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本の虫  作者: ジロギン
1/2

前編

 教室の後ろから二番目、窓際の席で本を読む彼に、私は惹かれた。小学五年生だった当時、休み時間になると男子のほとんどが校庭でサッカーをしていた。でも彼だけは、一人教室に残って本を読んでいた。


 彼の「本の虫」っぷりは、地元の中学校に進学してからも変わらなかった。彼は周りの男の子とは違う、独特な雰囲気を持っている。私はそう感じていた。


 そんな彼、野崎雪也(のざきゆきや)くんが学校に来なくなったのは、二年生に進学してすぐのことだった。クラスに友達と呼べそうな子はいなかったけれど、一年生のとき、雪也くんは欠席したことはほとんどなかった。


 私自身、彼とは小学五年生からクラスが同じというだけで、特別仲よしというわけではない。それでも、雪也くんのことが心配になった。




神田(かんだ)さんって、瑠璃(るり)ちゃんよね? 雪也と同じ学校の。久しぶりねえ。すっかり美人さんになっちゃって」


 ある日の放課後、私は雪也くんの家を訪ねた。学校から徒歩十五分くらいの場所にある二階建ての一軒家。雪也くんのお母さんが元気よく出迎えてくれた。彼女とは何年か前、PTAが主催した餅つき大会のときに少しだけ話したことがある。当時の印象とほとんど変わらなかった。


「突然すみません。雪也くん、もう一週間も学校に来ていないので、どうしたのかなと心配になりまして……。体調を崩したりしてないでしょうか?」

「あらそうだったの。ごめんなさいね、余計な心配かけちゃって。でも大丈夫。雪也は健康よ。ただ、学校に行きたがらなくて……。立ち話もあれだから、よかったら上がっていかない?」

「あっ、はいっ! お邪魔させていただきます!」


 男の子の家に入るのなんて、いつぶりだろう。私は少し緊張しながら、雪也くんの家に上がった。




 リビングのソファに座り、紅茶とモンブランケーキを食べながら雪也くんのお母さんと話していた。話すというより、「最近の雪也は反抗期で言うことを聞かない」とか、「将来どんな大人になるのか心配だ」とか、半ば愚痴のようなものを一方的に聞かされただけだったが。


 私は彼のお母さんのカウンセリングに来たわけではない。雪也くんの安否を確かめに来たのだ。機関銃のような愚痴がひと段落したタイミングで、私は切り出した。


「あの……雪也くんはどちらに? 今、お家にいないんですか?」

「雪也は……地下にある書庫にいるわ」

「地下?」

「この家には地下室があるの。五十畳くらいのかなり広いスペースで、そこに本がぎっしり置いてあってね。もともとこの家は、私の父、つまり雪也のおじいちゃんが建てたの。本はそのおじいちゃんが集めたもの。数年前、おじいちゃんが亡くなって、そのすぐ後に私の旦那も病気で亡くなってしまって……。私と雪也には、この家と大量の本だけが残された。」

「雪也くん、教室ではいつも本を読んでいました。それはおじいさんの影響だったんですね」

「そうかもしれないわね。雪也のおじいちゃんも読書が好きだった。大学教授という仕事柄、本に触れる機会が多かったというのもあるのでしょうけど。そんなおじいちゃんの性分が、雪也に遺伝したのかもしれない」


 お母さんは話を止め、私を地下にある書庫へ案内してくれた。


 廊下の突き当たりにある扉を開けると、地下へと続く階段があった。海外の映画でこのような作りの家をよく見る。お母さんと私は階段を下り、書庫の扉を開けた。


 中はまるで小さな図書館だった。本の独特の匂いが空間いっぱいに広がっている。天井まで届くほど巨大で横長の本棚が、等間隔にいくつも並んでいる。見る人が見れば、宝の山だろう。


 本棚の三列目と四列目の間に、立ったまま本を読む雪也くんがいた。


「雪也、お客さんよ。同じ学校の神田瑠璃ちゃん」

「こんにちは、雪也くん」


 雪也くんはこちらに目もくれず、本を見つめたままだ。


「雪也! 本を読むのはいい加減にして挨拶くらいしなさい!」


 お母さんが叱ると、雪也くんは本をパタンと閉じ、こちらを向いた。


「……申し訳なかったね、つい夢中になってしまって。神田さん、久しぶり。母さん、二人だけにしてくれないかな? 同じクラスの女の子の前で母親と一緒だなんて、マザコンだと思われてしまいそうだから」


 雪也くんの口調は中学生らしくない。十歳くらい年上の人が喋っているかのようだ。


「……そうね。私、おじゃま虫よね。じゃあ買い物に行くわ。何かあったら、ケータイに連絡ちょうだいね」


 そう言い残し、雪也くんのお母さんは書庫を後にした。


「ところで神田さん、どうして僕の家に? 今までほとんど会話したこともないのに」


 雪也くんは持っていた本を棚に戻し、喋りながら別の本を探し始めていた。


「えっと……心配になったの! 一週間も学校に来てなかったから……」

「一週間……そんなに経っていたのか。地下室に(こも)りっぱなしだったもので、何時間、いや何日経ったのか全くわからなくなっていたよ」

「ずっとここにいるの?」

「そう。トイレのときだけは書庫を出るけどね。食事は母さんに運んでもらっている。ここにある本、すべてを読むのが僕の目標なんだ。数えてないけど、数万冊はあるんじゃないかな。ほとんどが僕の祖父が集めたものだけど、彼自身、死ぬ前に読めなかったものがかなりあるみたいなんだ」

「数万冊って……そんなの何時間かかるかわからないよ」

「多分、年単位でかかるだろうね。でも、だからこそ燃えるのさ。祖父が達成できなかったことを孫の僕が成し遂げる! そして、ここにあるすべての本を読み終えたとき、僕は世界のあらゆる知識を手に入れられるだろう!」


 これまで見たことがないほど生き生きとした表情で、雪也くんは語った。


「……すごい目標ね。でも、それは大人になってからやれればいいんじゃない? 本はいつでも読めるけど、中学校に通えるのはこの三年間だけだよ?」


 私の言葉を聞いた雪也くんは一瞬、本を探す手を止めた。


「学校か……実にくだらないよ。時間の無駄さ。学校で学べることくらい、この書庫にある本を読めば充分まかなえる。学校なんて僕にとっては猿山だ。猿と同程度の知能しかないクラスメイトどもがワイワイ遊んでいるだけ。そんなところに行くなら、動物園に行った方が百倍有意義だよ」

「先生も心配していると思うし、少し顔を出すだけでも……」

「先生なんて呼ぶべきじゃないよ、神田さん。あいつらは大学で教育課程を専攻したってだけの一般人。先生と呼ばれる資格なんてない。先生っていうのは、後世に名を残すような研究や創作をした人たちにこそ相応しい呼び名さ」

「そこまで言わなくても……」

「第一、先生を名乗るなら君より先にうちへ来るべきじゃないのかな? 僕の様子を調べるために。確か君は学級委員だったよね? そういう役職の生徒一人を派遣して教師(づら)するのはどうかと思うよ。少なくとも、僕はそんな横着をする人間を敬うことなんてできない」

「わ、私は自分の意思でここに来たの! 先生とか学級委員とか、そんなの関係ない!」


 雪也くんは棚から本を取り出そうとする手を止めた。私の視界は涙でぼやけ始めていた。


「そうなのか……。では、君は心の底から僕のことを想って来てくれたってことかい?」


 私は黙って頷く。


「そうか。そうだったのか。本当に失礼した。僕は君の気持ちを踏みにじってしまったようだ。お詫び……と言うのはおこがましいが、今の僕の気持ちを正直に伝えるよ」


 私は雪也くんを、ただ見つめ続けた。


「僕の気持ちは君に傾きつつある。これは好意、つまり好きってことだ! 君とは小学生時代から同じクラスだったよね? 当時は気づかなかったが、こうやって話してみてよくわかった。君には他のアホなクラスメイトどもとは違う聡明(そうめい)さがある。ぜひ僕の恋人になってもらいたい!」


 突然の告白に私は戸惑ってしまった。もちろんその戸惑いは、嫌悪感から生まれたものなどではない。喜ばしい、前向きな驚きだ。


 言葉に詰まる私を他所に、雪也くんは続ける。


「『引き寄せの法則』って知ってるかい? 簡単に言うと、頭で願い、行動するとそれが叶うという法則のことだよ。僕はずっと求めていた……一緒にこの本を読んでくれる存在を! そして今日、君が僕を訪ねてくれた!」


 私も心のどこかで雪也くんのことが気になっていた。だからこの家までやって来たのだ。


「君も僕と、この書庫で暮らそう! 学校なんて行く必要ない! 君もこの本で知識をつけるんだ! 十年かかるか、二十年かかるか、それはわからない! でも僕たちなら絶対に成し遂げられる! その自信、いや確信がある! だから僕と一緒に添い遂げてくれ!」


 この言葉を最後に、私は書庫から立ち去った。私は雪也くんのことが好きだ。一緒になりたいという気持ちもある。でも、あの書庫に閉じこもって一生の大半を読書に費やすのは嫌だ。いろんなところに出かけて、楽しい経験をたくさん積む。そんな人生を雪也くんと送りたかったから、私は彼の家へ足を運んだのだ。


 私は自宅へ帰り、荷物を自分の部屋に放り投げ、ベッドに入った。いつのまにか眠っていたようで、気がつくと朝を迎えていた。

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