第35話 アニマを活用せよ
白い部屋、白いテーブル、そこらを駆け回る謎のペット。オレたちはインフォのディープゾーンに招かれていた。
毎度の事ながら、凜花や衣織の顔色が優れない。だが取り分け怯えていたのは大介だった。
「突然だったよ。ほんと、何の脈絡もなしに、草むらから巨大なイモムシが飛び出して……。そのまま僕は、頭からバクリと……!」
「それは恐怖体験だったな、大介。なんかスマン」
「ワタルさんのせいじゃないけどね。そう言えばうちに来たよ、司馬木さんたち。急な話で驚いたよ」
「すまん。他に案が無かった。受け入れは難しいか?」
「人数は良いけど、葉狩野の元手下ってのがネックだった。でも何とかなるよ。ワタルさんの手紙が大きいと思う」
「司馬木は根っからの悪人じゃない、ちゃんと改心したようだ。上手く付き合ってくれたら嬉しい」
「まぁ、皆を説得するには、このディープゾーンから抜け出さないとね」
眼の前にコトリと紅茶が置かれた。立ち上る湯気に混じって、ほのかにオレンジの香りが漂った。
「さぁ。温かいうちにティーを飲みたまえ」
インフォが並べたものを、皆は疑いもせず、金縁の器を手に取った。オレはやはり拒絶した。手を伸ばそうとするだけで、得も言えぬ恐怖心に囚われるからだ。
「さて、ワタルよ。君は見事、同格の覚者を討ち果たすことに成功した。土壇場でゾーン展開してみせるとは素晴らしい」
「あの時は、本気で死ぬと思ったぞ」
「確かに、現実世界で死ねばお終いだ。君の亡骸は大地に還り、私も観察を断念するほかない」
「それよりもだ。いったい何なんだ、あのセカンダリーゾーンと言うのは」
「前にも説明したかもしれないが、潜在意識を映し出すディープゾーンと、顕在意識が認識する現実の、その中間に位置するものだ」
そこからして良く分からない。中間とは言うが、どこに転がっている世界なのか。だが、いずれ理解できるものとして、疑問を脇に置いた。
「お前は以前にこう言ったよな? セカンダリーゾーンなら、何でも出来ると」
「語弊を恐れずに言えば、その認識で正しい」
「何でも、は出来なかったぞ。この前の宇和前の時、なぜ凜花達は能力を封じられたんだ? そのせいでとんでもないピンチになったぞ」
「簡単な事だ。それは他人の、さらに言えば敵対者のゾーンだったからだ」
「敵対してるとダメなのか? セカンダリーゾーンの中に居るんだぞ」
「展開した者が許さないだろう。君は敵が武装強化されることを望むか? その強化された敵に蹂躙されたいと思うか? むしろ逆だろう。君の敵は、君たちが弱ったままで死ぬことを願い、叶えようとする」
「オレがゾーンを競合させたら、力が戻った」
「君が生成したゾーンは君の願いを叶えようとする。その一方で敵は、それが実現しないよう働きかける。競合状態と呼ばれる所以だよ」
この説明は、これまでで1番分かりやすく、割と腑に落ちた。大介は理解したらしく、大きく頷いた。
その一方で、凜花は衣織に紅茶の感想などを述べていた。はなから聞く気が無いらしい。
「宇和前という男は、広い農園や噴水を造ったりと、大掛かりな事をやってたぞ。思い返すと、レストランでガスも使えていた気がする」
「発想として悪くないと思う。アニマの目処さえついていれば、かつての暮らしを取り戻す事も可能だ」
「そのためには、大勢を犠牲にする必要があるようだ」
「実現できるか否かは、要求される分のアニマを使えるかにかかっている」
「この前は、望めば何でも手に入るとか抜かしてたよな。話がだいぶ違うぞ」
「そうだろうか?」
その時どこからともなく、黒アゲハの蝶が舞い降りてきた。それはインフォの指先に止まった。一体どこから、と思わなくもないが、話したいことは別にある。
「集落レベルですら、10人近い犠牲を必要とした。もしそれが都市ぐらいデカくなったら、どれだけの人間を虐げたら良い? 1万人ぐらいか? それとももっとか?」
「我々アップスの民は、君たちに可能性を与えたにすぎない。どう運用するかも君たち次第だ」
「与えた? お前らが世界をブッ壊したんだろ。恩着せがましく言うな」
「ならば、問答無用で絶滅させて欲しかったとでも? それを望む強硬派も少なくないのだよ」
「……横暴な奴らだ」
「それよりワタル。君はセカンダリーゾーンの扱い方をマスターしたかね?」
「何だよ急に」
「先の激戦では、偶発的に展開できただけ。そんな体たらくでは、この先生き残るのは厳しいのでは?」
するとまた黒アゲハが数匹、舞い降りてきた。その数は増える一方で、インフォの傍で滞空した。こうなると黒い塊だ。
さすがのオレも腰を浮かした。凜花たちも顔を左右に向けては、事態の変化にうろたえ始めた。
「インフォ、いったい何事だ!」
「ここは私のディープゾーンだ。いわば自宅のようなもの。家主がどう振る舞っても、それはこちらの自由だろう?」
「これはやっぱりお前の仕業か! 何を企んでる!」
いつの間にか、蝶は無数と呼べるまで集まっていた。それらはインフォの傍で群れたかと思うと、急に動きを変えた。オレたちの身体を掠めては旋回し、またもや傍を駆け抜けていく。
大いなる意志とでも言えばよいのか。その群れに乱れはなく、完璧な統率をもって飛び回った。
「ワタル、アニマを使いたまえ。うっとおしいと思うなら、セカンダリーゾーンを展開して、蝶を駆逐してしまえば良い」
「簡単に言うなよ……!」
「発動の感覚がわからないか。では、スマホに指示すると良い。それをトリガーにして展開できるよう設定すれば、今後も楽だろう」
すると、スマホが振動するとともに、耳慣れた音声を鳴らした。
――セカンダリーゾーンの展開許可を求めています。展開には一定量のアニマを使用します。
インフォの誘導に乗るようで不快だ。しかし、贅沢を言う余裕はない。アゲハ蝶は更に数を増しており、もはや視界を埋め尽くすほどだ。白い床や壁は、今となってはほとんど見ることが出来ない。
「セカンダリーゾーンの展開を許可する!」
――音声認識により実行許可を確認しました。以後、アニマを継続的に消耗しますので、ご注意ください。
「凜花、ゾーンを展開した! 銃で撃ち落とせないか!?」
問いかけるも会話にならない。蝶が羽ばたく音が声をかき消してしまうのだ。こうなると最早、誰がどこに居るかも分からなくなる。
漆黒の闇の中で1人。こみあげた不安で胸に冷たいものが駆け抜ける。オレはまた仲間を窮地に晒すのか。嫌だ。もう宇和前のような状況は繰り返したくない。
「邪魔なんだよ、お前ら……!」
忌々しく黒アゲハの群れを睨んだ。今も変わらず大群が駆け抜け、漆黒の風にでもなったかのように、辺りを飛び回っている。
「どっかに消えろ!!」
オレは叫ぶとともに、腕を真横に振った。すると腕の軌跡にあわせて蝶が消えた。そこだけ白い壁が見えて、さながら暗雲の切れ目のようだった。
「良いだろう、ワタル。合格ラインだ」
「何……?」
インフォの声が聞こえたかと思うと、黒アゲハ達は動きを変えた。全てが天井に集まり、身体を寸分たがわず重ねていくと、やがて一冊の本に姿を変えた。
その本は重力を知らない。たゆたうように落下すると、音もなくインフォの手のひらに収まった。
「おめでとうワタル。これで君は、ゾーンの展開と、願望の実現が可能になった」
黒アゲハの消えた室内は、大きな変化はなかった。凜花たちも無事だ。せいぜい、テーブルのティーカップが1つ、横倒しになったくらいだ。
オレたちは呆気にとられていたが、インフォだけは調子を変えずに語り続けた。
「私が見込んだ通り、ワタルは筋が良い。どちらかと言うと直感的な思考型で、実践派のようだ。アニマ活用という新しい概念を学ぶに当たって、最適な人材と言えるだろう」
「インフォ。オレはそろそろお前を殴りたい」
「機嫌を損ねてしまったかな。いや、その『機嫌』こそが肝要かもしれない。アップスの民も少なからず期待している事だ」
「何が言いたいんだ?」
「実を言うと、我々のアニマに対する理解度は、完璧ではない。まだまだ知らないことも多いのだ」
「あまりそうは見えない」
「どうやら、激しい感情が鍵を握っているようだ。しかし我らアップスの民は、そういった概念が欠落しており、研究が滞っている。永きにわたって願望を叶え続けた、その副作用だと言えるかな。皮肉なことだよ」
そう語るインフォは、表情を変えなかった。皮肉という単語は知っていても、それがどんな感情に紐づいてるか、肌で理解していないのでは、と思う。
「さて、本日はこの辺にしておこうか」
インフォがそう告げると、視界が徐々に白みだす。
「最後にワタル。1つだけアドバイスだ。アニマを使用する時は、潜在意識と表層意識を統一したまえ」
「何の話か分からんぞ」
「君たち地球の民は、何故か逆の事を考えたりする。「死にたい」という者は、得てして『幸福に暮らしたい』と、潜在意識で考えている。また、誰かを「嫌いだから近寄るな」と言っても、心の奥底では『相手が改心して傍にいてくれる』事を期待している」
「それは言葉の綾みたいなもんだろ」
「良くない習慣だ。アニマの活用を大きく妨げる。今後は、心の深いところと思考を一致させるように」
「やっぱり分からないんだか!?」
「心の底から信じよ。願望は叶うと信じよ。それできっと上手くいくはずだ」
そこで光が眩く弾けた。眩さに視界を奪われ、物音も遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
次に意識を取り戻した時、オレは軽トラの荷台で横たわっていた。現実世界に戻ったらしい。
「ううっ。ここは、登途でいいんだよな?」
凜花が運転席で身を起こした。隣で衣織も、頭を揺さぶりながらも、背筋をシャンと伸ばした。
「凜花、運転はできそうか?」
「うん、まあな。それよりもう夕暮れなんだが。とりあえず今日のうちに川を渡っちまおうぜ」
この辺りには『多満川』という大きな河川が走っている。そこを越えるには橋を渡るしかない。
凜花の運転は安定していた。とくに疲労も見られず、多満川を越えるのも問題ないと思われた。
しかし、橋を目前にして、凜花はブレーキを踏みしめた。
「あ〜〜これはアカンわ」
「どうした凜花?」
「えっとな、ワタル。さっそくセカンダリーゾーンを使ってみない?」
「急に何の話だ?」
凜花に促されて、荷台から降りた。そして連れられるままに橋の方へ向かった。
そこには、あるべき橋が無かった。わずかに支柱を数本残すのみで、全壊したあとだった。修理して使う、という次元ではなかった。
「さっそく頼むよワタル。まずはホラ、心の底から直す事を想像して――」
「いや、これは無理だろ」
オレは素直にそう思った。こんなものが潜在意識とやらで直せるとは到底思えない。
こうしてオレたちは足踏みを強いられた。向こう岸に渡る手段を見つけなくてはならない。




