一難去ってまた一難
川辺で無事解体を済ませ、諸々全部荷台に乗せて意気揚々と家に帰って来ると
「君はどれだけ私をびっくりさせれば気が済むんだろうね?」
「そういうつもりは全くないんですが……」
呆れ顔のトライン様が待ち構えていた。
ちなみに今は、皮を鞣すための準備中だ。
その道具も複製で作り出したんだけど……
「なんなのその出鱈目な複製」
「ひどい言われようですねぇ」
「じゃあ聞くけどね、『複製』の意味わかってる?」
「まぁ、一般的によく使われる意味では」
女神様も制約のある3Dプリンターって言ってたし。
そう言うわたしに、トライン様は半泣きの顔を向けた。
「そうだよ? あくまで複製なんだよ? どうしてこの場に現物がない物が創れるの。しかもさっき変に大きな魔力の動きがあったからって慌てて来てみれば、地形変えちゃってるし」
「それに関してはわたしも心臓止まるかと思いました」
「止めちゃだめだからね? というか君の心臓まだ止まらないからね?」
「あ、はい」
こっちに来て1日やそこらで死んでたまるか。
それにしても、そうか。
複製がとんでもないんじゃなくてわたしがとんでもないのか。
……それはそれでへこむなぁ。
まるでわたしが人じゃないみたいに思えるじゃないか。
頭を過ったその言葉に、自然に手が止まって、俯いてしまっていた。
そのわたしの頭を、トライン様がいつものようにぽんぽんと叩く。
……なんだっけこれ。
頭ぽんぽんって、確かイケメンにされたいことのベスト5とやらに入ってたような気がする。
そしてトライン様もイケメンと言われる部類に入る。
などと考えてしまった結果、急に気恥ずかしさで顔が上げられなくなった。
それをどう勘違いしたのか
「まぁ、君の発想力も制御能力同様にかなり柔軟で高い質であることがわかったね」
などと言って、今度は普通に頭を撫でた。
や、あの。
居た堪れなさで余計に顔あげられなくなるんですけど。
だけどわたしもわたしだ。
神様の博愛の情にいちいちドキドキしてたら身が保たないでしょうが!
向こうの世界……もうめんどくさいな、前世でいいや。
わたしは前世で『縁を結ぶことができなかった』と女神様は言った。
それはつまり、深いお付き合いや結婚が出来なかったことを指しているんだと思う。そういう雰囲気になった人が全くいなかったというわけではないのだけれど、どうにも長続きしなかった。喧嘩をしたとかも特に無いのに、なんとなく連絡が途絶えがちになって、いつの間にか終わっているのだ。
本当に、いつの間にか。
毎回そうだというのに、わたし自身、それを不思議に思っていなかった節もある。
言い訳にしか過ぎないけれど、つまるところはっきり言って男性に免疫がない。
だからこういうことにドキドキしても仕方がないと思うんだ。
……でもねぇ。
相手は神様だし?
イアル様からくれぐれもお願いされてるからだっていうのもわかってることだし?
いちいち反応するのも、それはそれで、ねぇ……。
ああ、そうか。
博愛の情、無条件の親愛。それって家族愛みたいじゃないか。いや家族だからと無条件に愛情があるわけじゃない例も知ってるけど、今はちょっと置いといて。
ともかく家族愛だというなら、もう記憶にも残ってない父に撫でられてると思えばいいんだ!
うむ、我ながらナイスな発想の転換。
だってそれなら安心できる。この温もりに、ただ甘えさせてもらうことができる。誰かに甘やかせてもらうなんてこと、無かったから。
そう思うと、急に肩の力が抜けた。
「ん? どうしたの?」
首を傾げるトライン様に微笑み返す余裕すら生まれるんだから、本当にひとの心というのは面白い。
「いいえ。そういえばですね、さっきこのイノシシ運びながら、もう1個だけ貰っておけばよかったなって思ったものがあるんですよ」
「へぇ?」
「この世界にあるのかわかりませんけど……」
そう前置きして、さっき思ったことをそのまま言ってみる。
「ああ、近いのはあるね」
「あるんですか?!」
「ここでは異次元ポケットって言われてるんだけど」
聞いた瞬間、耳のない青い猫型ロボットを思い浮かべたわたしは悪くない。たぶん。
「これがまた便利でね。何しろ取り外し可能なポケットだから」
やっぱり猫型ロボットの……
「容量は変えられないけど大きさはある程度変えられるから、その日の服装に関係なく持てるんだ。貴人なんかはほら、持ち物に制限があることも多いでしょう?」
まあドレスに鞄は持たんだろう。男性もポケットがあるにせよ限度はある。
「鞄タイプの物の方が容量大きいから、そっちを持ってる人が多いけどね。もしかするとこの世界の物は君が思っているよりも便利かもしれない」
「はー、なるほど。……いくらくらいするんだろ」
顎に手を当てて考えだした私を、トライン様は面白そうな顔で覗き込む。
「君さ、自分がもっととんでもないことやらかしてるって自覚ないの?」
「はい?」
「地形変えたり、目の前にない道具を作り出したり、そんなことできる君なら、作れるんじゃないの?」
そんな無茶な。
「この服もそうですけど、わたしが作り出せたのは、わたし自身が構造や作り方をよく知っている物ばかりです。まぁその、道に関しては本当にどうなってるんだと思いましたけど、それだってほぼ毎日見て通って、見慣れた場所でしたし。トライン様もおっしゃったじゃないですか。イメージが細かく具体的であればあるほど精巧に複製できるって」
「うん、だから普通は目の前の物を見ながらでないとそこまで細かくイメージを落とし込むことなんてできないんだけど」
「……わたし、普通じゃないんですね」
わかってる。
だって言われたじゃないか。
わたしは『普通でいい』って言ったけど、きっと女神様は、元々わたしが持っているんだから、それが普通じゃないとか問題があるとかなんて思ってなかった。
望んでこの魔力を手に入れたわけじゃないし、知らず与えられたというものでもないけど。
やっぱり変に高い能力なんて持つもんじゃないな。
「……ごめんね」
ふ、と視界が暗くなって、トライン様の額がわたしの額に重なる。
至近距離で見つめたその顔はやっぱり綺麗で、きらきら光る若草色の瞳に見つめられて、また心臓が跳ねた。
「言い方が悪かったね。これではシディルのことを言えないな」
「……いえ」
首を振ると、苦笑が浮かんだ。
そう、わかってはいるんだ。
だってトライン様は、どこまでいっても神様だ。
人の心の機微に疎くたって仕方がない。それなのに、こんな風に気にさせてしまうわたしの方がきっとおかしい。
「大丈夫です。そもそも異世界から来たんですから、普通であるわけがないんです。わたしこそ、気にさせてしまってすみません」
そう言って、きゅっと口角を上げる。
どんな時でも、笑う。その笑顔がどれ程歪でも。笑ったら、笑えたなら、わたしが負けることはない。
それを見たトライン様が、顔を顰めた。
「君は本当に……」
「え?」
「昨日言ったばかりでしょう。押し込めすぎだって」
「そう言われましても」
そんなつもりは毛頭無いだけに、困惑するしかない。
「私はね、君のそういうところを見るのがとても辛い」
「……どういう意味でしょう」
「わからない」
「は?」
「理由も意味もわからないけど、辛いと思うんだ」
ええと。
本人がわかっていないことを言われましても……。
困惑するわたしを見つめたトライン様が、重い息を吐いた後、口を開いた。
「昨日、あの後シディルと話してたんだけど、君、結構若い時に向こうで輪廻の輪を無くしたでしょう」
「若いというか、わたしのいた国では子どもといわれる年の頃ですね」
「うん。それでね、寿命って言うのは輪廻の輪を紡いで消費されて、紡ぎ切ったら輪が回るっていうのは聞いてるかな」
「はい。女神様に教えていただきました」
「だけど君はその命の行先のないまま生きてきた。消費されなかったものが君の中に貯められて、それがここにきて魔力として発現したんじゃないかって」
「……えっと」
話が飛び過ぎてついていけない。
「命というものはとても純粋で、だからこそ凄まじい力を秘めている。次の生を作るはずのその力がそのまま身の内に残っていたとしたら、それはどれ程の強さになるだろうね」
「……さぁ」
「そうだね、それは誰にもわからない。だって前例がないことなんだから。……君は何もかもがイレギュラー過ぎて、正直に言うと何が起こるのか、どうなるのか全くわからない。逆に何が起きても不思議じゃないと思ってしまうほどにね」
「……神様、なのに?」
たどたどしく口をはさむ。
「何度も言うけど、多少できることが多いだけで、私は君達とあまり変わらないよ。何でも知っているわけではないし、万能の力なんてものを持っているわけでもない。それがあれば、君をこんなに悩ませずに済むだろうにね」
自嘲めいた笑みを口元に刷くトライン様。
ひょっとするとこの方は、わたしよりもわたしのことで心を痛めてくださっているのかもしれない。
神様に、こんな表情をさせてしまうなんて。
……ああ、それもそうか。だって最初に言われた。
『この世界に生きるのだから、私の子も同然だ』って。
自分の子を心配するのは普通のことだ。
だけど、誰も、まさかわたしがこんな問題児だなんて思ってもみなかっただろう。
異世界へ渡るだけのはずだった。女神様だってきっとそれくらいに考えてたはずだ。
だけど実際は……
ふいに、ありがたいとか申し訳ないとか哀しいとかなんでとか、とにかくいろんな気持ちがごちゃ混ぜになってせりあがる。
なんでわたしはここにいるの。
なんでわたしはこんな力を持っているの。
……なんでわたしは、ここに来たの。
せりあがった気持ちがそのまま、瞳から零れ落ちた。
「え?!」
トライン様の焦ったような声が聞こえたけれど、わたしの瞳からは雫が溢れ続ける。
なぜか足元から、コロン、と何かの落ちる音が聞こえた。
「ちょっと、待って! 落ち着いて……!」
声は聞こえるけれど、言葉の意味はもう理解できなかった。
どうして
どうして
その言葉だけが頭を埋め尽くし、意識が遠くなる。
自我が溶けていく。
わたしは……何なの。
意識が消えかけた、その時。
「ああもう…! 織葉!!」
叫ぶように耳元で名前を呼ぶ、どこか響きの違う声。
きつく体を抱きしめられる感覚。
急速に意識が戻って来る。
「織葉、ごめん。不安にさせてごめん。だけど、消えないで」
……きえる?
「まだ君はこの世界に馴染きっていない。なのに今、自分の存在を否定した。存在を否定された不安定な自我は、消滅してしまう。君が無意識だったのはわかってる。だけど、お願いだからそんなことしないで……!」
「・・・」
口を開いては見たものの、声が出ない。
ひゅう、と吐息が漏れた。
「織葉。ねぇ織葉。自分で自分を殺してしまわないで。イアルに頼まれたからとかじゃなくて、私自身がそう願うんだ。お願いだから、信じて、織葉。私が信じられないなら、あの子達や織葉自身を信じて」
繰り返し繰り返し、何度も呼ばれるわたしの名前。
ゆるりと瞼を上げると、今にも泣き出しそうに黄金の瞳を揺らすトライン様が見えた。
「とらいん、さま……」
うまく声が出せなくて、子どものような舌足らずの口調になる。
その時感じていたものを、なんと言えばいいのだろう。名前を呼ばれる度に、体が重くなるというか、錘が結び付けられるというか、そんな、不思議な感覚。
胸元に深く抱き込まれて、そのぬくもりに力が抜けていく。
完全に力が抜けて、くったりと体を預けきった時だった。
「……ごめん織葉。もう、君を逃がしてあげられない」
苦悩に満ちたトライン様の声が鼓膜を震わせた。
「……え?」
逃げる? わたしが? どこへ?
「逃げる……」
「さっきまで、君の魂は不安定ながらも自由だった。それこそ、望めば消滅だってできるくらいにね。だけど、私が名前を呼んでしまったから。これで君は、この世界に居る限り私にその命を握られてしまった。もう消えることもできない。……本当に、ごめん。でも、禁を犯してでも、私は君に居て欲しかった」
ああ、それでさっき……
「結び付けられるような感覚がしたのは、だからなんですね」
思ったより、冷静だった。
……契約の時以外、はっきりと名前を呼ばなかったのは、そういう理由があったんだ。
声の響きが違って聞こえたのは、きっとそういうこと。
はっとしたように、トライン様がわたしを見つめた。
「気付いたの?」
「……はい。名前を呼ばれる度に、糸が絡みつくみたいな、何かを結び付けられるような感じが、したんです」
目を瞑って、口角を上げて、胸元に頭を凭せ掛ける。
「いいんです。わたしはこの世界で生きていくって決めてましたし。女神様とも約束しましたし。……この世界を選んだのは、わたしですし」
この世界と結び付けられるのは、別にそんなに問題じゃない。
そう思いながら目を開けて、わたしよりもずっと苦しそうな顔のトライン様を見上げると、若草色の瞳が、わたしの本心を探るように見つめていた。
相手が神様であることを忘れて、手を伸ばす。
そっと頬に触れると、ぴくりと体を震わせた。
「織葉?」
名前、まだ呼んでくれるんだ。
「絶対に独りになることがなくなった、って考えたら、それもいいと思うんです」
わたしはうまく笑えてるかな。
目の前のトライン様が、泣き笑いのような表情を浮かべた。
とりあえず笑ってくれたことに安心して、周囲に目を向けて……
驚きのあまり、トライン様の胸倉をつかんでしまった。
「と、トライン様、何ですかこの石ころというか玉っころというかは?!」
「……君の、魔力だと思うよ」
ものすごく疲れた顔で、ため息をつくトライン様。
「はい?!」
「これで、図らずも昨日の仮説が証明されてしまった。これらの珠はさっき君が泣いた時、涙の代わりにあふれてきたんだ。……どこからどう見ても魔力の結晶体がね」
「……っ」
なにそれ人魚姫の涙じゃないんだから。っていうかいよいよ人間離れしてきてない?!
「この珠の分、君の寿命は縮まってしまったかもしれない。ひとまず私が預かっておくよ。還せるならその方がいいだろうし、還せなくても何かの形で身に着けておく方がいいだろうし」
「あ、はい。お願いします」
一も二もなく答える。
餅は餅屋。
取扱いに慣れているひとの元へ預けるのが一番だ。
しばらくして
「ただいまー! ねぇねぇ織葉さん見て、大漁! あとね、すごく綺麗な石見つけたよ!」
「おかえり雪花。おお、確かに大漁だねぇ」
わたしが皮の処理をする間に、川で魚が釣れるか試してもらっていた雪花が帰ってきた。
何とか体が動くようになっていたわたしは、さっきの出来事を気取られないようにゆっくり動く。
嬉しそうに笑う雪花と、思った以上の大漁に笑顔を返すわたし。
だけどそんな暢気なわたし達を後目に、トライン様は『それどころじゃない』と言いたげな表情で、食い入るように雪花の手元の石を凝視している。
「ティン、お前これ、どこで見つけたって?」
「そこの川ですよ? 最初魚の鱗が光ったのかなーって思ったんですけど、どうも違うっぽかったから、潜って拾ってきちゃいました」
雪花の差し出したその石は、どこかで見た……正確にはついさっき見たばかりの物にそっくりだった。珠ではなく、本当に普通の石ころのような歪な形をしていたけれど。
「こんな所に有るはずがないんだが……」
「はい?」
「精錬前の魔晶石は、限られた鉱山でしか発生しない。間違っても、こんなところの川底なんかにあるものじゃない」
「で、でもっ! 本当に僕そこの川で!」
「わかっているよ。お前が嘘をついてるんじゃないことくらいはね」
うわー……。ヤな予感がひしひしと……。
「悪いけど、また昨日のところへ来てもらえないかな。今度は長くなるかもしれないけど」
「ええと、別にそれは構わないんですが、ルチルが……」
「それなら問題なさそうだ」
ほら、と指さす先には全力で駆けてくる黒猫の姿。
「主……っ、織葉殿!」
悲鳴のような声は、初めて聞くものだった。
「ルチル、どうしたの? 何かあったの?」
「それは我の言葉だ!」
「ふぇ?」
「街へ向かっていたら突然織葉殿の気配が薄れたから……! すぐに戻りはしたが、気になって仕方がないので帰ってきたのだ。何事もなかったのだな?!」
ああ、なるほど。
「ありがとう、大丈夫だよ。トライン様も居たしね」
そう言うと、微妙に答えになっていないことに気付いたのだろう。ルチルが半眼になって雪花の方を向く。
「ティン、本当か?」
「僕も感じたけど、すぐに元に戻ったし、トライン様居るから任せていいかなって。織葉さんに頼まれたお仕事の途中だったし」
「仕事、とは?」
「魚釣り。大漁だったんだよー」
その瞬間、ルチルが雪花の脛に嚙みついた。
「痛いよルチルさん!」
「やかましい! これでは駆け戻ってきた我が馬鹿みたいではないか!」
「いや、戻ってきてくれて丁度良かった」
「……理由を伺ってもよろしいか」
「少々事情が変わった。この子を私の神殿に連れていく」
二人がきょとんと首を傾げる。
そりゃそうだ。
昨日の時点では、わたしはここを拠点にして第二の人生を謳歌するはずだったんだから。
「なぜ」
「どうして?」
その疑問ももっともだ。
「説明は、向こうでする」
そう言ってわたしを抱えて立ち上がろうとしたトライン様は
「待って! 肉と魚と皮の処理が済んでない!!」
わたしの絶叫に、崩れ落ちた。
雪花、実は一度戻って来てます。
ただ、トラインが織葉を抱きしめてる時だったので、そのままUターンしただけです。
空気の読める良い子なのです。
お読みいただきありがとうございました。