表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/126

第19話 殺されても見たくはない

 車と自転車、どっちが早いか。こんなものはクイズにもならない。



「クソッ、葉狩野はかりのはどこに行った!?」

 

「分からないよ……大通りの方に向かって、それから後の事は!」



 黒い乗用車。目印はそれだけだ。並走しているなら見失う事もないが、距離を開けられてしまえばそれまでだった。


 大通りの国道は片側二車線で、交通量も多い。こんな状況で、どこを走っているかも分からない車の1両を見つけ出せというのか。これは不親切どころではない。不可能の領域だった。


 ひとまずは賑わう方を目指して走り続けた。当て所もなく、道なりに。

 

 

「このまま闇雲に走ってもダメだ、目星をつけないと。相手の位置を調べるには、GPSとか、盗聴器で場所を把握するとか……」


「そんな物、どこにあるっていうの?」


「いや待てよ、GPSならここにあるぞ! 受け取れ!」



 ポケットからスマホを取り出すと、その拍子でハンドルが大きく揺さぶられた。



「ワタルさん! 前、前ーーッ!」


「クソッ、なめんな!」



 ガードレールに蹴りを入れて態勢を立て直す。それから立ち漕ぎになって、通行人を追い越していった。



「大介、地図がでてるだろ。マーカーはどうだ!?」


「緑の点が移動してる! それと、これは……?」


「何か気になるか?」


「緑の隣に、妙に赤いというか、異様なヤツがあるよ! 炎が燃えてる感じだ!」


「なんだと!?」



 オレは反射的にブレーキをかけて、スマホを覗き込んだ。大介の言葉に誤りはない。緑の点と、それに寄り添う形で赤い点が、猛スピードで移動している。その赤い方は、赤に紫にと色味を変えつつ、炎のようなものをまとっていた。


 単なる敵じゃない。そんな確信を得たが、今は火急の状況だった事を思い出す。



「大介、ヤツの行先に思い当たりは?」


「ええと、たぶん駅の方……。そっから後は分かんないよ」


「レストラン、バー、宿泊施設、そこらへんのものはあるか?」


「それなら、駅前通りに有名なホテルがあるよ!」


「よしそこだ! 掴まれ!」



 オレはもう一度立ち漕ぎになって疾走した。しかし夕暮れ時のせいか、通行人が多い。集団で横に広がる学生、肩を落として歩くサラリーマン、買い物袋をぶらさげる主婦。やたらと障害が多く、なかなかスピードに乗れずにいた。



「大介、近道とか知らないか?」


「だったら次の道を右に! 坂道だけど、駅まで直線的に行ける!」


「分かった!」



 オレは右折しながらも、激しくペダルをこいだ。やがて前方に長い登り坂を見た。心臓破りと言うべきか、その高低差は、付近に並ぶ家々が教えてくれた。


 坂道の上でこぐのではない。助走中に速度を稼ぐ。まずは登りの直前まで、こぎまくる。そうして勢いをつけたまま、さらに坂道でペダルを回す。そうすることで、大きなロスもなく長い坂を登りきった。



「はぁ、はぁ、よし。こっからどう行けば良い?」


「すぐそこに下り坂があるから、道なりに。降りた先にホテルがあるんだ」


「よし、任せろ……!」



 息の整わぬうちに走り出す。今度は下り坂だ。丘の上からでもホテルの様子は見て取れた。


 広い庭にチャペル。吹き抜けとおぼしきホールは、縦に長いガラスが連なる。タクシーの止まるロータリー付近には正面入口があり、複数のガードマンが陣取っている。


 すると、そこに葉狩野が現れた。もちろん母親も伴っている。そして2人は、ホテルの入口の中へ消えていった。



「やばいぞ大介! このままじゃ間に合わない!」


「そんな、ここまで来たのに……!」


「だから腹をくくれ」


「えっ……?」


「オレの背中にしがみつけ。頭を上げるな。目もつぶった方が良い」


「あの、せめて何をするかだけでも……」


「ここから突っ込むんだよ! 掴まれーーッ!」


「うわあぁぁ! この高さから!?」



 オレは自転車を疾走させ、ガードレールの隙間から勢いよく飛び出した。地面は遥か遠い。建物3階分の高さだろうか。



「届け! 届いてくれ!」



 正面にはホテル。吹き抜けのホールが迫る。大きなガラス窓。破る。弾ける。無数のガラス片が、夕日を浴びて宝石のように輝いた。



「よし、何とかなった……グハッ!」


 

 車輪は螺旋階段を踏みしめるなり、激しくバウンドした。オレ達は宙に投げ出された。それから、背の高い銅像にぶつかり、その形状に合わせて落下していく。何度も何度も体を打ちつけた後、噴水の中へ背中から着地した。


 跳ね上がる水しぶき、響き渡る悲鳴。しかしオレ達は生還する事ができた。



「無事か、大介。怪我は?」


「あ、あわ、あわわ。死ぬかと思ったよ……」


「生きてる。無事。ならオッケーだよな。それに現実じゃないから、致命傷でも大丈夫だろ」


「そ、そうなんだね。この世界なら死んじゃっても平気なんだ?」


「いや知らんけど。平気なんじゃないか?」


「そんな計算で飛んだの!!?」


「騒ぐのは後だ。見ろ、あそこに葉狩野が!」



 オレたちは噴水から飛び出し、ロビーを駆け抜けた。周囲は既にパニックを起こしており、ラウンジも、ホールからも、客が逃げ出していた。


 そんな中で、葉狩野に逃げられなかったのは幸運だった。やつは胡乱うろんな顔で左右を見渡している。まだ状況を理解していないらしい。



「そこまでだ葉狩野!」


「うわっ、なんだお前ら!」


「母さん大丈夫? 酷いことされてない!?」


「大ちゃん? あなた、どうして……」



 間に合った。オレたちは、すんでの所で葉狩野の野望を阻止したのだ。


 あとは救出するだけだが、葉狩野は、母親の手首を握りしめたまま離そうとしない。



「その手を離せよ、ゲス野郎」


不躾ぶしつけなガキどもだな。どけ、遊びたけりゃゲームコーナーでもウロついてろ。こっちは大人の遊びを楽しむところだ」


「母さん! こんな奴相手にしてないで、家に帰ろうよ!」



 母親は、大介の声に怯みをみせた。しかし、視線をさまよわせただけで、葉狩野の傍から離れなかった。



「ごめんね、大ちゃん。明日には帰れると思うから……」


「そんな……! ダメだ母さん! 行っちゃいやだ!!」


「クックック。そろそろ乳離れしたらどうだ、クソガキ。知らんようだから教えてやるが、オレの機嫌を損ねないほうが良いぞ?」


「うっ……それは……!」



 大介に負い目がない訳ではない。すでに父親の罪を知ってしまった後だ。つまり人質は、母親だけではなかった。



「もう一度言う。そこをどけ。今なら無礼は忘れてやるぞ」


「うぅ……そんな……」


「負けるな大介。コイツに遠慮する事はない」


「ワタルさん?」


「例の横領事件は、この葉狩野が真犯人だ。父親は不運にも、罪をなすりつけられただけだ」


「ええっ!?」



 オレは葉狩野に指を突きつけてやった。葉狩野の顔は、赤黒く染まり、やがて激しく震えだす。



「小僧……。今のは訴訟ものだぞ。そこまで言うからには、動かぬ証拠があるんだろうな!」


「無い」


「ハァ……?」


「証拠は無い。だがお前が犯人だ!」


「フザけてるのか、言いがかりも大概にしろ!!」



 オレは葉狩野こそ犯人だと確信していた。ディープゾーンに入って以来、この男がやたらフォーカスされている。そして父親が失脚したのを見計らって、母親に不義を持ちかけた。


 それらは無関係か。いや違う。証拠がないだけで、それらの出来事は全て葉狩野を中心に起きている。関係ないと言う方が不自然だった。



「ワタルさん……いくらなんでも今のは」


「クソッ。あとは証拠さえあれば葉狩野を追い詰められのに……。何か見落としてたか?」



 その時だ。スマホがブッブと鳴った。一体何だと思ってみると、テキストデータ受信の知らせだった。


 誰がこれを。そう思いつつ開くと、そこには箇条書きの単語が並んでいた。



「なんだこれ。アツタタカナオサマ ソウキン 220万円。アツタヒバリサマ ソウキン 150万……」


「やめろ! やめろぉーーッ!!」



 突然、葉狩野が突進してきた。オレが身をかわすと、初老の体は勝手につまづいて転んだ。


 半身を起こした葉狩野は、怨嗟えんさのこもる眼でオレを睨んできた。



「なぜお前がそれを知っている! どこで手に入れた!」


「今のはよっぽどヤバいもんらしいな。汚職の証拠か?」


「うるさいうるさい! 消せ、消せ、今すぐに消せーーッ!」


「これが証拠になりそうだ。違うか?」



 オレが目配せをすると、母親は我に返った。それから逃げるようにして、大介の傍に駆け寄った。


 救出に成功した瞬間だった。あとは『残党狩り』の時間になる。



「葉狩野。なんでこんな事をしでかした。なぜ大介の親父さんに罪をかぶせたんだ」


「ふ、ふふ。許せなかったからだよ」


「何が?」


「あの野郎は、オレの取り巻きよりも、若くて美人な嫁をもらいやがった。それが許せなかった」


「……そんな理由で、無実の人を罠に?」


「いいか小僧。オレはな、陰の実力者だ! 会社の、いや川咲の、いやいやこの国すらも支配できる、選ばれし男なんだ! そんなオレの女が、くだらん男の嫁より見劣りするなんて、許されないんだ!」


「それが動機かよ……想像以上にクソだな」


「何とでも言え。それよりお前らは知りすぎた、生かしては帰さんからな」


 

 葉狩野は、全身に力をこめると、辺りに血肉を撒き散らした。ひどい臭いだ。しかし、その不快さに気を取られるだけの余裕なんて、オレ達には無かった。



「殺してやるぞ、雑魚どもが! 運命に選ばれた男の力をみせてやるーー!」



 初老の体は面影すら残さず変貌した。黒く艷やかな羽、長いくちばし、ルビーのように赤い瞳。全長数メートルと思しき巨大なカラスが、オレ達の前に出現した。


 それと同時にスマホが震えて知らせた。



――サイコストーカーと遭遇しました。ヘルクロウが一体です。



 やはりそうか。オレは拳を握って構えるが、葉狩野はこちらを見ない。奴はホールの吹き抜け部分を見上げるなり、翼を広げて羽ばたいた。

 


「ハーーッハッハ! 地面を這いずり回ってろ、うじ虫どもぉぉ!!」



 葉狩野は、高笑いするとともに、建物の天井付近を飛び回った。その最中に、柱や手すりを蹴りつけて破壊した。


 するとホテルはあちこちで崩れだした。それはやがて、激しい崩壊を招いてしまった



「あの野郎……オレたちをガレキに埋める気か!」


「ねぇ、早く逃げようよワタルさん!」


「そうだな。こんな所に長居をするのは――」



 その時だ。背後で母親の悲鳴が響き渡った。モルタルの柱が砕けて、そちらに倒れ込んだせいだ。


 柱の片方が手すりに引っかかったお陰で、母親は圧死を免れた。しかし、片足が柱の下敷きだ。僅かな隙間に挟まれてしまったらしい。



「待ってて母さん、今助けるよ!」



 大介が柱に取り付くが、ビクともしない。オレが加わっても同じだ。どれだけ力をこめようと、爪の先すらも動く気配がなかった。



「ヤバいぞ、早く助けないと! オレたちも……うわっ!」



 葉狩野の破壊活動は終わらない。ガラス片、コンクリートの欠片が、雨のように落下してくる。オレ達が殺されるのも時間の問題だった。



「すまん。言いにくいことだが、このままじゃ――」


「嫌だ! 僕は絶対に母さんを助けるんだ!」


「大介……。気持ちは分かるが、ここは現実じゃなくてだな――」



 その時、建物が激しく揺れた。さらに崩壊も激化し、壁や階段までが崩れるようになる。


 それから間もなく、オレ達のそばで壁が崩れた。立てかけた板が倒れるかのように、ゆっくりと、重力に従って傾いていく。その先には、床に倒れ伏す母親の姿が――。



「母さんッ!!」


「無茶だ、やめろ大介!」



 倒れかけた壁に潜り込んで、大介が支えた。オレも隣に並んで力を込める。


 状況は一層悪化した。壁を跳ね返すどころか、堪え続けることすら難しい。それは余りにも重たく、人間の力で敵う代物ではなかった。



「大介……これは無理だ。本当に死ぬぞ!」


「ワタルさんはいいよ。ここから逃げて」


「おい、お前!」


「僕はいやだ! 二度と母さんを死なせたくない! あんな光景をもう一度見せられるだなんて、それこそ死んでもイヤだよ!」



 大介の頬は砂埃で汚れており、それを止めどない涙が洗い流した。そして、しゃくりあげてまで泣き出してしまう。


 説得など聞きやしないだろう。ならば、恨まれるのを覚悟して、力付くで連れ去るか。そんな考えがよぎると、母親が小さく、だが確かに語りかけた。



「大ちゃん。もういいから。早く逃げて」


「なんでだよ、どうしてそんな事言うんだよ! 前もそうだった! 家が地震でつぶれて、父さんと母さんは下敷きになった時と、まったく同じ事を!」


「マリちゃんをお願いね。あの子の事を守ってあげて……」



 大介は涙を止めた。しかし、顔は絶望に染まっている。それは死に場所を選べない、肉親と運命を共に出来ない苦悩が、彼をそうさせたのか。



「何だよそれ……どうしてまた、こんな事に……」


「おい大介、気をしっかり持て!」


「いやだよ、こんな世界なら、もう何も見たくない! こんな穢れきった世界なんてーーッ!!」



 大介が肌を震わせるほどに叫んだ。すると、彼の頬を伝って赤い物が滴り落ちた。泥と混じり合う赤黒い鮮血だ。それは瞳と、口の端から流れ続けていた。



「おい大介! 大丈夫か!?」


「えっ、何、この感覚は……いったい?」


「ショックなのは分かる、分かるが、今は身の安全を――」


「ワタルさん。3秒で、あそこの手すりを壊せる?」


「えっ、何!?」



 大介はアゴ先を動かして、それを指し示した。彼が言うのは、モルタルの柱がもたれかかる手すりだった。



「この壁は、僕一人でも3秒なら堪えられる。どう、できそう?」


「お前、急に何を言って――」


「それで母さんも助けられるんだ。お願い、僕を信じて!」



 大介の顔は面妖だった。血と泥と涙で汚れており、とても正気の人間とは思えない。だが眼光は清らかだ。力強く、展望を見据える光が宿っている。


 オレはただ、頷くしかなかった。



「3秒だな。よし、やってみる」


「じゃあ、せーーので」


「分かった。せーーのッ!」


「3」


「コイツだな、オラッ!」


「2」


「かてぇ! 手じゃダメだ!」


「1」


「大介、壊れたぞ――うわっ!」


「今だ母さん! そこから出てッ!」



 支えにした手すりを破壊したことで、柱が一瞬だけ浮き上がり、角度を変えた。それで自由になった母親は、床を這って逃げた。


 続けて柱が誰も居ない地面を叩き割り、そこに壁だけが、やはり誰も居ない床に倒れた。


 地響きの後には、砂埃が舞い上がるだけだ。血の一滴すら見ること無く、救出する事が出来た。



「ま……マジかよ。本当に助かったのか?」


「ワタルさん、ここは危ない! こっちだよ!」


「お、おう!」



 オレは何が何だか理解できずにいた。大介が突然、異様とも思える程の知恵をきらめかせたのだ。それは余りにも正確で、とても子どもの発想とは思えなかった。


 だが頼もしい。今の大介は守護対象ではなく、背中を預けられる仲間に急成長したようだ。



「これは凄いな。待ってろよ葉狩野。どうにかしてお前をブッ倒してやるぞ」


「ワタルさん、早く! そこはもう崩れるよ!」



 大介が手を振る方へ駆けていった。そこは非常用通路で、他所より頑丈に出来ているのか、崩壊度合いはマシな方だった。


 ようやく冷静さを取り戻した気がする。さぁ、ここから反撃開始だ。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ