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異世界生活の基礎固め Side T-2
序章全体のトライン視点、その2です。
まとめるとかなり長いので、分割しました。
翌日。
神殿で仕事をしていると、地上で妙な魔力の変動があった。
絶対に彼女絡みだと思って降りてみれば、なんと地形が変わっている。
……何やらかしてくれてんの。
服装については、向こうから持ってきたものだと聞いたけど、周りの道具はなんなんだ。
困惑しつつも彼女に詰め寄ってみても、どこ吹く風。涼しい顔で作業を続けている。
眷属達が、せっせと手伝っていることも含め、絵面だけ見れば、なんとも微笑ましいのだけれど。
さて、シディルの研究材料がまた一つ増えた。高い発想力は、時として、とんでもない結果を連れてくるらしい。
ただ、一般的にあてはめられるものかはわからない。彼女限定じゃないんだろうか。まあそこは研究次第か。シディルも当分退屈しなくていいだろうね。
イアル、最初に面倒くさいと思ったことを撤回するよ。
これからも起こるであろう問題はさておき、この子がこの世界に来たことを、選んでくれたことが嬉しい。
だって、昨日今日で幾つのことが起きた?
安定しているといえば聞こえはいいが、それはつまり、退屈と背中合わせだ。
今後、この子が世の中と関わりを持つようになったら、きっと何かが変わる。
潤沢な魔力を源とした、見たことのない魔力の使い方。魔力の無い世界から来たはずなのに、卓越した制御能力。
この停滞した世界には、動き出すための起爆剤になるだろう。
ふと気づくと、彼女が手を止めて、何やら思案顔で俯いていた。
小さな体がなお小さく見えて、思わず手が伸びた。
頭を撫でると、なぜかさらに身を小さく縮こまらせる。
なぜに?
そんなことを考えながら頭を撫でていると、ふいに彼女の体から余計な力が抜けた。自然でやわらかい笑顔を向けられて、胸の奥の方が、微かに疼くような感覚が起きる。
これは何だろう。
話の流れで、今になって、もう一つ貰っておけばよかったものがある、と口にした。
何かと思えば、異次元ポケット。
その名前を口にした時、彼女がものすごく微妙な表情をした。尋ねても答えてはもらえなかったけれど、半笑いだったのが未だに気になっている。
その後、私の不注意な言葉が、彼女をひどく傷つけた。
表情を曇らせた彼女に、失言に気付かされた私はすぐに謝ったけれど、それを受け入れてはくれたけれど。
ただその受け入れは、彼女が自分を押し殺した上に成り立つもので、そこを指摘すると、考え込むように俯いた。
自分の失言を反省しながら見守っていると、突然、彼女の意識が希薄になった。
瞳から零れ落ちるはずの涙は、揺らめく光を内包した珠に姿を変える。
それは魔力の塊。
零れ落ちていくのに反比例するように、どんどん存在そのものが希薄になっていく。
──きえてしまう──
心臓をわしづかみにされたような恐怖が、背筋を駆け上る。
このままでは彼女が消滅してしまう。二度と戻れない虚無の狭間へ行ってしまう。
── い や だ ──
荒れ狂う感情が、体を駆け抜ける。
衝動のままに、彼女の名前を呼んだ。一度呼んでしまったら、もう止められなかった。
『消えないで』
『ここに居て』
ただその想いを込めて名前を繰り返し呼んで、存在が戻ってくるまできつく抱きしめ続ける。
それは、彼女の意思も何もかもを無視した、私のエゴ。彼女に与えた加護……意思を守れるという加護も、当然意味をなさない。
魂を縛り付けるその行為は、いくら神といえど、禁忌とされるもの。そうわかっていても、禁を犯す罪悪感を、彼女を喪う恐怖が上回った。
ようやっと腕の中の存在が確かになって、ゆっくりと瞼が上がるのを見て、どれほど安堵したか。
烟るような青紫の瞳に映り込んだ私は、泣き出しそうな顔をしていた。
その後、彼女の魂が、私、つまりこの世界に、結び付けられてしまったことを告げた。
静かに聞いていた彼女は、私の謝罪に、緩く首を振る。
こんな理不尽にさらされてなお、それを他人事のように俯瞰して捉える彼女には、正直共感できない。怒り、責められた方が、どれだけ気が楽だっただろう。だけど、静かに伸ばされた手が優しく頬に触れて、その温もりを嬉しく思うのもまた事実だった。
私はいったい、どうしてしまったんだろう……?
ゆるりと周りに目をやった彼女は、ついさっき、消えかけていたとは信じられない勢いで起き上がった。あたりに散らばった、魔力の塊である珠について問い詰められる。
それら全てを預かった頃、先ほど一度帰って来て、またすぐに離れていった犬の眷属が戻ってきた。
これまたここにあってはいけない、未精錬の魔晶石なんてものを手土産に。
……彼女をこのままここに置いておくのは、危険かも知れない。少なくとも何らかの対策を取らないと、彼女の存在は、この世界を揺るがしかねない。
街へ偵察に出した、もう1人の眷属を気にする彼女だったが、都合のいいことに、主の気配が薄くなったことに恐怖を覚えたらしく、全力で駆け戻ってきた。
忠実で何より。
本当はすぐにでも神殿に帰りたかったし、その方がいいのはわかっていたのだが、彼女は首を縦に振らなかった。
曰く、狩った命を無駄にするのは色々な面で許せないのだそうだ。
まあ、私がここにいる限りは、神殿と大差ない結界を張っているのと同じだから、外からも内からも干渉されることはないし、構わないと言えば構わないのだけれど。中々帰らない私を、シディルがじりじりしながら待っているだろうことが、目に見えるけれど。
邪魔にならないよう気を付けながら作業を見ていると、彼女の手は信じられないほど細やかに動く。一切の迷いも無駄もない手つきで、淡々と作業を進めるのは、ある意味魔法よりもすごいと思った。
そう言うと、彼女は本気にしていないのがまるわかりで笑い飛ばした。結構本気で言ったのに。
眷属2人も作業を終え、ご褒美と称して彼女に撫でられていた。
……うらやましい。
しかも大型の犬である方の眷属がその本性に立ち返ると、彼女は全身を預けるように抱き着いた。『もふもふ』と嬉しそうに笑いながら。
しかもその眷属がまた勝ち誇ったような顔を向けてくるのだ。
しばし考え込んでいた猫の眷属もまた、本性に立ち返る。すり寄せた体に、彼女はそっと手を滑らせる。そしてやっぱり嬉しそうな顔で、もふもふ、と呟いた。
……2匹揃って、勝ち誇ったような視線を向けてくるのが非常に面白くない。
なので、わざと落とさない程度に荒っぽく彼女を抱き上げると、バランスをとるためか、首に手を回して抱き着いてきた。
……この体勢、胸が当たって気持ちいいかも。
眷属では、こんな真似は出来まい?
さっきのお返しとばかりに見下ろすと、悔しそうに見上げてくる。
その表情で留飲を下げたけれど、もう少し彼女の柔らかな体を堪能していたくて、抱き上げたまま神殿へ向かった。
当然、シディルが手薬煉ひいて待ち構えていたのだが、川で拾ったという魔晶石や彼女が生み出した魔力の結晶を見せると、食いつくを通り越して硬直してしまった。
だが流石研究者。
彼女と彼女の眷属が、少々揉めているのを横目に、魔力の結晶を矯めつ眇めつ熱心に調べている。ただ、やはりきちんと調べないことには、何もわからないらしい。私が一見してわかった、高濃度の魔力の塊であることくらいだという。
これが彼女の寿命と関係するのか、また彼女に還すことができるのか。
それを気にしていたのだが、シディル曰く、魂レベルで私と結ばれたことで、一般的に言う寿命の心配はせずともよくなったらしい。
伴侶と同等の結びつきだと知った時の彼女の反応がほんの少し怖かったのだけれど、そこでもまた諦観に満ちた言葉を口にする。そして他者を慮る言葉を連ねていくのだ。
自分のことは最後まで口にしない。
だけど私には、彼女の魂に押し込められていくものが見える。おそらく、魂がつながったからかもしれないが、カケラほども共感はできない。
本心を吐き出させようとして、また私は言葉を間違える。けれども、それをトリガーに、彼女は初めて怒りという感情を私にぶつけてきた。
血を吐くような、とはよく言うけれど、本当に喉が裂けるほどの慟哭。
うまく言葉にならないのだろう感情が、魔力となって、彼女の体内に蟠りだすのが見えた。
不味い。このままだと、暴走するかもしれない。
彼女に口づけたのは、本能的な行動だった。
呼吸を奪うように隙間なく口づけて、空気を求めて開いた唇に舌を割り込ませる。鉄錆のような味がする口内を蹂躙して、逃げ惑う舌を絡めとった。
逃げ場のない状況で、口移しに私の力……神気ともいうべきものを彼女に流し込み、苦し気に身動ぐのを、抱きしめることで押さえ込む。
──はやく飲み込んで。でないと君が辛いだけだ──
祈りにも似た想いで力を注ぎ続ける。
やがて、こくり、と彼女の喉が上下に動いた。体の奥底で渦を巻き始めていた魔力が静まるのを感じて、ようやっと彼女を解放する。
くたりと力の抜けた彼女を、抱きかかえたまま名前を呼ぶと、酷いと詰られた。
それさえも甘んじて受け止めると、泣きながら、今まで飲み込んできたのだろう言葉を吐き出し始めた。
最後まで吐き出させようと、相槌を打つにとどめておいたけれど、最後に悲鳴のように叫んだ一言だけは、看過できなかった。
消えてしまえばよかっただなんて。
理不尽であることをわかっていても、彼女にとっては何の救いにもならないことでも、それでも私は言わずにいられなかった。
君と出逢えてよかったと。最大の福音だと。
だってもう、彼女が居なくなるなんて考えられない。
だから、本当は自由になる方法もあるけれど、何があっても教えない。それは私しか知らないことだから、私が教えなければその手段は取れない。切り札は私の手の中にしかない。
彼女は聡い。
おそらくそれが何か、漠然と感じ取ったのだろう。だけど私は、何があってもその手札だけは切らない。そうするくらいなら、共に滅ぶことを選ぶだろう。
そうして、彼女は自分のことを化け物だと言った。
その言葉に周囲が凍り付く中、ふ、と彼女の気配が変わる。
全てに倦むような、諦観を宿していた瞳に、突然輝きが戻る。
その、あまりにも鮮やかな変化についていけたのは、彼女と最も長い付き合いのある記憶を持つ眷属のみ。
私を含む残る3人は、半ば放心したまま、勢いに負けて地上へ降りる。
果たして、彼女がやってのけたことは非常識に他ならないことだった。呆気にとられる私たちを後目に苦笑する彼女。
だが、それに意識を狂わされた者がいた。
シディルだ。
誰も考えつかない、思いもよらない魔力の使い方。
もちろんそれは異なる世界の記憶や知識を持ち、かつ潤沢な魔力を保有する彼女であるからこそできたことだ。けれど研究者である彼からすれば、『衝撃』などという、生易しい言葉では済まされなかったのだろう。
魅魔であった頃の気配が前面に出てしまったシディルに、怯えた彼女が小さな悲鳴を上げた。眷属2人と私の3人で引きはがした時にはもう、元通りの研究者の顔に戻ってはいたけれど、看過できるものではない。
と、思っていたのに。
選りにも選って彼女本人がシディルに謝罪をするわ許しを与えるわ、果ては自分を許せないなら、その分研究しろとまで言い出す始末。
本当に、彼女の精神構造は理解しがたいほどに複雑怪奇だ。困ったことに、それが不快ではないのだ。
彼女はもうすでに、自分の存在が私とこの世界に同化していることに気付いていた。
そして、そうであるからこそできる魔力の使い方を示してみせる。魔力を水に置き換えて考えるだなんて、私でさえしたことなかったのに。
柔軟な発想力と潤沢な魔力に高度な制御能力と3つそろっていて、さらに魔力というものに対する固定観念を持たない彼女だからこそできたのかもしれない。
彼女の手のひらから泉のように湧き出る魔力は、美しい虹色の輝きを帯びて揺らめいている。空へ向かってその腕を振り、雨のように降らせることまでやってのけた。
彼女は、たとえ自分の物であっても、魔力を見ることができない。なのにこんなことができるということは、よほどしっかりした映像が彼女の脳裏に描かれているのだろう。
自身のふりまく魔力のシャワーを浴びて笑う彼女。
── 世界は、彼女の中にある ──
そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。
その時、シディルが悲鳴のような声で、彼女を制止した。その言葉を彼女は予測していたようで、けろりとした顔で、大丈夫だと請け負う。
私ですら、その意味を最初は理解できなかった。けれど、からかうように彼女に問われ、世界を探ればすぐに理解できた。
そうだ。さっき自分でも思ったところじゃないか。
世界は彼女の中にある。
それは即ち、世界、つまり私と、彼女は混ざり合って存在しているという事だ。そう言うと、彼女は非常に微妙な表情を浮かべたけれど。
その頃になると、シディルの表情から険が消え、ついでに憑き物の落ちたような目で彼女を見るようになっていた。
これは、喜ばしいが少々面白くない展開になっていると思い、しかも、その予想は外れなかった。
ただ、全員が全員を牽制し合うくらい、あからさまな好意を寄せているというのに、当の彼女が、それを全く理解していない、という事実が発覚した時には、全員が脱力したものだ。
改めて全員が自分の気持ちを告げると、彼女は本気で予想もしていなかったらしく、戸惑い、混乱しているのがよくわかった。
私はと言えば、口に出して初めて、自分の中のその感情が、『好意』などという、生易しいものでないことに気付かされる。
初めは、漠然と興味を惹かれただけだったはず。なのに、自分で自分の感情の動きがわからなくなったのも、行動の意味がわからなくなったのも。
全て、彼女を求めずにいられなくなったから。
ただ、それをそのまま口にすると彼女が逃げてしまいそうで、けれど、たとえ自己評価がとんでもなく低い彼女であっても、曲解する余地のないほどストレートな言葉を選んだ告白は、間違いなく彼女に届いた。
同じ気持ちを返せないと、それでもいいのかと問い返されたのが、その証拠。
それを返してもらえるなら、それに越したことはない。だけど私は……私達は、手に入れるために気持ちを告げたわけじゃない。ただ心ごと己を差し出したかっただけだ。
それぞれが違う想いの下に彼女を守りたいと願う者が集う。存在ですら重荷になるというのでないのなら、ただ傍に居させて欲しいだけなのだ。
そう告げられた彼女は、静かに涙をこぼした。
今までの、負の感情に起因する涙ではなく、それはおそらく、彼女が初めて知る、幸福で溢れた涙。
涙を零しながら、それでも幸せそうに笑った彼女は掛け値なしに美しくて。
これからの生活が、幸せに満ちた生活になることを予感させる笑顔だった。
ねぇ織葉。
私が抱いた気持ちを君が知ったら、どう思うだろう。
己が分身である世界へ注ぐものとは、全く違う、愛。
一歩間違えれば、簡単に狂気の領域へ足を踏み込みかねないそれは、けれど、狂気に走らずには済みそうだ。
いや、もう狂っているのかもしれない。
禁忌を犯してでも、彼女をこの世界に……私に結びつけてしまったのだから。
今はまだ、君の気持ちが追い付いていない関係だけど、いつか。
私の想いのところまで、追ってきてくれると信じている。
だけど、あまり待たせないで欲しいという、身勝手な気持ちがあるのもまた事実。
だからお願い。
できるだけ早く、私の腕に落ちておいで。
君の丸ごと全部を受け止めるから。
……愛しているよ。




