第66話 変わりゆく霜北沢②
陰木のデープゾーンから抜け出すと、オレと凜花はアスファルト製のドームの中に居た。正面は今もの大穴が空いており、そこから吹き込む風が、雨の飛沫を呼び込んだ。
外は耳にうるさいほど、土砂降りの大雨だった。
「どうやらオレ達は戻ってきたようだな……」
激しく降り注ぐ雨が、廃墟と化したA番街を濡らした。カフェや雑貨店の名残をのこす廃屋、ところどころで破損の見られる歩道。それに雨ざらしで横たわる無数のマネキンと、陰木の青白い身体。
気を失っているのか、身動ぎのひとつも見ることは無かった。華やかだった服装も、なぜか今はワンピース1枚だけで、全身が余すこと無く濡れそぼっていた。
「凜花、ひとまず陰木を安静にさせないと」
「もちろんだ。ついでに衣織ちゃんも探そうぜ」
「衣織は……本屋の中か? まずはそこを当たろう」
オレたちは降りしきる雨の中、駆け足になった。水たまりで雨水がはねるのを厭わず、陰木のぐったりとした身体を背負う。
そして本屋に駆け込むと、衣織が出迎えてくれた。ただし、柱の陰から顔だけ覗かせるという、どこかおどけた様子だった。
「良し。衣織も無事みたいだな。陰木の様子が心配だ、介抱するから手伝ってくれ」
「ええ、それはモチロン。やぶさかでないのですが、今はちょっと間が悪いと言いますか、何と申せば良いのやら」
「何のことだ? 押し問答してる余裕はない。すぐに手を貸してくれ」
「ひえっ! ちょっと、コッチに来ないでください!」
オレは悲鳴まじりの懇願を受け入れる事もなく、陰木を背負ったまま歩み寄った。そして柱を回り込むと、衣織の全身が視界に入ったのだが。
「キャアア! 見ないでくださいっ!」
衣織が必死に両腕で胸元を隠した。陰木から強引に着せられたシャツやスカートはなく、下着姿だった。
すると、すかさず凜花が割り込んできた。
「何じっくり見てんだよワタル! 乙女の柔肌だぞ、目を背けるとか配慮しろ!」
「あぁすまん。別に下心があったわけでは……」
そこでオレは納得した。陰木と衣織の服はゾーン内でのみ成立する物だったと。アニマを活用して生み出されたので、街の崩壊とともに服飾の類も消滅したのだと。
理屈が通れば、余計な疑惑をかけられたくはない。凜花の指摘通りに視線をそらした。
「それよりも衣織。そんな格好では寒いだろ。何か羽織るものでも取ってくる。辺りを探し回れば、布くらい見つかるだろう」
「あ、ありがとうございます。助かります」
「その間、2人は陰木を頼むぞ」
陰木の濡れそぼった身体を凜花に預けた、その時だ。右目の端が衣織の姿をとらえて、異常を知らせた。あまりの不条理さに、思わず駆け寄って凝視してしまった。
「な、なな、何ですかワタルさん!? 私の身体なんか見ても楽しくないですって!」
衣織が全身を硬直させる中、オレが着目したのは首元だ。そこには、元々つけていた思い出のネックレスだけでなく、陰木から押し付けられたチョーカーが同居していた。
それを見つめるうち、夜風にも似た寒風が胸に吹き込んでくる。そして浮かんできた言葉を、そのまま吐き出した。
「少し、哀しいな」
「えっ! 私、そんな貧相な身体してます!? これでも知り合いの女の子には、大きいねって褒められるんですが!」
「ワタルこの野郎! 漫画やゲームでデカチチ女に見飽きたかもしれねぇが、現実の女の子なんてこんなもんだよ! 良いから早く、布でも何でも探してくる!」
オレは凜花に背中を押される形で、本屋から出た。何となく、かゆくもない首筋を掻いてから、物資調達に出かけた。
訪れたのは半壊した大型店舗だ。陽射しも電灯も無いので、中は深夜のように暗い。それでも目が慣れてくると、物の判別も出来るようになり、ホコリまみれの布を2枚ほど手に入れた。
しかし成果に対する感慨など無い。心に去来するのは、さきほどのチョーカーだけだった。
「なぜ陰木はあんな真似を……。いや、考えても仕方ない。直接本人に問い合わせよう」
それからしばらくして、オレたちは大型店舗の一角に居場所を移した。奥まった場所であれば風雨の影響が少ないからだ。
独占的ゾーンを展開して、簡易的なベッドを作成した。照明は凜花の持つハンドライト。ガレキやゴミで散乱しているが、それはどこを見ても似たりよったりだ。
「う……。んん……」
「陰木、気がついたか?」
「ここは……。そっか、アニマが尽きて、元通りに……」
「起きるな、寝てたほうが良い。精神には相当な負荷がかかっているハズだ」
オレは身振りで、寝るようにジェスチャーを送った。しかし陰木は無視を決め込み、真新しいベッドに半身を起こしては、壁の方を見つめた。
「無様なところを見せたわね。アタシの過去は惨めで、さぞや滑稽だったでしょう?」
「笑える所なんて無かった」
「嘘つくんじゃないわよ。知っての通り、アタシは親無しの友達無し、正真正銘の独りぼっち。天涯孤独なのよ」
「不運というか、めぐり合わせが悪かったと思う」
「そんな一言で片付けないで」
陰木は悪態をつきながら、自身の両手を見つめた。指先の痙攣が激しい。自律神経が大いに乱れているようだった。
「ところで、ここに住んでいた人たちはどうしたんだ。1人として見かけないが」
「居るわけないでしょ、そんなもの」
「いやおかしい。少なくともオレたちは、小物屋の店主と口をきいた。カフェやマッサージ店にも人間の店員が働くのを見たぞ」
「あれは元々マネキンよ。アニマを使って、リアルな人間っぽく姿を変えたの。ゾーンが解除されたことで、本来の姿に戻っただけ。今頃はそこら辺に転がってんじゃないの」
「なぜ人間を再現しようとした?」
オレの問いに、陰木は言葉を詰まらせた。だが、自嘲的な笑いを断続的に漏らすと、乾いた瞳をこちらに向けた。
「寂しかったからに決まってるでしょ。不思議だったけど、マネキンたちに笑顔で過ごしてもらったら、なぜかアニマの貯まり具合が良くてね。それで1人2人と、人間っぽいマネキンを増やしていったわ。よそから客なんて来ないから、接客相手もマネキンという、バカみたいな事してたけど。それでも話し声が聞こえるだけマシ。閑散としているよりずっとね」
陰木の体調は優れないはずだった。それでもやたら饒舌だった。もしかすると、対話をすることで心の整理をつけているのかもしれない。
そろそろ休ませたほうが良い。そう思いつつも、あと1つだけと、別の話題を持ちかけた。
「ところで陰木。なぜ嘘をついた?」
「なにがよ」
「衣織のチョーカーだ。爆発物だと偽っただろう」
「そんな事無いわよ。アタシがその気になったらもう、首ごとフッ飛ばせるくらいの――」
「これはアニマで作ったものじゃない。実際に素材を手に入れて、イチから作ったものだ。その証拠にゾーンが解除された今も、変わらず衣織が身につけている。さらに言えば、ディープゾーンで見かけた物に酷似している。おそらく以前に作ったものを衣織に贈ったと――」
「そうよ! アンタの言う通り、円香に脅されて作ったヤツの余り物よ! それが何、文句あるの!?」
「いや、文句ではなくて」
「どうせアンタも嗤ってんでしょ! 情けないやつだって。つまらなくて、しょうもない人生だって! その通りよ、どうせアタシなんて、生きてても仕方ないクソみたいな女だよ!」
「お、おい。落ち着け」
陰木は、癇癪を起こしたはずみでベッドから転がり落ちた。とっさに衣織が駆け寄り、抱き起こした。その首に件のチョーカーを身に着けながら。
「大丈夫、紬季ちゃん。怪我してない?」
「アンタも何なのよ、まだそんなもの着けて! 嫌味ったらしい事はやめてよ!」
「あっ、ダメ! そんなに引っ張ったら――」
陰木が強引に外そうとして、嫌な音が鳴り響いた。チョーカーのナイロン紐を留める金具が、壊れてしまった。
ハラリと落ちるチョーカーを目の当たりにした陰木は、顔をグシャリと歪めた。しかしそれも一瞬で、再び火が点いたように喚きだした。
「出てってよ! どいつもこいつも、アタシをバカにして、いい加減にしてよ!」
「陰木。オレ達はな、お前の力に――」
「聞こえないの!? 早く、どっか行っちまえよッ!」
陰木が枕を力いっぱいに投げつけてきた。オレたちはかける言葉もなく、その枕をそっと床に置いた。そして、凜花と衣織を引き連れて、その場から立ち去った。
「どうすんだよワタル。ありゃ重症だぞ」
「しばらくは誰も受け入れないだろう。衣織でも拒絶するあたり、半分くらいお手上げだ」
雨は未だに強い。オレたちは道路向かいの建物に避難した。いったん車まで戻りたい所だが、雨脚が弱まるまでは動きようがなかった。
「紬季ちゃん。もしかしたら、褒めてもらいたかったのかも」
「何がだ、衣織?」
「ディープゾーンに潜った時、思ったんです。あの円香という子に褒めて貰えた事、すごく喜んでたじゃないですか。お母さんを楽にさせたいとか、そういう想いもありましたけど、一番は認めて貰えたことが嬉しかったんだと」
「円香の言葉は方便だろう。売りさばく『商品』を手に入れるための」
「はい。だから喜んだ分、失意も大きいようです。だから紬季ちゃんはこれをアニマで作らず、手作りの方をくれたんじゃないかって。今も誰かに認めてほしいんだって、そう思えるんです」
衣織が、壊れたチョーカーを両手の上に乗せて、呟いた。衣織は心を読むスペシャリストだ。今の読みも、恐らくは真実だろうと思う。
「私、行ってきます!」
衣織が青ざめた顔で出ていこうとするのを、凜花が引き止めた。
「おいおい、どこ行く気だよ?」
「紬季ちゃんのもとです。私、困惑するばかりで、お礼を言えてませんでした。深い事情があるって知らなかったから!」
「今はやめときなって。何を言ったって別の意味にとられちまうよ」
「そうかもしれません……でも!」
「とにかくだ。陰木の事はしばらくそっとしておきな。気持ちが落ち着いた頃に、改めて伝えてやれば良いだろ」
それきり、衣織は黙りこくってしまった。そして、その場で座り込み、外の様子を眺めた。雨はやまない。ひどく陰鬱でいやな天気だと思う。
どれだけ不毛な世界をボンヤリと眺めていただろう。だがオレ達は突然『傍観者』では居られなくなった。
「うん、何だ?」
「今度はどうしたんだ、ワタル」
「今気づいたんだが、地震でも来てないか? さっきから地面に振動が……」
「これ、地震じゃないだろ。地鳴りだと思う」
「そういえば、昨晩も似たような振動があったな。悪いことの前触れじゃないと思いたいが」
その時だ。耳が痛いほどの轟音のともに、床が激しく揺れた。地震か。それにしては周期が短すぎる。例えるなら、巨大な何かが落下したような振動だった。
「くッ……。いったい何事だ?」
「ワタルさん、見てください! 道路が……!」
衣織の悲鳴が知らせたのは、目を疑う程の光景だった。
A番街を貫くように敷かれた歩道が、歪んだかと思うと、地中に飲まれていった。
「歩道が消えた……? そんなバカな!」
オレ達は建物の上階に登り、窓辺から通りを覗き込んだ。すると、歩道に大きな大きな穴が空き、道は途中で寸断された形になっている。
その穴の中は濁流だ。連日の大雨から、大量の排水が流れ込んで来たようだった。
「歩道だけじゃない。建物も、あちこちで崩れだしてる……」
「おい、これは危険な状態じゃないか!?」
基礎部分から崩された廃屋は、一棟、また一棟と音を立てて崩れていった。それは止め処なく続き、次にどこが崩れるか見当もつかなかった。
そして今、向かい側の建物も、同じ運命を辿ろうとしていた。大型店舗の廃墟だ。そこには今も陰木が療養を続けていた。
「走れ! 陰木を助けに行くぞ!」
オレはそう叫びながら、階段を駆け下りていった。




