1,断罪と白百合の塔
短編として書いたものを連載化してみました!本日、19時にも続きを投稿します!
よろしくお願いします!目指せ100話!
「ミレイユ・ローズレイン! 三日前の茶会で、聖女エミリアの紅茶に毒を盛った罪により、貴様との婚約を破棄し、白百合の塔への投獄を命じる!」
王宮の大広間に、王太子アルベルトの声が響き渡った。
楽団の演奏が止まる。踊っていた紳士淑女が足を止め、一斉にこちらを振り返った。
その視線が集まった先で、侯爵令嬢ミレイユ・ローズレインは、果実水のグラスを片手に、小さく首をかしげた。
「まあ。わたくし、毒など入れた覚えはございませんけれど」
「とぼけるな! あの茶会で紅茶を淹れた侍女が貴様に命じられたと白状したのだ! エミリアは今も怯えて、この場にすら来られずにいるのだぞ!」
そういえば、いつも王太子の腕にしがみついている煌びやかな空色のドレスが今夜は見当たらない。
ミレイユは三日前の茶会を思い出そうとした。王妃殿下主催の小さな茶会だった。聖女エミリアが紅茶を一口含んだところで悲鳴を上げて倒れ、大騒ぎになったのは覚えている。ただ、その紅茶を淹れた侍女の顔はまったく思い出せなかった。
「わたくし、その侍女の方とお話ししたこともございませんけれど……」
「言い訳は聞かぬ!」
聞かないのなら、もう何を言っても無駄だろう。
ミレイユは果実水を最後まで飲み干してから、ゆっくりとグラスを置いた。せっかくの搾りたてだ。残すのはもったいない。
「……貴様、この状況でよくそんな真似ができるな」
「だって、もう飲めなくなりそうですもの」
王太子のこめかみに青筋が浮かんだ。周囲の貴族たちがひそひそと言葉を交わす。
「なんという図太さだ」
「やはり、あの令嬢は悪女よ」
悪女。そう呼ばれるのにももう慣れている。無表情で、笑うことが少なくて、王太子の婚約者という立場にあぐらをかいている。それが、社交界におけるミレイユの評判だった。
もっとも、その評判を広めていたのは「本来なら自分の娘が王太子の婚約者になるはずだった」と信じている家の人々だったのだが。婚約者に選ばれたその日から、彼女のなにもかもがやっかみの種になってしまっていた。
実際のところ、無表情なのは毎朝四時起きで眠いからで、笑わないのは王妃教育で「人前で歯を見せないように」と叩き込まれたからだ。王太子の婚約者だからといってあぐらをかくなど一度もなかったのだが。
王太子の机に積まれた書類を夜更けにこっそり整理していたことは、たぶんこの場にいる誰も知らない。
「お嬢様っ!」
人垣の向こうから聞き慣れた声が飛んできた。
控えの間から駆けつけた侍女のリーゼが、衛兵たちに両腕を取り押さえられながら必死にこちらへ手を伸ばしている。ミレイユと同い年で幼い頃からずっとそばにいたしっかり者の侍女だ。
「お嬢様がそんなことをなさるはずがありません! 殿下、どうかもう一度お調べを!」
「黙れ、侍女風情が!」
ミレイユはそっと微笑んだ。
「リーゼ、大丈夫よ。外は冷えるから風邪を引かないようにね」
「そういう問題ではございません!」
叫ぶリーゼの声を背中に聞きながら、ミレイユは衛兵に促され大広間を後にした。
背筋はまっすぐに伸ばしたまま。歩幅は王妃教育で習ったとおりの拳二つ半。最後に一度だけ振り返り、王太子に向かって完璧なカーテシーをしてみせた。
その美しさに、大広間が一瞬だけ、しんと静まり返った。
◆
白百合の塔。
王宮の西のはずれに建つ、罪を犯した貴族だけを収容するための牢である。名前だけは美しいが、中身はただの石の箱だ。過去に使われた例は数回だけ。もう何年も前の話だった。収容されたものは皆、ほどなくして処刑台へ送られるか、許しを得て塔を出ていった。
この塔で、ひと月を越えて過ごしたものは一人もいない。
今夜の収容者はミレイユただ一人。
ぐるぐると続く螺旋階段を衛兵の持つ燭台の明かりだけを頼りに上っていく。段を数えていたが、百を超えたところでやめた。数えたところで段が減るわけではない。
最上階の部屋には、硬い寝台、足のぐらつく椅子と机。そして小さな窓がひとつ。部屋の入り口には、太い鉄格子の扉がはまっている。床も壁も天井もすべて灰色の石だった。
「……こぢんまりとして、落ち着きますわね」
「はあ?」
衛兵が間の抜けた声を出した。それから気まずそうに咳払いをして鉄格子の鍵をかける。
がちゃん、と重たい音が石壁に響いた。
「……食事は朝と夕方、一日二回、この差し入れ口から入れます。何かあればそのときに。それと、こちらを」
衛兵は、差し入れ口から布の包みを押し込んだ。広げてみると、麻でできた簡素な服が数着。頭から被って、前で結ぶだけの簡素な寝間着に近いものだ。
「塔には侍女を連れて入れませんので。お一人でも着られるものを、ということで」
それだけ言うと、衛兵はそそくさと階段を下りていった。侯爵家の令嬢にどう接すればいいのか、彼自身もよくわかっていないらしい。
差し入れ口には、すでに夕食の盆が置かれていた。硬そうな黒パンが一つと、すっかり冷めた豆のスープ。木の匙が添えてある。
ミレイユは椅子に腰かけ膝の上にハンカチを広げた。それから、王宮の晩餐と同じ所作で黒パンを一口大にちぎり口に運ぶ。
硬い。そして、ちょっと酸っぱい。
けれど、何度も噛んでいるうちに、じんわりと麦の甘みが広がってきた。
「……これはこれで、悪くないわね」
気づけばスープもきれいに平らげていた。空になった盆を差し入れ口に戻し、ミレイユは寝台に腰を下ろした。藁を詰めただけの寝台が、ぎしりと鳴る。
小さな窓の向こうには、王宮の灯りが小さく見えていた。あの大広間ではきっとまだ夜会が続いているのだろう。
ミレイユはしばらくその灯りを眺めていた。
悲しくないと言えば嘘になる。十年間も王太子の婚約者として、ずっと必死にやってきたのだ。それがたった一夜で終わってしまった。
けれど。
「……明日は、朝四時に起きなくていいのね」
口に出してみると不思議と肩の力が抜けた。
王妃教育は毎朝四時から始まる。歴史、礼儀作法、外国語、詩の暗唱、ダンス、経済学。十年間、風邪を引いた日も誕生日の朝も、一日も休んだことはない。
それがもうない。
誰かの顔色をうかがう必要も、微笑みの角度を計算する必要もない。この狭い石の部屋にはミレイユしかいないのだから。
「……ちょっと、気が楽かもしれないわ」
とはいえ、寒い。
初冬の石の部屋は底冷えして、吐く息がうっすらと白い。寝台に置かれた薄い毛布は一枚きりだ。夜会用のドレスは背中の紐と半刻ほど格闘した末にどうにか脱いだ。代わりに着た麻の服は、締め付けがなくて楽だが、袖口からも襟元からも冷気が忍び込んでくる。
ミレイユは毛布にくるまり、できるだけ小さく丸くなった。王妃教育では「淑女は仰向けで美しく眠るもの」と教わったが、今夜ばかりは見逃してもらうしかない。
「……おやすみなさい」
誰もいない部屋に小さくつぶやく。
そしてミレイユは十年ぶりに、時を気にせずに目を閉じた。
――翌朝、この部屋に届くものが彼女の人生を大きく変えてしまうことを、まだ誰も知らない。
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