33
静寂に浮かぶ歌声
それから数日。
「今日もダメかぁ……」
わたしはまだ、大人の姿に戻れずにいた。
少しずつ大きくなってはいるのだ。
初日の完全幼児からは翌朝には脱却して、今は14~5歳かな。
1回の成長は2~3歳ずつっぽくて、毎日成長している訳では無いとはいえ、もう少しの辛抱だと思いたい。
「おはよう」
「おはようございます」
「ああ、今日もまた成長してるね」
「でもまだ元に戻れてないです」
「そうみたいだね」
しょんぼりするわたしとは裏腹に、にこにことどこか機嫌のいい男性陣。
「……なんかみんな嬉しそうだよね」
「そりゃあ……」
「ねえ?」
「うむ」
何?
「君の成長を間近で見守っていられるんだよ?」
「大人の織葉さんしか知らなかったし、ここには当然アルバムなんてないし、それなのに子供の姿どころか成長していくのが見られるんだから」
「「「嬉しくないわけがない」」」
……わたしの感情はどうすれば?
思わず眉間に皺が寄る。
紫の上計画ってのはどの世界でも有効なんだろうか。
「何か言った?」
「いぃえぇ、別にぃー」
全力で含みを持たせた否定をしてみる。
気付いていないはずはなかろうに、トライン様はわたしをひょいと抱き上げて頬にキスをした。
「ひとまず朝食にしようか。その後で、今日は何をするか考えようね」
言い返そうと口を開きかけた、それよりも早く。『朝食』という単語に反応したのか、くぅ、とお腹が自己主張した。
なんてタイミング……。
聞こえたのだろうティンが、にっこりと笑みを深くした。
「食べ盛りの年齢だもんね。座って織葉さん。トライン様も」
「我も手伝おう」
「ありがとう。じゃあ、そっちのパン籠とスープお願い」
「わかった」
今のわたしが台所に立つのはあまりにも危なっかしいって、ここ数日はティンとルチルが交代でごはんを用意してくれている。
ふたりともすっかりこちらの台所に慣れて、淀みなく手の動く様は、とても堂に入っている。
「織葉、ひとりで座れる?」
トライン様、まだそれ聞くの?
「ちゃんとひとりで座れますから」
「えー」
だから『えー』じゃねぇ。
「ちゃんとテーブルに届きますから、大丈夫ですってば」
最初はテーブルに顎が乗っかるくらいの座高しかなかったので、トライン様の膝の上に座らされたのだ。
そのまま『あーん』までされそうだったのは、断固として拒否したけどね!
今は分厚い座布団とふかふかクッションの背もたれで、一人で座っても大丈夫になっている。
……いや、うん。正直に言おう。
身長はもう、大人の時とあんまり変わらない所まで伸びている。5〜6cm程度しか変わらない。もっとも、それが以外に大きいのだけれども、まあ、つまり、わたしの椅子が、そもそもこういう仕様になっているのだ。
だってテーブル低くしたらわたし以外の全員が使いにくくなってしまう。
なので、わたしの椅子は危なくない程度に座面を上げた上に座布団とクッションでさらに嵩上げし、他の椅子は少し低い目にしてあるのだ。
……複製使ってみたら、なぜか子供用の椅子ができてしまったので、苦し紛れにそういう手段をとったとも言う。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
「お粗末様でした」
食べ終わって手を合わせた所に、ルチルがすいっとお茶を差し出してくれる。
手慣れた感があるのに雑ではない。流れるような、という例えがしっくり馴染む、そんな手つき。
「あ、さっぱりしてる」
「ミントとベルベイヌで淹れてみたのだが、口に合ったなら良かった」
「なるほど」
この世界の砂糖では雑味が強くなってしまうから、と花蜜でつけられた仄かな甘味。
ハーブティのさっぱり感を損なわず、かつ風味を際立たせる、絶妙な甘さ。
ルチルの淹れるお茶は、正に『絶品』と呼ぶに相応しいと思う。
「ん、美味し」
「昨夜は少し暑かったから、さっぱりしたものがいいかと思った」
「そこで安易にアイスティに走らないのがいいね」
「身体を冷やしすぎるのもよくない」
「その通りだけれども」
「それに織葉殿は冷たいものをあまり好まぬだろう?」
なぜ知っている。
いやもちろん嫌いでは無いよ?
夏の野外作業の後に飲むキンキンに冷えた麦茶とか至福だと思うし。
うん? そこはビールじゃないのかって? いやビール苦手だったんだよ。
「よくわかったね」
「風呂上がりですら冷たいものにあまり手が伸びぬのだから、気付いて当然かと」
それを当然とか言っちゃうんだ。
なんだこのよくできた執事は。あ、侍従って言ったっけ?
「そういえば、ねぇルチル」
「なんだろうか」
「執事と侍従の違いって、なに?」
「大まかに言えば、執事は内向き……家内を取り仕切り、監督する者を指す。主の仕事の補佐をこなすこともある。侍従は本来は主に仕える者の総称なのだが、その中でも側近というか身の回りのことを行う者を指して言うことが多いと思われる」
「その正しい意味で言うと僕も侍従ってことになるんだけど、僕みたいなのは『下働き』って言ってたんだ」
口を挟んだティンに、ルチルが微妙な表情を向ける。
「区別して呼び分けてなどいなかった筈だが……」
「逆だよルチルさん。僕たちが、上位チームと区別するために自分たちをそう呼び習わしてたんだ。いつの間にかそれが広まってただけで」
「なぜその様なことを?」
「畏れ多いから。女神様を直接お世話する方々と、その居住空間に足を踏み入れることすらない者を同列には考えられないでしょ」
「場所や内容の違いはあれ、皆が女神の為に働いていることに変わりはないだろう」
「ルチルさん、その考え方ってすごく少数派だからね?」
「……そう、なのか?」
ティンは大真面目な顔でこくりと頷いた。
対するルチルはと言えば、そんなティンを目を丸くして凝視していた。そしてその言葉が本当に嘘でも冗談でもないということを理解したのか、眉間にぎゅっとシワを刻んだ。
「大体の予想がついた。彼奴らか」
「誰を想像したのかは聞かないでおくね。でもね、ハッキリ口にしてた人は確かにあんまり多くはなかったけど、広い範囲の共通認識ではあったよ。だから、無用な軋轢を生まないために、僕らが下がったの。ルチルさんが言ったように、女神様のために働いているのは一緒だから、卑屈になったわけでもないし」
不機嫌そうなルチルと穏やかに笑うティン。
対照的とも言える2人の表情を眺めながら、わたしはわざとのんびりした口調で口を挟んだ。
「何にせよ、今は2人ともわたしの家族なんだし。立場とか階級? とかそんなもの気にしなくていいでしょ?」
そう言ってにこりと笑って見せると、ふたり共が、何か苦いものでも飲み込んだような顔をした。
「? どうし……」
首を傾げるわたしを、今度は少し泣きだしそうに眉をしかめたティンがぎゅっと抱きしめた。
「僕の……僕達の、唯一の主。どうかこのまま、変わらないでいて」
「ティン?」
この子がこんな物言いをするのは珍しい。
そうして、それに気を取られていたわたしは
「我は……女神には仕えていなかったのかもしれんな」
ひっそりと呟かれたルチルの声を聞き逃したのだった。
「ん……ぅーん……ん?」
夜中に、ふと目が覚めた。
いつかの再現かと思いながら体を起こし、そのままベッドの上で、膝を抱えて丸くなる。
月の光が射す部屋の中は妙に明るくて、眠りなおそうという気持ちを押し流していく。
今宵は満月。蒼月の力がもっとも強くなる夜。
あの日から、半月経ってしまった。
なのに、まだ戻らない。戻っていない。
ずっと緩やかに成長し続けていた体は、14~5歳のまま、ぴたりと止まってしまった。
辛い、というわけじゃない。
寄って集ってわたしの面倒を見ようとしてくれるのがちょっと……ありがたいというか申し訳ないというか、時折少々面倒くさいと感じるくらいで、少なくとも辛くはないのだ。
たぶんそれは、独りではないという、絶対の安心感から来るものだと思う。
知識は持ったままだし、サイズ的にはほぼ大人と変わらないから、不自由らしい不自由というのはないのだけれど、やっぱりどこかで「こうじゃない」感はある。
反対によかったことと言えば月のモノが来ていないことで、この世界のそこらへん事情がまだわからない以上とても助かっている。
下着事情同様、シディルさんには聞き辛い。
そしてトライン様は、皓月を捕まえようと躍起になってるみたいだけど、どうも捗々しくないようで、帰って来るといつも肩が落ちている。神様と言えど万能ではないと口癖のように言っているのが、今回ばかりは心底悔しそうだ。
窓の外に目を向けると、青白い光に照らされた庭はどこかいつもと違うように思える。
アーフェルの樹、畑の柵、そう言ったものが作り出す陰影が、作り物のようにも見えるのだ。
二度寝する気分でもないし、そもそも眠気がどこかへ行ってしまった。
「危険はないはずだし……」
呟いて、そっとベッドを抜け出した。
蒼月の光は不思議だ。
これだけ明るかったら、もっと彩がはっきり見えそうなものなのに、世界は墨色の濃淡で彩られて、まるっきり影絵の世界だ。
そんな中にいると、自分まで影になってしまったような錯覚を起こしそうになる。
見上げた空には、蒼く輝く大きな満月と、それに負けじと煌めく星々。白く小さな皓月は見当たらない。
月が2つあるはずの空に1つしかないって、この世界の人は不安にならないんだろうか。
向こうじゃその昔は月蝕ですら大騒ぎになったというのに。
ふと口をついたのは、七夕の歌。
わたしの居た山も、上の方まで登れば、それは綺麗な星空が見えたけれども、こちらの夜空は桁が違う。空一面に光の粒を撒き散らしたような、正しく『金銀砂子』なのだ。
さく、と草を踏む音が聞こえた。
「身体を冷やしてしまうよ」
肩にブランケットがかけられて、その上から温かい腕がふわりとわたしを包み込んだ。
大きなぬくもりを感じて、思っていたよりもずっと、冷えていたことを知る。
「起こしてしまいました?」
「いいや。……何をしていたの?」
「空を見てました」
そう言うと、僅かに苦笑した気配が伝わってくる。
だって本当にそうなんだもの。
「目が覚めてしまって、眠気も戻ってこなかったから」
悪いことをしていたわけでもないのに、言い訳めいて聞こえるのはなぜだろう。
「そう。綺麗な歌だったね」
「そうですか?」
「うん。ねえ、もっと歌って?」
子供のようなおねだりに、つい口元が緩む。
もう一度最初から七夕さまを歌って、請われるままに思いついたものを歌う。
そうして何曲歌ったか。
今日にはとてもふさわしくないけれど、朧月夜の情景の歌を歌った時だった。
「言葉がとても綺麗だね。それに風景が浮かんでくる」
そう言われて、なぜか一粒だけ。
ほろりと涙が頬を伝った。そしてそれが零れ落ちる、その、瞬間。
「?!」
真っ白な光が、すぐ近くで爆発した。
「織葉!」
硬直するわたしに覆いかぶさるように庇ってくれたトライン様が、一瞬の後に何か力を放ったのがわかった。
それはわたしを縛る強制力にも似た力で、反射的に体が強張る。
けれども、わたしには一向にその力は働かず……。
「やだ! 離してよ、なによこれ!?」
「ようやく捕まえたぞ、皓月!」
二つの叫び声が耳に飛び込んできたのは、そのすぐあとのことだった。




