俺は、馬車の小さな窓の御簾みす越しに、それを見ていた。

 ヨヒョウの甥が、コハギをヒョイと抱きかかえて馬車に乗せた。コハギは、俺やヨヒョウの顔を見て、ようやくホッとしたように笑った。俺は、コハギを引き寄せて膝の上に座らせた。今日は、いつものお仕着せではなく、可愛い晴れ着を着せてもらっている。


 考えてみたら、俺とアトリの計画って、ずいぶん無謀だったんじゃないかと、今さら気づく。

 渋谷の忠犬ハチ公前で、幼稚園児を一人で待たせるような事をしてしまった。

 アトリとアヤメは、どれくらい前にここを通過して、コハギを置いていったんだろう。十五分、あるいは二十分か?

 俺の馬車にコハギを乗せようという、俺の身勝手な理由のためだけで、コハギは辻に置いていかれたのだ。

 アヤメやヨヒョウは、アトリや俺のすることには何も口をはさまない。ご主人にとってよほど危険なことでない限り、止めることはしないだろう。

 まして彼らが、自分自身のリスクについてどれほど意識しているのか、かなり疑問だ。

 自分のちょっとした思いつきや希望がすんなり通ってしまう恐怖に、俺は生まれて初めて直面した。

 お願いだから誰か止めてくれ!


 やがて馬車は、碁盤ごばんの目のような都大路へ入っていく。

 アヤメが言っていた流し飾りが、家々の戸口を彩っていた。

 流し飾りは、頭の部分がくす玉で、その下に色とりどりの細長い布の束がたなびいていた。

 小さな戸口には小さな流し飾りが、分限者ぶげんしゃの大門には巨大な流し飾りが、等しく風に揺れていた。

 こうすることで、先祖霊が一時帰宅の道標みちしるべとするのだという。


 俺は、ふところから巾着袋を取り出した。アトリが昨夜、旅の路銀にと くれた金子きんすと干菓子だ。俺は、干菓子を何個かコハギの手に握らせた。

 俺ときたら、毎度、甘い物でコハギを釣っている。

 コハギが、いつものはにかんだ笑いを見せた。まぁ、いいか。


 次第に、路上は人や馬車でごった返し始めた。ウルバンナの舞が行われる神殿が近くなったせいだろう。

 俺たちの馬車は、人の波を掻き分けるようにしてノロノロと進んだ。


 やがて、白壁の塀が続く通りまで来て、ようやく馬車は止まった。白壁に沿って、路上駐車の馬車の列が続いていた。

 白壁と道をへだてた反対側に、〈いにしえの森〉と呼ばれる木立があった。鎮守の森といったところか。

 人の波が、森の奥の〈結びの神殿〉へと押し寄せていくのが見える。


 馬車を降りるさいに、ヨヒョウは、俺に菅笠すげがさのような帽子を手わたした。そして、自分もそれを被って、顎のところで紐を締めた。俺は、菅笠すげがさを出来るだけ目深まぶかにかぶった。

 見れば、通りを行く人たちも、日差し除けのかぶり物をしている人は多く、俺たち一行は、いい具合に周囲に溶け込んでいる。


 それにしても、舞が行われる〈結びの神殿〉への道は大変な人出だった。

 俺は、コハギを背負って歩くことにした。夏の暑さとコハギの重みで、俺は、じきに汗だくになった。


 巫女の舞。

 アトリの言うところを要約すると、先祖霊も含めた あまたの精霊と交信する演舞が、ウルボンナの巫女の舞らしい。精霊にも善い霊と悪い霊がいて、巫女たちは、荒ぶる悪霊をいさめ、人間にとって幸いな行いをするよう祈願するために舞を献上するんだそうな。


 ようやく〈結びの神殿〉の壮麗な大屋根が見えてきた。雅楽のような音色がかすかに聞こえる。

 神殿の前面は、張り出し舞台になっていて、おまけに両翼のような花道まであった。神殿というより、まるで野外コンサートホールだ。


 俺たちは、アトリとの待ち合わせ場所へ向かった。

 しかし、俺とアトリの計画 (ほとんどがアトリだが)は、やはり無謀むぼうだった。

 この人混みで、しかも、双方が菅笠すげがさをかぶっている相手をどうやって探せと?


 俺は、早々にアトリとアヤメを探すことをあきらめた。二人だけで楽しめばいいやという気もしたし。

 もし会えなかった時は、帰りにアトリの馬車を止めてある所で出会えばいいと。


 張り出し舞台の上では、獅子舞のような踊りが始まっていた。乱暴者の化け物を、英雄が退治して・・・といったストーリーのようだ。

 人々は、押し合うようにして舞台に夢中になっていた。俺は、背負っていたコハギを降ろしたが、これではまわりの大人の脚しか見えていないだろう。肩車という手もあるが、俺がかぶっている菅笠すげがさが邪魔になる。それに何より、俺の腰がすでに限界だった。

 俺は意を決して、コハギの手をつかみ舞台のかぶり付きのあたりまで、人垣をかい潜って、グイグイと進んだ。迷惑そうな視線を背中に感じたが、このさい図太くなれ!コハギのためだ。

 俺とコハギと、そして、黙って俺につき従うヨヒョウは、とうとう人垣の最前線に到達した。でかしたぞ俺。


 舞台の上では化け物が退治され、大上段となっていた。

 意気揚々と英雄が去ると、音楽も、急に軽快なものに変わり、今度は、若い娘たちが踊りながら舞台に登場した。

 天の羽衣のような白い衣装を着て、手には赤い大きな扇を持っている。扇には、赤い飾り紐が付いていて、それが彼女たちの手さばきに合わせて、ヒラヒラと弧を描く。

 これが巫女の舞か。踊り子の数は百人位だろうか。

 なかなか見事なシンクロ率だと感心して見取れていた俺は、踊りの輪の中にユリを発見した。


予期しない再会に、俺の心臓がキュンとなる。なんで、アトリは、ユリが踊ると言ってくれなかったんだ?

 待てよ。アトリが、俺にユリが踊ると予告する筋合いはない。俺は何を混乱してるんだ。落ち着け、俺!

 たしかにユリは導師だが、導師である前に巫女でもあるのか。


 俺は、軽やかにステップを踏むユリを見上げた。

 たぶん勘違いだと思うが、ユリがこちらを見ているような気がする。


 俺たちの距離は五メートルくらいだ。白い衣装の袖の部分は、シースルーになっていて、細い肩から腕にかけてうっすらと透けていた。

 しかもステップを踏む度に白い足首が・・・これって、エロすぎだろ。


 精霊に性別があるとすれば、間違いなく男という設定だな。若い娘にこんな踊りをされたら、どんな性悪精霊でも鼻の下を長くするに決まってる。

またまた、ユリと視線が合ったような気がした。俺は顔が赤くなるのを感じて、思わず視線を落とした。


 見ればコハギは、舞のリズムにあわせて、ピョンピョンとうれしそうに飛び跳ねている。

 おっと、危うく目的を見失うところだった。

 コハギを楽しませることが出来て、俺は実に喜ばしい。腰の痛みも報われるというものだ。


 巫女の舞の後、今度は、太鼓や鼓を打ち鳴らしながら若者たちが踊り込んできた。沖縄のエイサーに似てると思った。若者たちは、花道にまで出ばって 勇壮にリズムを刻む。


 コハギは、まだ踊りに釘づけだったがもう時間だった。

 俺は、コハギをうながして人垣から抜け出した。そして、ヨヒョウに先導されて、さっきの道とは別の方角へ歩いていった。

 先ほどのように人波に押し流されることはなかったので、俺はコハギの手を引いて歩いた。


 アトリの乗ってきた馬車は、〈結びの神殿〉の東門の前に止められている。そこは、いわゆる貴族専用のパーキングだ。

 門前には、立派な装飾を施した馬車がずらりと並んでいた。お仕着せを着た御者たちが、隣同士で何やら喋りながらあるじを待っている。


 アトリは、まだ来ていなかった。

 せいぜい待ちくたびれた頃、ようやくアトリとアヤメが門前に出てきた。


 二人とも、ものすごく疲れた顔をしている。アトリは俺を見つけると、怒った顔で駆け寄ってきた。

「探したぞ! まったく、どうしたんだ?」

「えぇぇぇぇぇ?」

 俺は、アトリの後ろからヨロヨロと駆けてきたアヤメの方を見やった。

 アヤメは、いつも以上に感情を殺した顔をしていた。が、その端正な顔は汗だくで、ひどく目の下が青ざめている。

「まさかっ、俺たちをずっと探していたとか?」

「当たり前だ。皆で一緒に観ると言ったではないか!」


 アトリ、お前はどんだけ空気が読めないんだ。俺は絶望的な気分になった。

 アヤメは間違いなくアトリにイラついている。俺の配慮が水の泡だ。おまけにこの流れからいくと謝らされるのは俺の方?

「あぁー、それは悪かった。アトリ、アヤメ、申し訳ない。」

 俺は頭を掻きながらわびる。

 元々、さして舞に興味があったわけでもないアトリは、それ以上言いつのることはなかった。


 俺はヨヒョウにうながされ、コハギをアヤメに引き渡した。コハギはうれしそうに、母親代わりのアヤメのふところに飛び込んでいく。俺は、金子袋を取り出し、金貨を一枚つかんでコハギに差し出した。

「これで、精霊流しの舟を買うといい。」

 神殿まで来る途中、草の葉で作った舟を売っている屋台をあちこちで見掛けた。コハギたちにこれで家族の供養をさせてやりたいと思った。


 コハギは、アヤメの方を振り仰いだ。アヤメは、じっと金貨を見つめている。それを見ていたヨヒョウが、自分のふところから小さな四角い粒を取り出してアヤメに手わたした。

「草舟は、値の張るものでもありませんゆえ、私が買わせていただきましょう。」


 どうやら、俺の差し出した金貨は法外なものだったようだ。アトリはそんなやり取りには、いっこう興味なさげに俺にこう言った。

「では、送り火の夜に館で会おう。大叔父によろしくとな。」

 俺たちはあわただしく別れた。

 コハギは、アヤメに手を引かれてアトリの馬車の方へ、パタパタと去っていった。


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