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【完結】『その色、ドスケベ人妻ランジェリーパープルですわよ?』と義妹に笑われましたが、三百年ぶりに蘇った王家の色でした  作者: 木風


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第一話 ドスケベ人妻ランジェリーパープル

「――まあ、お義姉様。今夜はそのドレスで行かれるの?」


 姿見の前に立った私の背後で、義妹のリゼットが甲高い声を上げた。

 振り返らなくても、その顔に貼りついている表情はわかる。

 心配そうに眉を寄せて、口の端だけがどうしても持ち上がってしまう、あの顔だ。


「ええ。何か問題でも?」

「問題だなんて、そんな。ただ……ふふっ」


 リゼットは扇で口元を隠した。

 隠す気があるなら笑わなければいいのに、と私は思う。


「わたくし、最近平民街で流行っている言葉を仕入れましたの。とっても最先端で、都会的で、お義姉様みたいに古い染物のことばかり考えている方はきっとご存じないでしょうけれど」

「そう」

「その色ね」


 義妹は扇の先を、私のドレスの裾に向けた。


「――ドスケベ人妻ランジェリーパープル、と申しますのよ」


 侍女が小さく息を詰め、私は瞬きを一つした。


「なんですって?」

「あら、聞こえませんでした?ドスケベ・人妻・ランジェリー・パープル。人妻が閨で着る下着の色、という意味だそうですわ。まさにその色でしょう?どんよりと重たくて、湿っぽくて、若い娘が着るには年増くさくて。十九にもなって嫁ぎ先も決まらないお義姉様には、お似合いかもしれませんけれど」


 くすくす、と鈴を転がすような笑い声。

 リゼットは十七歳で、この国の社交界が理想とする淡い金髪と水色の瞳を持っている。

 今夜の彼女は空色のドレスだ。

 流行の型で、レースは新品で、宝石は継母が父の金庫から出させたものだった。


「殿下の御前でその色を晒すおつもり?ヴァレンティア伯爵家の恥ですわ。わたくし、お義姉様のためを思って申し上げているのよ」

「ご忠告どうも」


 私は姿見に向き直った。

 鏡の中の女は、深い深い紫のドレスを着ている。


 夜明け前の空の色。

 あるいは、熟れきった葡萄の底に沈んだ影の色。

 光の当たる角度で赤みが差し、離れると黒に沈み、また近づくと内側から仄かに紫が滲み出す。


 母が、十四年かけて追いかけた色だ。


「……ねえ」

「はい、お嬢様」

「髪を上げて。全部。うなじが見えるくらい高く」

「よろしいのですか。今夜は伏し目がちに、控えめにと奥様が――」

「上げて」


 私の声が、自分でも驚くほど平坦だったのだろう。

 侍女は慌てて櫛を取った。


 リゼットが私の様子を見ると、鼻を鳴らし部屋を出ていく。


 扉が閉まってから、私は長く息を吐いた。

 腹の底で、何かが静かに、しかし確実に燃え始めていた。


 ヴァレンティア伯爵家は、この国では珍しい成り上がりの家だ。


 曾祖父の代までは染物商。

 王家に納めた織物の質が認められて男爵位を賜り、祖父の代で子爵、父の代で伯爵になった。

 血ではなく色で爵位を買った家、と陰口を叩かれることもある。


 私の母ソフィアは、その家に嫁いだ職人の娘だった。


 母は染色に取り憑かれた人だった。

 特に、王城の大回廊に掛かる一枚の肖像画――建国王妃アルデシアの纏う、深い紫のドレスに。


「あの色はね、エルヴィラ。もう誰も出せないの」


 幼い私の手を引いて、母は何度も王城の見学に通った。


「三百年前に途絶えた染めなの。『宵闇』というのよ。記録には、貝と、月と、火を使うと書いてある。それだけ。でも私、絶対に取り戻してみせる」


 貝と、月と、火。


 母は工房に籠もり、南方から取り寄せた貝を煮て、月光に晒し、灰汁と鉄と草木を組み合わせては失敗を重ねた。

 試し布は千を超えた。

 父は最初こそ面白がっていたが、やがて金食い虫だと言うようになった。


 母が死んだのは、私が十二の冬。

 最後の一年、母は寝台の上でも布を握っていた。

 息を引き取る三日前、母は震える手で私に一冊の帳面を押しつけた。


「……あと少しなの。媒染を、二度に分けて。一度目は満月の夜、二度目は新月の夜。それだけなのよ、エルヴィラ」


 そして母は逝き、半年後に父は継母マルグリットとその連れ子リゼットを家に入れた。


 私は工房を守った。

 使用人を減らされ、予算を削られ、部屋を屋敷の端に移されても、母の帳面だけは離さなかった。


 十二から十九まで、七年。


 ――そして半年前の秋、私はついに、あの色を出した。


 満月の夜に一度目の媒染。

 新月の夜に二度目。

 間の十五日間、布を水に沈めておく。


 母の帳面の最後の頁に、震える字で書かれていた通りに。

 引き上げた布は、夜明け前の空をそのまま織り込んだような色をしていた。

 私は工房の床に座り込んで、声を上げて泣いた。


 そのドレスを、私は今日、初めて着ている。

 母が死んで七年目の、この夜に。


 ――それを、あの子は。


「お嬢様。髪、結い上がりました」


 鏡の中の私は、うなじを晒し、紫を纏い、まっすぐ前を見ていた。

 怒りというものは、極まると熱ではなく冷たさになるのだと、その時初めて知った。


「母様の耳飾りも出してもらえるかしら」

「……はい!」

「馬車を回して。今夜は、遅れずに行くわ」

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