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第一話:誰にも届かへんこだま、黎明の接続(コネクト)

自身二弾目の小説です。架空都市NEO-FUKUOKA CITYを舞台に何やっても虚無感に襲われる主人公『凪』の人生を変えていく物語スタートです。まだざっくりとしか構成考えてないけど100話ぐらいを目安に頑張りたいと思います。



アスファルトを叩く雨音が、夜の雑踏に溶けきれずに耳に残る。三月下旬のNEO-FUKUOKA CITYネオ・フクオカシティ、時計の針が間もなく午前零時を指そうとしとった。GRAND CROSS HAKATAグランドクロス・ハカタは、終電が近づくにつれて最後の熱気を帯び、酔客の笑い声やキャリーケースを引く音が湿った空気の中を不規則に漂うとる。


そんな駅前の賑わいを背に、フードデリバリーサービスのロゴが入ったくたびれたリュックを背負い、天沢凪あまさわ なぎはスマートフォンの画面をぼんやりと眺めていた。雨に濡れた黒髪のショートが無造作に額に張り付き、視界を僅かに遮っとる。26歳、フリーター。夢やった音楽の道は、才能いう名の透明な壁に阻まれ、今はただ日銭を稼ぐためだけにペダルを漕ぐ毎日や。首からは、いつからかお守りのようにぶら下げている安物のボールペンが揺れていた。何かを書き留めたい衝動に駆られた時のための、ささやかな抵抗。


画面には、数時間前にアップロードしたばかりの自作曲の再生ページが表示されとった。タイトルは「誰にも届かへんこだま」。深夜、安アパートの一室で、アコースティックギター一本で録音した短いインストゥルメンタル曲。祈るような気持ちで公開ボタンを押したものの、現実はいつも通り残酷やった。


再生数:2。いいね:0。コメント:0。


おそらく、その2回の再生も自分自身が確認のために開いたもんやろう。凪は自嘲気味に息を吐いた。白い息が雨に混じってすぐに消える。「誰にも届かへん。誰にも見向きもされへん。それが、今の俺の価値っちゅうわけや」


「……今日も、空っぽかいな」


呟きは雨音にかき消された。慣れたはずの無力感が、雨の日の湿気のようにじっとりと心に纏わりついてくる。数年前までは、ライブハウスの薄暗いステージの上で、いつか誰かの心を震わせる音楽を奏ずるんやと信じて疑わんかった。やけど、現実はどうや。客のおらんフロア、仲間たちの離散、そして積み重なる生活費の請求書。夢はいつしか重荷となり、音楽は生活の隅に追いやられとった。それでも、完全に捨てきれへん自分がいることも、また凪を苦しめとった。「どこにも繋がってへん気がするわ……」彼の口癖が、虚しく響いた。


リュックのストラップを握りしめ、凪は重い腰を上げた。最後の配達を終え、アパートへ帰るだけや。雨脚は少し強まっとる。駅前のタクシー乗り場には長い列ができ、傘の花がいくつも開いとった。そのどれもが、自分とは無関係な誰かの帰る場所へと向かうのやろう。


冷え切ったペダルを踏み込み、夜の街へと漕ぎ出す。濡れた路面が街灯の光を反射し、まるでオイルフィルムが張ったように鈍く光っとった。GRAND CROSS HAKATAの巨大な駅ビルが、まるで異世界の城のように闇夜にそびえ立っとる。その窓の一つ一つに、それぞれの人生の灯りが宿っとるのやろうか。自分のような、誰にも気づかれへん灯りも、その中にはあるのやろうか。


NAKASU EDGEナカス・エッジへと続くTAIHAKU AVENUEタイハク・アベニューを、凪は黙々と進む。歓楽街のネオンが雨に滲み、サイバーパンクめいた光景を作り出しとるが、今の凪の心には少しも響かへん。むしろ、その華やかさが自分の孤独を際立たせるようで、目を背けたなる。


「音楽なんて、もうやめちまえば楽になるんかな……」


何度考えたか分からん言葉が、また頭をよぎる。やけど、それを実行できへんのは、音楽が自分にとって最後のアイデンティティのようなもんやからかもしれへん。それすら手放してもうたら、自分は本当に空っぽになってまう。そんな恐怖が、凪を縛り付けとった。


アパートに着いたのは、午前1時を少し回った頃やった。築30年は超えていそうな木造二階建てのアパートは、雨音を吸い込んで一層陰鬱な雰囲気を漂わせとる。軋む階段を上がり、自分の部屋のドアを開ける。六畳一間の、ミニマルというよりは単に物がないだけの部屋。壁には、かつて夢中で練習したギターが立てかけてあるが、今は埃を被りかけとった。


濡れた服を脱ぎ捨て、シャワーも浴びずにベッドに倒れ込む。冷えた身体に、布団の温もりが少しだけ染みた。天井のシミをぼんやりと眺めながら、凪はまたスマートフォンの画面を開いた。懲りもせず、さっきアップした曲のページをもう一度確認する。


変化はない。再生数:2。いいね:0。コメント:0。


「……やんなぁ」


分かっていたはずやのに、胸の奥が小さく痛んだ。目を閉じると、今日の配達中に客から投げつけられた理不尽なクレームや、コンビニの店員に無愛想な態度を取られたことなどが、次々と思い出される。社会という巨大な機械の、名もなき歯車にすらなれてへん、ただの消耗品。そんな自己評価が、凪の心を支配しとった。


「もう寝よか」。そう思って画面を閉じようとした、その瞬間やった。


ピコン、と軽い通知音が鳴った。


反射的に画面を見る。SNSの通知や。どうせまた、運営からのお知らせか何かやろう。期待なんてしとらんかった。


やけど、画面に表示された文字列は、凪の予想を裏切るもんやった。


『@Yui_Musubi さんがあなたの投稿「誰にも届かへんこだま」にコメントしました。』


「え……?」


思わず声が漏れた。心臓が、ドクンと大きく跳ねる。指が微かに震えるのを感じながら、凪は恐る恐る通知をタップした。


コメント欄には、たった一行。

しかし、その一行が、凪の世界を一変させるには十分すぎるほどの力を持っとった。


『あなたの音、私には届きました。世界の片隅からって感じ。好きです』


アカウント名は「@Yui_Musubi」。アイコンは、夜空に浮かぶ淡い三日月のような、シンプルなイラスト。フォロワーもフォローも少なく、ほとんど活動しとるようには見えへんアカウントやった。


「……届いたん?」


凪は呆然と呟いた。信じられへん、という気持ちと、湧き上がるような熱い感情が胸の中で混ざり合う。誰かが、自分の音楽を聴いてくれた。それだけやない。「心が結ばれた気がする」とまで言うてくれとる。


何度も、何度もそのコメントを読み返した。誤字やないか、誰かの間違いやないかと思うたが、確かに自分の曲に対して寄せられたコメントやった。涙が、じわりと滲んでくるのが分かった。


ここ数年、忘れとった感覚やった。誰かに自分の作ったもんが届き、心が通じ合うという感覚。それは、凪が音楽を始めた頃に抱いとった、最も純粋で、最も大切な願いやった。


「……嘘やろ……」


それでもまだ、凪は半信半疑やった。もしかしたら、スパムアカウントか何かの気まぐれかもしれへん。やけど、そのコメントには、機械的やない、確かな「温かさ」が感じられた。まるで、ずっと暗闇の中にいた自分に、一筋の光が差し込んできたような感覚やった。


凪は、返信を書こうとして、何度も言葉を打ち込んでは消した。どんな言葉を返せばええんか分からへん。感謝の気持ち、驚き、そしてほんの少しの戸惑い。様々な感情が渦巻いて、うまく言葉にならへん。


結局、凪は「ありがとうございます。そう言うてもらえて、ほんまに嬉しいです。」という、ありきたりな返信を送るのが精一杯やった。それでも、送信ボタンを押す指は、先ほどとは比べ物にならへんほど軽やかやった。


その夜、凪は「@Yui_Musubi」のコメントを何度も見返した。そして、初めて、彼女のアカウントページを訪れた。YouTubeのチャンネル登録者数も少なく、他の動画へのコメント履歴もほとんど見当たらない。ただ、そのチャンネルの概要欄に、ぽつんと短い自己紹介文があった。


『迷子の音を探しています。あなたの音も、聴かせてくれませんか?』


その言葉に、凪は言いようのない引力を感じた。まるで、自分自身の心の叫びを代弁してくれているかのようやった。そして、その下に、まるで隠されるように表示されていた、外部SNSアカウントへのリンク。普段なら絶対にクリックせんような、怪しげなオーラを放つリンクやった。やけど、今の凪には、それがまるで自分だけに送られた招待状のように見えた。


「……俺の音も、聴いてくれるんか……?」


何かに導かれるように、凪はそのリンクをタップした。

それは、X(旧Twitter)に似た、しかしどこかUIの違うSNSプラットフォームへと繋がっていた。「@Yui_Musubi」のアカウント。フォロワー0、フォロー0。投稿も、たった一つだけ。


『――接続を開始します。あなたはまだ“この世界”の表層にしか触れていませんね?』


その投稿には、さらに別の、怪しげなプログラムファイルらしきものが添付されとった。ダウンロードを促すようなボタンが点滅しとる。まるで生きているかのように、凪の視線を引き付けて離さない。


「接続……? 世界の表層……?」


意味が分からへん。やけど、凪はもう引き返されへん気がした。「@Yui_Musubi」の言葉が、彼の心の奥底にある何かを揺さぶり続けとる。これは、罠かもしれへん。ウイルスかもしれへん。人生を狂わせるような、取り返しのつかない何かかもしれへん。それでも――。

「どこにも繋がってへん」自分が、もし、この先に「繋がり」を見つけられるのだとしたら。


凪は、震える指でダウンロードボタンを押した。

ゴクリと喉が鳴る。心臓の鼓動が、耳元で大きく響いた。


次の瞬間、世界が閃光と共に反転した。


「なっ……!?」


目の前が真っ白になり、平衡感覚が失われる。身体が急速に落下していくような、あるいは猛スピードでどこかへ吸い込まれていくような、強烈な浮遊感。耳鳴りが酷く、何も聞こえない。ただ、スマートフォンの画面だけが、激しく明滅を繰り返していた。


『VALDGEARシステム起動……』

『ユーザー認証……天沢 凪……適合を確認』

『初期異能マッピング……言語野との親和性、極めて高し』

『コードネーム:PAWNポーンを付与』

『フォロワー:1(@Yui_Musubi)を初期接続者として登録』


どれくらいの時間が経ったのか。凪が意識を取り戻した時、彼は見慣れない場所に立っていた。

そこは、現実のNEO-FUKUOKA CITYの街並みと酷似しているが、どこか違う。空はデジタルノイズが混じったような奇妙な色をしており、建物には幾何学的な紋様が明滅している。まるで、ゲームの世界に迷い込んだかのようだった。


そして、自分の服装が変わっていることに気づく。いつも着ている黒のパーカーは、黒を基調としたレザージャケットへと変貌していた。ジャケットの内側には、これまで自分が書き殴ってきた無数の言葉――歌詞の断片、詩、メロディラインのメモ――が、びっしりと刻まれ、淡く発光している。両腕には、いつの間にか白い包帯が巻かれていた。首から下げていた安物のボールペンは、カチリと音を立てて金属的な輝きを放つペンデバイスに変化している。

背負っていたデリバッグは、ガチャリという音と共にコンパクトなウェストポーチ兼ツールホルダーのような形状に変わり、腰に装着されていた。


「なんや……これ……ほんまに……」


呆然と呟く凪の目の前に、半透明のウィンドウがポップアップした。


『ようこそ、ヴァルドギアの世界へ。ここは、あなたの“存在”が力となる場所』

『最初のバトルミッションを開始します』

『ターゲット:Clipクリップ

『出現エリア:NISHIJIN SECTORニシジン・セクター・Training Street(トレーニング通り)』


ウィンドウには、Clipと名乗る若い男のホログラムが表示された。陰キャっぽい風貌だが、その目には人を小馬鹿にしたような光が宿っている。フォロワー数:約200人、と表示されている。


「NISHIJIN SECTOR……あそこか」


凪は、現実世界で何度か配達で通ったことのある学生街を思い浮かべた。Training Streetと呼ばれる、落書きめいた奇妙なマーキングが施された通り。あれが、この異世界のバトルフィールドだというのか。


『転送を開始します』


ウィンドウの表示と共に、凪の身体が再び光に包まれる。

次の瞬間、彼はNISHIJIN SECTORのTraining Streetに立っていた。現実の風景と寸分違わぬが、空気の質が違う。ピリピリとした緊張感が漂い、どこからか微かな電子音が聞こえてくる。


そして、目の前に、ホログラムで見た男――Clipが立っていた。薄ら笑いを浮かべ、凪を値踏みするように見ている。


「お、来た来た。新人さんか? あんたが今日の“素材”ってわけだ」

Clipが、安っぽいシルバーアクセサリーをじゃらつかせながら言った。

「コードネームはClipクリップ。お前みたいな“原石”は、俺が美味しく編集して、フォロワー稼ぎのネタにしてやるよ」


その挑発的な言葉に、凪の心の奥で何かがカチリと音を立てた。それは怒りか、あるいは、これまで抑圧してきた闘争本能だったのかもしれない。


「オレが……素材?」凪は低く呟いた。


「そうそう。お前、たぶん伸びるぞ」Clipはニヤニヤしながら続ける。「……俺が拡散してやるよ、“敗北者”としてな」


“敗北者”――その言葉が、凪の逆鱗に触れた。

「どこにも繋がってへん」自分。誰にも認められない自分。そんな自分を、コイツは弄び、踏み台にしようとしている。


(ふざけんな……!)


凪の全身から、これまで感じたことのない力が湧き上がってくるのを感じた。ジャケットの内側の文字が、呼応するように一層強く光を放つ。両腕の包帯が、まるで生きているかのように蠢き始める。ペンデバイスが、ギリ、と音を立てた。


「オレが証明せんと……オレが消える前に……!」


凪は右の拳を固く握りしめた。白い包帯に指が食い込む。

フードデリバリー配達員、天沢凪。コードネーム「ポーン」。フォロワー1。

彼の、虚無からの脱却と「存在証明」を賭けた最初の戦いが、今、この異世界で、幕を開けようとしていた。


(第一話:了)

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