表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第3章
44/45

第44話 蜻蛉玉

 光の森でのデートから数日後、ヒナギクがふらりとやってきた。

 高原で草をはむ牛の群れを、ぼんやり眺めていた時だった。

 薄ら曇りの高原を、濃い霧が目まぐるしく沸き立っては消えていく。

 ヒナギクは、近くを通ったのでちょっと立ち寄っただけだと言い、じきにどこかへ去った。

 ヒナギクの態度は以前と何ら変わりはなかった。

 だが、それがいっそう俺を不安にさせた。本当は何を考えてるんだ?

 正直、日増しに気まずい気分が強くなる。どころか、まったくもって、叫び出したいくらいの黒歴史な気がした。

 だから、都へ報告に上がるようにとイカルから知らせが来た時は、俺は飛び上がって喜んだ。ともかくはガズラの山から離れることができると。



 俺とコマドリは、定期便である荷馬車に便乗して上京した。

 山積みの干瓢かんぴょうやら十薬じゅうやくやらの積み荷の隙間に埋もれて、しかし、俺の頭はまたもや先日のコトを反芻し始めた。時間を巻き戻せるものならやり直したい、などと。

 仮にリセットできたとして、どうすべきだったかは未だにわからない。が、さすがにあれはないだろう。あれだけは。


 山岳地帯の街道が平野のへりへとくだり始めるあたりで、ふいに荷馬車が止まった。

 御者が誰かと話している声がする。俺は、思わず曙光あけみつを手元に引き寄せながら、積み荷越しに御者の方を見た。

 御者と話をしていたのは、どうやら、この付近の村の男たちのようだ。男たちが指さしている道の先に目をやると木橋が派手に損壊していた。

 損壊したのは、つい先ほどの出来事だそうだ。

 荷馬車を降り、橋のはなまで近寄ると、水かさの増した谷が見下ろせた。泥色の濁流が、今にも残っている橋桁はしげたまで吞み込みそうな勢いだ。


 御者が俺とコマドリに向かって声をかける。積み荷の他に乗っている人間といえば、俺たちだけだ。

「廻り道をするしかないようだけぇ。宿に着くのは深夜になるのぉ。」

 他の選択肢などなさそうだ。橋を渡っている最中に壊れなかっただけラッキーだった、と思うしかない。


 

 日が暮れてかなりな時間が過ぎた。

 灯火ランタンの油は、あとどれくらい持つんだろう。運の悪い事に今夜は月のない夜だった。

 さすがに疲れたな。

 何しろ、空腹だし、揺られどおしなので尻も相当つらくなってきた。

 何度目かのため息をついた時、頭の上で声がする。

「あぁ、やっとみつけた! けっこう探したよ。」

 闇の中に見慣れた顔が浮かぶ。クジャクだった。

 いつの間にか、クジャクが荷袋の山の上に座っていた。

「この数日、上流で大雨が続いたせいで川が氾濫している、この分じゃ橋が危ないかもと知らせに来てあげたんですけど・・・。」

 遅いワ! すでに、橋は壊れてたし、おかげで、こうして夜の山中を走るはめになってるし。

 事の終わった後で忠告されても、何の有りがたみもないんだよ! と心の中で悪態をつく。

 クジャクが顔をしかめた。そして、こう言った。

「何か問題抱えるとすぐ弱音を吐く男って、ダッサ!」

 ガキにたしなめられた。

 にしても、クジャクは、ダッサ!とか言う子じゃなかったよな。絶対、ヒナギクの口の悪さがうつってる。

 ヒナギク! 橋の崩壊騒ぎで、束の間忘れていたコトを思い出してしまった。

 誰にも知られたくないコトであり、ましてやクジャクには! だというのに、相手は心を読む術士だったんだ!

 遅まきながら、それに気づき動揺した俺は、クジャクに向かってまくし立てる。

「お、お前、俺の心を読むんじゃないぞ? んで、頼むからなんか言い終わったんなら、早く消えてくれ!」

 心外だと言いたげに頬を膨らませた顔が、闇の中に消えていく。

 何回見ても慣れない現象だ。

 静かになった虚空を凝視する。と、次第に後悔の感情が高まってきた。

 クジャクは何も悪くない。どう考えても八つ当たりだった。

 お前に言われるまでもなく俺は最低の男だ。

 自己嫌悪にかられて、俺は頭を抱えた。コマドリがいなければ叫び出すところだった。


 ようやく最寄りの宿場町にたどり着いた時、灯火ランタンの油がちょうど底をついた。



 早朝宿場を出発した荷馬車は、昼をずいぶん過ぎた頃、ようやく、ヨシュ川のつつみが見える辺りに達した。都までもう半時はんときほどだろう。

 その時、御者が悲鳴のような声を上げた。おいおい、今度は何だ?

 見れば、御者は両手を天に差し伸べ、祟りだ! みたいなことをわめいている。

 荷馬車の進むはるか先には都が見えた。都の中心部は丘陵の上にあり、その町並みは緩やかに下りながら川へと続く。

 ちょうど、ヨシュ川が大きな弧を描いてそんな都のへりと接するあたりには堅牢な堤がある、はずだった。だが今は無い。上流の小橋を損壊した濁流は、下流にも大きな影響をもたらしていた。

 クジャクらのお告げも、ここまでは見透とおせなかったのか、なんてことをチラリと思う。


 御者は、馬をむち打って荷馬車を都へ走らせた。普段は通らない都の北門(山手門)から市中へ入る。

 川沿いに近づくにつれ、泥に埋もれた家々が見えてきた。

 まだ水が引いておらず、一帯が田んぼ状態だった。生臭い泥の臭いが漂っている。

 御者が気遣わしげに、親戚の家があの方角にあると指さすが、近づくことは出来そうもない。

 やがて、舟が集められ、屋根の上などに逃げていた人たちを救出し始めた。

 暗くなり始めた頃、御者の親戚の者が無事だということが分かり、ようやく俺たちはその場を離れた。

 今晩、火の館へ行って最初にすることは、(帰館が遅くなった理由でもある)ヨシュ川上下流の水害の報告ということになりそうだ。

 その夜、俺が被災者への炊き出しを願い出たことを受けて、イカルは翌日以降、手持ちの兵糧米を提供してさっそく炊き出しをおこなってくれた。



 僧院のアトリの部屋は、蒸し暑かった。

 ヨシの部屋に比べると小さな窓しかない。

 高原の気候に慣れた俺には耐え難いものがあったが、アトリの白い顔は、いつもながら憎たらしいほど涼しげだ。

 普段、やつが我がもの顔に使っているヨシの部屋は、今日はヨシに来客が来ているとかで、使わせてもらえなかったらしい。

 アトリの部屋は、〈精霊〉の館から持ち込んだ唯一の家具だと思われる書斎机が、部屋の半分を占拠していた。

 僧院には不釣り合いな凝った造作のものだったはずだが、今はよく見ることができない。

机の上だけじゃなく、床から積み上げられている本のバリケードが机の側面をすっかりおおいつくしているからだ。

 これほど無秩序な有様なのに、本の背は同一方向で揃えてあって、一目で検索可能だったりする。

 何の気なしに近くの本に手を伸ばしたところ、思いっきり睨まれた。

 しかたなく、簡素なベッドに腰を下ろして所在なく窓の向こうの淀んだ空を眺める。


 山積みの本の向こうから、アトリの声がした。

「乳香樹脂油の製法だって! 図書倉のつかさに頼んで農作物に関する書籍を仕入れてもらったのはいいが、やれやれ、薬草の本ばかりじゃないか。」

 目下、アトリの関心は〈飢饉に強い作物を探すこと〉だという。

 あれだけ夢中になっていた世界地図も英語も、過去の話になっていた。飽きたというよりは、手持ちの書籍はコンプリートしてしまったという状況らしい。


 飢饉に強い作物か。確か、江戸時代に、甘藷かんしょが飢饉に強いということで、東日本にそれを広めた人がいた気がする。

甘藷かんしょとかはどうなんだ?この国ではもう作ってるのかも知れないけど。」

「カンショ?」

「イモだよ、サツマイモ。えっと、甘いジャガイモっていうか・・・。」

 アトリの目が点になっている。話が全然通じない。どうも野菜の名前がよくわからないのじゃないか?

 やれやれ、野菜の名前も知らない、アサガオ一本育てたことがないお坊ちゃまが農業問題に取り組もうとは。こりゃ前途多難だ。

 アトリがふいに話題を変えた。

「そういえば、ノスリから手紙をもらったぞ。」

 誰だっけ。

 俺は首をかしげた。

 そんな俺を見てアトリがこう言う。

「大叔父だよ。去年の夏、お前が山のいおりまで会いに行ってくれた・・・。」

「お、おおっ、なんと!」

 なんと、あのノスリと接点が持てたのか。よかったじゃないか! ぜひ一度会いたいもんだな。

 アトリが、植物図鑑をペラペラとめくりながら、話を続ける。

「詳しい経緯いきさつは知らないが、ヨシ師匠は、少し前からノスリと連絡を取ってきたらしくて、つい二日前だったが、ヨシ気付けで私への手紙がきたのだ。元気にしているようで何よりだ、こちらも元気にやってる、といったようなしょうもないことが書いてあったな。で、そのノスリからお前への伝言だが、魔刀使いのカガヤによろしくとさ。確か、弟子のクジャクを頼むとも書いてあったな。いったい、ノスリとは、いつ、どこで知り合ったのだ?」

「・・・。」

 今、アトリのやつ何て言った? 確か、弟子のクジャクがどうとか・・・。

「ぬえええっっ!」

 俺の素っ頓狂な叫び声に、アトリが、非難がましくピクリと眉を吊り上げた。

 何と何と! 衝撃スギる事実だ。

 あの路上生活者のような男がアトリの大叔父だったとは。

 それにしても、あの姿をアトリが見たら、さぞビックリだろうな。元貴族の面影どころか、文明人の片鱗さえ消え失せていたぞ。

 それはそうと、ノスリも俺のことを分かっていたんなら、名乗ってくれればいいのに。

 いずれにせよ、アトリはまだ大叔父を見たことがないわけで、したがって、俺とこの驚きを共有することは出来そうにない。

 だから、差しあたり、差しさわりのない話をしておくことにした。

「えっと、ノスリが蛇を操るのを見たゾ。」

「へえ。」

 アトリが図鑑から顔を上げた。声に少し熱がこもった。

「じゃあ、噂はやはり本当だったんだな。動物と話ができるという。」

「だな! おまけに操れる!」

「そうか。」

 が、予想に反し、アトリの反応はあっさりしたものだった。俺はもう一度、たたみかけてみる。

「な、なかなかのわざだったぞ?」

「うん、〈精霊〉のわざが、お国の役に立ったのだな。うれしく思うよ!」

 アトリはにっこり笑ってそう言ったが、やはり、盛り上がりに欠ける。すでに視線は、机上の本の山に注がれていた。

 ・・・・・・。

そう。目下、アトリの関心は〈飢饉に強い作物を探すこと〉だったっけ。

 アトリのやつ、もしかして、ガチで腹すかしてるんじゃないのか? と気を回す。

 痩せて大人びてきたアトリの横顔を眺めながら、俺は真剣にそう心配した。

まあ訊いても、そんな事はないと言うだろうから聞く気もないが。俺を心配させないためとかじゃなくて、眠いとか空腹だとかという人間の基本的な欲求に、やつが異常に鈍感だという理由からだ。


 いつの間にか、窓から赤い夕日がしていた。

 そろそろ帰る時間だったが、何やらやり残した感がある。

 今日は、会えないのだろうか。

 僧院を訊ねる理由の半分は、いや、もしかしたら半分以上は、それだと認めよう。

 往生際の悪い俺は、意を決して話を振ってみることにした。でも、ダイレクトな訊き方が出来るほど勇敢にもなれない。だから、持って回った振りをしてみる。

「それにしても、汚い部屋だな。掃除をしてくれる人間はいないのかな。」

「僧院の私室は、自分で掃除しなければいけないという規則を、お前も知っているだろう。」

 図鑑のページをめくりながら、アトリが面倒臭そうに答える。

 しばらく躊躇したあと、俺は、出来るだけさりげなく切り出した。

「・・・ユリ、は、お前の世話を焼いたりは、してくれないのか。」

 アトリが怪訝な顔で俺を見上げる。

「なんでユリが私の世話を焼かなきゃいけないのだ? 私は子供か? それよりも何よりも、自分の部屋に気を使う他人を入れるなんて冗談じゃない!」

「だ、だよな!」

 いや、そうじゃなく・・・。

 なんというか、ユリがアトリの部屋に来ていない事実を知って、思わず顔がニヤついてしまう俺がいた。

 

 アトリに別れを告げ、僧院の外に出た。

 建物の上には赤い空が広がり、黄昏の玉砂利道に〈風〉の塔の黒い影が落ちていた。

 そして玉砂利道の先には、誰あろう、ユリが立っていた。

 ユリは俺を見ると、手を左右にバタバタ振りながら、

「あわわぁ? 偶然ですねぇ! ホント、偶然ですねぇ!」

 と叫んだ。

 何をそんなに慌ててるんだ?

 夕風が頬をやさしくなでて吹く。

 さっきまで暑苦しくよどんでいた時間が、サラサラと流れ始めたような気がする。ずっと感じていたユリとの間の見えないベールまでが、するりと溶け落ちていく。

 通り過ぎ際に、俺は手を伸べてユリの手を握った。ほんの握手のつもりで。

 うっ、柔らかい! 想定以上だ。

 気がつけば、俺はその手を自分の胸元に引き寄せていた。

「うわぁっっっ、◇%△○$□!」

 ユリが何やら叫びながら、後ろに飛び退すさった。

「何するんですか!」

 ユリはそう言い捨てると、肩を怒らせて去っていく。

「あ。」

 やっちまった。 

 俺はユリに払い除けられた自分の手を見つめる。穴が開くほどじっと見つめる。

 うっかり・・・逢魔おうまが刻にあおられた。



 俺は宿にしているアヤメの店の前に立っていた。

 この界隈は、おしゃれげな店が軒を連ねていて、日中はなかなかの賑わいだ。が、暗くなってまでやっている店はというと少なかった。

 その中に、間口が畳一枚半ほどの小さな小間物屋があった。揚げ見世みせと呼ばれる縁台状の棚に、螺鈿らでん珊瑚さんごで作った髪飾りやネックレスなどを並べて売っていた。

 若い夫婦が営んでいるらしく、揚げ見世みせの横で女が店番をし、店の奥では男が売り物を作っている様子だが、時々立ち止まって眺める人はいるものの買い求める客はいなかった。

 アヤメの店の前で、それをしばらく眺めていた俺は、揚げ見世みせに近づいて髪飾りを指さしながら値段を訊ねた。思った以上に高額だった。そんな金は持ち合わせていない。

 店番の女が、蜻蛉とんぼ玉の根付けを指さしながら、こっちはお手頃な値段だと言う。

 俺は、北の海での出来事を思い出していた。あの時、〈ウミツバメ〉の郎党がクジャクのことを伝説の〈お告げカモメ〉と思い込んだおかげで、郎党らとの距離がぐっと縮まった。あの時の礼がしたいと思っていたし、それに、きのうの詫びもある。

 明日、都を発つ前に、クジャクへの土産に蜻蛉とんぼ玉でも買ってやろう。

 

 アヤメの店に帰った俺は、そのまま目立たぬように厨房を抜けようとした。

 しかし、アヤメは俺を見かけると、仕事の手を止め、精霊の館にいた時と同様に深く腰を折ってこう言った。

「お帰りなさいませ。」

 他の同居人たちも、一斉にお帰りなさいとかお疲れ様でした~などと挨拶をくれた。

 それどころか、風の僧院へ出掛けている間、店に残していったコマドリまでがお帰りなさいと俺に言ってきた!

 考えてみれば、俺は奴から初めて挨拶を受けた。しかもしかも、ぎこちなくではあるが笑ってさえいるような。

 俺はコマドリを二度見する。いったい何が起こったんだ? 不気味すぎるだろ!

 しかし、コマドリは、既に俺に背を向けて皿洗いに戻っていた。

 アヤメに何か言われたんだろうか。もしかして、ここの誰かに恋でもしたのか? 何しろアヤメを始め、(山賊に売り飛ばされそうになっていた)ここの娘たちは美人揃いだしな。

 しばらくあれこれ考え回してみたが、結局、何がなんだか分からない。

 まあ、良いか悪いかといえば良い出来事なんだろうから、ここは素直に喜んでおこう。


 アヤメの店では、このところ酒を供するようになっていた。そのおかげで、経営が安定するようになったが、そうなると閉店時間は深夜に及んでしまう。

 この日も最後の酔客が帰り、店の片付けをし終えた頃には、アヤメたちはすっかり疲労をにじませた顔付きになっていた。

 皆の近況など訊ねたいところだが、さすがにはばかられた。俺は、アヤメに気を使わせないよう早々にあてがわれた部屋に引き上げた。


 イカルからの火急の知らせがアヤメの店に届いたのは、皆が寝静まってじきのことだった。

 なんと、刀匠の里で重大な事件が起きたという。しかも、そのとばっちりで、イネの末娘のコハギが死にかけているという内容だった。

 それを受け、俺とコマドリは取るものも取りあえず山へ戻ることになった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ