第67話 変わりゆく霜北沢③
1階まで駆け下りたオレたちは、そこでも異常さを悟った。地鳴りが絶え間ない。時間を追うごとに激しさを増している。地面が消失するという惨事は、まだ序章に過ぎない事を匂わせた。
廃墟から通りに出る。アスファルトの地面には大きな亀裂が走り、踏みしめると柔らかい。アスファルトを挟んだ向こう側の地中は、今も濁流が流れている事だろう。何にせよ急がなくてはならない。
「陰木! 無事か!?」
問いかけに対する返事を待つ前に、オレたちはベッドに辿り着いた。陰木の姿はそこには無かった。
「アイツ、どこに行ったんだ?」
「たぶん、この建物から出てませんよ。さっきまで向こうからずっと見てましたもん!」
「よし。とりあえず手分けして探すぞ!」
オレたちはその場で別れて陰木の姿を探した。もともとは大型施設だったため、1フロアを探すだけでも一苦労だった。全ての店舗をしらみ潰しにした後、ここには居ない事だけが分かった。
「下に居ない。だとすると上か?」
オレたちは階段を駆け上がった。その間も揺れは続き、頭上から砂埃が降ってくる。建物が地中に飲まれるよりも、もしかすると倒壊する方が先かもしれない。
2階。こちらは1階とは違ってガランとした様子だ。壁やパーテーションで区切られてはいない。集会所やイベントホールのような扱いだったのか、ともかく見通し抜群だった。
「陰木、そこに居たのか!」
窓辺に佇む背中が見える。しかし、オレたちが駆け寄っても、陰木は一瞥もくれなかった。ただ茫洋とした瞳を、崩れ行く町並みに向けていた。
「終わるのね。A番街が、大自然の脅威によって」
「感慨に耽るのは後にしろ。まずは脱出するぞ」
「アンタたちだけで逃げなさい。アタシはこのまま、街と運命を共にするわ」
「バカな事を考えるな。今は命を守ることを最優先に……」
その時だ。轟音が鳴り響くと同時に、辺りが激しく歪んだ。オレたちの居る建物が真っ二つに割れた。まるでクッキーでも割るかのように、実にあっけない崩壊だった。幸運にもこちら側は傾いただけで終わったが、対する向こう側は根本から引きずり込まれるようにして沈んでいった。
陰木の足元が、ちょうど建物の裂け目に位置した。陰木はろくな抵抗も見せず、その身を虚空に躍らせた。落下していく寸前、オレは身を乗り出して、消えゆく腕を強く掴んだ。
「大丈夫か、今助ける!」
「放っておいてよ。どうしてアタシなんか……」
「愚痴なら後で聞く」
陰木の言葉に耳を貸さずに、3人でこちら側に引き上げた。
「ここも間もなく崩れるだろう。急ぎ脱出するぞ」
窓から外を覗き込むと、隣の建物との間に大型の機械が打ち捨てられていた。ちょうど段々になっているので、降りるのに好都合だ。いちいち階段まで戻っていては、崩壊に巻き込まれかねない。
「陰木はオレが担ぐ。2人は何かあった時のフォローを頼むぞ」
「任せな相棒。十二分に働いてやるよ」
「いくぞ、ひとまずA番街から離れる!」
オレ達は大型機器を足場に、路地裏の方へと降りていった。地面がアスファルトを踏む。未だに揺れは続いており、激しさを増す一方だ。
濁流も水量を増していった。最初は穴が空いただけであったが、広がった穴が繋がり、もはや河川のようになっていた。ここから更に大きくなることは、容易に想像できた。
「どんどん崩壊が進んでるな。もはや一刻の猶予もないか……」
後はここから駆け去るだけの事だった。しかし、濁流が撒き散らす轟音に紛れて、何者かの声が、オレ達をこの場に留めた。
「たすけて、誰か助けてくれ!」
オレは凜花と顔を見合わせると、歩道の方へと向かった。背負った陰木は衣織に預けて、大穴の縁までやって来た。
「ワタル、あっちだ! 北の方から人が流されてくるぞ!」
「助けよう。何か使えそうなものは……」
辺りを見回すと、千切れた金属の棒が落ちていた。鉄筋に使われるものだろう。これだと飛びついては棒を両手で持ち、その端を濁流の中に差し入れた。
「大丈夫か! これに摑まれ!」
溺れかけた男は、かろうじて棒を掴んだ。それを見て取った瞬間、凜花と力を合わせて、穴の外まで引っ張り上げた。
そうして救出したのは初老の男で、どこか見覚えがあった。
「なぁ、もしかしてだけど、近くの廃墟に住んでいたか?」
「そういう兄ちゃんは、チラシ配ってたヤツじゃないか。すまねぇ、命を救われた。だが他にも流されちまったモンがいる。悪いが手伝ってくれないか?」
「もちろんだ。被害者の数は?」
「オレもいれて、たぶん5人だ。小さな子どもも巻き込まれた」
「言ってる傍からワタル! また誰か流されてきた!」
「分かった。同じ要領でいくぞ」
オレは金属棒を使って、1人、また1人と救出した。若い男が2人、中年の女と、あどけない少女。多少の衰弱は見られるが、命に別状は無いように思う。
それからはしばらく待つ。だが、流されてくるのは壊れた家具やら、木片といったものばかりで、人の姿は見かけなくなった。
「なぁオッサン。これで5人助けたけど、まだ被災者がいんのか? いつまでもここに居たら危ねぇんだけど」
「たぶん、全員だと思う。だが自信がなくてな。突然足元が崩れたから、きっちりとカウントしてるわけじゃ……」
「あっ、2人流されてる! 助けなきゃ!」
「待て凜花。あれはマネキンだぞ」
濁流の中を、流されていく2体のマネキン。つがいのそれは、陰木が両親として扱ったものだった。
当人にとっては大切かもしれない。しかし今は人命が最優先で、それらは黙って見送る事にした。
しかし次の瞬間、濁流の轟音を切り裂くほどの悲鳴が辺りに鳴り響いた。
「パパ! ママーーッ!」
それは陰木の声だ。彼女はそう叫ぶなり、こちらへと駆け寄り、濁流の中に身を投げた。浮き輪も命綱もない。まさに自殺行為そのものだった。
「クソっ、陰木のやつ。何を考えてる……」
「ごめんなさいワタルさん! 私が少し目を離した隙に!」
「起きてしまった事は仕方ない。衣織、お前は凜花とともに被害者の救出を手伝ってくれ。落ち着いたら治療だ」
「ワタルさんはどうするんです?」
「オレは陰木を追う。あのままじゃ確実に溺れ死ぬぞ」
「ダメですよ、そんなの! ワタルさんだって危険じゃ――」
「まだアニマは少し残ってる」
オレも濁流の中へ身をおどらせた。飛び込むなり、大自然の猛威を一身に浴びた。泳ぐと言うよりも流されるばかりで、まともな制御など叶わない。オレの意思など無関係に、ただ一方向に流されてしまった。
「オブジェクトを中心にゾーン展開!」
生み出したのは防水式のヘッドライトだ。僅かな円形の光が、暗闇の急流を照らしていく。
地面の上に敷かれたと思しき歩道は、土台の全てが流された後だった。少なくとも、伸ばした足の先に触れるものはなかった。
泥水は妙に油臭い。口元が濡れるたびに唾を吐きたくなるが、そちらに気を取られると、漂流物に激突しかねない。流れに逆らうようにして突き立つ木片など、もはや凶器でしかなかった。
「陰木! どこにいる! 声を出せたら返事しろ!」
辺りを懸命に見渡し、しかし流されていく。やがて、ガレキやゴミの堆積する場所に人影を見た。
陰木だ。さながら、海で遭難した人が板にでもしがみつくように、上半身を堆積物に預けていた。そして、2体のマネキンまで傍に居る。それらを積み上がったガレキの上に乗せることで、濁流に攫われる事を防いでいた。
「陰木、大丈夫か! しっかりしろ!」
オレも堆積物を壁にする事で、どうにかこの場に留まった。
陰木はというと、声をかけたオレを見ようとはしない。ただ愛おしそうに、両親と見定めたマネキンを撫でつつ、小さく呟いた。
「こんなところまで何しに来たの。バカみたい」
「お前を助けに来たんだ。ここもいつまで保つか分からん。早く脱出するぞ」
オレが差し伸べた手を、陰木は触れようともしない。彼女の両手は今も、物言わぬマネキンたちのもとだ。
「嫌よ。アタシは帰らない。ここで死ぬって決めたから」
「笑えない冗談はやめろ」
「嘘でも冗談でもないわ!」
ここでようやく陰木がこちらを向いた。ただし瞳に、怒りの炎を宿しながら。
「だってアタシにはもう、何も残ってないのよ! 街もなくなったし、家族も友達もいないし、どこを見渡しても廃墟ばかり! こんな世界で何しろってのよ、楽になりたいって考えて当然でしょ!」
「お前はまだ幸せになっていない。成功を掴む前に死ぬのは、不条理だと思う」
「綺麗事いわないでよ! とにかく決めたから、アンタは勝手に帰りなさいよ。アニマを使えばどうとでもなるでしょ」
陰木は、再びマネキンの方を向いた。さきほどの剣幕など無かったかのように、哀しくも穏やかな表情に変わった。
「ねぇパパ、ママ。決めたんだよアタシ。そっちの方へ行くって。今まで怖かったけど、やっと決心がついたの。また皆で楽しく暮らそう……?」
そこで陰木の両手が淡く光る。アニマを使ったようだが、ハッとするほど儚い。なけなしという言葉が当てはまるようだった。
陰木から力を授かったことで、マネキンたちが再び生命の息吹きを取り戻した。だがその動きは、父と母のいずれも、壊れた玩具のようにぎこちない。
「アタシも同じところへ行けるよね。嫌だよ、死んだ後も離れ離れになるだなんて。だからお願い。アタシが迷子にならないよう、しっかり導いてね……」
両腕を広げた陰木が、父と母を抱きしめようとする。しかしその思いとは裏腹に、父が陰木を手のひらで押し返した。
それは明らかに拒絶の意思だった。
陰木がこちら側へ倒れてくるのを、オレはとっさに抱きとめた。
「どうして……。何でよ、パパ! ママ!?」
父は、陰木を突き飛ばした拍子に、大きくのけぞった。父の指に引っかかった母も、同じ方へ倒れる。そして2体とも濁流の中へ落下した。
その末路は考えるまでもない。凄まじいまでの水流に押し流されていき、その姿は闇の中へと消えた。
陰木が狂ったように暴れ出すのを、オレはただ全力で抑え込んだ。
「離して! パパとママが消えちゃうよぉ!」
「正気に戻れ陰木! このままじゃ本当に死ぬぞ!」
「だから死ぬって言ってんでしょ、いいから離せよバカ!」
「お前はまだ分からないのか? 物言わぬマネキンでさえ、お前を生かそうと突き飛ばした。自らを犠牲にして。その意味を考えたらどうだ」
「だって、そんな……そんな事言われたって……!」
陰木は暴れるのを止めた。そして、腹の底から鳴き声をあげて、辺りに響かせた。
「どうして皆いなくなっちゃうの!? なんでアタシを独りぼっちにするのよ!」
「その意味は後でゆっくりと考えろ。答えを探れるのも、生きてこそだぞ!」
オレは辺りを見渡すが、脱出路はない。船でも作ろうかと思うが、小舟では流されるし、大型船を生み出すスペースも材料もない。
だとすると、答えはひとつだ。
「付近にゾーン展開、地上へつながる階段!」
素材は頭上を塞ぐ歩道だ。そうして堆積物に登り階段が架かる。その先は暗いながらも、外の光にあふれていた。
陰木を抱えつつ、這うようにして階段を昇る。不意に目眩がよぎり、遅れて頭痛までやってきた。オレも限界間近だろうと思った。
「ワタル! 大丈夫か!?」
地上へ戻るなり、凜花と衣織が駆け寄ってきた。陰木を衣織に委ね、状況の報告を受けた。
「朗報だぞワタル。流された人なら全員助けた。同じグループの奴が確認したから、間違いないってよ」
「さっきより明らかに人が増えてるな」
「被災したやつらだよ。捜索隊を組織したらしいが、全員生きてると知って感謝してたぞ」
「そうか。それは不幸中の幸いだろうな」
オレは、陰木の後姿を黙って見つめていた。衣織が寄り添い、頻繁に話しかけているようだが、無視を決め込んでいるらしい。聞こえる声はひとつだけだ。
「これで良かった。今はそう思い定めよう」
それからすぐに、オレたちはまとまって移動した。駅前から遠ざかると、地鳴りを感じなくなり、ようやく安全圏まで辿り着いた。
雨はすでにあがっている。雲の隙間から、眩しいほどの太陽を仰ぎ見た。これは好転のきっかけだ。そう思いながら、濡れた身体を陽射しに晒していた。




