68.歴史家は瞠目する
「ん?全て?」
フレデリックは首を傾げた。フレデリックは間違いなく濃紫の瞳を持っている。祖父も、父も、叔父も…今の十二人は濃さや色合いに違いはあれど、誰もが紫の瞳を発現している。
「左様でございます。五人いらしたエリザベス女王陛下のお子様たちはひとりとして紫を継がれませんでした。幸い、長子である第十六代国王リチャード様のお子である第十七代国王ヘンリー陛下が紫を継がれましたので、エリザベス女王陛下が病に倒れられた後はヘンリー陛下が成人なさるまでをリチャード様が中継ぎとして王位を継ぎ、ヘンリー陛下が成人されてすぐに譲位をされてリチャード様はヘンリー陛下が王としてひとり立てるまで摂政としてお支えになりました」
フレデリックは瞠目した。ちらりとグレアムを見るとまた静かに目を閉じている。驚きは見えない。グレアムは知っている話なのだろう。
レナードは目が覚めたようでぱちぱちと瞬きを繰り返し、アイザックもノートを取る手を止めて目を丸くしている。
「紫が無くとも、次代に紫が出るのか?」
「左様でございます。紫の色が揺らいで親と同じ色にはならないのと同様に、紫を親に持つ紫の無い子からも稀に紫が出ることがございます。広く知られますと紫を持たない王族の血筋が密かに子を産む道具にされる危険性もございますので秘されておりました。今はそうもならないでしょうが……過去には事実、そういう時代がございまいしたので」
「そうなのか……」
祖父の双子の妹…現イーグルトン公爵の母となったマリアン元王女は薄っすらと瞳孔の周りに紫が混じるように見える瞳だったのだが直系でも継承権を持たなかった。
だが、その子であるイーグルトン公爵の瞳は濃紫にほんの少し青を混ぜたとても綺麗な紫だ。ふたりの公子もイーグルトン公女もそれぞれ色味は全く違うが間違いなく紫だ。
ほんの少しでも紫の面影があれば紫が生まれるのかと思っていたが、直系であれば紫が出る可能性があるのなら納得だ。むしろ、イーグルトンに降下した元王女の瞳にほんの少しでも紫らしき色が混じっていて良かったと言うべきか。そうでなければ隠しおおせない事実だっただろう。
フレデリックはふと、違和感を感じた。
「イングラム翁。紫無しの王族の婚姻は規制されていなかったはずだな?」
「左様でございますね」
「今まで紫が出てしまったことはなかったのか?」
そうだ。紫無しから紫が生まれる可能性を隠すのなら紫無しの婚姻は常に危険を伴うことになる。けれどそんな決まりを聞いたことはない。
「王妹殿下の結婚が遅れている理由がこれにございますよ」
「叔母上の?」
「四百年以上の歴史の中で片手にも満たない事例でございますから規制はされておりません。ですが万が一生まれてしまっても隠し通すだけの財力と権力、理解がある者としか婚姻できない。そういうことでございます」
「生まれたら、隠してきたのか……」
「全ての紫をお持ちにならない王族の婚姻を規制するよりは人道的でございますからね」
「難しいな……」
叔母は赤に近い紫として王位継承権を持っている。フレデリックには少し変わった赤にしか見えず不思議だったのだが納得した。
紫持ち直系王族は婚姻で国外に出ることはできず、他家に入ることも厳しく規制される。叔母の継承権は婚姻を規制するための王位継承権なのだ。マリアン元王女の子と孫が紫を持ってしまったことで叔母の婚姻は更に難しくなってしまったのだろう。相応しい相手が見つからない、ということか。
「ともかく、紫を継ぐ者がひとりになってしまっては王家の谷を使う理由も無かったのだな」
「はい。それもございますが、このままでは紫が絶えてしまうとエリザベス女王陛下が王家の谷での儀式の廃止を宣言いたしました。それと同時に薬ではなく毒の研究施設と化していた東の宮のほとんどの建物を、現存する王族の寝所として使われていた紫の宮とその庭園を残し取り壊しを決められたのです」
「そうか……」
これではフレデリックに東の離宮についての詳しい話が知らされないわけだ。恐らくだが、きっとこれは立太子してから聞くはずの話だったのだろう。
「紫が増えた後世で儀式の復活を願う者はいなかったのか?」
今でも十二人の紫を持つものがいる。過去にも多くの紫が生まれた時代があり、当代の継承権者たちと違って王になりたいと思った継承権の低い者もいたかもしれない。
「そこには女神の奇跡があったと言われております」
「奇跡?」
フレデリックが首を傾げると、イングラム翁はにんまりと口角を上げると悪戯っぽく笑った。
「左様でございます。殿下は谷の現状をその目でご覧になりましたね?」
「ああ、水が溜まって池になって……暴食蛙の住処になっていたな………」
フレデリックは遠い目になった。ちらりと見ればレナードとアイザックも何とも言えない顔になっている。
「左様でございます。記録によると、エリザベス女王陛下は女神に祈られたそうにございます。『もう二度と同じ過ちを繰り返すことの無いように』と」
「それで奇跡が?」
「はい。ちょうど雨の多い時期ではございましたが祈りの後三日三晩豪雨が降り続き、ニグリ川が氾濫し東の宮一帯が浸水いたしました。その時に王家の谷も水に沈み、ニグリ川とつながる水路ができたことで今も水が干上がることなく、洞窟は誰も入れない場所となりました」
ニグリ川は離宮の森とその向こうの銀の森を分ける川の名前だ。あの王家の谷の窪地に流れ込んでいた細い水の流れはニグリ川とつながっていたのか。
「そして蛙の住処と蛇の食堂になったわけだな」
「左様でございますね」
「よく分かった、二度と行かない」
行かないのがお互いのためだ。叔父のように暴食蛙の餌になりかかるのも先日のように銀大蛇の餌になりかかるのも避けたいが、何よりもフレデリック自身が彼らの生態を脅かすものになりたくはない。フレデリックも、守る側の人間でありたいと思う。
フレデリックが眉を寄せて重々しく頷いたのを見てイングラム翁は笑った。そうしてイングラム翁はまた紅茶をひと口飲むと、ゆっくりと話し始めた。
「紫を持つ第十八代ヘンリー二世が即位したのちは無為に命が刈られること無く今と大差ない形での王位継承が行われてまいりました。そうして、改革に尽力しエリザベス女王陛下とリチャード様、ヘンリー陛下を守り通したのが、当時伯爵家であった………アドラムの兄妹でございます」
「アドラム………謀反を起こしたあのアドラムか?」
「左様でございます」
十一年前、父が王太子だったころに反乱を起こして王位を手にしようとしたのがアドラム侯爵だった。侯爵もその息子も、紫の瞳を持っていたそうだ。
「なぜそんな忠臣が……時間が経つと変わってしまうものなのだろうか」
フレデリックが俯くと、イングラム翁はゆるゆると首を横に振り、低く、重く言った。
「いいえ。不敬を恐れずに申し上げるのなら、アドラムはやり方こそ間違えましたが最期の最期まで、国を思う紛うこと無き忠臣であったと申し上げましょう」
「!?」
アイザックがびくりと肩を震わせ、レナードもぐっと眉根にしわを寄せた。
今のは決して言ってはいけない言葉のはずだ。叛意有りとしてこの場でフレデリックに裁かれてもおかしくない。
フレデリックはちらりとグレアムを見たが、グレアムは黙って目を閉じ扉の横に佇んでいる。何も言う気配はない。であるならば、これは父か母か叔父か…もしかしたら全員か。イングラム翁がそう発言することを黙認しているということだ。
「そうか……歴史とは、難しいな」
フレデリックは何も問うことはせず、ただそう言って頷いた。
父も、母も、叔父も、扉の前で目を瞑るグレアムも…それから静かに話を聞いているワーズワース子爵も、目の前のイングラム翁も。
十一年前にはもう大人かそれに近い年齢だっただろう。直接アドラム元侯爵家と関わっていたのだ。その大人たちが何も言わないのなら、その後に生まれてきたフレデリックに言えることは何もない。
そんなフレデリックを見てイングラム翁は目を大きく瞠り、「この方は…」と小さく呟くととても嬉しそうに微笑んだ。
「左様でございますね。事実はひとつですが、真実は人の数だけございます。アドラムも含め、歴史をどのように評価するのかは、のちの世の者次第にございますよ」
フレデリックはイングラム翁を見て、ワーズワース子爵を見て、それからグレアムを振り返った。
「ああ、そうか。そういうことか」
「殿下?」
ふぅ、と息を吐いて頷いたフレデリックに、アイザックが首を傾げた。
フレデリックはアイザックに淡く微笑むと、じっとフレデリックを見つめていたレナードに頷いた。
「ああ。僕たちにとっては十一年前の謀反も歴史の一部だ。だがイングラム翁やワーズワース子爵…父上や母上や叔父上、グレアムたちにとっては……十一年前はまだ、歴史になってはいないのだな」
グレアムをもう一度振り返ると、グレアムは驚いたように目を見開いてフレデリックを見ていた。それがきっと、答えなのだろう。




