白髪三千丈
木戸から漏れる光で目が覚めた。
どうやら熟睡してしまったらしい。
そのままベッドから降りる。
体に異常はない。むしろ好調だ。
部屋を出てホールに向かうと入り口の扉は開いていた。
立っている兵士も俺に気づき、おはようございますと元気よく挨拶してきた。
俺も挨拶を返すと、朝食をどうするか聞かれた。
食べてもいいが、それよりも鏡を探しに町に出る必要がある。
町に出たいと口にすると、あっさり了承された。
こちらを縛る気はないようだ。自由に動かれても問題がないということだろう。
町を歩くとすぐに声をかけられた。
おじさん、おねえさん、子供、お爺さんと老若男女、数え上げればキリがない。
全員色白で、手に水晶が埋まっている。
その誰もが俺によく来た、ゆっくりしていけと歓迎してくれる。
ほがらかな笑顔をたずさえて、だ。
すでに名前も知れ渡っていた。
なんだろう、確かに悪意はまったく感じない。
それなのにどうしてだ。
どうして、この町はこんなにも気持ち悪い……。
もちろんそんなことは口にせず、なあなあに返事をしておく。
ちょうど良いので誰か鏡を持っていないかと尋ねるものの、全員が口裏を合わせたように持っていないと言う。
おっさんの一人に「どうやって髭を剃っているんだ」と尋ねれば、「女房に剃ってもらってる、男前だろ」とあっけらかんに返された。
結婚してない奴はどうしてんのさ……。
必要なら容器に水を満たせばいいと言うものもいた。
この町の異常性が徐々に俺の中で募っていく。
その後、町を歩いて見てみるものの、屋外から鏡があるかどうかなどわからない。
なんだかんだでお腹もすいてきて、そろそろお昼かなと思ったときだ。
「待っておった! 待っておったぞ!」
正面から威勢のいい声をかけられた。
二人組が俺の前に立ちはだかっている。
一人は地面に置いた木箱に立って俺を上から見下ろす。
もう片方は困ったなぁといった様子で俯いている。
「主はどれだけチンを待たせれば気が済むのだ! 切り落としたチンの髪はすでに三千丈に達するところぞ!」
木箱に立つ方が腰に手を当て、ひたすら上から目線で俺に叫ぶ。
髪は不気味なほど白く、左右で長さが異なっている。
背はそこまで高くない。木箱に乗っていなければ俺が見下ろしていただろう。
全体的に線が細く、彫りが浅いものの整っており美形といえる。
性別は……どっちだろう?
顔からは判断しかねる。
胸もないし、ちんちん連呼してるから少年だろう。そういう年頃なのだ。
最も重要なのは腰に当てている手の甲に水晶が見当たらないことだ。
「ぎー君。ちゃんと挨拶しないと駄目だよ」
俯いていた方が白髪少年の服を指でつまみ、おずおずと注意する。
こちらは色白でその手に水晶が見える。
髪は薄い青色で、白に近いな。
ちょっぴり垂れ目だ。
それ以外の特徴が見当たらない、なんというか印象が薄い。
ついでに幸も薄そうな少女だ。
ぎー君と呼ばれた白髪少年は、ふむと鼻を軽く鳴らし、
「霊帝が嫡孫にして、皇帝の剣を手ずからに授かりし――チンこそが義帝! チンを尊び敬い天子様と呼ぶことを許す!」
どうだぁっ! と白髪は目を細めて見てくる。
ふぅん、義帝だからぎー君か。
あと、チンってのは一人称っぽいな。初めて聞いた。
「わ、私はピンインといいます」
印象の薄い子も名乗る。
とりあえず自己紹介の流れだろう。
「俺は――」
「言うな! すでに聞き及んでいる。主の名はルイゼットだろう」
どうやらすでに知っているようだ。
手に水晶がないことを見るに、おそらくこの白髪が五年前に保護された能力者だろう。
間違いはないだろうが、念のために確認しておくか。
「あの――」
「わかっておる! みなまで言うことはない! 主は朕を地上へと呼び戻しに来たのであろう!」
「いや――」
「案ずるな! 確かに待たされたが、時節というものもある。気にしてなどおらぬ! 朕が地に立った暁には、主に褒美をとらす!」
「話を――」
「時は満ちた! さあ、帰ろうぞ! 天が朕を待っておる!」
話を聞けよ、白髪野郎……。
「ぎー君。ルイゼットさんの話を聞こうよ」
ピンインと名乗った少女が白髪野郎をいさめる。
いいぞいいぞ、もっと言ってやれ。
「そうだな。民草の声にも耳を傾けねばな。言うてみろ!」
なんだろうな。頭が痛くなってきた。
とても残念な美形だ。
顔と言動ってのは反比例するのだろうか。
「天子様。俺は義帝というのも知りません。当然、天子様を呼び戻しに来た訳でもありません。むしろ俺が助けて欲しいくらいです」
白髪は俺の話を聞くや否や、ふははははっと声をあげて笑い出す。
何がおかしいんだろうか。
なんかもう、関わり合いたくない人種だ。
警鐘がけたたましく鳴り始めた。
「おもしろい! おもしろいぞぉ! こやつめぇ。朕を笑わせおってからに」
警鐘が鳴り止まない。
それどころかどんどん音が大きくなってきている。
この白髪野郎からはどこかの面倒な姫君や口が最悪な赤髪と同じ臭いがする。
逃げるべきだ。よもや一刻の猶予も残されてはいまい。
「用事を――」
「気に入った! 朕の昼食に招待しよう! いくぞピンイン! ルイゼット!」
とうっ、と口で言って白髪は木箱から降りて背を向けスタスタと歩いて行く。
手遅れだったか?
いや。まだだ、まだ逃げられる。
「あの……ルイゼットさんさえよろしければ、ぎー君と一緒にご飯を食べてあげてください」
ピンインは申し訳なさそうにそう言うと、白髪野郎の立っていた木箱を抱えて彼の後を追う。
彼女こそが最後の良心だ。
良心を見過ごす訳にはいかない。
仕方ないのでピンインについて歩く。
白髪野郎、ピンイン、ピンインの母に俺を加えた四人で卓を囲んでいる。
その中でも白髪野郎は頭一つ出ている。
椅子の足が長いのだ。
自分が一番上にならないと気が済まないらしい。ピンインが小声で教えてくれた。
どうも白髪野郎はこのピンインの家で厄介になっているらしい。
「うまいであろう! 絶品であろう! さあ、食え食え。たんと食え! 朕と同席しているからといって、遠慮などいらぬぞ!」
白髪野郎は我が物顔で料理を勧めてくる。
ちなみに料理を作ったのは白髪野郎ではなくピンインのお母さんだ。
目尻の垂れ具合や薄幸そうなところが血のつながりを感じさせる。
「ぎー君も静かに食べなよ……」
ピンインが弱々しく注意するものの、白髪野郎は喋り続ける。
彼の話はめちゃくちゃだが、食べる所作は口と釣り合わないくらい丁寧で綺麗だった。
俺の食べ方が汚いと罵られないか不安なほどだ。
「――して、主はどのようにして朕を地上に帰す腹づもりなのだ?」
食事も終わり、ピンインと母上が食器を片付けているのを横目にいきなり白髪野郎が切り出した。
どうでもいいが、この白髪はかなりの大食漢だ。
俺の倍近く食べていただろう。朝ご飯を食べてなかったのだろうか。
しかし、こいつは俺の話をまったく聞いてないな。
「天子様。先にも言いましたが、俺はあなたを助けに来た訳ではありません。俺も出られなくて困っているのです」
白髪野郎は余裕げな笑みを浮かべる。
「ふぅむ、そうであったか」
おや、わかってくれたみたいだ。
思ったより物わかりは悪くない。
「それならば朕は主にここから出る方法を探すことを命ずる」
……前言撤回。
こいつはなにもわかっちゃいねぇ。
なにが「それならば」なんだよ。
それに先ほどから気になる点がある。
「天子様。二点ほど伺ってもよろしいでしょうか」
「許す。述べよ」
鼻をふふんとならし、胸を反らして、薄目で俺を見てくる。
「天子様は先ほど、自分は霊帝の嫡孫であり、皇帝の剣を授かった御自らも皇帝――義帝でしたか? と仰りましたね」
「然様。朕は皇帝。地に跋扈する有象無象の王らを従え、か奴らの上に足を下ろす存在である。義帝という名は祖父である霊帝より直々に頂いた栄えある敬称。その際に皇帝の証たる剣も受け継いだ。それにだ――」
俺の聞き間違いじゃなかったらしい。
この国の王は、王ではなく皇帝と呼ばれるということはオッカムから聞いている。
「見よ、この髪を! 一片の濁りもない純然たる白。無垢なる白。これこそが霊帝の嫡孫である証ぞ!」
ふぁさぁと真っ白な髪を払って見せつける。
いや、髪の色とか俺知らんし。
……髪の色なんざ、どうだっていいんだ。
「申し上げにくいのですが、現在の皇帝は霊帝の嫡子である幽帝です。そもそも義帝なるものは近年の史実にありません」
オッカムから聞いた話では現在の皇帝は霊帝の息子である幽帝。
途中に義帝などという皇帝がいたことは聞いていない。
白髪野郎の顔は固まっている。先ほどまでの柔和な様子が嘘のようだ。
「もしかして、幽帝というのは天子様のお父様――」
「父上は亡くなられた。否っ! 叔父であるコウにより殺されたのだ!」
白髪野郎の顔はぷるぷると震えている。
喉からも、ぐううぅぅと唸る声が木霊する。
ついには手の平で卓を叩き始めた。
本人は力強く叩いたつもりなのかも知れないが、ぺちりぺちりと力の抜ける音が響く。
「コウに違いない! 認めぬ! 許せぬ! 朕という絶対的な唯一無二がありながら、自らを皇帝と騙るなど……断じて許せるものではないわっ!」
歯の軋む耳障りな音が俺の耳に届く。
顔は紅く染まり、白き髪がゆらゆらと揺れる。
卓の上で握りしめられた手は、今にも暴れ出しそうなほど震えている。
でも、見た目が小さいので怖くない。
どちらかというと、ほほえましい。
「こんなことをしている場合ではないっ! ゆくぞっ!」
白髪野郎は声高に宣言し、椅子から飛び降りる。
椅子が倒れたが、そんなことには一切構わず一目散と部屋から飛び出していった。
開けっ放しになった扉を唖然として見つめたあと、ピンインの方を見る。
彼女とその母とも目が合った。どちらもおっとりと優しげな表情だ。
「とりあえず、ぎー君を追いかけましょうか」
慣れっこなのか、ピンインは落ち着いた様子で倒れた椅子を戻している。
「暗くなる前には帰って来なさいよ」
のんびりとしたピンイン母の声を背中に受けて俺たちは白髪野郎を追いかけることにした。
白髪野郎はすぐに見つかった。
狭い町だ。騒ぎがあればすぐにわかる。
俺が一夜を過ごした宮廷前。
ちっこい白髪が門の前で騒ぎ、門兵が困った表情で押さえつけている。
「ええい下郎! ここを通せ! 通すのだっ! 朕をあの婆に会わせろ!」
ぐねぐねと身をよじらせながら、叫んでいる。
あれはもしかすると暴れているのかもしれない。
このまま見ているのもいい。あまり関わり合いたくないし。
「朕の剣を返して、地上に戻すのだ! 朕の覇道を遮って良いのは天のみであると知れっ!」
なんかすげぇこといってるぞ。
後半もすごいが、前半も気になった。
まさに俺の聞きたかった話のもう一点。彼女の話していた皇帝の剣とやらだ。
剣を返せ、とはそのことだろうか。
話は聞きたいが、近寄りたくない。
そんなことを考えていると、後ろから服を引っ張られた。
ピンインが俺を上目遣いで見つめる。
おい、やめてくれよ。そんなすがるような目で俺を見るな。
目を逸らしてしまったものの、さらに服を引っ張ってくる。
周囲を見ると、俺へと期待の視線が集まっている。
なんだよ、この一体感は。こっち見んなよ。
……くそったれい。
しょうがないので、俺は騒ぎの中心に嫌々ながらも足を踏み出した。
「天子様。ちょっと落ち着いてください」
肩を掴んで動きを止める。
それでも白髪野郎はとどまるところを知らず、もがき続ける。
「朕は地上に帰るのだぁ! 邪魔をすることなど許さぬ! 認めぬぅ! 認めぇ、ぬぅ、ぞぅ、うぇっぷ……」
首を絞めようか迷っていると白髪野郎の様子がおかしくなり始めた……訂正。様子は最初からおかしかったな。
とにかく顔を真っ青にさせている。
「おい、どうし――うわぁっ! ぎゃぁぁああああああ!」
白髪野郎がおえええぇぇと口から吐瀉した。
ピンインのお母さんが作ったおいしい料理をぶちまけた。
それだけならまだよかった。
あろうことか俺にぶちまけたのだ。
くるりと振り向き、ふらぁっと這い寄って来て自分が汚れないよう最大限留意しながら、俺の服へとぶちまけた。
そのまま俺の腕を力なく掴み、胃が空になるまで俺の足下に吐き続けた。
かなり食べていたし、食後すぐに走り出した。ぶるぶる暴れてもいた。
たしかに戻す条件は揃っている。
だからって俺に吐きかけることはないだろ!
なにが「ええい下郎」だよ! お前がゲローじゃねぇか!
それでも途中から背中を優しくさすってあげていた俺は人間ができていると言わざるを得ない。
まあ、壮絶な臭いと凄惨な景色から意識を逸らすためにできることがそれしかなかっただけなんだがな。
ピンインは、ゲロ野郎の逆流が止まったのを確認してから駆け寄ってきた。
巻き込まれることがないように一定の距離を保っている。
一方のゲロ野郎はそのままぐったりと両膝をつき、
「ちんわぁ、ちじょーにぃ、かえるぅ……」
女みたいな気色わりぃ声で最後の言葉を残し、涙目になって地に伏した。
ちゃっかりゲロ溜まりのない方に倒れていやがる。
泣きたいのは俺の方だよ、ゲロ野郎……。
その後、意識を混濁させ呻き声を漏らすゲロ野郎は、ピンインと近くにいたおばちゃんに付き添われて帰って行った。
俺も兵士に宮廷の水浴び場へと案内された。
兵士は近すぎず遠すぎない絶妙な位置から俺に憐憫を込めた目を向けていた。
そんな目で見つめるなよ、ゲロ服なすりつけるぞ。
汚物を一通り水で洗い流し、着替えも受け取ったところでピンインのところへ赴くことにした。
あのゲロ野郎からまともな話が聞けるとはもはや一欠片も思っていない。
奴と一緒に暮らしている最後の良心――ピンインから話を聞くことにする。




