第7話 王都からの書簡
その書簡は、昼過ぎに届いた。
文書庫での作業にも、少しずつ手が慣れてきた頃だった。棚の配置を把握し、記録の年代ごとの偏りにも気づき始め、ようやく「整理」という言葉の輪郭が見え始めていた。
そんな中で、エドガーが静かに一通の封書を机の上に置いた。
「王都からです」
短い言葉。
けれど、その意味は十分すぎるほど伝わった。
わたくしは手を止め、封書に視線を落とす。
厚手の紙。
王家の紋章。
簡素だが、間違いなく公式の文書。
「……ありがとうございます」
そう言って受け取り、封を切る。
中から取り出した文面は、驚くほど整然としていた。
無駄な感情も、余計な言い回しもない。
ただ、必要なことだけが、淡々と書かれている。
――過去記録の整理に関する通達。
わたくしはゆっくりと読み進めた。
内容はこうだ。
王都の文書管理において、一部記録の再整理が必要となった。
特に、王家に関わる重要事案については、記述の簡略化および表現の統一を図ること。
そして。
対象となる記録の一覧が、後半に記されていた。
その中に、確かにあった。
――王太子婚約解消事案(対象:セシリア・エーヴェルディア)
わたくしは、そこで一度だけ目を止めた。
けれど、手は震えなかった。
ただ、続きを読む。
該当事案については、以下の通り記述を簡略化すること。
・双方合意のもと、円満に婚約を解消
・王家および公爵家の関係に問題なし
・特記事項なし
簡潔だ。
あまりにも簡潔で、何も残らない。
あの夜の出来事が、たった数行で「処理」されている。
「……そうですか」
小さく呟く。
驚きはなかった。
むしろ、予想していたと言っていい。
王家にとって、不都合な記録は残さない。
あるいは、残るとしても、扱いやすい形に整える。
それは当然のことだ。
問題は――
それが、自分自身の出来事であったという点だけ。
わたくしは書簡を机に置き、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に、何かが落ちる。
痛みではない。
怒りでもない。
もっと、冷たいもの。
あの夜、わたくしは確かにそこにいた。
大広間の中央で、視線を浴びて、言葉を受けて、選ばれなかった。
その事実は、消えない。
けれど。
記録としては、消える。
あるいは、別の形に変えられる。
それが、ここに書かれている。
「……記録とは」
ふと、言葉が浮かぶ。
記録とは、何だろうか。
事実を残すものか。
それとも、都合よく整えるものか。
ここ数日、わたくしは「誰も読まない記録」を扱ってきた。
忘れられたもの。
途中で途切れたもの。
意味を与えられなかったもの。
それらに、少しだけ手を加えた。
残そうとした。
理由は、はっきりしない。
ただ、そうしたかった。
けれど今、王都から届いたこの書簡は、逆のことを命じている。
残すのではなく、削ること。
曖昧にすること。
整えること。
わたくしは机に置いた書簡と、手元の帳簿を見比べた。
片方は、消すための指示。
もう片方は、残そうとした記録。
まるで、正反対だ。
「……エドガー様」
呼びかけると、彼はすぐに応じた。
いつの間にか、少し離れた場所で作業をしていたらしい。
「はい」
変わらぬ声音。
わたくしは書簡を手に取り、彼に見せる。
「こちらの件ですが」
エドガーは一読し、短く頷いた。
「よくある通達です」
あまりにも淡々とした言葉だった。
「……そうなのですね」
「はい。王都では、記録は“管理されるもの”ですから」
その言い方は、否定でも肯定でもない。
ただの事実として、そこにある。
わたくしは再び書簡に目を落とした。
「円満に解消」。
「問題なし」。
「特記事項なし」。
あの夜の空気も、言葉も、何もかもが削ぎ落とされている。
そこに残るのは、形だけだ。
それが正しいのかどうか。
わたくしには、まだ判断できない。
ただ。
「……承知いたしました」
そう答える自分の声が、思ったよりも静かだった。
命令である以上、従うべきだ。
それが、これまでのわたくしの在り方だった。
けれど。
その言葉の奥に、ほんのわずかに引っかかるものがある。
まだ形にはならない。
ただ、小さな違和感として、そこに残る。
わたくしは書簡を閉じ、机の上に置いた。
そして、ゆっくりと帳簿に手を伸ばす。
ページを開く。
そこには、先ほどまでわたくしが書き足した文字がある。
推測でしかない記録。
けれど、何もないよりはいいと感じたもの。
その文字を見つめながら、わたくしは静かに思った。
――これは、消してもよいものなのだろうか。
答えは、まだ出ない。
けれど。
わたくしの中で、何かが、確かに揺れ始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついに「外側の圧力」が入り始めました。
セシリアの中で起きている変化と、
王都の“都合”が、少しずつぶつかり始めています。
この物語はここから、
静かですが確実に緊張が高まっていきます。
次話では、セシリアが初めて
「違和感」をはっきりと認識します。
ぜひブックマークして続きを見守っていただけると嬉しいです。




