第31話 宇和前の言い分
むせかえる匂いの漂うボイラー室に囚われていた人は、10人にも及んだ。子どもから老人まで幅広い。皆が皆、固いロープに縛られていた。
「待ってろ。今助けてやる」
すかさずロープを解きにかかる。その時、鼻が痺れるような刺激臭がただよった。どうやら子どもの身体から臭うようだった。
「もしかして、こんなになるまで閉じこめられてたのか?」
凜花が果物ナイフを持っていた。それで次々とロープを切断していく。1人、また1人と自由を取り戻すのだが、逃げ去ろうとする者は居なかった。
ぼんやりと床を眺めつつ、その場に座り込んでしまう。全員が全く同じ行動を選択した。
「どうした。立ち上がる元気も無いって事か?」
「少しですが、食べ物を用意しました。水もあります」
「みんな、これから均等に配る。奪い合ったりしないように頼む」
オレは皆が殺到し、大喧嘩に発展する事を危惧した。しかし、辺りは不気味なほど静まり返っており、近寄る素振りすら見せない。視線も変わらず、あらぬ方向へ向いたままだ。
「あの、どうぞ。ツナの缶詰です……」
衣織が開封した缶を差し出す。その隣に、水で満たしたプラスチックのコップも置いた。それでも彼らは動かない。
明らかに空腹のはずだ。誰を見ても一様にやせ細っている。缶詰食でも喜んで食うハズだ。
「遠慮しないで良い。まずは腹を満たしてくれ」
「……が。……が」
「うん? 何か言ったか?」
ふと、耳を済ませてみると、何かを呟いている事に気付く。1人だけじゃない。それはあちこちから聞こえ、やがて合唱にも似た響きになった。
「咎を……。わたしの、咎ァ……」
「トガ? それがどうかしたか?」
「我が主よ、咎を許したまえ。迷える魂を導きたまえ」
「何を言って……いや待てよ。それ、どこかで聞いたぞ」
脳裏にとある光景が蘇る。それは登途のゲーセンで、見知らぬ男が自殺したシーンだ。
彼も似たようなセリフを吐き、自らの腹を割いた。これを偶然の一致と片付けるのは、不自然に思えてならない。
「ワタルさん。どうしましょう、誰も食事に手をつけません」
「いっそ外に連れ出すか。場所が変えたら正気を取り戻すかもしれない」
その提案に反発したのは凜花だ。座り込む少年を立たせようとしながら、首を横に降った。
「この人数を表に運んでいくのか? 無理だろ。コイツら全然歩かねぇと思うぞ」
「参ったな。だとしたら何を……」
その時、1人の青年に目が止まった。上半身が裸で、下はデニムパンツ。それらを差し置いて気になったのは、耳のピアスと特徴的な隙っ歯だ。
顔を改めて覗き込んだ。その男は確かに、自明キャンパスで見た覚えがある。
「おい、お前は歯抜けピアスじゃないか」
「私の咎をゆるしたまえ。迷える魂を――」
「おい、しっかりしろ! お前は葉狩野の手下だったヤツだろ?」
「えっ……あぁ……?」
生気のない瞳に、少しずつ意思の光が宿りだす。さながら明滅する蛍光灯のように。
それから間もなく、男はオレに向かって飛びかかった。
「テメェはあの時の! フザけんな馬鹿野郎!」
「うわっ。何するんだ、やめろ!」
「テメェがぶち壊しにしたから! 葉狩野を倒さなきゃ、オレはここまで落ちぶれなかったぞ! 全部テメェのせいだ――いたたたっ!」
「どうした。急に動いて筋でも痛めたか?」
「違う、背中! 背中の傷……!」
「怪我でもしてる……ッ!!?」
オレは背後に回った所で絶句した。背中全体が赤く腫れ上がっており、どこもアザだらけだった。かさぶたも生々しく、塞がりきっていないのか、ドロリとした色を帯びていた。
「ただの怪我じゃないな。誰にやられた?」
「宇和前だ! あいつら、人のこと好き勝手に殴りやがって!」
「そもそも、お前はどうしてここに居るんだ?」
「あの日に大学を追い出されてから、行く宛もなくてスーパーに行ったんだよ、腹減ったから。登途駅前のやつ。そしたら、武装した男たちに攫われて、気づけばこんな所に……!」
「お前ら葉狩野の一派は、宇和前とモメてたらしいな。私刑にあう事くらい有り得そうだが」
「百歩譲ってオレは仕方ねぇよ。でもそこのチビ達は何をしたってんだ! あいつら、こんなガキにもお構いなしだ、しこたまブッ叩きやがる!」
「確かに……。これは酷いと思う」
「言っとくが、飯を食わそうとしても無駄だぞ。どいつもこいつも宇和前に洗脳されてやがる。許可された事以外は何もしねぇぞ」
「歯抜けピアス、もう少し話を聞かせろ。そうしたらここから出してやる」
「司馬木だ。そろそろ名前で呼べ!」
そうして司馬木は、ツナ缶をむさぼるように食い、ノドを鳴らして水を飲んだ。その間に、衣織が持ち込んだ救急箱で手当てもしたのだが、強く染みたらしい。大の大人が涙を浮かべてまで堪えた。
「ここでは何が?」
「簡単に言えば折檻だ。奴らは前口上をダラダラ偉そうにぬかすが、やってる事はロクでもねぇ。殴る蹴る踏みつける。子ども相手でも容赦しねぇ、弱いものイジメだよ」
「ここの皆は、咎がどうのと言うが」
「宇和前の受け売りだよ。オレたちにはとんでもない罪があるから、浄化されるまで堪えろって」
「浄化の為……か」
辺りを確認するまでもなく、劣悪な環境だった。食事を十分に与えず、光も差さない地下に閉じ込めている。罰を与えるにしても、やりすぎだと思う。
怪我の手当もしないあたり、死なれても良いと考えているのだろう。大人も子どもも関係なく。暴力を浴びせて死に追いやる。
オレは、自分の奥歯がギシリと鳴るのを聞いた。
「確かにこの状況、まともじゃないな。よほどの理由が無ければ正当化できないだろ」
「こんなもん、どうせ憂さ晴らしだよ。殺さねぇ程度に飲み食いさせて、しこたま殴る。こちとら動くマネキンみてぇなもんだ。ストレス発散にちょうど良いんじゃねぇの」
「誤解も甚だしいですね。そんな受け取り方をされては心外というものです」
声は入口の方。振り向いた。そこには、いくつものライトが灯り、男たちの顔を白く照らした。宇和前だった。その後ろを3人の男が付き従っている。どうやらオレたちの動きは発覚したらしい。
オレはそれとなく凜花たちの前に立ち、密かに陣形を整えた。
「宇和前。これがお前の本性か。善人ヅラして、ずいぶんと悪質な事をやらかすんだな」
「おやおやアナタもですか、誤解だと申したでしょう。折檻だの、憂さ晴らしだのという解釈は間違いです。我々が本当に、その程度のお遊びに夢中になるとでも?」
「だったら、この光景をどうやって説明する?」
「良いでしょう。遅かれ早かれ、鬼道さんにもご説明するつもりでしたし。いささか順番が狂っただけです」
宇和前が、一歩ずつこちらに歩み寄った。すると、囚われの人たちが一斉にひざまづき、額を床にこすりつけた。オレ達には何の反応も示さなかったが、宇和前の気配には敏感だった。
「これは魂の浄化なのですよ。この者たちに宿る罪を、咎を、清める儀式です。我らとて無意味に虐げているのではございません」
宇和前は、這いつくばる老人の傍に立つと、相手の頭を踏みつけた。タバコでも踏み消すような仕草に、陰湿な暴力性があらわになる。
「やめろ。それに何の意味がある」
「何の意味? もちろんアニマですよ。彼らには、この施設を維持するだけのアニマを生産してもらっています」
「なんだと?」
「ご存知ないのですか? 精神エネルギーであるアニマは、命の危機に瀕すると爆発的な力を生むのですよ。また、死に直結する飢えや絶望、身体が蝕まれていく痛苦なども、なかなかの力を生みますよ」
「じゃあ、地上の農地を維持できるのも……」
「はい、ご名答。ここで魂の浄化を進める事で、必要なアニマを生成していたのですね」
「つまりは、これだけの人を犠牲にした結果か」
「持ちつ持たれつですよ。彼らはここで罪を清める事ができる。我らはアニマで暮らしが潤う。これぞまさに、一挙両得というものです」
宇和前は愉快そうに手を叩いて笑った。その顔は、本当に愉快そうに見えた。
「さて鬼道さん。どうでしょうか。この施設の表と裏を知った今、改めて問いましょう。私に手を貸してはもらえませんか?」
「よくもそんな口がきけるな」
「アナタも覚者であるなら、アニマの重要性は理解してるでしょう。ここでなら半永久的に手に入ります。今は命の安い時代です。数匹の無能の代償として、途方もないエネルギーが手に入るのです。どちらが大事かなんて、天秤にかけるまでも無いでしょう」
オレが反論しようとした矢先、衣織が割って入った。たまりかねて、という具合で、肩を激しく怒らせている。
「こんなの酷いです! 誰かの幸せのために、ここまでしなきゃいけないんですか!?」
「ふむ、実に青臭い発想ですね。我々人類は他者を虐げ、奪い、踏みつけにすることで富を確立してきました。特に集団からのはみ出し者など、格好の的でしたよね。例えばホラ、イジメなんかで脱落するような人間とか」
「今すぐやめてください! ここにいる人達にも大切な人や、仲の良い人だっているでしょう? その人たちが苦しんでも、それでも構わないって言うんですか!」
「そうです。だから連座制を導入してみました。誰かが罪を犯せば、家族もまとめて収容します。禍根を残す訳にはいきませんから。足腰立たぬ老人でも、それこそ乳飲み子でも例外はありませんよ」
「そんな……赤ちゃんまで……?」
「まだ前例は無いですがね、機会があれば試すつもりです。果たして赤子から引き離された親が、どれだけ濃厚なアニマを生むか……。想像しただけでもワクワクしますね」
「こんなのって……こんなのって!!」
衣織が拳を握りしめて睨む。今にも殴りかかりそうな形相だった。
「私はあなたを許しません……周囲に馴染めない人なんて大勢いる! でもその人達だって、傷つきながらも必死に頑張ってるの! それなのに、踏みつけにするだなんて、絶対に許せない!」
その言葉に、凜花もすかさず同意した。
「オッサンよぉ……。なんかもっともらしい事言うけどさ、結局は弱いもんを押さえつけて、搾取してるって事だろ。ムカつくね、マジで。アンタからもらった飯を、今ここで吐き出してぇくらいだわ」
「やれやれ、これだから女子供は大義を知らぬ。婦人の情に振り回されて議論にならない。鬼道さんはどうです? 建設的な意見を聞きたいものですね」
オレは答える前に警棒を抜いた。そして、それを真っ直ぐ宇和前に突きつけた。
「オレは権力を振りかざすヤツが嫌いでね。特に横暴だったりすると憎悪すら覚える。スマホの角で頭をカチ割る程度にはな」
「なるほど、残念ですね。では御三方には死んでもらいましょう」
言い終えるなり、宇和前の周囲で稲妻が駆け抜けた。黒光りするそれは、これまで何度も見たものだった。
「おいワタル、ここは現実だろ!? どうしてサイコストーカーが出てくんだよ!」
「わからん! とにかく凜花と衣織は下がってろ! オレより前に出るな!」
稲光が弾けた。肌をうつほどの突風が駆け抜けると、宇和前と手下どもは皆、姿形を変えていた。
両手足は人間のもの。しかし胴から頭にかけては、クラゲやエイを彷彿とさせる、のっぺりとした作りになった。さらにその先端には大口があり、ビッシリと鋭い歯を生やしていた。かじり取るのに効率的な構造だった。
まるでヒルのようだ。そんな印象を、怖気とともに抱いた。
「さぁ、食ってしまいましょう。覚者とその手下のアニマなんて、めったに味わえませんよ!」
一際大きいヒルが宇和前か。オレは息を荒くしながら、警棒を強く握りしめた。手が震える。膝だって今にも崩れ落ちそうだ。
戦え、戦うしかない。不意によぎる目眩を振り払い、バケモノたちと対峙した。




