自由落下
ダモクレスでの落下による死刑は貴族以上の特権だ。
死刑となる際に手に持てるだけの財産を持って飛び降りることが許される。
宝石にまみれて死ぬことが彼らにとっては名誉らしい。
しかし、パラシュートといった減速するための道具は持ってはいけないし、服の中に仕込むことも禁止されている。
俺も控え室で軽く衛士にチェックされた。
地上五千メートルなら地上に達する前に余裕で終端速度に達する。
人間の終端速度は時速約二百キロメートル。
例え、手を広げて減速したとしても時速百六十キロメートル、そこまで変わるわけじゃない。
そう、この速度で地面にぶつかると確実に死ぬ。
海面だったとしても死ぬだろう、そもそも高さが八十メートルを超えた段階で生存率は一パーセントを切るはずだ。
ダモクレスの高度を五千メートルとすると約百秒で地上にぶつかって死ぬ。
時間は有限だ、大切に使わないと。
あと九十秒後くらいにはミンチになっているかもしれないのだから。
ポケットに入れておいた煙草を出す。もちろん吸うためではない。
このうち数本に仕掛けをしておいた。
一本は口にくわえる部分を引き抜くことで光を発する。昼で明るいため効果がどれほどかはわからないがやるだけやっておく。
他にも大量の赤煙を発するものもある。
いろいろあったが、すべての仕掛けを出す。
これだけやれば、おそらく気づいてくれるだろう。
問題は地上がこの仕掛けに気づいても自分を助けられる手段が限られていることにある。時速百六十キロメートルを超える人間をどうやって受け止めるかだ。
能力者に頼るしかないが、地上に能力者がどれほどいるのかを俺は知らない。
少なくとも百年前にダモクレスができたころ、地上にホルダーはほとんどいないはずなのだ。
ダモクレスは刃を持った特別な人間を厳選した箱船なのだから。
また、ホルダーが地上に存在したとしても時間と距離、能力の問題がある。
自分の落下地点付近にいなければ受け止めてもらえないし、受け止めるだけの力を有していないといけない。
さらに時間制限は九十秒ときた。
その能力者に助ける意思がないときも終わりだ。
助かる可能性はとてつもなく低いだろう。
現に地上はだいぶ鮮明に見えるようになっている。
だが、できることはやるだけやった。あとは祈るだけだ。
頼む……気づいてくれ、助けてくれ。頼むっ!
「どうかっ!」
地上が目と鼻の先になったとき、人がこちらを見上げていることに気がついた。
「助けてくれぇっ!」
必死に叫んだ。そいつは確かにこちらを睨みつけた。
目が合うと、ざわり……と冷たい汗がわき噴き出た。
だめだ……あの目はやばい。
地面と激突する前に殺される。そんな気がした。
しかし、そんな思いとは逆に体は上向きの力を受けた。すなわち減速だ。
彼女のその鋭い目つきが下向きの速度を削ぎ落としている。そんなことを考えてしまった。
とりあえず、祈りと叫びは通じたようだ。安堵の息が漏れる。
落下速度はあっという間に落ちていき、地面に足が着く頃には、ほとんど速度がなかった。
ついに地面に足を着いたが、安堵のためか足に力が入らなかった。
そのため勢いを殺しきれず、尻餅をつく。ちょっと痛い。痛みはそのまま生きている実感となり感動となった。
すこし涙が出ている。これは空気の抵抗を受けていたからなのか、感動からなのか、どっちからなのだろうか。
落下途中で気づいたが、地上は平原であった。
上から見下ろしたときにすでに広いことはわかっていたが、実際に立ってみるとその広さはすごかった。
なにしろ果てがない。書物では知っていたが、これが地平線というんだろう。
木がところどころに生えており、建造物はほとんどない。
近くに人が住んでいる気配は感じられなかった。
しかし、そんな平原に人が一人突っ立って、細い目で俺を見下ろしている。
落下中は気づかなかったが、落ち着いて見ると女性であった。
短い銀髪。細い体躯。首から足までを覆う、緑の濃淡で描かれた変わった模様の服。その細い顔は大人びて見えるが、どこか幼さを残している。
年上かもしれないがおそらく大きく違うことはないだろう。
彼女の第一印象は、やはりその鋭い目だろう。
「天井の人」
口を開いた女性の声は目におとらず鋭く冷たい。
「天井?」
聞き返してしまう。
女性はスッと上に目を逸らす。
目が逸らされることにホッとしながら、自分も上に目を向けた。
そこにはダモクレスが浮いていた。
落下中に風で流されたためか、ダモクレスはすでに真上にはなかった。
空を覆うダモクレスの作る影が、平原に大きな丸い影を作っている。
なるほど、確かに天井だ。
「ああ、うん。ダモクレスから来た。というか、死刑って名目で落とされた」
事実を述べた。
捨てられたんだ、と続けたところで口をつぐんだ。余計なことを口走った。
女性の表情は変わらなかったが、口がわずかに開きすぐ閉じた。
周囲を見渡すと誰もいない。広い平原にこの女性が一人だけ。
かなりおかしな状況ではある。しかし、落下中に減速をしてくれた命の恩人はこの人ということになるだろう。
「えと、ごめん。君が助けてくれたんだよね?」
一応確認してみるが、返答なし。静かにこちらを睨んでいる。
もしかするとこれが通常なのかもしれない。しかし、とにかくこわい。
とりあえず自己紹介をすることにした。
「お、俺の名前はルイゼット。君は」
女性が何か――おそらく名前だろう――を言おうとして口を少し開けたところで、なにか音が聞こえた。
音の聞こえた方向を見てみる。
かなり遠くにいるため小さくてよく見えないが、なにやら茶色い体で四つの長い足、同じく長い首を持った生き物に乗った人たちがこちらに向かってきている。
旗を掲げているようだ。
あの毛むくじゃら動物はもしや……。
「あれはもしかしてキリンですか、キリンですよね? うわぁ、書物では読んだことがあったけど、実際に見られるとは……乗ってみたふぃ!」
眺めていたところ、いきなり襟根っこをつかまれ引っ張られた。
「なにを――」
「ついてきて」
反論は途中でさえぎられ、彼女は襟から手を離し、キリン集団が来るのと逆方向へ走っていく。そちらには木々がある。
そこに入るつもりなのだろう。
とりあえず言われたとおり、ついて行くことにした。
彼女の隣にまで追いつくと
「オッカム」
「ふぇ? え」
いきなり、何かをつぶやかれたので変な声を出してしまった。
あの動物の名前だろうか?
オッカム、初めて聞いた名前だ。なるほど、どうやらキリンとは違うようだ。
「私の名前――オッカム」
彼女は剃刀のように鋭く答えた。
「なるほど」
鈍く頷くしかなかった。




