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十八.避難所の職員室へ

 裏庭は静まり返り、表の惨劇が嘘のようだ。


 何事もないように立ち尽くす、双子の創始者の像。


 思えば、この場所から、悲劇は生まれたのだ。彼らは未だ止めることなく、昔話を語り続けている。


 そう、鬼の悲劇を題材とし、悪しきものとして表現する、昔ならでわの今昔話。


「なぜ、物語の鬼は、いつもいつも退治されてしまうのかのう」


 綺羅姫に出会うまで、一度も考えたことなんてなかった。


 あの素朴で、しかし寂しそうな童女の声が、台詞が、頭から消えない。


 鬼は、特殊な力を持った人間によって退治されるものである。桃太郎にせよ一寸法師にせよ、鬼はいつも、人間の前に跪く。


 でも、それはあくまで作り話だ。過去の産物として、後世に伝えるのもいいだろう、日本の歴史や文化を知る上では、欠かせない大事な文献なのだから。


 だが、だからといって事実まで、そうである必要はない。


「じゃあ今度は、鬼がやられるオチのない話を考えてあげるよ」


 綺羅姫に、そう約束した。鬼が出てきても、人間と対等に扱われるような、人間の持つ鬼の先入観を覆せるような、そんな話を作ってあげよう。


 そう言ったのが、もう何年も昔のことのようだ。


 実際のところ、本物の鬼というものを見て、その約束が守れそうにないと思った。


 あんなおぞましい光景を見続け、たくさんの人たちが犠牲になっている現状を目の当たりにしてまで、鬼と人間を平等に見ることなどできない。


 自分が捜し求めていた鬼とは、本当にあんなものだったのろうか。結局、談子自身も、鬼という概念を持つにあたって、物語の中の、主人公にいとも容易くやられてしまう弱い鬼しか思い浮かべることができていなかった。


 それが覆され、鬼のことも、自分の気持ちさえも、よく分からなくなっていた。


「鬼が動いた気配はない。しばらくここで、身を隠しても良さそうだ」


 周囲を偵察に行っていた、暁と安眠が戻ってきた。銅像の根元に腰を下ろして、項垂れている談子に歩み寄る。


「疲れたか?」


「ん? ううん、平気だけど」


 そう応えたものの、体中からは疲れがじわじわと染み出していたかもしれない。体力的にも、身体的にも、どこか歯止めがかかったように元気が出ない。


 目の前に、小さな紙パックが差し出された。烏龍茶だ。少し驚いて顔を上げる。


「調達してきた。これでも飲んで、少し休憩してろ」


「ありがと」


「後で金返せよ」


「八十円くらい、いいじゃんよ。奢って」


「嫌だね」


 ケチにドが付くほど、金にがめつい奴だ。


 烏龍茶を受け取り、ストローを刺して中身を吸い込む。苦味があるが、渇いた咽を潤すには最高だった。


 火照っていた頭が少し冷やされ、落ち着いてくる。ふと、頭によぎった疑問を、談子は暁にぶつけてみた。


「ねえ、暁は何で、生徒会に入って、鬼と戦ってるの?」


 隣に腰を下ろして烏龍茶を飲んでいた暁は、横目に談子を見た。それから暫らく考え込むような態度を見せ、暫らくして重々しく口を開いた。


「俺の生家――春眠家は、中国に拠点を置いた、代々続くキョンシー使いの一族だ。何百年も前の先祖が、旅の途中にこの地へ立ち寄った時、事故に巻き込まれて死にそうになっていたところを、この銅像の二人に助けられた。その恩に報いるため、この地の人間たちが頭を抱えていた鬼の問題を共に解決しようと、堅い約束を交わした。その誓いが、今でも引き継がれている。だからキョンシー使いとなった春眠家の人間は、継続してこの地へやって来て、鬼の封印が発かれた際に無条件に力を貸す、という風習が、今でも続いている」


「……そっか、みんな色々大変なんだね」


 そんな大昔のしきたりに今も縛られている。という事実に対して、暁は何の疑問もないようだ。


 それが当然であり、かつそれを完璧に遂行することが、自分と言う存在を認めてもらえるための証明だと信じてているのだろう。さっきだって、失敗した安眠をあんなに激しく責め立てたのには、そういう理由があったのだ。


 それを言うならば、他の生徒会役員たちだって、きっと同じような目的を胸に秘めて活動を行っているような気がしてならない。談子も少なからず経験があるが、今生徒会に集まっているような、鬼を封印するのに役立てそうな能力と言うのは、一般社会の中では異端そのもので、中には恐れられたり、激しく批判され、迫害されるものもあるのではないだろうか。


 それこそ、鬼という存在と、同じように。


 彼らが普通の人間として認められるためには、自分が人間にとって無害であること、その力が人間の平穏を保つために有効であるということを証明しなくてはならない。そのために、彼らは鬼の封印を監視し続けているように、談子は感じるのだった。


 今、思い返せば、昔話で鬼を退治した主人公たちも、みんな異能の持ち主であった。桃太郎は桃から生まれたし、人並みはずれた強靭な力を持っていたし、一寸法師はその小さな体型を克服し、普通の人間になるために鬼退治へ挑んだ。


 今も昔も変わらない、その理。多くの異能者たちは、鬼を倒すことで普通の人間として暮らす権利を得られた。


 だとすれば、鬼はそのために利用されているようなものではないか。


 なら、鬼という名の異能力を秘めた人間は、どうやってその存在を認めてもらえばよいのだろう。


 綺羅姫は、どうすれば普通の人間として、扱ってもらえるのだろう。


 今、しつこく考えたところで、その答は浮かんでこない。


 でも、考え続けなければ。誰かがその現実を認め、出ない答を悩み続けなければ、綺羅姫はいつまでたっても、独りぼっちの鬼のままだ。


 思考に一区切りつけて、息を吐く。隣では、安眠が暁にもたれかかって、ぐうぐうと寝息を立てている。キョンシーに疲れがあるかは分からないが、休息をとるなら今ほどの時はないだろう。その姿を見ていると、緊張していた気持ちも少し和らいだ。


 暫らくそっとしてあげたいところだが、突如、談子の携帯の着信音が辺りに響きわたる。


 コケコッコー!


「お、電話」


 ポケットから携帯を取り出す。ふと前を見ると、凄まじい形相でこちらを睨む暁が、慌てた様子で安眠の両耳を強く塞いでいる。


「ん? どうかした?」


「変な着信音の設定してんじゃねえよ!」


 突然怒鳴られ、訳が分からず、談子は膨れる。


「何さ、別に何にしてたって、いいじゃん」


「いいから、早く切るなり出るなりしろ!」


「何なのよ……」


 傍でギャーギャーわめく暁を無視し、しつこく鳴き続けるニワトリ着メロを聞きながら、表示を見る。着信は由喜からだ。


「もしもしー、由喜ちゃん?」


 のんびりと対話に応じる。それとは正反対に、回線の向こうの由喜の声は、とても焦っているようだった。


『談子ちゃん!? 今どこにいるの、無事?』


「今? 学校の裏庭だよ。無事って、どういうこと?」


 とりあえず無事なことを確認すると、由喜は安堵の息を漏らした。そして、不思議そうにしている談子に、細かい説明を始める。


『よかったー。グラウンドを、暁くんや談子ちゃんが走ってるのが見えて、そしたら急に校舎の窓ガラスが割れてさ。プールのほうで、すごい爆発みたいなのが起ったりしたから、巻き込まれたんじゃないかって、心配してたんだよ』


「あたしは怪我ないけど……。ってことは、由喜ちゃん、学校にいるの?」


『うん。バレー部の体験入部で、ちょっとね。今、職員室なんだけど、お昼頃から急に閉じ込められちゃって』


「一人?」


『ううん。バレー部の先輩とか、あと瀬見先生。教頭先生とかもいるんだけれど、気を失ってるみたいで全然動かないの』


「職員室だよね? 待ってて、今からそっち行く!」


 返事を聞き、電話を切った。


「職員室! そこに由喜ちゃんたちがいるんだって。今度こそ、あたしたちも行って合流しよう。先生とかもいるみたいだし、なにかいい案を出してくれる人がいるかも!」


「……さっきから言っているが、職員室がどこにあるのか、分かってるのか?」


「…………」


 暁の的確な突っ込みに、談子は現実を直視して頭を抱えた。しかしすぐに新たな考えを思いつき、元の表情に戻る。


「由喜ちゃんは、あたしたちがグラウンドを走ってる姿を見たって言ってた。だから、グラウンドに面した教室のどこかだよ」


「ほとんどの教室が面してるだろう」


「ぐぬう……それなら!」


 談子は再び携帯を取り出し、由喜にダイヤルした。


「もしもし由喜ちゃん? 今からあたしたち、グラウンドに行くから、姿が見えたら、教室の窓から大きく手を振って。お願い、じゃあね」


 素早く切断し、勢いよく通路を指差す。


「これでよし! さあ二人とも、グラウンドに行くわよ」


「随分と強引だな」


「何でもいいから行くの!」


「何でもいいが、着メロは他のに変えとけ」


「だから何で」


「何ででもだ。次鳴った時に変わってなかったら、勝手に渡る世間は禿ばかりのテーマソング入れてやるからな」


「やめてよ、恥かしいから!」


 なんて言い合いしながらも駆けだし、いざグラウンドへ。




▲□▲□▲




 元来た道を辿ると、鬼と鉢合わせする可能性があったので、校舎の隙間を縫うように細い通路を辿り、陽のあたる校庭へと出た。


 徐々に傾きつつある太陽に、少し焦りを覚える。日暮れとまでは行かないが、かなり薄暗くなってきている。


 鬼と鬼外の激しい戦いが繰り広げられたであろう、グラウンドの惨状は物凄かった。


 辺りに散らばるガラスの破片、大きく抉れた地面。


 いったい、どのような激闘を行えば、こんな有様になるのか。


「すさまじいな……」


「本当に」


「ぐう」


 後片付けが大変そうだ。そんなことを呆然と考えていると、頭上から声が。


「おーい、談子ちゃん、暁くん!」


 由喜の声だ。見上げると、ガラスが粉々に砕け散っている三階の窓のすぐ真下の教室から、由喜と数人の生徒が顔を出していた。あそこが職員室のようだ。


「由喜ちゃん! いまからそっち行くねー」


 手を振ってくる友人に同じように振り返し、二階へ向かおうと、昇降口へ進み始めた。


 その時。


 由喜たちがざわめいた。


「な、何、あれ!」


 その声に感化され、振り返ると、プールのある方角から、のっそりと黒い塊が歩いてくる。


「ちっ、動き出しやがったか」


「ど、どうしよう、早く上へ行かないと」


 談子は慌てて駆け出す。こうしている間にも、鬼は迫ってくる。だが暁は冷静に周囲を見渡し、制止の声をかけた。


「校内に入ったら迷う。下手をしたら、鬼の思う壺だ」


「じゃあ、どうすんの?」


「安眠、窓の上へ跳べ!」


「ぐう!」


 了解した安眠が、強く地面を蹴る。軽々と一階の窓の上にある、雨避けのコンクリート屋根に飛び乗った。


 そこから更にバウンドし、二階の職員室の窓に手をかけて、飛び込む。突然の安眠の乱入に、由喜たちが驚いて、教室内で騒いでいる声が聞こえた。


「ええっ! 跳ぶわけ? ってか、あたしには無理だし、平民に雑技団みたいなことやらせないでよ!」


「お前に、そんな芸当ができるなんて期待してない」


 それだけ言って、暁は談子の身体を勢いよく抱え上げる。


「うわっ、ちょ、また!?」


 鬼外に投げ飛ばされた時のことを思い出し、衝撃に備えて身体を強張らせ、身構える。


「歯ァ食いしばれ! 舌噛むぞ」


 言った時には、暁は既に地面を蹴っていた。談子を抱えたまま、暁は勢いよく上へ飛びあがる。


 その間、談子はずっと目を閉じていた。


 地面が足に付き、全体的な安定感を感じる。目を開くと、既にそこは教室の中だった。


 安眠が駆け寄ってくる。その向こう側には、遠巻きにこちらを見ている、数人のジャージ姿の生徒が。


 その一人に向かって、談子は声をかけた。自然と表情も綻ぶ。


「由喜ちゃん!」


 友人もまた、嬉し泣きしそうな表情でこちらへ駆けて来る。感動の再会を喜ぶべく、談子は両腕を広げた。


 しかし涙の抱擁はさらりとスルーされ、由喜は暁の側へ真っ直ぐ駆け寄り、手を握った。


「暁くん! 二階の窓から入ってくるなんてすごいわねー。大丈夫だった? あっ、怪我してる! 平気? 痛くない?」


「……別に平気だけど」


 色々と言い寄られて、言葉に詰まる暁。談子は背後から、由喜を思いっきり睨みつけた。


「何で無視すんの、由喜ちゃんのバカー!」


「あ、談子ちゃん。いたの? 小さすぎて視界に入ってこなかったわ」


「ひどい! あんな目の前にいたのにー。自分から電話してきといて、その待遇は何!?」


「冗談だってばほら、よしよし。無事でよかったわね」


 ショックを受けて拗ねる談子の頭を、由喜は撫で撫でする。長年の付き合いからか、談子の手懐け方は誰よりも極めている。


「それより、いったい学校で、何が起こってるの?」


 訊ねられるが、何を話せばよいのか談子は迷う。それ以前に、話していいものなのかも分からない。


 ここにいるのは、偶然学校にいたために騒動に巻き込まれてしまった人たちばかりだ。余計なことを口走って、混乱や不安感を抱かせる必要はない。


 こちらにアイコンタクトを送ってきている暁の瞳も、そう語っていた。同意して、あえて談子は嘘をついた。これも由喜のためなのだ。


「じ、実は校内でイノシシが暴れてて……」


 談子のついた精一杯の嘘には、かなり無理があった。暁は呆れた表情で脱力しているし、由喜は不信感を露にして、思いっきり疑いの眼差しを向けてくる。


「談子ちゃん、イノシシが、あんなにバリバリ窓ガラス粉砕したり、グラウンド爆発させたり、プールで暴れたりできると思う?」


「さ、最近のイノシシは、進化してるから」


「談子ちゃん、私たち友達でしょ? 私は談子ちゃんの口から、本当のことが聞きたいの、笑ったり怒ったりしないから言ってごらん? 貶しはするかもしれないけど」


「前半、あれだけいいこと言っといて、なんで後半で、そうなるかな……」


 兎にも角にも追い詰められ、対応に困っていると、救いの船が顔を出した。


「どうしたの? 何か騒がしいけれど……。あら、月見さん? それに春眠くんも。いったい、どこから……」


 担任の時雨だ。助かったと、談子は話の筋をそちらへずらし、時雨にここへ来た経緯を簡単に話した。もちろん、鬼の話は抜きで。


「まあ、グラウンドからジャンプして? 最近の高校生はイキがいいわねぇ。でも賢明だったわ。職員室の扉、全く開かなくなっちゃってるから」


 あまり驚いた様子もなく、どちらかというと感心したような口調で、時雨は話を聞いていた。そして、思い出したように暁に向き直る。


「そうだわ、春眠君は生徒会役員だったわね。少し話を聞きたいのだけれど、いいかしら? 月見さんも、ちょっとこちらへ」


 恐らく、今の現状について知っておきたいのだろう。先生なら、事情を全部話しても差し支えなさそうだし、鬼についてある程度のことは学校や生徒会から知らされていそうだと判断し、暁と談子はそれに応じて頷いた。


 時雨に誘導され、職員室の奥にある応接室へ案内される。


「ごめんなさい、三人でお話がしたいの。みなさんは、ここで待っていてくださいね」


 振り返ると、他の生徒達もぞろぞろと後をつけてきていた。事情を知りたいのは誰もが同じだ。だが、知らないほうがいいことだって、世の中にはたくさんある。


 時雨のストップがかかり、バレー部員たちは不安げにも、しぶしぶ足を止めた。


「談子ちゃん……」


 心配そうにこちらを見つめる由喜の姿が目に留まり、談子も沈痛な面持ちになる。


「由喜ちゃん、ごめんね。後で、ちゃんと説明するから」


 そう言い残し、二人の間を木製の扉が塞いだ。


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