救済?
何故だろう、まだ旅立てない。
あれー?
雪花に連れられて、真っ白な世界を歩く。
地上も空も真っ白なその世界は、どれぐらい歩いているのかはもちろん、本当に歩いているのかすら曖昧にさせる。
米寿も近い婆をどれほど歩かせるんだ、と思わないでもなかったけれど、悲しいかな、長年の半自給自足生活で鍛え上げられた足腰には、平地の散歩など屁でもない。
歩くことに疲れるよりも先に、余りにも変わらない風景に飽きてきた頃。
ようやっと目標となるものが見えた。
それは、日本から出たことのなかったわたしからすれば、テレビや写真……ともかく現実以外の場所でしかお目にかかることなどなかった代物。
パルテノン神殿? アクロポリス? まぁそういうギリシャ神話とかに出てきそうな西洋風神殿が、でん、と建っていた。……まぁ、日本の神社風だったら、それはそれで違和感しかなかったかもしれないんだけども。
「ほーん」
「……もう驚きませんよ」
「何が」
「織葉さん絶対どこかに『驚く』って感情置き忘れて……痛い痛い」
脳天をぐりぐりされるのは、やはり痛いらしい。雪花の体に入っているからかもしれないけど。
ちなみにいつまでも『貴女』なんて呼ばれるのはムズムズして堪らんので、名前で呼ぶよう頼んだ。
きゃんきゃん鳴く雪花を後目に、物珍しさが先に立って、あちこち覗き込む。
「待って待って。先に行かないでくださいっ」
雪花が追いかけてきて、わたしの隣に並んだ時だった。
「ティン」
深みのある女性の声が響いて、その瞬間、雪花が背筋を伸ばしてビシィッとお座りをした。
……こいつ、わたしにはそんな最敬礼取らなかったくせに。
後でお仕置きだな、と心にメモしていると
「織葉殿」
誰かに呼びかけられたことに気付いて足元を見ると、真っ黒な猫がお座りをしていた。わたしがその存在に目を向けると、すっと立ち上がって、先導するように歩き始める。
「こちらへ。ティン、お前も」
立場が上なんだろうねぇ。
横の雪花を見やると、首も尻尾もしょぼんと垂れている。
「雪花、行くよ」
首筋をそっと掻くようにして撫でてやる。
背の低いわたしだからこその芸当だ。並んで歩きながらそんなことができるんだから。
雪花はちら、とわたしに視線をよこすと、やっと頭を上げて歩きだした。
それにしても、この建物も物理法則無視してるな。
外から見た限りそんなに幅も奥行きもなかったのに、これまた結構な距離を歩いている気がする。体感時間で測ってるだけだから、実際のところはわからないけど。
果たしてどれくらい歩いたか。
やがて見えてきた扉は、ばかばかしいくらいにでかかった。
なんだろうねぇ。
象でもこんなにでかくないだろうに。3階建てのビルがまるまる潜れそうだ。
まぁ、神様の領域なんだろうし、人間の物理法則とか常識とかはこの際どこかに捨てておこうかね。
とか、思ってはいたんですけどね。
えー、神様とご対面のただいま、大絶賛困惑中。
なぜかといえば。
「織葉さま、まずこちらの不手際でとんでもないことになってしまったことをお詫びいたします」
ものっすごい大きな、それこそ『玉座』って言っても差し支えなさそうな椅子に座ってるのが、なんともちまっこい、幼稚園くらいの女の子なんだよ。
だけど、口から出てくるのはさっき入り口で聞いた、深みのある大人の女性の声なんだよ。
もうそのギャップがね。
大抵のことじゃ動じないと思ってたけど、……いや動じてるわけではないのか?
とにかく違和感がありすぎて、ただでさえ現実味のないこの空間がさらに異次元であることを痛感させられる。
「実は私もかなりの力を使ってしまっておりまして、普段は省エネモードで居りませんと、いざ仕事という時に困ったことになってしまうのです。重ね重ね失礼で申し訳ありません」
「ああ、気にしないで」
ひらりと手を振ってから、やばかったかな、と思う。
外見が子どもだから、ついうっかり近所の子みたいな対応してしまったけど、この方、神様なんだよね。しかもこの状況からしてここのトップだろう。
「ええと……失礼しました」
とりあえずそう言うと、女神様はくす、と笑った。
「大丈夫です。貴女の場合、私を侮ってのことではありませんから。それで、本題なのですけれど」
……近所の子どもと並列扱いは侮っていることにならないんだろうか。
とりあえず見逃してもらえたんだから、藪から蛇つつきだすのも嫌だし黙っていよう。
うん、今は話に集中。
「本題というのは?」
「あら、ティンから聞いておりませんか?」
「ざっくりとは聞いています。結論として、この世界ではもう次の生が無いから異世界へ行くしかない、ということで合ってますか」
「理解が早くてありがたいわ。でもね、送る世界があまりにもこちらと違っていると困るでしょう?」
ん? なんかおかしくないか?
「ちょっと待ってください」
礼儀だとかそういうものをすっぱり忘れて、思わず話の腰を盛大にへし折る。
「どうかしました?」
気を悪くした様子もなく、きょとんとした顔でわたしを見る女神様。
「あの、ですね。これはたぶんどこでもそうだと思うんですが、生まれたところの風習に疑問とか困惑とかって感じないものじゃないんですかね?」
そう、同じ地球上でさえ、文化の違いはある。
例えば、日本人から見れば卒倒モノだけど、巨大芋虫が一番の御馳走だ、っていう民族だっているんだ。彼らにとってはそれが当たり前。生まれ育った環境に嫌だとか困るとか感じるわけがないのだ。
そう言うと、女神様は頬に手を当てて、はつり、と瞬いた。
そのまま視線がわたしの横へ滑り、雪花に注がれる。
「……ティン、忘れていますね?」
「はい?」
見下ろしてみると、雪花は耳を伏せて、上目遣いにわたしを見上げていた。
「どういうことかな?」
首を傾げてみる。
「えっとね、織葉さんは転生じゃなくて、転移することになるんだ」
うん??
「輪廻の理は、どの世界でも大体同じでね。輪がないと生まれ変われない。だけど織葉さんはどの世界にも輪を持たない。だから、新しい世界で一から紡ぐ必要があるんだ」
うん? じゃあ尚更転生の方がいいんじゃないのかね。
「わたし死んだんだよね? まぁ、老衰ではなかったようだけど、どっちにせよこんな婆、碌に生きれやしないと思うんだけど。そりゃ、1日でもいれば作られるとか言うなら別だけどさ」
でもそれは流石にちょっと嫌かなぁ……
そんなことを思っていると。
「ティン、言葉が足りなさすぎる」
黒猫君が、少しイラっとしたような声を上げた。
うん、こういう子いるねぇ。いい子なんだけど、ついついどんくさい子にきつくあたっちゃう子。
「織葉殿。その生暖かい目で見るのはやめていただけるか」
おっとっと。
「それで? 言葉が足りないってどういうことさ」
質問をぶつけて誤魔化す。
一瞬、器用にも鼻の頭にしわを寄せた黒猫君は、しぶしぶといった風に口を開いた。
「まず織葉殿。転移というのは間違いない。ただ、肉体的には若返って転移するのだ」
「……はい?」
「本来は事の始まりである年齢から始めるのが筋ではあるのだが、少なくとも自活できる年齢でないと困るであろう? 成人かその辺りになるであろうが、それは主とお話になった上で決めることだ。我にその権限はない故に。これは、織葉殿がこの世界で縁を紡げなかったことへの謝罪も含まれている」
「ほーー」
「……本当に動じないかたですわね」
女神様、そんなため息つかないでくださいよ、失礼な。
……しかしまぁ。
「なるほどねぇ。深い付き合いが長続きしないと思ったら、根無し草だったからか」
何の気なしに呟いた言葉に、神様サイド3人が沈黙した。
「ん?」
「ごめんなさい、僕のせいで……」
「言い訳にしかならないけれど、あの当時はこちらもてんてこ舞いで……」
「余裕があれば、もっと別の道を考えられたかもしれないのだが」
まぁ、戦時中……しかも空襲の時なんて、はっきり言ってどれだけの人が死んでるか知らんわけで、そんな中でたった1つの魂の処遇に手を取られるわけにゃいかんわな。
「だから、なぜそんなに平静でいられるのだ」
苛立ったような黒猫君の声があがる。
「だって泣こうが喚こうが今更どうしようもないでしょうが」
「それでもこんな理不尽、泣き喚きこちらを詰っても不思議はあるまいし、誰に責められる謂れもないであろう?!」
わたしよりもわたしのことで怒ってくれるこの子は、きっと優しい。
「んー。まぁ理不尽には違いないだろうけどさ。考えてみたら、手違いで死んじまった和葉は消滅せずに済んだんだし、さっきの説明によると、わたしだってもう一度人生やり直せるんだろ? だったらちゃんと救済はされてるじゃないか」
けろりとそう言うと、言葉を詰まらせた黒猫君はしばし考えるように俯くと、突然女神様の方へ向き直ったかと思えば
「主、我も共に行くことをお許しいただきたい」
深々と頭を下げて、そんなことを言い出した。
「あら」
「えっ」
「なんで?」
女神様、雪花、わたしの声が重なった。
「こんな暢気な楽観主義者、このどんくさいのと二人だけで送り出したらどうなることか」
この、と言いながら前足が指すのは当然、雪花だ。
「せっかく転移させる魂が苦労するのは忍びない」
いやー、その気持ちは大変ありがたいんだけどさー。
「雪花のこと馬鹿にするんだったら、来なくていい」
誰が何を言うより早く、きっぱりと言ってのける。
だって雪花は確かにドジだけど、わたしをこんなことに巻き込んだ張本人だけど。
……ん、あれ? もしかして庇う必要ない?
違う違う、それ雪花じゃなくてティンだから。
でも中身はティンなんだからやっぱり庇う必要ない……?
いやいやそうじゃなくて。
「これでも80年以上生きてんだ。しかも、今の記憶を持ったままそう変わらない世界に行かせてくれるんだろ? なら、どこに行ってもなんとかやっていけるさ。そりゃ役に立ってくれるに越したことはないけど、雪花はわたしの癒しになってくれるだけでもいいんだよ」
そう言って、真っ白な背中を撫でる。
以前より長くふわふわになった毛並みは、とても手触りがいい。
うん、これもふもふするだけできっとものすごい癒しになるぞ。
「織葉さん……」
「織葉殿……」
真っ白わんこと真っ黒にゃんこが、並んでわたしを見上げる。
わんこは嬉しそうな顔で尻尾をぶんぶん振り回しながら。
にゃんこは渋い顔で尻尾を揺らしながら。
なんとまぁ対照的だこと。
ややあって
「ルチル」
女神様が、静かに呼びかけた。
黒猫君の名前はルチルって言うらしい。
「素直に『心配だ』ってお言いなさい。ティンが無能だと言っているのではなく、残り少ない力で転移に耐えられるかどうかわからないと思っているのでしょう? それによって織葉さまが一人になってしまう可能性を恐れていることも、わかっているのよ?」
今なんと?
ちらりと目をやると、黒猫……ルチル君は、そっぽを向いていた。だけど、耳はこちらを向いている。こちらの会話を気にしているってことだね。
「雪花は転移できないかもしれないんですか?」
「ティンの力はほぼ底をついています。消えないように夢殿の力で保たせておりましたが、正直に申し上げて、雪花さんの魂の力がどれだけ強いかにかかっていると言っても過言ではありません」
「僕、頑張りますから!」
置いて行かれることを恐れたんだろう、必死の声を上げる雪花。
その頭に手を乗せる。
「置いて行きやしないよ。でもそうか、そうなる覚悟もしとかないとダメってことか」
雪花の頭を撫でながら呟くと
「我が居れば、問題ない」
低い声が聞こえた。
「ルチル君?」
「織葉殿は転移するに足る力を持っているし、我も同じ。雪花殿はどうかわからぬが、特に弱っているというのでなければ通常問題はない。ならば、織葉殿と我、雪花殿でティンの足りない力を補えば、ほぼ確実に共に行ける」
相変わらずそっぽを向いたままだけど、立てた尻尾の先がぴこぴこ揺れている。
「ルチル君……」
呼びかけると、ちらりと視線がこちらを向く。
「あんた、よく素直じゃないとかわかりにくいとか言われるだろ」
「やかましい!」
おや、口調が崩れたね。
そして涙目の猫、なんて珍しいものを堪能していると
「織葉さま」
女神様が声をかけてきた。
「細かいことを決めていきましょう」
ああ、そうだった。
まだ何にも決まってないんだもんね。
お読みいただきありがとうございます。