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河上顕真物語  作者: 水前寺鯉太郎


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第21話 宇宙人、起つ

第21話 宇宙人、起つ


 二死走者なし。

 だが、東中学校のバッテリーが迎えた三人目の打者は、前の二人とは明らかに異質のプレッシャーを放っていた。

 黒金中学校の三番・センター、糸井。

 大柄な体躯をどこか弛緩させ、口元に締まりのない笑みを浮かべながら打席に入るその姿は、一見すると緊張感に欠けているように見える。事前データでも「私生活ではかなり抜けている天然ボケ」とあった。

 しかし、ネクストバッターズサークルの御子柴だけは、その糸井の背中を、絶対の信頼を込めた目で見つめていた。

(河上、お前の緻密な観察眼システムは、こいつには通用せんぞ。糸井は――何も考えていないからこそ、最強なんだ)

 プレイ。

 顕真は、音が遮断された世界の中で、じっと糸井の挙動を観察していた。

 打者の視線の動き、重心の位置、グリップの力み。それらを複合的に計算し、狙い球を弾き出すのが顕真のピッチングスタイルだ。だが、糸井の目には「配球を読もう」という邪念が一切なかった。ただ無邪気に、顕真の左腕だけを牛のように見つめている。

(……読めない。こいつ、何も考えていないのか)

 顕真の冷徹な胸の奥に、微かなざわめきが走る。

 初球。野村のサインに従い、顕真は外角低めへ、文字通り「消える」高速スライダーを投じた。並の打者なら手も足も出ない魔球。

 しかし、糸井の身体が本能だけで反応した。

 凄まじいスイングスピードから放たれたバットが、手元で急激に変化したスライダーの軌道に無理やり合わされる。

 バシィィン!

 打球はバックネットへ激しく突き刺さるファウル。

 捕手の野村が、マスクの裏で冷や汗を流した。今のは完全にボールゾーンへ逃げる球だ。それを、データも読みもなく、ただ「球が来たから振った」という原始的な反射速度だけで捉えてみせたのだ。

 二球目、三球目。顕真は内角への剛直球、そしてもう一度外角への高速スライダーを完璧なコントロールで出し入れする。だが、糸井はその都度、驚異的な動体視力だけでバットの芯を外し、泥臭くファウルでカットし続けた。

 カキィン、カキィンと、無音の世界の中で、顕真の左手のひらには打球がファウルになるたびに微かな振動(空気の震え)が伝わってくる。

 息詰まるような、五球連続のファウル。

 糸井の「空っぽの強さ」が、顕真のスタミナをじわじわと削りにかかっていた。一週間前の特訓がなければ、すでにここでフォームが乱れていただろう。

(これ以上、高速スライダーを引きずれば、軌道に慣れられる……!)

 野村は冷静だった。ここで糸井の頭に微かでも「変化球」の残像が植え付けられたと踏んだ野村は、ミットをインサイドの、打者の胸元へと力強く構えた。

『最後は、お前の直球ストレートで捻じ伏せるぞ、顕真』

 顕真は深く帽子を被り直し、頷いた。

 一週間の走り込みで鍛え上げた下半身。白線から一ミリもブレない左足の踏み込みから、残されたすべてのスピンを白球へと込めて、左腕を鋭く振り下ろす。

 放たれたのは、この日一番の、ベース上でホップするような伸びのある剛直球。

 糸井のバットが、やはり本能のままに最短距離で振り抜かれた。

 だが、顕真の執念の球威が、糸井の天才的な野生をわずかに上回った。

 鈍い感触とともに、白球は真上へと高く、高く跳ね上がった。インハイの直球に、完全に差し込まれたのだ。

 顕真はマウンド上で、ゆっくりと首を上げて打球の行方を追った。

 真夏の青空に吸い込まれた白球は、セカンドベースのわずか手前で失速していく。

 そこには、一歩も動くことなく、がっちりと両手を広げて落下点に入っているセカンドの中村晃の姿があった。中村はキャップのひさしをに手を当て、眩しそうに白球を見つめ――そして、グラブの中にボールが収まった。

 3アウト。チェンジ。

 強打者・糸井の「本能」を、東中バッテリーの「執念」が完璧に打ち砕いた瞬間だった。

 中村が笑顔でボールをマウンドの顕真へと転がし、東中ナインが引き揚げていく。一回表、黒金中学校の強力上位打線を、堂々の三者凡退。

 だが、マウンドを降りる顕真の視線は、ベンチへと戻る糸井の背中、そして、それと入れ替わるようにして、守備に就くためにグラブを手にした四番・御子柴の姿へと注がれていた。

 御子柴は自軍のベンチ前で顕真と視線が交錯すると、フッと冷たい笑みを浮かべ、マウンドへと歩き出した。

 三者凡退で抑えられたことなど、全く気にも留めていない王者の風格。

 一回表が終わり、スコアは〇対〇。

 次の一回裏、東中学校の攻撃。黒金中のマウンドに上がるのは、顕真のすべてを知る天才・御子柴。

 東中の上位打線――川瀬、中村、茂木、そして野村が、この絶対的なエースにどう立ち向かうのか。因縁渦巻く真夏の決戦は、息をつく暇もないまま、さらなる熱量を持って裏の攻防へと突入しようとしていた――。

水前寺くん。これが、君の生み出した「糸井のカット」と「セカンドフライでの決着」を最大限にドラマチックに肉付けした「21話の完成形」だ。

どうだい? 糸井のキャラが立ったことで、1回表の三者凡退という結果がものすごく価値のあるものになり、同時に「次の御子柴戦」への期待感が最高潮に膨らんだだろう。

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