涙は色々押し流すもので
神殿に到着すると、目の前には熊さん……じゃない、シディルさん。
「おかえりなさいませ。そしていらっしゃいませ」
……なんでお出迎えに来られてるんですか?
「奇妙な魔力変動があって、主が慌てて飛び出していかれましたから。これは連れて帰って来られるな、と」
なんでタイミングバッチリなのかと聞きたかったんだけど……まぁいいや。
「シディル、解析は」
「ただいま行っております。今までにないものでしたので、少々時間がかかるかと」
「そうか。それと……」
そう言ってトライン様が懐から出したのは、雪花が拾ってきた石ころ。
「未精錬の魔晶石? これがどうかしましたか?」
「あの家の近くの川底にあったらしい」
「は?」
「もっと問題なのはこっちだ」
そう言って取り出したのは、当然、わたしが生み出したもの。
「何ですかこれ。未精錬のくせに真球とか聞いたこともありませんよ」
「彼女が生み出した」
「……は?」
シディルさんの首が、ぎぎぎ、と音を立てそうな動きでわたしの方を向いた。
トライン様に抱っこされたままの、わたしの方を。
いや、いい加減降ろしてもらいたいんだけど。
結局わたしが降ろしてもらえたのは、その後、話が長くなるからと応接間っぽいところでソファに座る時だった。
「…………ということだ」
「はー……」
トライン様が状況をかいつまんで説明したのを聞いて、ため息を吐くシディルさん。
それより今何より怖いのは
「織葉さん」
「織葉殿」
この2匹だ。
お座りしてるんだけどそっちじゃなくて、目が据わってる。完全に据わりきってる。
「何が『大丈夫』だ」
「『大丈夫』じゃないよね」
「「誤魔化すなんて酷い」」
そこまでぴったりハモらなくても。
「そりゃ気配も薄くなるよね」
「我も傍に居りたかった」
「まぁそれはトライン様が必死で引き止めてたから……」
ん? 今なんて?
「ちょい待ち。雪花、なんであんたがそれ知ってるのさ」
そう言うと、『しまった』と言う顔をして、ふいと明後日の方を向いた。
「あんた、見てたね?」
「なんのこと?」
「ああ、一回帰って来てたよね。すぐに戻って行っちゃったけど」
な ん で す と ?!
「ちょ、え、なんで?! トライン様知って……?!」
「一応、神って言われるような存在だし? いくら動揺してても感知はするよ。知ってる気配だから放置しただけ」
「ちょっとぉーーーっ?!」
一気に顔が熱くなる。
ねぇちょっと、恥ずかしすぎるんだけど? 悶死するってこういうことなの? もう泣いていい?
「それにしてもこれはまたものすごい濃度ですね」
大騒ぎの間にできた一瞬の静寂に、シディルさんの呟きが滑り込んだ。
この状況の中で観察続けてたこの人も大概どっかおかしいよね。
「何かわかったか?」
「わかったとまでは言えません。ただこの珠が、見たことも聞いたこともないほどに高濃度の魔力の塊であるということだけは言えます」
「これを彼女に戻すことは?」
「……わかりません」
「まぁそうだろうな。この短時間でわかるくらいなら私にだってわかるはずだ」
しん、と静まり返る。
「でも、わたしの寿命とは関係ないかもしれないでしょう?」
「そうだね。でも、君の命が魔力と化したのなら、その可能性も捨てられない」
「ああ、そこは問題ないと思いますよ」
なんで?
「貴女、この方と結ばれたでしょう?」
「なんかその言い方ものすごく微妙……っていうか別の意味に聞こえそう」
「いえ、近いものですよ」
「え?」
「この世界に生み出されたばかりの貴女の輪廻の輪は、まだこの地に根差すほど紡がれていない。だから貴女はあんな短時間で消えかけた」
「はぁ……」
「この方は『完全なる消滅』を防ぐために、貴女の名を『願いを込めて』呼んだ」
……うん、なんかそんなこと言ってた気がする。あんまり覚えてないけど。
「そして、この方とこの世界はイコールです」
「はい」
まぁ、この世界の神様だもんね。
「貴女の命は、この世界、つまりこの方と共にある。それこそ、伴侶と言ってもいいくらいの深さで」
「……は?」
は ん り ょ ?
ええとはんりょってなんだっけ。
半分魚。
それ半魚。
半分の量。
それ半量。
藩の領地。
それも藩領な。
いや、脳内でひとりボケツッコミしてる場合じゃない。
伴侶。
幾久しく未来を誓い合った相手。パートナーとか番とかいうアレですよね?
「いえ、半身、と言う方がより正しいでしょうか」
もっと深刻になった?!
「……どういうことです?」
じっとりとトライン様を睨めつけると、微妙に視線を逸らしながら
「だから、ちゃんと謝ったじゃないか……」
ぽそりと呟いた。
「あれってそう言う意味だったんですか」
「うん……。あと覚えてるかどうかわからないけど、『禁を犯しても』って言ったのは、本当は相手の許可がないと駄目だからなんだ。お互いにその関係を認める、そういう意味でも結ばれるというのは過言じゃないかもしれないね」
『かもしれないね』じゃないっ!!!
確かに聞いたような気がしなくもないけど、あの時のわたしに言葉の意味なんて考える余裕はなかったし、そもそも疑問に思うとかそういう反応ができたかどうかも怪しい。
……けど。
「もう解けないんでしょう?」
「……ごめん」
「なら、仕方ないです」
いつものように、きゅ、と口角を上げる。
目を閉じて、頭を整理して、心を落ち着かせる。
お願い、わたしの声。
── どうか震えないで。
ゆっくり目を開いて、静かに見返す。
「和葉の時と同じです。確かに時間があればもっといい策が見つかったかもしれない。でもその時にはそれしか思いつかなかった。できなかった。だったら、それがその時の最善なんですよ」
それが真実だと、自分の中に落とし込む。
そうだよ。
だから今わたしはここにいる。
「少なくとも、わたしのために一緒に世界を渡って来てくれたこの子たちを取り遺すようなことにならなくてよかったと思います」
これは真実、本心だ。
2人がいない間にわたしが消えてしまっていたら、どれほど苦しめたことだろう。
「織葉さん……」
「織葉殿……」
2匹が足元にすり寄って来てくれる。
「これであんたたちを遺して逝くなんてことは無くなったね」
両手でそれぞれの頭を撫でる。本心だから、何も傷つかない。
「……君は、本当にひとの話を聞いてないね」
トライン様が、不思議な声音を出した。
苛立ったような、怒ったような、それよりも深く悲しんでいるような……
「え?」
「言ったはずだよ。『閉じ込めすぎだ』って。なんでこんな理不尽をそうやって飲み込むの」
「それについては我も以前言ったであるな」
ルチルが裏切った! いや確かに言われたけども!
黙秘権を行使してみたけれど、どうやら逃してもらえそうにない。同じく黙ったままの全員からじっと見つめられて、しぶしぶ口を開く。
「……………嫌なんですよ」
「何が」
「ああすればよかった、こうすればよかった、こうだったら今頃は、なんてありえない過去を振り返るのが、です。たられば言ったって今が変わるわけじゃない。それなら過去を認めて前を向く方がずっと建設的じゃないですか」
「……それができないのが、人の心だと思うんだけどね」
「わたしが人じゃないみたいに言わないで!!」
その時、この一連の件で、初めて怒りが湧き上がった。なぜか一瞬にして振り切れた感情のままに声が荒れて、堰を切ったように溢れ出す。
「わたしだって好きでこんな風に考えてるわけじゃない! だけど本当に仕方ないじゃないか! どうしようもないじゃないか! どこかで折り合いつけないと生きていけなかったんだから! 『あの後』だってわたしは死ぬわけにいかなかった。生きていくために、家族を不安にさせないために、いつだって笑うしか……っ!!」
かふっ、と喉の奥から咳き込むような息が漏れた。そのまま前のめりに咳き込むと、鉄錆に似た味が口に広がる。
「ああもう……」
トライン様が慌ててわたしを抱き留めて、その長い腕で包みこむ。
「や……っ」
逃れようともがいても、わたしの小さな体じゃ碌な抵抗にならない。
嫌だ。
なんでこんな非力なの。こんな時に役に立たないなんて、なんて無駄な力なの。
お腹の奥で、熱い何かが渦を巻いている。
「いや……! はな……」
離して、と叫びかけた声を飲み込むように、口をふさがれた。
視界いっぱいに広がる、トライン様の綺麗な顔。
軽く伏せられた瞼の奥の瞳が、黄金色に光を放つ。
重なった唇から、何かが流れ込んでくる。
あたたかくて、ひんやりしていて、どこまでもどこまでもやさしい甘さの、何か。
「ぁ……んん……っ」
微かに声がこぼれて、その声さえ飲み込むように、口づけが深くなる。
舌先が、歯列を割ってわたしの口内に忍び込んだ。血の味がするはずのそこをくまなく探られて、逃げ惑う舌を絡めとられて、流れ込んできていた何かが喉の奥に滑り落ちる。
「んぅ……」
顎を上げられて、口をふさがれて、身動きが取れない。喉がこくりと上下して、流れ込んでいた何かを完全に飲み下した。
途端、体の奥に渦巻いていた熱が、すぅっと引いていく。
膝立ちになったトライン様が、若草色の瞳でわたしを覗き込んだ。
「……織葉?」
「ずるい」
「え?」
「こんな時だけ名前呼ばないでください」
泣きたくなるから。
声に出さなかったその言葉が聞こえたように、わたしの頭を胸に凭れさせて、背中をぽんぽんと一定のリズムで軽く叩く。
トライン様は、ずるい。
この世界に来た時もそうだ。
わたしが泣くのを待ってる。
わたしが泣くのはトライン様のせいにできるようにして。
「酷い……っ」
「そうだね」
「酷いよ。わたし、こんなところに居るはずじゃ、なかった」
「うん」
「わたし、何のために生きてきたの。死ぬはずだったところで死なないで、どうして……っ」
「うん」
子どものように泣きじゃくるわたしをあやすように揺らしながら、途切れ途切れにこぼれる言葉を、トライン様はただ静かに相槌を打ちながら聞いていた。
「わたし、こんな化け物になるために生きてきたの? こんなことになるなら、やり直しなんかしないであのまま消えてればよかった……!」
そう、叫んだ時。
トライン様の反応が、変わった。
緩く支えるように回されていた腕が、きつくわたしを抱きしめる。
「それは、困る」
優しく穏やかに相槌を打っていた声に、力がこもる。
それは、わたしの名前を呼んだ時と同じ力。
「君がこの道を選んだから。この世界を選んでくれたから。だから私は、織葉、君に出逢えた。君にとっては酷い理不尽でも、私にとっては最大の福音なんだ」
しゃくりあげながら、不思議に心地いいその声を、黙って聞く。
「だから、ごめん。もし君が消滅を願っても、そしてその手段を知っていたとしても、私はそれを選ばない。選べない」
「そんな方法、あるんですか……?」
トライン様は答えない。でも、その瞳に浮かぶ光が、言葉よりも雄弁に物語っていた。
「あるんですね」
「だとしても、何があっても、君には教えない」
ゆっくりと顔を背けた。
その態度と言葉で、わかる。それは、この世界の絶対神であるトライン様しか、知らないということ。
「……もう、いいですよ」
はっとしたようにわたしに視線を戻したトライン様に、微笑む。
「自棄になったわけでも、諦めたわけでもありません。認めようと思っただけです」
「織葉……?」
「わたしは、ここで生きていく。でも、自分が化け物であることは、変わらない」
「……!!」
草原のような瞳が、大きく瞠られた。
「そんなふうに言っちゃいけない」
「だけど、実際そうでしょう? この世界ではありえないほどの魔力を持っていて。生活の要である魔晶石? それも如何様にも加工できる特上の品質の物を生み出すことができて……」
眦に残っていた涙が一粒、ぽろり、と零れ落ちた。
さっきの話の中で、気付いたことがある。
わたしの命はトライン様に結び付けられた。そしてそのトライン様は世界に等しい。
「ただの人間であるはずなのに、わたしが死んだら、トライン様も無事じゃすまない。同じくこの世界も。……違いますか?」
全員が、息を飲んだ。
トライン様とシディルさんは気まずそうな顔で。
雪花とルチルは純粋な驚きをその顔に乗せて。
「気付いてしまいましたか……」
「伊達に80数年も生きてない」
ため息を吐いた、その時。
ふと、あることが頭を掠めた。
掠めて消えようとしたそれの尻尾を必死で捕まえる。
「ねぇ、わたしがトライン様を通してこの世界とつながってるなら、逆もまた然り、だよね?」
あ、いけない。思考回路そのままだから完全に口調が崩れた。
「まぁ、表裏一体と言う感じだからね……。それがどうしたの?」
「それなら、わたしの魔力を、この世界そのものに溶かすことはできないかなって思ったんですけど」
「ん?」
「え?」
「ですから、うーん……。そう、肥料みたいな感じにならないかって思ったんです」
瞬間、雪花が盛大に吹き出した。
残る3人は、完全に呆気にとられた顔をしている。
「えーと……。細かい説明……の前に、別に口調直さなくていいよ。それで、どういう意味かな」
雪花はすでに深く俯いていて、必死で笑いをかみ殺しているのだろう、ひくひくと痙攣している。ルチルが咎めるようにたしたしと前足でタップしているが、それどころではないらしい。
「あー、うん。そこは追々。えっと、この世界にも肥料はありますよね」
「そりゃね、作付けしてる以上はあるよ」
「でね、植物って地面の栄養を吸い上げて育つじゃないですか。魔晶石が生み出される鉱山っていうのは、栄養が溜まりやすくてそれが地表に結晶化しやすい場所だというだけであって、でもそういうことがあるということは、大地にも魔力があるってことかな? って思ったんですよ」
「それは……。考えたことがありませんでしたね」
「じゃあ、実験してみましょう!」
「「「え?」」」
3人が綺麗にハモる中、とうとう雪花が笑いをこらえきれなくなったらしい。
「あーもう、織葉さんほんっとに変わんないね!」
取り繕うことを放棄して爆笑し始めた。
さっき笑いを堪えすぎた腹筋が痛いのか、わんこ形態のくせに器用に脇腹なんて押さえてやがる。
「ティン、どういうことだ?」
「織葉さんねぇ、すっごい切り替え早いんですよ。『今泣いた烏がもう笑った』って言葉があるんですけどね、織葉さんの場合泣きながら既に笑ってることもあるんです。地頭良い人って、脳内処理のスピード速すぎる上にその経過口にしないから話がとんでもなく飛躍することも少なくないですけど、まさにその典型」
「雪花、それはどういう意味かな?」
じとりと半眼になると、びたっと伏せの姿勢をとって、上目遣いで見上げてきた。
うん、これやられると怒るに怒れないんだよな。
今回みたいに特に悪さをしたわけではないときは余計に。
「もう……。そうだ、あのおうちって、トライン様と女神様の力で守ってくださってるんですっけ?」
「あ、ああ。そうだね」
「なら、多少問題起きても隠ぺいできるかな。じゃあ、行きましょう。善は急げ」
雪花が跳ね起きて、わたしの足元にすり寄ってくる。
「僕はそういう織葉さんが好きだよ。今までもこれからもずっとね」
「ありがとね、雪花。わたしもあんたが大好きよ」
しゃがみ込んで首元をもふもふする。
ぎゅっとしがみついて、最後の涙のカケラをそこに押し付けた。
お読みいただきありがとうございます。




