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十九.最終手段

 応接室の来客用のソファに座り、談子と暁は机を挟んで時雨と向き合った。時雨の後ろの床には、タオルが敷かれ、そこに年配の男性が横たわっている。


「あの、そちらにいるのって……」


 気付いた談子の声に、時雨は頷いた。


「教頭先生。さっき、グラウンドで色々あったでしょう? ここの窓からその一部始終を見ているときに、急に倒れられて。みんなには気絶しているだけって言ったけれど、あなたたちは分かっているのよね?」


 息を呑む。ひょんなことから、鬼と目が合ってしまったのか。教頭先生も、鬼の犠牲者となったのだ。


「先生は、どれくらい鬼のことを?」


 暁が訊ねる。時雨の理解度に応じて説明する内容も密度も大きく変わってくるからだ。


 時雨は軽く息を吐き、知る限りのすべての知識を語り出した。


「自分では、どれくらい理解できているのか、正直、分からないわ。でも、この学校に赴任してきた時に、生徒会役員さんから簡単な話は聞いたし、鬼の特性も知っているつもりよ」


 おそらく、初歩的な知識しかないのだろう。暁はそう解釈したようで、どの程度話すべきか思案し始めた。そして鬼が現れた経緯と、今までの被害状況を簡単に説明する。談子の話題も持ち出され、注目を浴びるたびに肩身が狭くなった。


「そう、もうそんなところまで……」


 話を聞き終え、時雨は深い溜息をついた。事態のつかめない密室で、必死に生徒を宥め、励ましていた彼女自身、かなり憔悴しているようで、表情には普段は決して見せない疲れの色が濃く現れていた。


「では、この教室が最後の砦なのね」


「そうなります。こうなったら、逃げるよりも鬼に見つからないように、ここで息を潜めておくほうが、安全でしょう。見つからないことを祈るしか、俺たちにはできません」


 悔しそうに、暁は顔を歪める。その間、談子は以前、時雨が見せた奇妙な言動を思い出していた。


 それについて訊ねる。


「先生は、前に綺羅姫を見た時に、「夢じゃなかったのね」って言いましたよね? あれって、どういう意味だったんですか?」


 驚いた顔をした時雨は、しばらく無言だったが、すぐに困った笑顔を浮かべつつも、説明してくれた。


「聞かれちゃってたか。つい、口から零れ出ちゃったのよね。私が学生だった時にも、彼女を見たことがあって。数年前と全く変わっていない姿に、驚いてしまったのよ。――私が、この学校の卒業生だって、みんなに話したわよね?」


 二人は頷く。入学式の日に聞いた。彼女が授業を受け持つクラスの生徒なら、全員知っているはずだ。


「私が在学していた頃にも一度だけ、鬼の封印が解けたことがあるの。その時は、ある一人の生徒の命を犠牲に、事態は収まったわ」


「その時のこと、詳しく聞かせてください」


 暁は詰め寄る暁。何か、鬼に関する新しい情報が手に入るかもしれないと踏んだのだ。時雨は頷いて説明を続けた。


「あれは、私が二年生のとき。ちょうど、夏休み前のテスト期間中だったわ。試験は午前中で終わったけれど、私は調べものをしようと、友人と二人で図書室に残っていたの。途中で、外の様子が騒がしくなって、生徒会役員だったその友人に、非常事態の連絡が届いた。それが、鬼の封印が解けたという知らせだったのよ。学校から出られないことを知って、最初はできるだけ鬼に見つからなさそうな場所を探して、隠れようとしたわ。でも、校内の人たちが次々倒れていくうちに、だんだん怖くなってきたの。怯えている私に、友人は言ったわ。「図書室に、鬼を退ける方法が書かれた書物が隠されている。それさえ使えば、みんなは助かる」って。そして彼女は、一人で図書室へ戻っていった。私は体育倉庫の一番奥で、一人震えていたの。数時間して日が暮れ、鬼は自然と封印の中へ戻って行ったようだったわ。魂を抜き取られていた人たちもみんな息を吹き返して、他の生徒会役員の処置によって被害者たちの記憶が操作され、何事もなかったように騒ぎは収まったの。……ただ一人の犠牲者を除いて」


「その犠牲者が、先生のお友達……?」


「そう。私も、その後はずっと混乱していて、夢でも見ていたんじゃないかって思ってた。鬼なんていなかった、友人も、事故で死んだんだって、必死で自分を納得させようとして。でも、この学校に赴任して、鬼の話を聞くに当たって、曖昧だった記憶がはっきりしてきてね。色々と思い出してしまったのよ」


 囁くように、時雨は説明する。思い出したくない、嫌な思い出だったはずだ。できれば心の奥底に閉じ込めておきたかったに違いない。


 それをわざわざ教えてくれたということは、今回の件に役立てそうな情報だと思ったのだろう。


「その図書室にあるという本は、どのようなものなんですか?」


「私にもよく分からなくて。ただ、鬼が日没まで消えなかったところを見ると、私の友人は、その本を使用するのに失敗したのでしょう」


「ただ先生を安心させるために言った気休めって線は?」


「春眠君は、勘がいいわね。私も、ひょっとして、って同じことを考えたの。でもね、鬼が消えてから一番に図書室に向かったのは、私なのよ。中に入ると、図書室の床やら壁やら一面に、奇妙な凡字や紋様が描かれていて。……そう、まるで、ファンタジーに出てくる魔法陣のようだったわ。その中心で、彼女は息絶えていたの。その手には、「呪い定めの書」と書かれた古書が、しっかりと抱かれていたわ。そういった、鬼を封じるために有力な本が、実在していたのは事実よ」


「じゃあ、やっぱり失敗しちゃったってことですかね?」


「そうなのでしょうね」


「中身は? 確認しなかったんですか?」


「開いてみたわ。でもそれはとても古い言葉で書かれていて、私には読めなかったの」


「その人には読めたの?」


「生徒会に任命されるような人間だ、おそらく、そういった能力を持っていたんだろう」


「――あれから数年。彼女の死が、今も私の中で引っ掛かっていてね。どうして彼女が死ななくてはならなかったのか。あの時、いったい何が起こったのか。それを確かめるために、私は古語を学んで教師の資格を取り、ここへ戻ってきたの。これからその本を探して、少しずつ解読していこうと思っていたの。けど、急すぎて何もできなかったわね」


 残念そうに、時雨は肩を落とす。ふと、談子はあることを思い出し、あっと声を上げた。


「今、イナホ先輩が図書室にいる!」


「イナホって、生徒会書記の、秋田さんのこと?」


「はい! 鬼から、あたしを助けてくれて、その後、図書室へ行くって言って別れたんです。鬼を倒す方法が、もう少しで見つかるかもしれないって」


「おそらく、その「呪い定めの書」とやらのことだな」


「あたし、図書室に行ってきます! 本が見つかったかも気になるし、イナホ先輩一人じゃ、危ないから」


 談子は勇んで立ち上がる。しかし、暁によって冷静に制止された。


「図書室の場所も、分からないんじゃないのか? それに鬼が彷徨いている、危険だ。お前はここにいろ、俺が代わりに行く」


 たしかに、暁なら鬼と遭遇しても死ぬことはないだろし、足も速いから、撒くこともできるだろう。だが、道が分からないという点では同じだ。談子は役目を譲ろうとしなかった。


「ううん、暁はここにいて。もしここが鬼に襲われたら、元も子もないでしょ? あたしには絶対太刀打ちできないし。大丈夫、必ず図書室見つけて、イナホ先輩を連れて戻ってくるから」


 強引に言い聞かせ、談子は外に出る。


 職員室の扉は、何らかの力が作用しているのか、押しても引いても開かない。まあ開いていればみんないつまでもこんなところにはいないだろうが。仕方なく再び窓から這い出て、雨水排水用のパイプを伝って隣の教室へ飛び移る。途中、由喜や安眠に止められるが、なんとか説得してその場を乗りきった。今は窓枠から、談子の危なっかしい動きをハラハラしながら見守っている。


 職員室の隣は地学室になっていた。大きな地図や岩石の欠片がショーケースにたくさん展示されている。この教室の扉は内側から簡単に開けられたので、そこから廊下に出た。鬼がいないか慎重に周囲を確認しながらだ。


 とりあえず鬼の姿は見当たらない。少し安心して廊下を歩き出した。しかし強がって出てきたものの、やはり図書室がどこにあるかは分からない。このまま戻っても呆れられそうだし、かと言って無闇に彷徨いていても、鬼に見つかってしまう。


 確実に図書室まで行く方法はないものか。腕を組んで唸りながら考える。


 ふと、胸元に硬いものがある感触がした。制服の内ポケットをまさぐると、体育館で拾ったお手軽ナビが出てきた。そのままくすねて持ってきていたのを忘れていたのだ。


 これは校舎の配列をめちゃくちゃにした、みかんが作ったものだし、ナビというくらいだから、校内の見取り図でも搭載されているかも知れないと思い、電源を入れてみた。


『ヘーイ! お手軽ナビ検索画面へようこそ! ここに行きたい場所名を入力すると、そこまできっちり案内するよ』


 お手軽ナビが言った。


 ちゃんとあるじゃん!


 喜んだ談子はカーソルを合わせて、矢印キーを動かして文字を選択していく。「としょしつ」と入力した。


『OK! 受信完了、あとは目的地へ向けて、全速力で走ってくれ!』


「走れ? ってまさか……」


 ナビの電源が、自動で切れてしまう。走るというところから、嫌な予感が連想されてきた。


 静まり返った廊下に、何やら大量の足音が響き渡る。それらは、だんだん、こちらへ近付いてきていた。


 同時に、奇怪な声も聞こえてくる。


「迷わないでー」


「迷わないでー」


「やっぱり、こうなるの!?」


 嫌な予感が的中する。廊下の彼方から凄まじい勢いでやってくる、ゾンビ、ゾンビ、またゾンビ。


 それを視界に入れた瞬間、談子は一目散に逃げ出していた。


 本物ではないと頭では分かっているものの、気持ち悪くて怖いことには変わりない。どんなに拒絶反応を示しても、お構いなしにゾンビたちは追いかけてくる。


「もーやだー、こんな方法しかないのー?」


「迷わないでー」


「迷わないでー」


「タコ食いなはれ!」


「一匹、関西出身がいる!?」


 半泣きになりながら廊下を逃走する談子。無我夢中で走り続け、ゾンビの姿は次第に消えてなくなっていく。


 やがて、ゾンビが追いかけてこなくなったことに気付き、疲れて足を止めると、目の前には図書室の入り口があった。


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