7回目
生まれた時から記憶があることで、こんなにも安心するとは思わなかった。
大学に入学するまでは、2人に出会えなかったけれど、会えば絶対にわかる、というそれだけで、1人でいる不安はなかった。それは、記憶がないことで酷い目に遭ったが故で、それ自体はハードルが低いけれど、それすら叶わなかったことを思えば当然だ。初めから2人のことを認識できるなんて、安心して然るべきことだった。
それに、なんとなく2人にも記憶があるような予感がしていて、珍しくポジティブに生きていた。
そうして、大学で出会った私たちはルームシェアを始めた。やっぱり2人共覚えていて、今までにないくらい幸せに暮らしている。
さて、この幸せな生活だけれど、今までの経験上、いつ終わるともしれないことがわかっている。だから、今までとは違い、やりたいことを全てやろうという話になった。恐怖して生きるより、今を楽しもうという風に吹っ切れたのだ。
そうして、私たちは、3人で遊びに行ったり、旅行したり、色々なことをした。やりたいことを全てし尽くしたんじゃないか、と思うほど色々楽しんだ後に、紫苑がびっくりするようなことを言った。
「俺、結婚式がしたい!」
「ふーん。すればいいんじゃねぇの。ちゃんと参列者として盛り上げてやるよ」
リンドウはニヤリと少し悪い顔をして言った。そんなリンドウを見て紫苑はキョトンとしている。
「何言ってるの?3人でやるんだよ?」
「「え?」」
リンドウと私の声がハモった。けれど、それも仕方がないだろう。紫苑の言葉はあまりにも突飛だった。
「ちょっと待て、何で3人なんだ。お前ら2人でやればいいだろ」
「え〜。リンドウも一緒じゃないと意味ないじゃん!ね?」
話を振られて考える。確かにそうかもしれない。リンドウがいないのは少し寂しい。というより、不自然な気がする。3人でいるのが当たり前過ぎて、今更2人なんて想像できない。
「そうね。リンドウがいないと話にならないわ」
「はあ?お前まで何言ってんの。何でわざわざカップルの間に挟まらなきゃいけねぇんだよ」
「俺、リンドウのこと好きだも〜ん!だから、いないと嫌なの!それに、ね?」
「ええ。私たちカップルじゃないわ。付き合ってないもの」
「はあ!?ちょっと意味わからねんだけど」
珍しくリンドウが声を荒げている。
確かにリンドウが驚くのもわかる。けれど、もう付き合う、とか、付き合わない、とかいう次元ではないのだ。色々あり過ぎて、そういうことを話すタイミングを逃しているし、好き同士ならそれでいいか、という気持ちになってしまっている。それは、根本に、付き合わなくてもずっと一緒だ、という気持ちと、リンドウを除くような関係になりたくない、という気持ちがあるからだ。
そして、それでいい、と私たちは思っている。いや、それがいい、だ。とにかく、私たちの中には何においてもリンドウがいないという選択肢はない。
「意味がわからないって言われても…リンドウいないと嫌だし!だから、3人で結婚式!」
紫苑の言葉にリンドウは大きく溜息をついた。そして、わかった、と諦めたように頷いた。
紫苑は感極まって、いつもの如くリンドウに抱きついていた。2人を微笑ましい気持ちで見ていると、紫苑に手招きされて、抱きつくように言われる。仕方がないな、と思いながら、私は2人に抱きついた。小さく溜息をつきながらも笑ってしまったのはしょうがない。だって、こういう何気ない日常が幸せだから。
◆◆◆
日は流れて、結婚式前日、私はリンドウに呼び出されていた。紫苑に聞かれたくない話があるらしい。
私は呼び出された喫茶店で、リンドウと向かい合って座っていた。
「話って何?」
単刀直入に問うと、リンドウは苦い顔をして、俯きがちに息を吐いた。そして、覚悟を決めたように顔を上げた。
「俺たちもう狂ってるだろ」
「そうね」
事実なので大人しく首肯する。
「もう潮時だと思うんだ。これ以上続けばその内化け物になる。だから、今回でもうやめにしねぇ?」
リンドウは私をじっと見て、答えを待っている。私は驚いて息を呑んでいた。
確かにそろそろ厳しいとは思う。特に紫苑は精神的にボロボロだ。だから、こうやって新しく生まれなおすことをずっと続けていくことはできない。紫苑が修復できないくらい壊れてしまう。
そうならないためなら、リンドウの言う通り、幸せな時にピリオドを打つのも手なのだろう。
「どうやって?」
「願うから生まれ変わるんだ。だから、何も願わずに死ねばいい」
「そうすれば記憶を持って生まれない、と」
なるほど、と思う。それが真実である可能性は高いのだろう。そして、きっとそうする方が幸せだ。もうみんな限界だから。
私はリンドウの言葉が選択が正しいと思う。賛同できる。けれど、紫苑はどうだろう。私たちにもう会えないことを厭うのではないだろうか。
「アイツはどうするの?嫌がるでしょ」
「だから、お前にだけ言ってんだろ。アイツは眠らせて、俺たちに括り付けて一緒に崖から飛び降りる」
眠っていれば何も考えずにいられる、と。
リンドウが言うならきっと上手くいくのだろう。ならば、それでいい。
私たちは3人とも疲弊していて、倫理観が欠落している。自暴自棄になる前に終わらせよう。
「いつやるの」
「式が終わった後だ。良い崖にはあたりをつけてるし、薬も用意できてる」
2度目だからだろうか、準備万端だし、手際がいい。
「手伝うことある?」
「アイツを運ぶのだけ手伝ってくれ」
わかったわ、と呟いて冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
私の様子を見て、リンドウはようやくいつも通りの笑みを浮かべた。
「お前に反対されたらどうしようかと思った」
らしくないセリフだ、と思う。けれど、リンドウはもう自信満々に話すことはできないのだろう。自分の選択を100%で信じることもきっとできない。今に至るまで、私たちを死なせないように尽力して挫けてきているから。
「馬鹿ね。アンタが言うことは大体正しいのよ。反対なんてするわけないでしょ。それに、仮に正しくなくなったとしても、それはアンタの落ち度じゃないわ」
慰めるわけではないけれど、昔から思っていることを口にした。
私はリンドウのことを信じている。いや、少し違うかもしれない。もちろん、信用も信頼もしているけれど、それ以上にリンドウの決定が間違っていたとしても構わないと思っている。もし、それで損害を被ったとしても別にいい。そうなったらそうなっただ。その事実を受け入れよう。
私がもし、リンドウが原因で身を滅ぼすというのなら、それはそれで、本望だ。これは、紫苑の選択だったとしても言えることだけれど、2人が選ぶことならそれに身を賭すことに躊躇いはない。3人で世界が閉じているのだから、そんなもの当然だ。
だから、私は驚きこそすれ、リンドウに考えを否定することはない。そもそも好悪を考える必要すら感じない。賛同以外の選択なんて選ぶ気は全くないからだ。
「お前…昔からそういうとこあるよな。欲しい時に肯定が返ってくる。わざとか?それとも天然か?」
「養殖の天然よ」
「ハッ。何だよそれ」
リンドウが吹き出して笑い出した。ふざけた返しはちゃんとリンドウのツボにハマったらしい。
「ほんっと、お前いいよなぁ。お前が俺の初めての友達でよかったよ。感謝してる」
リンドウは、懐かしむような表情で、随分昔の話を持ち出した。
懐かしいな、と思う。思わず笑みが浮かんだ。
「私たち友達だったの?」
ふざけて聞いてやると、リンドウは口角を上げて、わざとらしい笑みを浮かべて口を開く。
「えー、お前酷ぇなぁ。俺は友達だと思ってたのに。泣けるわー」
棒読みのような声音で話すリンドウを鼻で笑う。馬鹿馬鹿しい戯れだとお互いわかっている。こういう戯れはこれがもう最後だろうということも。
「私たちは友達なんかじゃなくて、腐れ縁の悪友でしょ。アンタの友人はアイツだけで十分よ」
「あー、それもそうかもな。てか、友達1人とか超寂しいヤツじゃん、俺」
今更?なんて馬鹿にしながら、リンドウに笑いかける。
あぁ、愉しい。愉しくて仕方がない。この愉快な気持ちのまま死ねたらいいのに。幸せだったと死ねたらそれこそが幸せだろう。
そんなことを思いながら、私はリンドウとどうでもいいことを話し続けた。
◆◆◆
結婚式当日。私たちは正装で教会の入り口に立っている。2人は白のタキシード。私はウエディングドレス。私たちには似合わない、と思うけれど。
白なんて壊れてしまった私たちには不釣り合いだ。今の私たちは黒ですらない。もっと濁った不快な色だ。けれど、それも今日までだ。この服のように私たちは真っ白になる。なれるはずだ。死んでしまえば、何もかも忘れるのだから。
だから、この白は私たちのこれからを表す。そう考えると、結婚式という晴れの舞台を最期とするのはぴったりなのかもしれない。
結婚式には、これから嫁ぐ家の色に染まる、という意味がある。私たちがこれから死後の世界に染まると考えるなら、これは素晴らしいタイミングだ。
リンドウがどこまで考えていたかはわからないけれど、何となく決めたのならば、今日が最期になることは神に決められていたんじゃないか、なんて馬鹿なことを思った。神なんて信じていないのはずっと変わらないのに、そんな風に考えてしまうのは、何度も生まれ変わり、結婚式の後なんて死ぬのに相応しいタイミングで最期を迎えることが決まっているからなのだろう。
私はどうしてこんなにらしくないことを考えているのだろう。感傷的になっているのだろうか。少し違うけれど、マリッジブルーってやつ。そこまで考えて、思考をきった。それよりも今は2人との結婚式に集中するべきだ。最期なのだから。
私はリンドウと紫苑に挟まれて、背筋を伸ばした。そうして、扉は開かれる。
自分たちの足音だけが響く中、3人で手を繋ぎながら、ゆっくり歩く。祭壇の前まできて私たちは足を止めた。
目の前には誰もいない。本当なら牧師がいるのだけれど、私たちは神に誓う気なんてさらさらない。この場に存在するのは私たちだけで十分だ。
「病める時も健やかなる時も…ってやる?」
厳かな空気をぶち壊すように紫苑が揶揄いまじりに尋ねる。こんな時にまでいつも通りな紫苑に思わず笑みが溢れる。なんて私たちらしいことだろう。
「いらねぇだろ。大体何に誓うんだよ。俺ら全員、神なんて信じてねぇのに」
「それもそっか!じゃあ、誓いのキスだけ!」
そう言って、紫苑は私とリンドウの間に割り込んで、頬にキスをした。そして、悪戯気に笑って、2人も!と促す。唇でもいいよ?と馬鹿なことを言いながら。
「馬鹿かお前は」
リンドウは、頭を抑えてから目を伏せた。けれど、少しして覚悟を決めたらしい。チュッと可愛らしい音を立てて、頬に口付けた。仕方がないので小さく溜息をついてから、私も頬に口付ける。
紫苑はケラケラと幸せそうに笑っている。それがすごく嬉しい。ふふ、と笑っていると、急に紫苑が、あ!と声を上げた。
「指輪用意すればよかったね〜」
紫苑はしょんぼりと残念そうだ。けれど、すぐに楽しそうに笑って、今度買いに行こ!と言う。そんな紫苑に素っ気なく、そうね、と言葉を返した。リンドウも、はいはい、とおざなりな返事だ。
私は苦い気持ちになっていた。それもそうだろう。だって、指輪はわざと用意しなかったのだから。
結婚式に指輪はつきものだ。それは永遠を誓う印で、互いを縛る鎖でもある。けれど、それを手に入れてしまえば、私たちはきっと次を願ってしまう。もう会えなくてもいい、なんて思えなくなる。だから、もし用意するなら失せ物でなければいけない。そして、そうであるならば、どんなものも意味はないのだ。消えてなくなるものなんて欲しくない。そんなものが手元にあるのは私に多大なる苦痛を与える。壊れるものはこれからの私たちを暗示しているようで息ができなくなる。だから、何も用意しなかった。
そんな風に考えていたことをわかってか、否か、リンドウは私の頭にポンと手を置いた。普段ならそのまま私の髪をぐちゃぐちゃにするところだけれど、ベールをかぶっている上に、髪も綺麗にセットしてあるから諦めたようだ。その代わり、優しくではあるけれど、デコピンをされた。
額を押さえ、リンドウを睨みつける。リンドウは、意地悪そうに笑っていて、苦い気持ちもどこかにいってしまった。私は肩の力を抜いて、リンドウに笑ってみせた。
そうしていると、紫苑がプクッと頬を膨らませて、仲間はずれなんて酷い〜、と拗ね出した。その姿になんだか泣きたくなって、私は背伸びして、紫苑の髪をぐちゃぐちゃに乱した。セットしているとか知ったことではない。やめてよ〜、とふにゃふにゃ笑っている紫苑は、全然いやそうじゃなくて、胸が熱くなって、私は紫苑に抱きついた。ギュッと抱き返してくれることが嬉しくて、切なくて、泣くのを我慢するのに必死だ。
そんなことを思っていると、後ろからリンドウが私たちを抱きしめる。というか、私に体重をかけてくる。重い。多分、これがリンドウなりの気の逸らし方なのだろうけれど、乱暴すぎると思う。
「重いんだけど!」
「知らねぇよ。お前がひ弱なだけなんじゃね?」
腹立たしくなって、無理矢理体を反転させると、リンドウが悪い顔をしてケラケラと笑っている。言い返そうと口を開いたら、言葉を発するより先に今度は紫苑が私に体重をかけてきた。
「もう!だから重いって言ってるでしょ!」
「え〜」
紫苑は不服そうな声音で返事をするだけで、やめてくれる気配がない。仕方なく、無理矢理腕から抜けようとするけれど、ギュッと抱き込まれていて動けなかった。
「リンドウ!どうにかして」
「えぇ〜、そこでリンドウのこと呼んじゃうの?」
「なに、お前俺のことそんなに愛してんのかよ」
ニヤニヤと笑っているリンドウを私は睨みつける。確かにこれはいつも通りだけれど、そういういつも通りは求めていない。
「違うわよ!私は紫苑を愛してるの!」
「…嬉しいよぉ!俺も愛してるよ!」
後ろからキラキラした声が聞こえて、顔が熱くなる。こんなこと言うつもりではなかったのに、リンドウにまんまと乗せられてしまった。予定外の愛の告白に羞恥心がつのる。
私はさっきよりもキツくリンドウを睨みつけた。赤い顔では迫力は皆無だし、リンドウは今も愉快そうにニヤニヤしているけれど、そうすることしかできない。
「私…リンドウのことも好きよ」
道連れにしたくて、リンドウにそんなことを言った。照れて真っ赤になってしまえばいいのだ。
けれど、リンドウは余裕の笑みを浮かべている。
「知ってる」
自信満々のその顔が本当に腹立たしい。私は何でこんな男に好感を抱いているのだろうか。
恨めしい気持ちでリンドウを見つめていると、後ろから紫苑の声が聞こえてくる。
「俺もリンドウのこと好きだよ〜!むしろ、愛してる!」
リンドウはその言葉にポカンと口を開けた。そして、顔を赤くして、それを隠すように片手で顔を覆った。
なんで私より紫苑の言葉で照れるのだ。愛してる、という言葉が良かったのか。というか、そもそも紫苑は愛情表現が過多なんだから、今更照れるも何もないだろうに。
それに、紫苑はどうしてリンドウに、愛してる、なんていうのだろう。やっぱり紫苑は私だけじゃなくて、リンドウのこともそういう意味で好きなのだろうか。それは少し複雑だ。いや、まあどんな感情を相手に抱いていても、抱き合ったり、友人と呼ぶにはやり過ぎなぐらいベタベタしているのだから、今更かもしれないけれど。
「アンタなんで照れてんの?」
拗ねた口調になったのは仕方がないことだ。だから、せめて気づかれないことを願う。
「照れてねぇよ!てか、そもそもお前がコイツの手綱握ってねぇのが悪いだろ!」
「はぁ?知らないわよ!大体、昔っから私よりもアンタのこと大好きじゃない」
「いや、ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!コイツ、ストーカー並にお前のこと見てたからな!」
「ちょ、ちょっと!リンドウなんてこと言うの!?俺そんなに酷くなかったよ!?」
「いや、お前ルシナの予定把握して、アイツが来る時絶対俺のとこにいたじゃん」
今更ながらに驚きの事実だ。そして、それを嬉しく感じる私は終わっている気がする。
これ以上聞いたら、色々不味い気がするので、軌道修正をはかる。
「なら、なんでリンドウに愛してるなの?そういう意味で好きなの?」
「え〜。だって、2人ばっかり仲がいいんだもん!寂しいから意趣返し!」
振り返ると、もちろんリンドウのことは大好きだよ!なんて紫苑は悪戯気に笑っている。その頬は上気していて幸せを感じていることがありありとわかった。
その後も私たちは、3人でわいわいと揶揄って、素直になって、笑って過ごした。きっとこれが幸せの絶頂ってやつなのだろう。最期に相応しい時間だ。だから、そろそろ幕を引こう。
◆◆◆
家に帰ってきた。
今、私たちは部屋のソファに座ってお茶を飲んでいる。リンドウが疲れているだろうから、と珍しくハーブティーを用意して振る舞ってくれていた。
楽しかったね、なんて言いながら、紫苑はお茶を飲み干す。そうして時は訪れた。紫苑はフラフラと体を揺らして、そして耐えられなくなったのか、後ろに倒れ込んだ。
紫苑のお茶には睡眠薬が混ざっていた。
リンドウの紫苑を眠らせる計画は完璧と言って差し支えないだろう。睡眠薬の苦味を誤魔化すために匂いが強いハーブティーを使う作戦は大成功だった。
ハーブティーを飲み慣れていない私たちには味の違いなんてわからないから、紫苑は疑うことなくお茶を飲み干した。そして、紫苑は眠りに落ちた。薬への耐性がないから、睡眠薬はよく効いている。
だから、今、紫苑は深く眠っている。
その顔を私はまじまじと見つめていた。髪をすくようになでながら、これで見納めだ、と目に焼き付ける。あどけない寝顔にたまらなくなって、唇にキスをした。
本当はするつもりなんてなかった。そういう接触は今まで一度もなかったし、必要だとも思っていなかったから。けれど、間がさしてしまった。まぁ、これが最初で最後だ。紫苑は知らないのだから構わないだろう。
「お前、起きてる時にしてやれよ」
「いやよ」
必要性を感じない。だって3人がいいという気持ちは他でもない紫苑が一番強かったのだから。
「リンドウにもしてあげましょうか?」
揶揄い混じりに言ってやる。答えなんてわかりきっているけれど、最後まで戯れ言をやめるつもりはなかった。
「はっ。んなもんいらねぇよ」
鼻で笑って、けれど、愉しそうにリンドウは笑った。思った通りの返事だ。そして、それが嬉しかった。
悲嘆に暮れるわけでも、絶望するわけでもなく、いつも通りの私たちで死ぬことこそが幸せな最期だ。きっと、リンドウも同じように思っているだろう。
私とリンドウは、紫苑を車に運び込み、崖へ向かった。道中、車の中は無言だったけれど、これはよくあることだから、気にならない。ただ、後部座席に横たわっている紫苑だけがこの中では異質だった。だからといって、どうということもないのだけれど。
リンドウが選んだ崖は断崖絶壁を体現しているような所だった。暗くてよく見えないが、音だけで荒々しい波が暴れていることがわかる。
「こんなとこ、よく見つけたわね」
「ここ、紫苑と心中した崖に似てるんだ」
「ふーん。思い出の場所を探したってことね」
軽口を叩きながら、紫苑と私たちを縄で結ぶ。準備が終わるまで私たちは馬鹿馬鹿しい戯れ言を口にし続けた。
全ての準備が終わって、薬を渡される。紫苑が飲んだ睡眠薬だ。それを躊躇なく飲み込むと、リンドウが愉しげに笑った。
「じゃあ、逝くか。何も願わずに」
「えぇ。3人でお手手繋いで逝きましょう」
私は生きてきた中で一番綺麗に笑った。
今、私の心の中は感謝と幸福でいっぱいだ。今まで生きてきた長い時は、辛いこともあったけれど、やっぱり3人でいる幸福に勝ることはない。だから、もう満足だ。十分なのだ。
2人への感謝を胸に、私たちは紫苑の腕を肩にかけて、一緒に飛び降りた。
今から死ぬというのに、なぜだか、ふわふわと明るい気持ちだった。これこそが壊れてしまったことの証明なのだ、と思いながら、私は幸せな気持ちを抱いたまま死んだ。




