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婚約破棄されたので記録係になったら、消されたはずの人々が世界を変え始めました  作者: 月守いとは


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第4話 辺境の離宮文書庫

 翌朝、わたくしは父の執務室の前に立っていた。


 扉の前で一度、呼吸を整える。緊張しているわけではない。ただ、これから告げられる内容が、すでに「決まっている」ことだけは理解していた。


 軽くノックをする。


「入りなさい」


 短い返答。


 わたくしは扉を開け、静かに中へ入った。


 執務室はいつも通り整然としていた。書棚にはびっしりと書類が並び、窓際の机にはすでに数通の封書が広げられている。父はその奥に座り、こちらを一瞥した。


「座りなさい」


「はい」


 促されるまま、対面の椅子に腰を下ろす。


 向かい合う形になると、自然と背筋が伸びた。幼い頃から叩き込まれた姿勢は、こういう場面では反射のように現れる。


 父はしばらく無言で書類に目を落とし、それから一枚を手に取った。


「昨夜の件についてだが」


 やはり、前置きはない。


「王家との婚約は正式に解消された。これは既に確定事項だ」

「承知しております」


「問題はその後だ。エーヴェルディア家として、今回の件をどう処理するか」


 父の声は淡々としていた。


 怒りも、失望も、感じられない。ただ、事実を並べているだけだ。


「王太子側の発表では、理由は“相性の不一致”とされている。大きな不祥事にはなっていない。これは一応、こちらへの配慮と見ていい」


 わたくしは黙って頷く。


 確かに、昨夜の内容は曖昧だった。明確な罪を突きつけられたわけではない。それは同時に、わたくしが断罪される立場には置かれていないということでもある。


 だが――


「その代わり、評価は曖昧なままだ」


 父が言葉を続ける。


「“完璧だが人間味に欠ける令嬢”という印象が残る。これは社交界において、決して有利とは言えない」


「……はい」


 それは、よく理解している。


 明確な失点ではないが、強い評価にもならない。


 扱いづらい存在。


 それが、今のわたくしの立ち位置だ。


「新たな縁談を急ぐことも考えたが、現状では得策ではない」


 父は手元の書類を机に置いた。


「王家との婚約が破棄された直後だ。軽々しく次へ進めば、かえって家の軽視と取られる可能性がある」


「では……」


 言いかけて、わたくしは口を閉じた。


 問いを最後まで口にする前に、答えが見えてしまったからだ。


 父はわたくしを見た。


「お前はしばらく、表舞台から外れる」


 やはり、そう来た。


「王都から距離を置く。社交界への復帰は、状況を見て判断する」


 その言葉に、わたくしは一度だけ瞬きをした。


 驚きはない。


 むしろ、当然の処置だと思った。


 今回の件で、わたくしは“使いづらい駒”になった。ならば一度盤面から下げる。それは合理的な判断だ。


「行き先は、既に決めてある」


 父が別の書類を取り出す。


「辺境にある離宮だ。旧王家の施設で、現在はほとんど使われていない」


 離宮。


 聞いたことはあるが、詳細は知らない。


「そこには文書庫がある。過去の記録や未整理の資料が保管されているが、長らく放置されている状態だ」


 父の視線が、わたくしを捉える。


「お前はそこへ行き、文書整理の任に就く」


 その言葉を、わたくしは静かに受け止めた。


 文書整理。


 社交界でもなく、外交でもなく、政務の補佐でもない。


 表に出ない仕事。


 評価もされにくく、目立つこともない。


 いわば、“隔離”に近い配置だ。


「……承知いたしました」


 返答は、すぐに出た。


 父はわずかに目を細める。


「異論はないのか」

「ございません」


 少しの間があった。


 父はわたくしを観察するように見つめ、それから小さく息を吐いた。


「……そうか」


 それ以上は何も言わなかった。


 わたくしも、続ける言葉はなかった。


 本来であれば、もう少し感情を見せるべき場面かもしれない。


 不安や戸惑いを口にし、あるいは処遇の変更を願うこともできただろう。


 けれど。


 それをする理由が、見つからなかった。


 父の判断は合理的だ。


 わたくしは今、王都に置いておくには不安定な存在だ。ならば一度離し、価値を見直す。そのための時間を与える。


 それだけの話だ。


「出立は三日後だ。準備をしておけ」


「はい」


 会話はそれで終わった。


 わたくしは立ち上がり、深く一礼する。


 扉へ向かいながら、ふと考える。


 もし、昨夜のわたくしが泣いていたら。


 あるいは、ここで取り乱していたら。


 この判断は変わっただろうか。


 ――いいえ。


 たぶん、変わらない。


 この家において、感情は判断基準にならない。


 必要なのは、価値だけだ。


 扉を開け、廊下へ出る。


 朝の光が差し込む静かな廊下は、昨日までと何も変わらない。


 けれど、わたくしの立ち位置は、確実に変わっていた。


 公爵令嬢としての役割。

 王太子の婚約者としての未来。


 それらはすべて、ここで一度切り離される。


 残るのは、ただの「わたくし」だけだ。


「……文書庫、ですか」


 小さく呟く。


 華やかさのない場所。


 評価もされにくい仕事。


 それでも、不思議と拒絶感はなかった。


 むしろ。


 少しだけ、息がしやすくなるような気がした。


 誰も期待しない場所で。


 正しさを求められない場所で。


 わたくしは、何をするのだろう。


 何ができるのだろう。


 その問いに対する答えは、まだない。


 けれど。


 少なくとも、これまでとは違う何かが始まるのだという予感だけは、確かにあった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第2ブロックが始まりました。

ここから「再出発」ではなく、“居場所のない状態”がしばらく続きます。


セシリアは守られるわけでも、すぐに評価されるわけでもありません。

ただ、与えられた場所に置かれるだけです。


次話では、その“何もない場所”がどんなところなのかが描かれます。

静かですが、この作品の核に入っていくパートです。


少しでも気になったら、ブックマークして続きを追ってもらえると嬉しいです。

ここからじわじわ面白くなっていきます。

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