夜が来る
ダモクレスから地上に落ちて、七日が経った。
おっさんと別れたあとカナーリスの町で馬車を手に入れた。
目の前で茶色の毛並みを揺らしながら、なにも言わず荷台を牽いてくれている健気な動物はキリンではなく馬というものらしい。
カナーリスの町で「キリン、キリン!」と無邪気にはしゃいだ無垢な俺を、お腹を押さえ苦しそうに笑い続けたトリカの顔を俺は絶対に忘れない。絶対にだ。
あろうことか彼女はこの呼び名がたいそう気に入ったようで、キリンという愛称で呼んでいる。
それを見ていたオッカムは「馬の中でも特に速く走るものを麒麟と呼ぶ地域もある」と言葉少なく俺を擁護してくれた。
そんな俺たちは馬車に揺られてルイーナへと向かっている。
道中は特に何事もなく、地上観光になってしまっていた。
当初は隣に座るトリカへと質問攻めをしていたものの、いまでは周囲のものにも見慣れてきていた。
どうやら明日の昼にはルイーナへ到着するらしい。
トリカは歌を口ずさんでいる。
最初、俺がダモクレスの歌を口ずさんでいたのだが、それを聞いて独自のアレンジを加えていた。
トリカがうますぎて俺はもう歌いづらくなった。いまでは俺がトリカの歌に鼻歌として合いの手を入れる程度だ。
これでいい。
良い男は自ら主旋律になろうとせず、女性をもりたてる役に徹するべきなのだ。
「いま、明らかにおかしかったよね」
「すみませんでした……」
そんなことを考えていたら、めちゃくちゃな合いの手を入れてしまいトリカにだめだしされてしまった。
どうやら歌に関してはこだわりがあるようだ。
一方のオッカムは後ろの荷台で横になって空を見ている。
昨日から空に注意を払っていた。
「空になにかあるの?」
と尋ねたところ、
「第一部隊から連絡が来る」
と返された。どうやら鳥に手紙をつけてそれで情報を交換するものらしい。
もうじきにルイーナへとたどり着くはずなのに連絡のひとつもない。
「なにかあったのかもしれません」
トリカがそう漏らしてしたが、どうやらそれが現実味を帯びてきた。
太陽もだいぶ傾き、空が赤みを帯びてきたというのに連絡はまだない。
どうでもいい話だが、地上に降りてから鳥の小ささに驚いた。
手のひらを広げたくらいの大きさの鳥しかいない。トリカに聞いてもやはりこんなものらしい。
大きいものだと両手を広げたくらいの鳥もいると話していた。
「そんなものなのか」と返すと「じゃあ、ダモクレスにはどれくらいの鳥がいるの」と聞き返されたため、前を歩く馬を指さして「あれの倍くらい。いや、もっと大きいかな」というとトリカは呆れた顔をしていた。
信じてもらえなかったようだ、本当なんだけど。
目的地についてトリカに聞いたところ、ルイーナは小さな小さな田舎村らしい。
どうしてそんな田舎村に能力者の集団がいるのか疑問を呈したところ。
今の村のはずれに古代の遺跡が発見され、それを調べるため人があつまり集落になったものだという。
最近では遺跡もだいぶ探索されつくされ、住人もほとんどいなくなってしまったとか。
遺跡は地下深くに広がっているらしく、身を隠すにはちょうどいいのではないかとトリカは話す。
オッカムもその話に付け加えた。
言葉は少なくよくわからないが、少し前に遺跡で何か大きな発見があったそうな。
オッカムもよく知らないらしい。風の噂で聞いたとかそんな話だ。
気になったのはオイラー第一部隊隊長も来ているということ。
大陸をまたいで活動するグループ、その三人いる隊長のうち二人が同じ土地に集まる。
これは明らかに異常ではないだろうか。
ルイーナにはなにかがある。
第一部隊はホルダーの保護が目的をしているのなら、その第一部隊隊長を呼び寄せてまで保護したい人物がいるとオッカムは予想しているらしい。
ちなみにオッカムの受け持つ第三部隊はわりと最近に構成されたようだ。
元々は第一部隊と同じだったが、グループのメンバーが増えることで部隊がまとめきれなくなってきたため、第三部隊を作ってそこに保護を必要としない程度の実力者を集めたそうだ。
オッカムも昔は第一部隊に所属しており、オイラー第一部隊隊長の下で活動をしていたとか。オッカムにオイラー隊長の人となりを尋ねたが、答えは得られなかった。余計な先入観を与えたくないようだ。
日も暮れ影が長くなったと思う頃、そろそろ野営する場所を探さなくてはというときだ。
遠く道の真ん中に人が見えた。
遠目で見ているためはっきりとは見えないがずいぶんと小さい、おそらく子供だろう。
あちらもこちらを確認できたのか頭を軽く上げた。
そして、体が横にぐらりと揺れたかと思ったらそのまま倒れこんだ。
距離があったためか音は聞こえない。
手で体を抑えることすらしていなかった。立ったまま意識を失ったようにも見えた。
「人が倒れた」
とりあえず、見た事実をそのまま口にだす。
トリカもぼんやりしていたのか、言われて気づき目を向ける。
後ろからオッカムも乗り出してくる。
「止めて」
オッカムに言われて手綱を引く。
馬はゆっくりと速度を落としていき、倒れているものが明らかに子供だとわかる距離で馬車は止まった。
先ほどは見えなかったが子供の近くには人形が落ちていた。
角張った形状の手、足、頭、そして胴体。
表面も布、絹といった柔らかいものではなく、サビが見える金属であきらかに硬そうだ。
助けに行こうと馬車を降りようとしたところで、オッカムに肩を押さえられた。
「ここにいて――」
罠かもしれない、と続けて左手に剃刀を持って荷台から降りてうつ伏せに倒れている子供のほうへゆっくりと歩み寄る。
……たしかに罠の可能性はある。
つい数日前にトリカにその手法で捕まった経験がある身としては否定できない。
しかし、あの倒れ方は――。
オッカムは近くに落ちていた角張った人形を足でどかし、距離をつける。
その後、投げ出された子供の両手になにもないことを確認し、膝を曲げて体を屈ませる。
「おい」
子供に声をかける。
返事はない。子供は目をつむり静かに俯いている。
頬には先ほど倒れたときにできたと思われる傷があり、血が垂れていた。
オッカムは右手で子供の肩を軽く揺さぶる。
ようやく子供は目を少しだけ開き、虚ろな目で「たす……けて」とかすれた音を残し、再びまぶたを閉じた。
平穏の昼は終わったとでもいうように夜の帳が下りてくる。