第20話 夜明けに舞う綿毛
葉狩野は、それはもう雄大に飛んでいた。我が物顔というやつだ。誰にも邪魔されずに高く舞う姿は、敵ながら羨望すら覚えてしまう。
「あの野郎……。あんな風に飛ばれちゃ、手も足も出ないぞ」
もしも凜花が居たなら、戦いようもあったろう。今は遠距離武器が手元にない。ここで石を投げつけたところで、優雅にかわされ、鼻で嗤われるのが関の山だ。
「逃走ルートは、一応あるにはあるが……」
この通路は出口と繋がっている。自動ドアの先は裏庭だ。そちらに逃げるべきかとも思うが、それは悪手だ。空の開けた屋外に出たなら、いよいよ葉狩野の独壇場で、いっそうに手がつけられなくなる。
だからこの、ガレキが降り注ぐ中で踏ん張るしかなかった。
「せめて地上戦に持ち込めたら……。だが、アイツも警戒するだろし」
「誘き寄せようよ。それで良いよねワタルさん」
「構わんが、どうやって……?」
「ちょっと待ってて。こっちも準備があるから」
大介は、壁に張り付いた操作パネルに手をかざした。そのまま動きを止めた、かと思いきや素早く画面をつつき、数字を入力していく。4桁の暗証番号を正しく打ち込んだらしい。
大介は達成感を思わせるような、大きな溜め息を吐いた。
「よし、これで準備完了。あとはアイツがノコノコとやって来たら……」
「ノコノコやって来させるには?」
「それは、その……ワタルさんにお願い出来ればと、考えてたり」
「いいぞ」
「ほんとに!?」
「お前を信じると決めた。恐らくそれが今の最適解だ」
「ありがとう……。じゃあ、こんなのはどうかな?」
大介の耳打ちに、オレは思わず頷いてしまった。
「良いと思う。ヤツの気質をうまく利用してる」
「じゃあ、あとはワタルさんに任せるよ」
オレは軽くジャンプして、全身のこわばりを解した。疲れはある。それでもまだ動けそうだ。
それから大介に目配せすると、オレはホールに飛び出した。なるべく顔を左右に振り、物陰を探し回るフリをした。
すると、頭上で大きな声が響きわたった。
「やっと出てきたか、このウジ虫めがーーッ!」
天井付近を飛び回る葉狩野が、手当たり次第に壊しまくった。手すり、床、壁に屋根を破壊して、ガレキをこちらに撒き散らした。
「うおっ、あぶね!!」
オレは横跳びになって回避する。辺りには姿見サイズのガラス片が突き刺さり、あるいはテーブルを粉砕するほどの鉄材が降ってきた。
直撃は即死。失敗など許されない。そんな状況でも、オレはひたすら逃げ惑う人間を演じ続けた。
「くそっ、このドアも開かない! ちくしょうめ!!」
歪んだドアノブを蹴りつけて、隣のドアにハシゴしていく。実際に開けようとはしていない。むしろ開いてはマズイ。追い込まれた形を演出したかったからだ。
「ダメだ大介! そこから出るな、こっちは全て塞がってるぞ!」
オレは一度、両手で押し留める仕草を見せてから、非常用通路に戻ろうとした。ダメ押しに、つまづいて転ぶ演技まで晒す。
それは葉狩野の嗜虐心をくすぐったらしい。汚らしい笑い声とともに、顔をこちらに向けた。
「ヒャーーッハッハ! また穴ぐらにこもるのか、このウジ虫め! ネズミめが! だったら巣穴にクチバシを突っ込んで、踊り食いでも試してみるかぁ!?」
葉狩野は翼を畳んで一気に急降下した。風を切る音が迫る。首筋に寒気。殺気だ。オレは前に向かって跳んで、転がるようにして通路に戻ってきた。
次の瞬間には、葉狩野の大きな爪が、床を激しく切り裂いていた。
「クックック。絶体絶命だな、ガキども! 食われる用意は出来たかぁ!?」
勝ちを確信した葉狩野は、頭から通路に突っ込んだ。そしてクチバシを開いては、オレを捕まえようとする。
オレは壁に飛びつきながら避けると、すかさず腹の底から大声をあげた。
「今だ、やれッ!」
「くらえ! 僕達一家の恨みだ!!」
大介は待機中だったパネルを動かし、エンターボタンを押した。すると、通路を塞ぐ形で防火シャッターが降りてきた。ガラガラガラと、大きく、不穏な音を響かせながら。
それはちょうど、葉狩野の首に命中した。
「グアッ!? て、てめぇ、クソガキがッ!」
シャッターはさらに圧力を強めていく。まるで巨大な首を締めるギロチンのようだ。葉狩野も寝そべった態勢では力も出せず、シャッターから抜け出せずにいる。
勝負あったか。しかし、それにしては大介の顔色が悪かった。
「く、くう……ッ! 思った以上に、力が……!」
大介は脂汗を流しながら、両手を操作パネルに掲げている。その手のひらからは、稲光にも似た、青白い光がほとばしっている。
大介が力をこめると、シャッターも圧力を強めた。しかし、膠着は長く続かなかった。少しずつだが、葉狩野が押し返していった。地面に押し付けられたクチバシも、わずかに浮いた形になった。
「そんな、ここまで来たのに! 僕は、本気の本気で戦ってるのに……!」
「ふへ、へ、へ。残念だった小僧。ガキなんて、どう足掻いても、大人には勝てないんだ!」
「だめだ、僕なんかじゃ。やっぱり――」
「そんな事ないぞ大介。お前はよくやった」
「ワタルさん……?」
オレは、両手で抱えるほどに大きなコンクリート片を持って、労いの言葉をかけた。
そしてポカンとする大介の脇を通り過ぎ、葉狩野の方へと歩み寄った。こいつの方が勘は鋭いらしく、間もなく恐怖の表情を浮かべた。
「どうだ葉狩野。ウジ虫から見下される気分は?」
「よせ、やめろ!」
「大介、良く見ておけよ。どんなに強かろうが、弱点ってのは大体もろいもんだ」
「いやだ! 来るな! あっちに行け!」
「たとえば、この辺とかな!」
オレは葉狩野の眼にコンクリート片を叩きつけた。何かの潰れる音がすると、続けておびただしい流血が辺りを染めた。それと同時に、漆黒の霧も勢いよく吹き出していった。
それらが収まると、葉狩野は人の姿を取り戻していた。ただし顔の半分だけ、何かに削られたようで、何も無い。不自然なまでに、肩の向こう側の光景が見えてしまった。
「いやだ、死にたくない! 殺されてたまるか!」
葉狩野は、ひしゃげたシャッターの隙間に潜り込んでいった。その先はホールだ。そこから一目散に逃げようというのだろう。
「オレは、この国の王なんだ! 愚民どもを支配する為に生まれた、正真正銘の――」
しかし、葉狩野がシャッターをくぐり抜けた瞬間、凄まじい破裂音が響き渡った。激しく地面が揺れ、わずかな隙間から、大量の砂埃がコチラ側に入り込んできた。
これは、ホテルが大きく崩壊したタイミングだった。
「た、助けろガキども! 早くオレを助け」
あとは言葉にならなかった。断末魔の叫びも、崩壊する音に阻まれて、ほとんど聞こえなかった。
最後に、シャッターの隙間から鮮血が流れ込んできた。それもいつしか、光の粒子となって消えてしまった。
「終わった……やっと勝てたんだ……」
オレも大介も、その場にへたり込んでしまう。今更になって疲れが吹き出してきた。叶う事なら、今すぐベッドに飛び込んでしまいたいくらいだ。
だがそこへ、スマホがブッブと鳴る。めんどうだ。無視を決め込んでも、やたらブルブル震えて止まらない。
苛立ちながら取り出すと、何度目かは分からんが、また新たな言葉が眼にする事になった。
――既定値を超えるアニマを蓄積しました。これよりセカンダリーゾーンを展開します。
またかよ。そのアニマとかセカンダリーは何だと問いかける前に、視界は一変した。壁もガレキも透明になって消えてしまい、白い世界だけが残る。
そこへ、無数とも思える光の粒子が駆け巡り、物の形を生み出した。フレームでしかなかったそれらも、やがて色が染まり、質感までも備えるようになる。
そうして出来たのは民家だ。広いシンク、艷やかなフローリング床、新しい電化製品。ダイニングテーブルには、パスタや唐揚げ、サラダにスープと、色とりどりの料理が並んでいた。
「今度は何事だよ、まったく」
「ここは、僕の……。僕の家だよ……」
「本当か?」
いつしか、母親はシンクの傍にいた。そして冷蔵庫を開いては、マヨネーズのボトルを取り出した。
「ダイちゃん。そろそろお夕飯だから、マリちゃん呼んできてくれる?」
「母さん。何を言って……?」
「どうせ裏庭にいるから。お願いね」
「裏庭……って、ええ!?」
大介は窓の外を見て驚愕した。それはオレも同じだ。
目に映る景色は、焼け焦げた車の積み上がる駐車場、廃材のバリケードと、朽ちかけた第1棟の影だ。それらは、どうみても自明大学だ。となると、この民家は突然、キャンパス内に出現した事になる。
「いや、まぁ、状況から考えるとそうなるが。どういう事だ?」
オレ達が唖然として立ち尽くしていると、駐車場の方から誰かが歩み寄ってきた。
その小さな影は、大介の妹の茉莉恵だった。
「おにいちゃん。これは……?」
リビングの窓から入った茉莉恵は、汚れた足で台所へ向かった。そしてキッチンの様子を見た瞬間、幼い身体は途端に硬直させられてしまった。
「マリちゃんも来たわね。ご飯できてるから、座ってね」
「ママ……? ほんとに、ママなの?」
「何言ってんの。よそのオバサンにでも見えてる?」
「う……うぁぁ……。ママァーーッ!」
茉莉恵は叫ぶとともに駆け出した。そして母親の腰にしがみついては、声をあげて泣き続けた。
「さびしかった! ママがいなくて、ずっとずっとかなしかったの!」
「そうなの? ごめんなさい、寂しいのはイヤよね」
「マリエ、がんばったの。こわかったけど、すごく、すっごくがんばったの」
「うんうん。偉いわよ。さぁ、冷めない内にご飯にしましょ」
着席をうながされた事で、大介と茉莉恵は席に座った。定位置なのか、迷う気配は見せなかった。
これから食事というところで、インターフォンが鳴る。母親が「はぁい」と言って玄関へ向かうと、そこで驚きつつも楽しげな声をあげた。
それから間もなく、父親は母親を連れてダイニングへとやって来た。
「ふう、ただいま〜〜」
「パパだ! ママだけじゃなくて、パパもいる!!」
茉莉恵は父親にも駆け寄ると、力の限り抱きしめた。大介も、ふらりとした足取りで、父親の方へ歩み寄った。そして、何か語りかけようとするが、言葉にならず、結局は無言のままで父親の胸に顔をうずめた。
「おっ、なんだなんだ? 今日は熱烈歓迎じゃないか」
「そりゃそうよ。大きな商談があったんでしょ? どうなのよ、結果の方は」
「それがな、なんと、見事大成功ッ! 10億円の受注ができました!」
「すごいじゃないあなた! おめでとう!」
「積もる話はあるけど、ご飯を食べながらにしようか。せっかくママが用意してくれたんだし」
「そうね。ダイちゃん、マリちゃん。席に座って」
「はぁ〜〜い」
それから一家はテーブルにつくのだが、辺りは徐々に白んでいく。光はシルエットを生み出し、いつしか、それすらも消えてしまう。今となっては、4人の声が聞こえるだけだった。
――そういえばダイちゃん。今日のテストどうだったの?
――うまくいったよ。理科と国語どっちも百点だった。
――素晴らしいわね。パパだけじゃなくてダイちゃんまで。
――マリエもね、きょうがんばったよ! よーちえんで、おかたづけがじょうずってほめられたの!
――あらあら、みんな凄いのね。何かご褒美があっても良いんじゃないかしら。ねぇパパ?
――おっ、もちろんだぞ。社長賞もらったから懐は温かいんだ。何がいい? ゲームか、おもちゃか、それとも遊園地とか?
――僕はみんなで公園にいきたいな。一輪車の練習やりたいし。
――マリエはね、みずふーせんであそびたい!
――そんなのでいいの? じゃあお弁当は豪勢に作ろうかしら。
――まいったな。このままじゃ父さん、何も貢献できないぞ?
――パパはデザートをお願いね。ホーリィオーナーの濃厚プリンとか。
――よし分かった! なめらかシュークリームもつけておくよ。
そのありふれた会話を聞く内に、オレはいつしか涙を流してしまった。言葉で理解する前に、心が反応して、涙腺を刺激したらしい。
これは、本来なら2度と起こらない家族団らんのひとときだ。今ここに、不思議な力によって再現されたのだ。言葉の一つひとつが温もりと、愛情であふれている。彼らは幸せだったのだろうと思う。
――みんな食べ終わったわね。じゃあマリちゃんはお薬飲んで。
――えぇ、にがいからやーーなの!
――わがまま言わないで。牛乳に溶かしてあげるから、はいどうぞ。
――ううっ、やっぱりにがいの。
――おまじないもしておきましょ。マリちゃんが健康になります。毎日毎日、とっても元気になりますよ。
――んん。なんかスッキリしたかも? びょーきなおったかも!
光がいよいよ極まっていく。それが何かを告げるようで、オレは胸に痛みを覚えた。死者と生者が触れ合う道理など無い。どこかで別れる定めにある。
そして、その時は訪れた。
――ダイちゃん、マリちゃんが寝ちゃったから。
――わかった。僕がベッドまで運んでおくよ。
――ありがとう。ダイちゃんは本当に頼りになるわね。これからもマリちゃんの事をお願いね。
――母さん?
――パパとママは、これからもずっと、アナタ達を愛してるからね。
――待って。
――大介。お前は本当に自慢の息子だよ。本当に誇りに思う。
――やめてよ。父さんまで。
――辛いことがあっても、負けないでね。
――兄妹で仲良く。力を合わせてな。
――待って、行かないで! お願いだから!
――最愛の我が子達が、幸せでありますように。
その時、光が弾けた。そして凄まじい暴風も吹き荒れる。
オレたちは、眩しさと、打ち付ける風に耐え続けた。やがて静まったころに眼を開くと、そこは駐車場だった。
明け方の、赤みを帯びた日差しが、ガレキに座るオレ達を照らした。
「夢……だったの?」
茉莉恵を膝に抱く大介は、天を仰ぎ見た。すると虚空から、ヒラリ、ヒラリと綿毛のようなものが降りてきた。
大介は手のひらを差し出して、すくいとろうとする。だが、指先に触れた瞬間、それは音もなく消えてしまった。彼は静かに、空っぽの手のひらを握りしめた。
「……さて。これから凜花さんを、助けに行かなきゃね」
「オレ1人で十分だ。大介は、茉莉恵と一緒に休んでろ」
「そうだね。さすがに疲れたよ。これ、第3棟の鍵だから」
オレは大介と別れを告げると、凜花のもとへ急行した。物陰に隠れながら進む。しかし、見張りの姿は見えない。
それだけでなく中央校舎が騒がしく、見張りの連中もそこに集まっているらしかった。
「葉狩野の事でも喋ってんのか……?」
その予想は正しかった。長老がどうの、これからどうするといった声が、明け方のキャンパスに響き渡った。何か揉めているようで、激しく争う音まで聞こえてきた。
とにかくチャンスだ。オレは全速力で駆け抜け、見張りの消えた第3棟へと向かった。
「鍵は……よし、開いたぞ」
南京錠を投げ捨てて扉を開く。中は薄暗い教室が並んでおり、それぞれの出入り口は、ロッカーや机で封鎖されていた。
うち1つの教室の中で、凜花は倒れていた。
「おい、凜花! しっかりしろ!」
凜花は後ろ手に縛られたまま、身動ぎ一つしない。ロッカーを退けて入口を確保すると、傍まで駆け寄った。
「大丈夫か凜花! 怪我は!?」
「ンゴゴゴ……。ンがっ?」
「おいお前、寝てただけかよ……」
「ふわぁぁ……ってワタル!? 助けにきたのか、マジで助かる早くほどけ!」
「分かった、分かったから」
オレは固く結ばれたビニール紐を、手間取りつつも解いた。
「よしよし、じゃあこれからお礼参りにいくか!」
「お礼って、長老に?」
「ここまでコケにされたんだから、当たり前だろ。まさかとは思うが、尻尾巻いて逃げたりしないよな?」
「いや、それなんだが」
「何だよ」
「たぶんだが、もう倒したっぽい。大介と」
「ハァ!? なんだよそれ! アタシの分は!?」
「死体蹴りみたいな事なら、できるかもな」
「そんなモン誰がやるか! つうか大介って誰だ!」
凜花は、強い圧とともに説明を強要した。どこからどう話せばいいか。そう考えている内に、ふと、意識が遠のいていった。
膝から崩れ、前に倒れそうになる。その時、両肩を抱きとめられた気がするが、実際はどうなのかよく分からない。
「おいワタル! どうしたんだよ!?」
「なんか、やたら眠い。悪いがこのまま寝かせてくれ……」
凜花が何かを喚いたようだが、どこか遠く感じられた。そして意識はすぐに、眠りの世界へと落ちていった。




