第10話 反撃の連鎖
第10話 反撃の連鎖
「――オラァッ! まだ終わってねえぞ、お前ら!」
四回裏、東中学校の攻撃。ベンチの最前列で、正捕手の野村がヘルメットを叩きつけんばかりの勢いで咆哮した。
四回表、一年坊主の顕真が完全無欠のリリーフで絶体絶命の満塁ピンチを切り抜けてみせたのだ。上級生としての、そして野手としてのプライドが、このまま黙っていることを許さなかった。
だが、宮島女学院の先発・上岡もマウンドの修羅場を潜り抜けてきたエースだ。四番・野村の意地のスイングは、手元で鋭く変化するシュートに芯を外され、力ないサードフライに倒れた。一死走者なし。
重苦しい空気がグラウンドに漂いかける。しかし、顕真がマウンドに残した「無音の闘志」は、確実に東中打線へと伝わっていた。
「先輩、繋ぎます。あとは任せましたよ!」
続く五番・塩見が、死に物狂いでバットを突き出した。上岡のインコース高めの直球を力任せに引っ張り、執念でレフト前へと運ぶ。一死一塁。
この一本が、冷え切っていた東中ベンチの導火線に完全に火をつけた。
六番・青木は、北別府のサインを見るまでもなくバットを寝かせた。宮島女学院の無音の守備シフトの逆を突く、三塁線への絶妙な送りバント。猛然とダッシュしてきたサードの大神も送球できず、二死二塁とチャンスを拡大する。
畳み掛けたのが、七番の川田だった。
「顕真のあのピッチングを見て、燃えねえ野手はいねえんだよ!」
川田が放ったのは、センター前への痛烈なクリーンヒット。二死一、三塁。
宮島女学院のあの完璧だった「シンクロ連携」の歯車が、東中ナインの気迫の前にわずかに狂い始めていた。
そして打席には、八番のショート・山本。
マウンドの上岡は早くもスタミナに限界を迎え、肩で息をしていた。山本はその初球、真ん中高めに浮いた甘いスライダーを見逃さなかった。
快音を残し、白球はライトとセンターの間――右中間を真っ二つに切り裂いた。
「走れ走れ走れぇぇぇッ!」
三塁走者の塩見が雄叫びを上げてホームに滑り込み、一塁走者の川田も激走して三塁を陥れる。右中間へのタイムリーツーベース。泥臭く、執念で、東中学校が待望の一点を返した。
「よし! 一対五! まず一点だ!」
バックネット裏で、ひなたがスマートフォンを突き上げ、歓喜の声をあげる。
だが、宮島女学院のベンチも、これ以上の炎上を黙って見ているほど甘くはなかった。監督が鋭くタイムを要求する。
「ピッチャー交代。上岡に代わって――最上」
宮島ベンチから現れたのは、針の穴を通すような制球力と、打者の手元で消える魔球『カットボール』を操る、同校きっての「データの申し子」最上だった。マウンドに上がった最上は、投球練習から一切の無駄のない鋭いフォームでミットの芯を射抜き、東中ナインを冷徹に威圧してくる。
二死二、三塁。なおも一打同点のビッグチャンス。
本来なら九番・垰田の打順だが、東中の打席へと向かったのは、背番号「11」。
河上顕真だった。
宮島女学院のバッテリーは、手元の端末から共有されたデータを脳内で反芻した。
(河上顕真。データなし。だが左投げだ、当然左打席に入る。最上の得意な、左打者の内角に食い込むカットボールで、一発で手元を詰まらせて終わらせる――)
それが、宮島女学院の弾き出した「完璧な計算式」だった。
しかし次の瞬間、宮島の守備陣の「視覚シンクロ」に、明確なエラーコードが走った。
バットを静かに寝かせた顕真が歩を進めたのは、確かに左打席だった。だが、その「構え」が異常だった。
顕真は、バットのグリップをほぼ中央まで極端に短く持ち、あらかじめ前足を大きく引いた、極端な「オープンスタンス」で構えたのだ。
それは、打撃の飛距離を完全に捨てた構え。
だが同時に――投手の最上がボールをリリースする直前の「指先の細かな変化」を、両目で最も正確に、そして限界まで凝縮して凝視するための、顕真独自の「観察特化の構え」だった。
「……なっ!?」
宮島女学院のバッテリーの顔から、一瞬にして余裕が消え去った。
打つ気がない。いや、違う。あの左腕は、打席の中からすら、マウンドの最上の「システム」を覗き込もうとしている。
データにない。計算が立たない。マウンドの最上が、激しい動揺を隠せないまま顕真を睨みつける。
だが、打席に立った顕真の「眼」は、すでに世界のすべてを静止させていた。
東中応援席の歓声も、風の音も、すべてが削ぎ落とされたサイレント・ゾーンの中で。顕真は、最上の右肩の筋肉が、内角を狙うあまりにわずかに強張った瞬間を、完全に、冷徹に見切っていた。
(データの申し子さんよ。お前のその型通りの力み――初球は、内角のカットボールしかねえな)
投手が投げる前から、顕真にはその球筋が完全に「視えて」いた。
無音の怪物のバットが、夕闇のグラウンドで、今まさにデータの裏をかくために始動しようとしていた――。




