第46話 スメル元帥、現る
目の前の空間に広がる薄闇に巨大な影がぼわんと浮かんだ。
その朧な白銅色の影はさらに拡大し、虚空を埋めていった。
(で、でかい······)
「あれは得意の嗅影じゃの。魔嗅士のエリートだけが扱える嗅魔術じゃ」
とげのある沈黙がキングの声を飲み込み、張りつめた空気を硬直させる。
おれはうまく頭が追いついていない。
チャウ丸とシャムりんも圧倒されて言葉が出ない様子だ。
そこで巨大な影の中から、不気味に発光する赤い二つの眼光が浮かんだ。
「まさかここでお出ましとはの」
「あれはスメル元帥なのでしょうか」
「それがわしもスメル元帥の姿を見たことはないでの」
えっ、そうなんですか?
「じゃが、あのいびつな聴覚波動、ほとばしる殺気······まず間違いなかろう」
············
······
やはりそうなのか······
たしかに尋常ではない殺気が空気を振わせて伝わってくる。
イヌの頃から相手が敵かどうかを見極める癖がついてるから、あの気配がとうてい受け入れがたいものなのはわかる。
ただ当たり前だが、あんな嗅魔術の使い手にかないっこない。
ここは相手にとって有利なフィールドだし、まさにまな板の鯉 (イヌ)状態だ。
そのとき、強烈な横風がバッと吹いた。
そして届いてきたのは匂いか音か――
闇に響き渡る低音の声。
『神具を独り占めとは、けしからぬ······』
そこでおれはふと思い出す。
以前、聴いたあの思念による声を。
(((――聴こえるか、地球のイヌなる者よ――)))
もしあのときの声がほんとにスメル元帥のものであれば、相手はおれが地球から来たことを知っている。
そしてこれまでヤメーメの蔵の鍵が狙われることはなかった。
なぜ今なのか――
おれたちがこっちの世界に来たことで相手が動き始めたのだとしたら――
スメル元帥の狙いはおれたちなのでは――
恐怖で総毛立ったそのとき、巨大な影がどろりと溶けるように姿を変えていった。
それは少しずつ新たな形を成していく。
「な、なにアレ······」
「バケモンだ······」
シャムりんとチャウ丸の怯えた声が届く。
怯えないわけにはいかない。
薄闇の中にかたちづくられたそれは、たしかに化け物にほかならない。
二つの首を持つ化け物の幻影?――
その巨体をおれは知っている――そう、ドラゴンだ!
「うむ······あれは、剣を納める蔵の護り獣だと言われているもの。はて、なぜじゃろうの」
キングの声は奇妙なほど冷静だ。
「あるいは、ヤツはあのとき蔵の中に侵入し、記憶した匂いで幻影をつくりだしたのか」
二頭の竜は生粋の影とは思えない。
なぜなら耳をつんざくまでの咆哮をあげたからだ。
ググググゥゥゥゥォォォォンンンン――
声によって肉体がギタギタに切り裂かれたかのようだ。
「末恐ろしいものよのお。ただ真の姿を見せぬとは、ヤツは臆病者」
そこで強烈な臭いと共に、こめかみあたりに強い痛みが刺さった。
【§§ §§§ §§‡§‡‡§§∝§】
きた―――
そしておれはその声を聴く。
声は否応なく、おれの鼓膜へ侵入してくる。
『アヌビス神と死者の間を取り持つ聖犬。
死者を冥界へと連れゆく導犬。
冥界にて丁寧に扱われたファラオの護衛犬。
うぬは偉大なるイヌ公とつながる子孫犬。
幾千代もの時を経たそのDNAをとくと拝見したいものよ』
パンッ!
どこかで巨大な木の実でも弾けたかの音。
さらに不穏な声が入り込んでくる。
『地球のイヌ公よ。撹拌分導していた潜在魔力が研がれたか。技を身につけたようで、これ吉兆』
ボワンと闇に浮かぶ緑色の文字。
>「攻撃五感」嗅魔LV2(五感術指数350)
――ロッキン砲のことか
『いかほどのものよ。さあ、あらんかぎり撃ち放て』
そこで巨大な影が大きく揺らぎ、中から何かが飛び出してきた。
「身をかがめよ」
すばやいキングの声が耳に届くや、闇を高速で飛来する鋭い何か――
発光するそれはいっそう黒く渦巻きながら、やがて輪郭をあらわにする。
・・・・・・・・・・・・・0・・・・・・・・4・・・・・・・・・・・・・・14 9・・・・・・・・・・・・・・・・・・∂∂・・・・・・・・@・・・7・・・・・・・・・・££・・・・・・・2・・・・・・・・・・・・・・・・2・・・・・・・・・・・・・・・∂∂・・・・・・・・・・・3・・・・・・・・・∂・・・・・・・6・・・・・・££・・・・・@・・・・££・・・・00000・・・・・・∂・・・・・・・・・・・・・991・・・・・11・・・・・・・・・・・・・・・・∂・・・・∂・・・・・・5・・・・・・・・・・・・・・・・∂・・・@・・・・・F・・・・・・・・2・・・・・・・・・£££・・・・・・・・3・・・・・・∂・・・・・・・・・・19・・・・・・・0000・・・・・・・・・・・9887・・・・・・・
「きよったか······嗅魔滅波」
あらゆる記号が、硬質なキングの声を埋めていく。
キングにも見えているんだな。
少なくない安堵が胸に広がる。
『ワン公よ、怖じ気づいたか、撃たぬのか』
キングが反応していないのが気配でわかる。
おそらくはおれにだけ届く声――
おれは本能的に今すべきことを理解する。
そして呼吸のリズムを集約させる。
(はあ、はあ、はあ、はあ············飛び交う記号の動きが速すぎる······)
そこで思い出すキングの言葉。
(((集中して耳を澄ませ鼻を利かせよ。持ち前の動体視力を活かせよ――聴覚を勃たせるのじゃ)))
おれは余すことなく集中力を注ぎ込む。
(はあ、はあ、はあ、はあ······聴覚を勃たせる······もっとたたせる······たってくれ······)
下腹部に起こる疼きと、官能的な熱が全身に伸び広がる。
口の中を埋めていく大量の唾液。
おれは吠え叫んだ。
「ロッキン砲ぅ!」
青白い球体が閃光となり暗闇に鋭い線を一気に引いた。
弾けた!
あれはなんだ?
見える――
肥大化した〝@〟だ!
閃光が直撃した〝@〟は引き裂かれ、やがてその欠片が散り散りになっていく。
『ふむ、まずまずだな。だがそのていどで、我に通用するとでも思ったか。では今度は我の番』
そこで空気が激しく波打ち、地面が歪むかの衝撃が足元に起こった。
『貧弱だけが取り柄のおぬしらの国は、このまま哀れの海に飲み込まれて底に沈むがよい。溺れ狂うみじめな塵芥どもよ。おぬしらの聴覚もろとも、嗅ぎ壊してやろうぞ』
「キャッ!」
「やべえ!」
仲間たちの声がかすかに届き、ただならぬ危険を察知した。
その矢先、極彩色の光が天空に集まるや、光の刃が野太い雨のごとく一気に振り降りてきた。
「息を止め、身を屈めるのじゃ」
キングの声におれは犬的本能で反応する。
バグゥゥゥィィィググググョョョゾゾゾィィィ―――
音とも匂いとも取れる奇怪な大音響が、全身を焼かんばかりに包み込む。
(あ、あ、熱い············)
古き狼犬の力がおれの弱気を瞬時に溶かす。
おれは野生のカラダの反応に任せるままに身を護る。
··················
············
······
(止んだ······?)
みんなは無事か?
(チャウ丸! シャムりん!)
心の中の叫びに反応したのは、あの低い声――
『沈み浮かびし陸の真の目覚めはすぐそこまで。
護れり我が春の嗅竜よ。
五感をもって起こせよ嗅嵐。
醜欲で汚れた大地をダークDNAで焼き払い
魔族の足跡で埋め尽くすのだ。
神具の力で初代嗅魔王を蘇らせよ。
それにて五感拮抗大戦は終止符を打ち、魔が世界を抱擁する』
身を凍らすような一瞬の沈黙が流れた。
耳の奥にとどまる声の残響。
次の刹那、様子が変わった。
新たに押し寄せる何かが沈黙の空気を破ってじわりとにじり寄り、やがて闇にばら撒かれる。
視界が理不尽なまでに揺れる。
それは大きく広がる、拡がる······
世界の空気が怒髪の震動に侵される。
『うっ、あれは燃ゆ夏の味雀か······味炎······』
いびつな動揺の声。
大地の揺れがおさまり、巨大な影が仄かに揺れた。
すぐそばで強烈な波動が起こった。
すばやく目を向けたその先で、光を帯びたキングの全身が力強い筋肉で盛り上がり、長い山羊ひげが逆立っている姿を見た。
(こ、これって······ヘルツさん······?)
キングが引き締まった豪腕をバッと天上へ広げた。
その瞬間、薄闇に七色の光影が伸びた。
(ま、まぶしい······)
目がくらむほど強烈な光に耐え切れず、おれは腕で目を覆った。
すぐ近くで、凄まじい力が場を支配しているのがわかる。
『ゔううぅ············』
(このうめきはスメル元帥の声なのか――)
突然、上空に乱れ狂うほどの衝撃と爆発が起こった。
間髪おかず、キングの声が届いた。
「ひとまず退散じゃ」




