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第21話 キャンパスの再建

 語りかける声がする。だからオレは答えた。不思議なまでに心地よく、満ち足りた気分にさせてくれたからだ。



――すごく頑張ってるよね。驚いちゃった。


――そうかな。


――なかなか出来ることじゃないよ、尊敬しちゃう。


――うん。



 会話がいつ始まったのか、そもそもここがどこなのか。分からない事だらけだ。何も見えず、何も触れるものはなく、ただ声だけが響いていた。


 そう自覚しても不快ではない。むしろ胸の奥に何か、温かなものが染み込むようで、久しぶりに安らぎというものを感じていた。



――ところでさ、いつの間にか知り合いが増えたよね。


――そうだな。

 

――凜花さんって美人だよね。


――そうか?


――スタイルがスゴく良いし、元気だし、可愛いとこあるし。ああいうお姉さんって、人気ありそうじゃない?


――好きな奴は好きだろうな。


――ワタル君は好きじゃないの?


――興味ないの。


――大介君のママ、すんごい美人だったね。ほら、女優の司馬先ユウに似ててさ。


――似てるっちゃ似てる。


――あんなキレイな人がいたらもう、ときめいちゃうでしょ? 助けたお礼にオレと付き合えよ〜〜とか言ってみたり。


――そんなんしないの。


――じゃあマリエちゃんは? ママがあんだけ美人なんだもん。将来はすんごい美少女になると思うよ。


――幼稚園児だぞ。


――でも、あと10年したらグヘヘ〜〜とか、思っちゃったりは。


――思っちゃったりしないの。


――ワタル君ってさ、けっこうズバリと言うよね。迷いがないというか、きっちり割り切るというか。


――それくらい普通だろ。


――全然普通じゃないってば。


――じゃあ、オレにとっては。

 

 

 そこで声は止んだ。次の言葉を黙って待つ。しばらくして、今までよりも少し控えめな声が聞こえてきた。



――じゃあ、私の事は好き?


――わからん。


――どうして私を探してくれてるの?


――会いたいと思ったから。


――会えた時には何をしたい?


――わからん。


――大人になった幼馴染の身体を堪能してやるぜゲヘヘ〜〜とか、そういう事がしたい?


――わからん。


――あはは。そこは否定しないんだね。見損なうな、とか言って怒ると思った。


――嘘ついたってしょうがないだろ。


――うん、そうかもね。



 その時、オレの身体に何か触れるものがあった。この感覚はなんだったろう。そうだ、肩だ。左の肩に何かを感じたようだ。


 続いて、右手が柔らかいものを掴んだ。ゴムボールのような、柔らかでも張りのある、独特な触り心地だった。



――ワタル君。疲れてるところをゴメンね。いきなり迷惑だったよね。


――迷惑なんて思っちゃいない。


――そう言ってくれると嬉しいな。


――遠慮するなよ。

  

――ありがとう。でもね、そろそろかな。


――何がだよ。


――それじゃあね、ワタル君。元気でね。


――待てよ。もう少しゆっくりしていけ。


――また来るから、そんな声ださないで。バイバイ。


――まてよ結菜。結菜ッ!?



 何も無い空間で光が弾けた。するとオレは、身体の感覚を取り戻して、瞳を開けた。


 見えるのは崩れた壁、イスやテーブルのバリケード、かつては2階につながった半壊の階段。ボンヤリした頭でも、ここがどこかは理解できた。



「大学のラウンジか……。どうしてこんな所に」



 片手をついて身体を起こすと、柔らかい。見慣れないマットレスが床に直接置かれていた。その上に寝かされていたらしい。


 そして、隣には赤髪のポニーテール。同じマットレスで、凜花がスヤスヤと寝息を立てていた。両手両足を投げ出して、まくれたシャツからヘソが見える。


 そこには警戒心のかけらもなかった。まるで室内犬でも彷彿とさせるような寝姿だった。



「同じ寝床は嫌だとか言ってなかったか? まったく……」



 湿った風が室内に吹き込んだ。外は暗いが昼間のように思える。



「それにしてもな。結菜に会ってどうする……か」



 オレの中に答えは無かった。結菜に会いたいとは思う。その気持ちに偽りはない。じゃあ、再会して、それからどうするのか。その事について一切考えていないことに、我がことながら呆れてしまう。



「まったく。もう少し計画的な人間だと思ってたがな……。うん? なんだコレ」 



 ふと、足元に何か転がってきた。くすんだピンク色のゴムボールだ。それを拾ってみると、外の方から視線が感じられた。


 それを手にとって表に出た。空はやはり曇天模様。オレは持ち主の方へ歩み寄ると、ボールをそっと手渡した。



「はいよ、マリちゃん。君のだろ?」


「うん。あいがと!」


「今日はボール遊びしてるんだな。調子がいいのか?」


「あのね、うんとね、マリエのはなし、きいてくれる?」


「お、おう。どうした?」



 興奮を隠さない茉莉恵まりえは、とりとめもない語り口調だった。要約すると、つい先日に夢を見たという。家族そろって団欒だんらんという幸福な夢だ。


 そこで薬を飲んだらしいが、不思議なことにそれ以来、症状が消えたという。そんな主旨の話を、荒い鼻息とともに伝えてくれた。



「だからね、マリエね、もうねむたくないの! たくさんあそべるんだよ!」


「良かったな。最高じゃないか」


「ママがね、ユメのなかでね、おまじないしてくれたの。なおりますようにって。そしたら、ぜ〜〜んぶなおっちゃった!」


「それじゃあ、ママに感謝しないとな」


「うん! ママありがとね〜〜!」



 茉莉恵が空に向かって手を振った。あいにくの曇り空だ。果たして母の所へ届いたのか、こちらからは窺い知ることができなかった。


 そのまましばらく立ち話をしていると、誰かがオレを呼んだ。小走りの足音まで聞こえる。振り向けば、今やすっかり馴染みの顔を見た。



「ワタルさん! やっと目が覚めたんだね!」


「おつかれ大介。状況はどうだ?」


「今となってはもう別世界だよ。いろいろ説明したいけど、歩けるかな?」


「体調はまずまずだ。特に怪我もない」


「じゃあ農場まで。そこには水と食料もあるし。お腹すいてるでしょ?」



 オレは大介に誘われるままに歩いた。すぐそばでは、茉莉恵がゴムボールを跳ねさせながら、後をついてきた。


 道すがら、オレは大介の話に驚かされてしまう。



「2日!? オレはそんなにも長いこと寝てたのか?」


「うん、そうだよ。ちなみに僕は半日くらいかな」


「夜明けごろにブッ倒れたから、てっきり4、5時間くらいかと思ってたが。今は2日後の昼なのか」


「その2日間で、キャンパスも平和を取り戻したよ。圧政の時代は終わったのさ」



 言われてみると、殺伐とした空気がない。見張りと思しき奴らもいるが、オレ達の姿を見かけるなり、丁寧に頭を下げた。大介も短く「こんにちわ」と返しただけだった。


 それは、思わず首を傾げたくなるほどの変貌ぶりだった。

 


「葉狩野はブチのめせたが、他の連中も居ただろ。取り巻きと言うか、タチの悪そうな奴らが。そいつらはどうしてる?」


「結論から言うと、全員追い払ったよ。気になるなら農場で聞いてみたら良いよ。お喋り好きな人がいるからさ」



 そうして話し込むうちに、農学部校舎を通り過ぎていく。そして、広大な農場へと辿り着いた。以前に見た農地よりも大規模で、視界の全てを埋め尽くすほどだった。



「タネおばあちゃん! ワタルさんの分って残ってる〜〜?」



 大介が大声で呼びかけると、野良着の老婆が反応を示した。そして、ゆるやかにコチラへと歩み寄ってきた。曲がり切った腰に両手をあてがいながら。



「おう、お前さんが自明村を助けた英雄かい。感謝しとるよ」


「ワタルさんだよ、タネおばあちゃん」


「そうだったね。ワタルだ、ワタル。それにしても良い面構えしてんね。アタシがあと80歳若かったら、放っておかなかったよ。イッヒッヒ」



 タネ婆さんが顔をクシャクシャにして笑う。どこか梅干しに似ていると思った。


 するとタネ婆さんは、オレにタッパーを1つ寄越した。中身は筍とジャガイモ料理。不揃いの箸 もセットで押し付けては、『食え食え』と繰り返す。


 そこまで言うなら、いただきます。料理は冷めていたが、食感は絶妙だった。塩味もそこそこ効いている。咀嚼そしゃくしていると、身体の芯が喜ぶのを感じた。



「おばあちゃん。ワタルさんに教えてあげてよ。あの日の出来事をさ」


「もちろんだども。ケヒッ。アイツらの慌てっぷりと言ったらもう……ありゃ傑作だよ。冥土の土産になったわ」



 タネ婆さんは嬉々として、あらましを語ってくれた。まずあの日の朝、異変が起きた。恐らくオレが大介と別れて、凜花を救出した直後だろう。


 いつもなら、作業場で見張りが眼を光らせるハズが、なぜか1人として現れない。農場も、調理場も、とにかくどこでも見かけなかった。


 半日も時間が過ぎた頃、連中が中央校舎で仲間割れを起こしていると知った。葉狩野の後継者は決まっておらず、残った人間で揉めに揉めた。特に食料の分配や、交易の収入について激論が交わされたらしい。



「アイツら、本当にまとまりがないな。まぁ、お陰で付け入る隙があったんだろうが」


「んだな。奴らはその晩に大ケンカをやりだしてよ、ついにはバラバラに別れたんだ。そしたらダイ坊が戦おうって言い出してよ」


「そんな事を提案したのか。無茶じゃないか?」


「僕も最初は思ったけど、みんなして凄く恨んでるようだったから。これなら勝てるかなって」



 老人や病人で編成された解放軍は、歩みこそ遅いが戦意は十分だった。積年の恨みを晴らせと、誰もが先陣を競い合ったほどだ。


 この事態に残党たちは慌てふためいた。いかに武装した凶暴な男でも、何十倍もの数を相手には出来なかった。しかも連中は勝手に反目しあって、戦力を分散させていた。これで各個撃破が成立。


 結局は武器も荷物も捨て置いて、このキャンパスから逃げ出したという。



「一見して無謀な戦いだった。それでも大介は、勝機を見出してたんだな」



 農場では収穫を始めていた。タネ婆さんは、話を途中で切り上げては、収穫作業の指導に戻った。


 誰かが青々と茂る茎を引き抜いた。すると、土まみれのジャガイモが連なっていた。小ぶりだが実の数が多い品種のようだ。



「勝算はあったけど、運に助けられたと思う。特に怪我人さえ出さずに済んだのは、僕の方が驚いたくらいだよ」



 老人にまぎれて、若い男がリヤカーを押していった。彼も病人の1人らしいが、顔が少し青白いだけで、問題ないように見えた。これから待遇が良くなれば、健康を取り戻せるのかも知れない。



「それにしても大介、お前すごいな。天才軍師みたいじゃないか」


「そんな事ないよ。ただ、なぜか理屈を閃くんだよね、頭の中でシナリオが書き込まれていくというか、そういう感じなんだ」


「それは昔から?」


「ううん。ワタルさんとディープゾーンへ行った後から」 

 

「そうか……。もしかすると、お前は適正者かもしれない」


「テキセーシャって?」


「ちょっと確認する。最近はバタバタしてて、スマホを見る余裕がなかった――」



 オレがポケットをまさぐろうとした所で、頬にポツリと雫があたった。雨だ。曇天の空は遠雷まで連れて、徐々に雨脚を強めていった。



「やった、恵みの雨だ! ワタルさん手伝って!」


「お、おう。何をだ?」


「あっちの物置!」



 大介は説明もそこそこに、オレを農場脇の物置小屋に連れ込んだ。金属ラックには、見慣れない道具がズラリと並べられていた。



「なんだこれ。大きなペットボトルに、布やら砂とか色々と詰まってるが」


「ろ過装置だよ。これに雨水を溜めて、飲み水を作るんだ」


「そんな物まであるのか」



 オレたちが物置から運ぶ間、農学部校舎からも、似たような物が持ち込まれた。ろ過装置の数は多く、5や10ではきかない。展開すれば農場の一角を占めてしまうほどで、全てを設置したころには、雨も本降りになっていた。



「ふう。これでしばらくは飲み水も足りそうだね」


「こんなことしなくても、タライとか桶に直接貯めればいいだろ」


「それが出来るなら、そうしてるんだけどね」



 大介は、ひしゃくで雨水を貯めると、それをこちらに手渡してきた。これが何だと言うのか。雨水に触れてみると、真っ先に違和感を覚えた。やがて、水に触れるうちに肌で理解できた。



「これ、何か混じってるな」


「そうなんだよ。空気中のチリを巻き込んでるのかな。雑味が酷くて、とても飲めたもんじゃないよ。洗濯とか、身体を拭くのには使えるけどね」


「確かにこれは、ろ過しないと無理だろうよ……」



 指先をこすると、ザラリとした不快感がある。よほど追い詰められない限りは、口にしたくないと思う。


 降りしきる雨の中、オレたちは小屋の中で佇んでいた。時々、茉莉恵のボール遊びに構ってやる。


 この空白としか言いようのない時間に、ゆとりのようなものが感じられた。



「それにしてもな。葉狩野がいなくなっただけで、こうも変わるもんか」


「ほんとにね。以前なら、雨に打たれながら働かされたものだよ」

 

「野蛮な奴らは消えて、善良な人間だけでの農地運営。作物を育てて、雨水を活用してと、文明的に暮らせそうだな」


「こんな世の中なのに、幸せな事だと思うよ」


「大介、お前の功績は大きいぞ」


「そんな、僕なんて全然。ワタルさんが導いてくれたんだよ」


「オレは成り行きで、その場その場で全力を尽くしただけだ」



 大介は、はにかむと俯いた。そうして再び顔を持ち上げた時、瞳には何か、覇気のようなものが宿っていた。


 無邪気にボールを追いかける茉莉恵とは、対称的とも言える表情だった。

 

 

「ねぇワタルさん、1つ聞いておきたいんだけど」


「どうした?」


「ここに住む予定はないかな?」


「この自明キャンパスに?」


「うん。健康で若い人が居ると助かるし、より安全になるんだ。ワタルさんと凜花さんさえ良かったら、という話なんだけど」


「すまんな。オレには行くべき場所がある。ここに留まる事は出来ない」


「そっか。残念だよ。いつごろ発つの?」


「早ければ今日中には」


「寂しくなるなぁ……。そうだ、色々と餞別を用意するから、せめて明日まで待ってくれない?」


「いらないって。お前たちも楽じゃないんだろ?」


「そう言わずに。凜花さんにも聞いてみようよ」



 しばらくして、空模様は小雨になった。オレ達はラウンジへと戻ってきたのだが、迎えてくれた凜花の様子がおかしい。


 例えるなら、この世の終わりみたいな表情だった。



「凜花、何があった?」


「ワリ……腹こわした。さっきから色々とヤベェ」



 いつの間にやら、頬はゲッソリとこけた。丸まった背中も妙に小さく見える。見かねた茉莉恵が、その背中を優しく撫でるのだが、あまり効果は無かった。


 やがて雷鳴にも似た音を響かせると、凜花はトイレに向かって駆け出していった。



「なんだアイツ。急に腹なんか壊して」


「もしかして、マシュマロにあたったのかも」


「なんでそんなもんが」


「長老の部屋にあったんだよ。賞味期限がだいぶ過ぎてたから、捨てたほうが良いって言ったけど」


「アイツは食ったのか。チャレンジャーだな」


「茉莉恵まで食べたがって、止めるのが大変だったよ。まぁ結果を見た所、その苦労は報われたみたいだね」



 凜花の食あたりは、割と長引きそうだ。つまりはそれだけ、自明キャンパスに留まる必要がある。


 ひとまず、その日は泊まる事にした。ラウンジのスペースに2人分のマットレスを敷いて、寝床を作った。



「まったく。早いところ出発したいんだがな……うん?」



 寝転がった矢先、ポケットが震えた。スマホの通知だ。いったい何だと思ってみれば、オレは思わず顔をしかめてしまった。


 液晶画面に映し出された言葉が、そうさせたのだ。



――あなたは『Imfection one』のディープゾーンに招待されました。よろしければ参加ボタンを押してください。



 このタイミングで怪しげな奴から誘いを受けてしまった。どうしたもんかと悩み、相談を持ちかけようとしたが、凜花は寝込んだままで動かない。


 頼るべき仲間は、今も雷鳴のような音を響かせながら、腹痛と激戦を繰り広げていた。こうなれば、1人であれこれと思案するしかなかった。

 

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