第30話 知られざる舞台裏
外傷なし、風邪の諸症状なし。それが診察結果だった。もちろんMRIとかレントゲン検査なんてものはない。白衣を着た年配の男に、瞼をめくられ、あるいは聴診器で胸元を探られたくらいだ。
問題なく健康体とのこと。それは知ってた。
「さてと。もう少ししたら夕暮れ時か?」
通路に置かれたソファに座り、窓の向こうを見た。
すこし霞がかった青空、遠くに広がる倒壊した家屋。春の虫がジジジと鳴く声に混じって、リヤカーの車輪が軋む音も聞こえる。風が吹き込めば、草木の香りまで連れて来た。
「やっぱりおかしいよな。ここだけ別世界だ」
この目に映る廃墟に、果たしてどれだけの人が隠れ住んでいるのか。そして、ガレキの下にはどれほどの犠牲者が眠っているのか、まったく想像もつかない。
「結菜は、今頃どうしてるかな……」
あいつは今、安全に暮らしているか。腹は減らしていないか。自由は保証されているのか。そんな言葉が浮かんでは消えていった。答えの無い問いだと分かっていても、暇があると考えてしまう。
すると、通路に足音が響き渡った。見慣れた袈裟姿の宇和前だ。彼はオレを見つけるなり、眉間にシワを寄せつつ歩み寄ってきた。
「鬼道さん。具合はいかがですか? 道で倒れたと聞いておりますが」
「さっき診てもらったけど、問題ないってさ。凜花たちも同じだと思う」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
宇和前は胸を撫で下ろすと、眉間のシワもほぐれた。どうやら無用な心配をさせたらしい。
「騒がせて悪かったよ。ちょっと色々あってさ」
「ともかく無事で何よりです。とくに鬼道さんは特別な力を持つお方。くれぐれもご自愛ください」
「特別な力? セカンダリーゾーンの事か」
「はい。その力を活用することで、より豊かで安全に暮らす事ができます。あなたはそれを実現できる、数少ない人間なのです」
「その口ぶりだと、オレたち以外にも出来そうだな」
「はい。同じ能力を持つ方は他にも――」
その時、医務室のドアが開いた。凜花が不機嫌そうな顔をブラ下げて、通路まで出た。
「おうワタル。アンタはどうだった?」
「特に問題ない。凜花も平気そうだな」
「もちろんだ。衣織ちゃんも診てもらってるけど、まぁ大丈夫だろ」
凜花は話し終えると、宇和前に会釈をした。宇和前は、それよりも深く頭を下げて答えた。
「ところでお二方。これより東エリアまでご足労いただけますか? 死者を弔おうと思います」
「一体誰を?」
「駅付近の商業施設で、壮絶なる自死を果たした者です」
「もしかして、オレがゲーセンで見つけた?」
「はい。貴方がたとも、僅かながら縁がありますね」
オレたちに断る理由は無かった。
迎えた夕暮れ時。50名を超える住民が東エリアに集まった。そこの一画は墓地として切り拓いており、木々は1本も生えていない。
亡骸は黒ジャージを着た男。荼毘に付す事はせず、土葬だった。死に装束も焼香もないが、顔に布だけはかけられている。できる範囲内での弔いなのだろう。
「みなさん。花を」
宇和前は読経するとともに、参列者を促した。1人、また1人と、野花を亡骸に供えていく。オレも参列者の動きに倣った。かすかに死の匂いがした。
やがて宇和前が経を読み終えると、次は説法だ。彼にしては大きな声で、辺り一帯に響きわたった。
「みなさん。この世は大変厳しいものに変質しました。飢える者は飢えたままで死に至り、病に伏す者も同じく死んでゆきます。我ら人類がかつて手にしていた安全は、もはや何処にも無いでしょう。しかしながら私達は――」
オレは宇和前の言葉を聞き流しながら、周囲の顔ぶれを眺めた。衣織の姿は、参列者がつくる輪の後ろ側に居た。
さりげなく、そちらへと歩み寄った。そして傍らに立つ。
「衣織、話の続きがしたい。時間はとれるか?」
可能な限り声は落とした。説法が大声なので、盗み聞きされる心配はなさそうだ。
「はい、もちろんです。でも、人目をはばかると言いますか……」
「大っぴらには話せないか。人気のない所を探すか?」
「葬儀のあと、夕食まで少し時間が空いてます。プラネタリウムの裏手に、壊れかけのプレハブ小屋があるので、そこでしたら」
「分かった。バラバラに向かって、現地で落ち合おう」
約束だけ取り付けた頃、宇和前は『あなかしこ』と繰り返した。その後は埋葬だった。
亡骸を土に埋めて、1枚の木片を立てる。卒塔婆と墓石を兼ねているのだろうか。そこには氏名と、短い法名が書かれていた。
「それでは皆さん、ご苦労さまでした。じきに夕食となりますので、遅れることの無いように」
その言葉で葬儀は終わった。オレは凜花と世間話を重ねながら、敢えて遠回りした。直接西エリアに行かず、南の正面ゲート付近をかすめながら、プラネタリウムを目指す。
数名の見張りの背後を通り過ぎ、約束したプレハブ小屋までやって来た。中は倉庫というよりゴミ捨て場だろうか。用途不明の金属板や窓枠などが、所構わず乱雑に置かれていた。
「衣織、いるか?」
問いかけに、小さな手が挙がった。ロッカーの脇に隠れていたらしい。オレ達も速やかに向かう。
「だいぶ警戒してるな。何か重要情報でも掴んでいるのか?」
「はい。ですが、お話をする前に1つだけ。ワタルさんはここの施設をどう思います?」
「まぁ、食べ物はあるし、秩序もあるしで。良い環境なんじゃないか?」
「本当にそれだけですか?」
「……そういや、衣織は心が読めるのか。嘘や誤魔化しは無駄なんだろうな」
「ふふっ。そうかもしれませんね。まぁ正直に言いますと、ハッキリ読める訳じゃないです。心の声がバラバラに聞こえてくるようで、凄く断片的なんです」
「包み隠さず言おう。少し懐疑的というか、胡散臭いと思ってる」
この施設は平和そのものだ。だが、なぜか引っかかる。特に宇和前だ。ほんの些細な仕草、目線、そういったものが時折、異質なものを感じてしまう。
しかし我ながら、疑い過ぎだという気もしていた。
「ワタルさん、凜花さん。今夜にお時間いただけますか?」
「今じゃダメなのか?」
「はい。色々と準備が必要ですので。もしかすると、ワタルさんの疑問に対する答えが見つかるかもしれません」
「何か知ってるようだな」
「まだ実物を見ていないので、今はなんとも。話は動かぬ証拠をつかんでから、ですね」
オレ達は、会話をそこで切り上げて、衣織と別れた。
それからは、宇和前と夕食をともにした。塩味のオムライス、ジャガイモの味噌汁、葉野菜とコーンのサラダ。ゲスト待遇はまったく変わらず、初日と同じ歓待を受けた。
そして借り受けた部屋に戻った。凜花は満足げに腹をさすっては、布団にゴロリと横になった。
「ワタル。やっぱりあのオッサンが気になるか?」
「まぁな」
「そんなに悪いヤツかねぇ? たんまり食わしてくれるし、働かされる訳でもねぇし。医務室ん時には、結構心配してくれたろ」
「眼だ」
「何だよ急に」
「宇和前は、割とひんぱんに笑う。だが眼だけは全く笑ってない。そんな気がする」
「そりゃ確かに不気味だけどさ。悪人って理由にはならねぇよ」
「だから今夜は衣織と協力する。もし証拠が見つからず、冤罪だとしたら、宇和前に手を貸す事にする」
「ふぅん。まぁアタシにしたら、食わせてくれるだけで助かったけどね」
「なんなら宇和前に鞍替えするか? お前がオレに義理立てする理由なんて無いだろ」
「嫌だね。アンタほど信用できる男が、この世に居るわけない」
「ずいぶんと評価されたもんだな」
「これでも感謝してんだよ。飛母屋の野郎をブチ殺す機会をくれた事をな。あれ以来、心はだいぶ楽になったんだ」
「まぁ、好きにしたら良い」
するとそこへ、壁を数度叩く音がした。オレはそっと窓辺に歩み寄り、問いかけた。
「衣織か?」
「はい。お待たせしました。出られますか?」
「窓からなら。出入り口は監視の目がある」
「では物音に気をつけてください」
こうしてオレ達は、皆が寝静まる中に外へ出た。遠くでライトの光が見える。昨日より、いくらか多いように思えた。
「もしかして、見張りの数が増えてるのか?」
「そのようですね。だから、ちょっと工夫しました」
「一体何を?」
「もうじき見えると思います。北側の駐車場です」
そう言い終えた瞬間、突然、ボンッという破裂音が聞こえた。遠くに赤い火柱が立つ。その光景は、闇夜の世界ではひどく目立った。
もちろん見張り達は大騒ぎになる。あちこちで「襲撃だ!」やら「火を消せ!」などという怒号が響き渡った。
「もしかして、衣織の仕業か?」
「はい。ちょっと凝った装置を作ってみたんです。指先は器用な方なんで」
「なぁ凜花。衣織はこんなにも過激な子だったか?」
「いや、どうだろ……。乙女心と秋の空? それは違うか」
「2人ともひかないで!? 延焼しないように、ちゃんと配慮してますから。それよりも急ぎましょうよ」
見張りの大半は北エリアへと移動している。オレたちは建物の影に隠れつつ、足早に駆けていく連中をやり過ごした。
そしてやって来たのは監視小屋だ。ここに主要施設の鍵が保管されているらしい。今は白色灯のライトが、室内の様子を照らしている。
「中に居るのは1人かな。さすがに無人って訳にはいかないか」
「私がいきます。2人はここで待っててください」
オレは「気をつけろ」と衣織の背中に投げかけた。
衣織は闇夜に乗じて移動し、小屋の壁に張り付いた。ガラスの割れた窓の向こうには、1人の男が立ち尽くしている。彼はどこを見ているのか、アクビをさらしながら佇んでいた。
男がテーブルに何かを置いた。隙をついた衣織が、窓から手を差し伸べて、それを盗む。
相手にまったく気取られる事もなく、衣織は無事に帰還した。
「ワタルさん。やりました、鍵です」
「鮮やかな手並みだな。だが、盗まれた事がすぐにバレるんじゃないか?」
「たぶん平気です。あの人、居眠りする所だったんで。しばらくは問題ないと思います」
衣織は、1本の鍵を見せつけては、オレ達を誘導しようとした。凜花が何か言いたげな顔を作るが、結局は口を開かなかった。
オレたちが連れられたのは西エリアの奥、プラネタリウムの裏手だった。眼の前には錆びついた鉄扉が有り、そこにはお決まりの『関係者以外立ち入り禁止』の文字があった。
「目的地はこの先にあるのか?」
「多分、そうです。開けますね」
鍵を差し込むと、重たい音とともに解錠した。鉄扉を開いた先には、地下へと続く階段があった。
ちょうど凜花がライトを持っていた。コンクリートで覆われた暗黒の地下を、たった1つの灯りを頼りに降りていく。
「なんつうか、怖くない?」
暗闇を照らすライトが、小刻みに震えだす。気づけば凜花本人も及び腰になって、足取りを重たくしていた。
「怖いって、何がだ?」
「いや、だってさ、いかにも何か出そうじゃん! ゾンビとかが唸りながらグワーーッて!」
「子どもじゃないんだから。せめて、ゾンビが出てから慄けよ」
「だったら先頭を代われって、そこまで大口叩くならさぁ!」
「分かった。じゃあライトを貸せ」
凜花と入れ替わって先頭に立った。それでも凜花は恐怖心を拭いきれず、衣織にしがみついて離れようとしない。
「さて、この道はどこに繋がってるんだ?」
「お二人は知ってますか? 教育部屋の話」
「いや初耳だ。凜花も同じだと思う。それが何だ?」
「この施設では、たまに人が居なくなる事があります。いつの間にか、1人、2人と消えてしまうんです」
「いわゆる神隠しか?」
「いえ、話によると、どうやら教育部屋に隔離されるそうなんです。問題行動が見られたとかで」
「地上には無いな、そんな場所」
「はい。だから、この地下にあるんじゃないかと考えました」
「なるほど。その可能性はありそうだ」
それにしても広い。階段は既に降りたあとで、一本道を歩いているのだが、やたらと長い。どこまで進んでもコンクリートの道があるだけだ。
もしかすると、ここもセカンダリーゾーンかもしれない。そんな仮説が脳裏をよぎった。するとそこへ、新たな物音が聞こえた。
「なに、なに今の! なんか動物でもいんの!?」
付近にライトを向けてみるが、依然として通路だけが見えた。
「なぁ〜〜もう良いだろ、帰ろうよ。これ絶対ゾンビとか居るって!」
「そんなに怖いなら、凜花1人で戻っていいぞ」
「ライトは?」
「引き続きオレ達が使う」
「じゃあ残る! 一緒に居た方がマシだって!!」
前進するほどに不気味な声は大きくなった。しかも複数の声だと分かる。闇の中から、いくつものうめき声が重なり、凶々しく反響した。
まるでこの世の全てを恨むかのように、低く、そして暗く響いた。
「さて、何が出るか。犬猫の檻だったら、笑い話なんだがな」
「ここは犬なんて飼っていませんよ」
「じゃあ別のものか……どうやら抜けたぞ」
通路が終わり、広い空間に出た。壁も、天井も遠く、ライトの光が届かない。
辺りを照らしてみると、大掛かりな装置、鉄柵や鉄柱が見えた。ボイラー室のように思う。
「なるほど。これが答えか……。想像以上だ」
オレは傍の鉄柱に歩み寄った。そこには固く結ばれたロープがあり、その先は、見知らぬ子どもの両手首に繋がっていた。
ここだけではない。数え切れない程の人たちが、同じようにロープで縛られ、自由を奪われている。この灯りも窓も無い暗闇の中、彼らは囚われているのだった。




