迷いの森
俺はオッカムを追って木々の中を走り続けている。
彼女は木々が乱立する中をまったく無駄のない動きでくぐり抜けている。
走っている途中に気づいたが、彼女が着ている緑の濃淡の服装はこの木々に囲まれた環境ではとても見えにくい。
この環境に合わせた衣服なのだろう。
どれくらい走っただろうか。一時間は走った気がする。
途中、枝にひっかかったり、根につまずいて転ぶなどして俺のスーツはぼろぼろになっている。
呼吸もだいぶあがってきて肩で息をする。
ダモクレスではかなり鍛えていたつもりだったが、なにぶん衣服も、靴も、走る足場も悪い。
一方、オッカムはまったく疲れている様子がみられない。
地上の人たちはこれくらい普通なのだろうか? それとも彼女が特別なのだろうか?
そんなことを考えているとオッカムの足が止まった。
手のひらをこちらに向けて制止の合図をしたため、こちらも足を止める。
こちらに手のひらを向けたまま、もう片方の手を人差し指だけ立たせて口の前に置く。
静かに、ということだろう。
大丈夫です。疲れてしゃべれません。
オッカムは地面にうつ伏せとなり、目をつむり耳を地面につける。
十秒くらいそうしたあと急に立ち上がり、
「追っ手が来ている」
ついてきてと続け、再び走り出した。
俺の足は動かなかった。
多くの疑問が、先ほどから自分の中に渦巻いているからだ。
オッカム何者で、どうしてあの平原にいたのか。どうして俺を助けた。あのキリン集団は何者で、どうして俺たちを追ってくる。そしていま、どこに行こうとしてる。
俺が動かないことに気づき、オッカムが振り返り、「早く」と急かす。
一つだけ、どうしても気になることを聞いてみる。
「オッカムさんたちは俺をどうするつもりですか」
彼女はただでさえ鋭い目つきをさらに鋭くして、こちらを見据える。
正直、とても怖かった。目を逸らしたい。
彼女の目が剃刀の刃となって、俺の虚勢を削ぎ落としているように感じる。
虚勢を削がれていたとしても、そこだけは聞きたかったため自分も引かなかった。
彼女もそのことに察したようで口を開いた。
「私が受けた命令は『指定されたポイントに待機し、我らが同胞を助け、この国から無事に脱出させ、自分と合流する』こと。そのあとどうなるかは私にはわからない」
それだけ言うと彼女は口を閉ざす。
この発言で推測できることは多い。
まず第一に、彼女はなにかの組織に属している。
さらに、その組織は俺の処刑を知っていた。
『指定されたポイント』とあることから処刑の時間もわかっていたのだろう。
彼女の組織はダモクレスに深く通じている可能性がある。
これは俺のことを『我らが同胞』と表現したことからもそうと考えられる。
また、ダモクレスと通じてはいてもダモクレスとは別の組織であることがわかる。
ダモクレスの組織なら死刑に処せられた俺を助けることはないだろう。
第二に、彼女――オッカムは助ける人物(俺のこと)を詳しく聞いていない。
初めにあったときに『天井の人』と尋ねた。知っていたならそんなことは聞かないだろう。
また、同胞と聞いていてダモクレス――天井の人間か? と尋ねるなら、彼女の属している組織はダモクレスと表面的には関係していないのだろう。
第三に、『この国から無事に脱出させ、自分と合流』ということから、先ほどの追っ手はこの国の兵士だと推測できる。
よく見えなかったがキリン集団は旗を持っていた。
あれには国の印が刻まれているのだろう。
そして、自分たちが向かっているのは国境。国境の外に命令した『自分』なる人物が待機しているのだろう。
さらに『無事に脱出』とあるため、この国の兵士と接触しての交戦を避けろということを含んでいる。彼女の属している組織(他の国もしくはレジスタンス勢力)とこの国の組織はあまり良い関係ではないとうかがえる。
それに、このあと俺がどうなるかは結局わからない。
いろいろと推測はしたが、全て彼女の発言を真と仮定したものだ。
こちらを見据える彼女の目は鋭さはこちらに嘘を許さない。
同時に、自分にも嘘を許していないように感じる。
「そうか」
そうだ、彼女は平原で俺を助けた。
彼女の組織はまだよくわからないが、少なくとも彼女は、オッカムは信用できるだろう。
どうなるかはわからない。
だが、この場はついていくことに決め、彼女の方へ一歩踏み出す。
彼女はそれを見ると、ゆっくりと背を向け何も言わずに走り出す。
俺も黙って彼女の背を追った。