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希 スピンオフ「みな」  作者: 森 神奈


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1/3

前編 教室の雨が止むまで


春の朝の教室は、まだ少しだけ冷たい。


窓から差し込む光が机の上を白く照らして、黒板の文字をやわらかく浮かび上がらせていた。


小森みなはランドセルを机の横にかけながら、大きく息を吸った。


四年一組。


新しいクラス、新しい席、新しい春。


「みな、おはよー!」


元気よく駆け寄ってきたのは、隣の席の高橋ゆい。


クラスの中心にいるような明るい女の子で、誰とでもすぐ仲良くなれる。


「おはよう、ゆいちゃん」


みなが笑うと、ゆいはにこっと笑い返した。


その時、教室の前のドアが開いた。


担任の先生と一緒に、一人の女の子が入ってくる。


長い黒髪。


少し俯きがちな目。


胸の前でぎゅっと手を握りしめている。


先生が黒板に名前を書く。


白石 雨音


「今日からこのクラスで一緒に勉強する白石さんです。みんな仲良くしてね」


小さな拍手が起こる。


「……し、白石雨音です。よろしくお願いします」


声は小さくて、少し震えていた。


みなは、その子の名前を見て少しだけ胸が揺れた。


雨音。


なんだか、すごく寂しそうで綺麗な名前だと思った。




休み時間。


クラスはすぐにいつもの騒がしさを取り戻した。


男子は鬼ごっこ、女子は新しい文房具の見せ合い。


でも、雨音だけは席に座ったままだった。


ノートの端に、小さく絵を描いている。


みなは気になって、そっと近づいた。


「それ、なに描いてるの?」


びくっ、と雨音の肩が揺れる。


「あ……ご、ごめんなさい」


「え? なんで謝るの?」


ノートを見ると、小さな傘の絵が並んでいた。


赤い傘、青い傘、透明なビニール傘。


どれもすごく丁寧だった。


「すごい……上手」


みなが素直に言うと、雨音は少しだけ目を丸くした。


「……ほんと?」


「うん! 私、絵下手だからうらやましい」


その時だった。


後ろから、くすっと笑う声が聞こえた。


「また絵描いてるの?」


ゆいだった。


その後ろには女子が二人。


「休み時間なのに遊ばないんだ」


「なんか暗いよね」


悪気があるような、ないような。


でも、その言葉で雨音の顔が少しだけ曇るのを、みなは見逃さなかった。


「……私は、これが好きだから」


小さく答えた雨音に、ゆいは肩をすくめる。


「ふーん」


そのまま、三人は教室を出ていった。


残った空気だけが、少し冷たかった。




その日から、教室の空気は少しずつ変わった。


最初は小さなことだった。


給食の班で、雨音の席だけ少し離れる。


体育のペアが決まる時、最後まで名前が呼ばれない。


休み時間に一人で本を読んでいても、誰も話しかけない。


目に見えるいじめじゃない。


でも、みなには分かった。


これは、雨だ。


静かで、冷たくて、誰にも見えない雨。




家に帰ると、玄関からいい匂いがした。


「ただいまー」


「おかえり、みな」


キッチンから顔を出したのは母のかんな。


少し柔らかくなった声と優しい目。


リビングでは父の希が洗濯物を畳んでいた。


「学校どうだった?」


その問いに、みなは少し迷う。


でも結局、


「……普通」


そう答えた。


本当は、雨音のことが頭から離れなかった。


けれど、まだ言葉にできなかった。




数日後。


放課後、空が急に暗くなった。


窓を叩くように雨が降り始める。


みなは算数のノートを忘れたことに気づいて、一人で教室へ戻った。


廊下は静かで、雨音だけが響いている。


ガラッ。


教室のドアを開けた瞬間、みなは足を止めた。


窓際の一番後ろ。


そこに、雨音がいた。


机に伏せたまま、小さく肩を震わせている。


泣いている。


みなの胸が、きゅっと痛くなる。


少しだけ怖かった。


ここで声をかけたら、自分も何かが変わってしまう気がしたから。


でも、その時ふと思い出した。


昔、父が言っていた言葉。


「隣にいるって、すごく強いことなんだよ」


みなはそっと雨音の席に近づいた。


窓の外では、雨がまだ強く降っている。


教室の中だけが、世界から切り離されたみたいに静かだった。


みなは小さく息を吸って、言った。


「……ここ、雨宿りしていく?」


雨音が、はっと顔を上げる。


涙で濡れた目が、みなをまっすぐ見た。


驚いたように、信じられないものを見るように。


そして、ほんの少しだけ――


その目に光が戻った気がした。


窓を打つ雨音は、まだ止まない。


でもきっと。


この教室の雨は、ここから少しずつ止んでいく。

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